第2話 それぞれの見立て
王女宮での勤めが終わり、イレーヌは屋敷へと戻っている。その日の晩餐は珍しくグローリアも同席。そして、そんな彼女にアルフォンスは疲れたような声をかけていた。
「グ、グローリア、そろそろ領へ戻ってもいいかな?」
「旦那様。炎月の夜会もまだですのに?」
「……一年分働いた気がするんだけど」
「気のせいですわ」
グローリアがにこりと微笑む。
(お、お父様……どうか、それ以上は)
「侯爵のお勤めは、お忘れではございませんわね?」
「……はい」
「わかればよろしいのよ。あら、イレーヌ。何か言いたいことがあるのかしら?」
グローリアの声にイレーヌはごくりと唾を飲み込む。ここで話すことではないが、母には告げねばならぬことがある。そう思って穏やかな笑みを崩さぬまま、イレーヌは答えた。
「晩餐が終わってからでよろしいです。お母様のお部屋にお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「もちろんよ。お茶を用意させておくわ。遅くならないうちにいらっしゃい」
その声が合図のように、晩餐が続けられる。周囲に控える侍女も侍従も何事もなかったような顔で料理を運び続けていた。
◇◇◇
晩餐後の静かな私室。お気に入りの侍女に髪を解かせ、紅茶を用意させたグローリアはそのまま下がるようにと告げていた。心得た侍女が下がるのと同時に部屋の扉が叩かれる。
「お入りなさい」
その声に静かに扉が開くと、ゆっくりとイレーヌが入ってくる。彼女は母であるグローリアが髪を解いていることに、ちょっと驚いたような表情を浮かべていた。
「あ、あの……お母様?」
「今夜はゆっくり話したいと思ったのよ。だから、誰もいないわ」
「そ、そうなのですね……」
そう告げるイレーヌの声は固い。そんな娘の姿にクスリと笑ったグローリアは紅茶と椅子をすすめていた。
「とにかくお掛けなさい。そして、冷めないうちに飲みなさい。飲みながら、ゆっくりお話ししましょう」
「はい。それでは、失礼いたします」
そう言いながらイレーヌは椅子に腰かけ紅茶を受け取る。同じように紅茶のカップを手にしたグローリアは、一口だけ紅茶を口に含み、静かにイレーヌへ視線を向けた。その視線を受けたイレーヌがゆっくりと最近の王女宮での出来事を語り始める。
「先日、お母様にもお伝えいたしましたが、王女宮では最近、恋愛小説が流行しております」
「まあ、そうですの? お若い方が多いですから、そういうものは必要ですわね」
「はい。王女殿下もお気に召されたご様子です。最初は侍女に勧められるままでしたが、今では続きを気にされるご様子もございます」
イレーヌの声にグローリアは満足げに紅茶を含んでいる。王女に恋愛小説を勧めるのは、と苦言を呈す文官もいるだろう。だが、今のアリシアにはそれが必要なのだとグローリアは知っている。だからこそ、イレーヌからの知らせを自分の胸一つにおさめてもいた。
そして、イレーヌも改めて紅茶を口にする。ここからの話はある意味で告げるのに勇気がいる。だが、これは母に相談しなければいけないことなのだ。そう感じているイレーヌは肩の力が入るのを感じながら話し続ける。
「それと……翠月末にお伝えいたしました花かごの件ですが……」
イレーヌの視線が心持ち揺れたのを感じ取ったのだろう。「なぁに?」と興味深そうな声がグローリアの口から漏れる。それに対して、ごくりと唾を飲み込むようにしてイレーヌは言葉にしていた。
「花かごは今も毎朝、届いております」
「まぁ」
「翠月の大夜会の翌日からですので、かれこれ40日は超えているかと」
「もう、そんなになるのですね」
「最近では、花かごをご覧になるだけではなく、お花を手に取られることもございます。今朝は、その中のリラを髪に飾っておられました」
(リラね……『恋の芽生え』ですのね。重すぎませんし、アリシア様に向けてはちょうどいいでしょう。それに、髪に飾られたのもよい傾向かもしれませんわね。もっとも、あの方は花言葉は考えもなさっていないでしょうが……)
イレーヌの言葉を反芻するように確認しているグローリア。その彼女の耳に、聞き逃せない情報が飛び込んできていた。
「それと……今日なのですが、お話をしている中でこのようにおっしゃられていました。
『毎日、届くのがどうしてなのかと思うの。それと……届かなくなったら、寂しいと思うんじゃないかしら……』
花かごに添えられているカードを見る視線も以前よりは熱が感じられるようになっておりますわ」
「まぁ。それは、とてもよい知らせですわ。ようやく王女殿下も乙女らしいことを思われるようになられたのね」
手に持っていた紅茶はすっかり冷めてしまっている。だが、そんなことを気にする様子もなく、グローリアは一息に飲み干していた。そのまま、イレーヌに向けて鋭い声が飛ぶ。
「イレーヌ、あなたは今のまま、王女殿下に恋愛小説をお勧めしなさい。内容は任せます」
「令嬢たちの集まるサロンにご参加いただくのが一番なのですが……」
「そうね。たしかにその方が効果的かもしれない。でも、時期が悪いわ」
グローリアの声にイレーヌも大きく頷く。なんといっても、今のアリシアの立場は中途半端にしか見えないのだ。
「王陛下は王女殿下を臣下にとお考えなのでしょうか?」
「あのお言葉ならそうでしょうね。もっとも、ただの降嫁で終わるはずがありませんわ」
そう呟いたグローリアは静かに侍女を呼ぶ鈴を鳴らす。やってきた侍女に新しい紅茶を言いつけると、イレーヌに向かってニッコリとほほ笑んでいた。
「とにかく、もう一度お茶を飲みましょう。そうすることで、何かが見えるかもしれませんものね」
母親の言葉にイレーヌも軽く頷く。侯爵邸の奥。親子二人はそれぞれにどうするべきかを遅くまで語り合っているのだった。
◇◇◇
その翌日。ヴァルモン侯爵邸の執務室で、グローリアは次々と手紙をしたためていた。
書き上げられた便箋は信頼する侍女が封筒へ納め、その封筒を受け取った腹心の侍女長が、ヴァルモン家の印章指輪で一通ずつ丁寧に封蝋を施していく。
「奥様。一度、休憩をはさまれましてはいかがでしょうか」
「そうなんだけど、できれば今日中にしてしまいたいのよ」
そういうグローリアの様子に侍女はわかっているというように頷いている。
「奥様のお気持ちはわかっております。それでも、あまりにも早い招待状は余計なことを考えさせます」
「わかっていてよ。なので、届けるのは花月五日よ。なんだけど、量が量でしょう? 今のうちに書けるだけ書いておかないと」
そういうグローリアの手元には、さきほど書きあがったばかりの手紙がある。
花月二十日、王城サロンにて。
炎月一日の件につきましてご意見承りたく。
つきましては、当日お足をお運びいただければ幸いでございます。
ちょっとしたお話もご用意しておりますので、是非ともおいでくださいませ。
そちらの花はとても見事だとお伺いしておりますわ。
見とれていらっしゃる方もいらっしゃるようで。
このところ、お悩みのようでしたが、お変わりはございませんか?
花は気持ちを浮き立たせるものですし、やはりあることで安心もいたしますわね。
ただ、花には虫もつきますので、そちらの注意だけは怠られませんように。
「こちらはグラナート公爵夫人、クラリッサ様へ。くれぐれも封蝋を間違えないように」
「かしこまりました」
実務を助けてくれる侍女が手紙を丁寧に封筒へと入れる。それをグローリアは満足そうな表情でみつめていた。




