第5話 静かな一手
芽月十日の庭園開放から十日近くがたっている。その日は、ヴァルモン侯爵家で『芸術を楽しむ会』というサロンが開かれていた。若手の音楽家や画家が幾人か招かれている。そして、普段では同じ席につかない夫人と令嬢も和気あいあいと楽しんでいた。
そんな中、少し休憩しましょうとお茶とお菓子がふるまわれる。その時に分家筋の子爵夫人がグローリアに声をかけていた。
「グローリア様、先日のことで面白いお話が」
「なんでしょう?」
「実は……儀礼課に鬼が出たとか」
その声にグローリアはふわりと扇を動aかす。
「あら、珍しいことではありませんでしょう?」
「まぁ、お詳しいのですね」
「ええ、あそこの課は時折そうなりますもの」
当然のようにこたえるグローリアの姿に子爵夫人は感動したような表情を浮かべている。そんな彼女にグローリアはにっこり笑って訊ねていた。
「それはそうと、どのような鬼?」
「リースフェルトとか申しておりましたわ」
「あぁ、あそこの兄弟ね。では、あの日のことかしら?」
グローリアの声に夫人たちのさんざめきがピタリと止まる。そのまま、口々に手に入れた話が始まっている。その中でもひときわ大きな声があたりに響いていた。
「なんでも決闘沙汰にまで発展したとかしなかったとか」
その声に、グローリアの目がキラリと光る。口元を隠していた扇が閉ざされ、紅があらわになる。
「まぁ。それは、王太子殿下とグラナート公子のお話かしら?」
その声に、夫人たちの興奮は頂点に達したようになっていた。
「ご存じでしたの!?」
「さすがはグローリア様ですわ!」
彼女たちの声にグローリアはニッコリと笑う。
「ええ。庭園でお話をなさっていましたもの」
「そうなのですね!」
「普通に」
グローリアの声に「えっ?」というような表情になる夫人たち。そんな彼女たちに、グローリアはあきれたように告げる。
「決闘どころか、取っ組み合いにもなっておりませんわ」
「でも、そう聞きましてよ?」
「文官の噂は育つのが早いのです」
そう言い切ると、グローリアは再び扇を広げる。そのまま、後ろに座っていたイレーヌに声をかけていた。
「イレーヌ、王女宮ではそんな話にはなっていませんでしたわよね?」
「はい、お母さま。王女宮ではそのような話よりも興味深いことがございますもの」
イレーヌの言葉に夫人たちの興味が一気に変わる。彼女たちにすれば王女宮の話などめったに耳にできない。イレーヌに向ける視線は期待に満ちたものになっていた。そんな視線を気にもせず、イレーヌは言葉を続けている。
「先日より、花かごが毎日のように届いております」
「王女宮ですものね。王太子殿下ではないの?」
「いえ、殿下ではございません。頭文字だけのカードが入っておりますわ」
その声に夫人たちの扇がバサッと動く。
「最初は可愛らしいお花でしたの。白薔薇とか、ピンクのチューリップとか」
「まぁ。どなたかわかりませんが、王女殿下に敬意を表されているのでしょうね」
「ええ。わたくしもそう思っておりました。ただ、リンドウや赤い薔薇まで届きまして……」
イレーヌの声に夫人たちの扇がピタリと止まる。
「先ごろはアイビーやストックでございます……」
イレーヌの言葉に、その場の空気がわずかに止まった。後ろで令嬢たちが「ロマンチックですわ!」「赤い薔薇だなんて、情熱的!」と叫びだす。そんな中、グローリアが静かに訊ねていた。
「王女殿下はなんとおっしゃっているの?」
「最初は綺麗ね。ですが、このところ、少し変わられました。わたくしに花言葉などをお訊ねになるようになりましたわ」
その声にグローリアはフッと笑みを浮かべる。そして、令嬢たちは思い思いの声をあげ、夫人たちも互いに目と目を合わせるしかないようだった。
◇◇◇
芽月の終わりを告げる夜会の日。貴婦人たちは、花月を迎える軽やかな装いで顔をそろえていた。
いつもは羽で彩られている扇も、この日は白檀や伽羅を透かし彫りにした涼やかなものに替わっている。彼女たちは芽月であったこと、次の初夏から夏に向けての予定を口々に語りあっていた。
「赤い薔薇まではよろしかったのですわ」
「ええ。リンドウも、まだわかります」
「でも、そのあとがいけませんの」
「まさか、ストックまでお持ちになるなんて」
先日、ヴァルモン侯爵夫人が開催した席での話は、夫人たちの耳にも入っている。だからこそ、彼女たちはお互いに頷きあいながら話し続ける。一方、その後ろでは令嬢たちが興奮したように話し続けていた。
「ねえ、あなたもあそこにいらしたんでしょう?」
「ええ、イレーヌ様がおっしゃったので間違いありませんわ」
「赤い薔薇……わたくしもいただきたいわ……」
令嬢たちの声は夜会の会場を彩っている。夫人たちはその様子を扇の陰からそっと眺めているだけ。
「若いと慎みがありませんわね」
「仕方がありませんわ。あの子たちにとっては初めてなのですから」
「たしかにそうですわね……何年振り? いえ、何十年ぶりですものね……」
年嵩の夫人が感慨深げに呟く。その隣では、また別のささやきも流れていた。
「それくらいしなければ、手放せない方がいらっしゃいますもの。」
「ええ。それに、ようやく動かれたのですから。」
「少々遅すぎましたけれど。」
そんな中、絹ずれの気配とともに白檀がほのかに漂ってくる。噂話に夢中になっていた夫人たちの声がピタリと止まる。
「皆様、ごきげんよう」
「お機嫌麗しゅう、グローリア様」
一斉に膝を折る貴婦人たち。そんな彼女たちに頷き返したグローリアは、令嬢たちへ一度だけ視線を向け、静かに微笑んだ。
「ご予定をお話になるのはよろしいですけれども、わきまえられませんと笑われましてよ」
その声に、令嬢たちの何人かはハッとしたような表情になる。それを扇の陰から見ていたグローリアは笑みを深くする。その視線が、スッと別の方にも向けられていた。
「クラリッサ様、お久しぶりでございますこと」
「グローリア様もお変わりありませんようで」
グラナート公爵夫人であるクラリッサに軽く声をかけるグローリア。その彼女の装いが紫紺であることも見落としてはいない。ただ、スカートの上を飾るオーガンジーの色にその目が細くなっていた。
(まぁ、あの色……この前のお色に合わせているのね……さすがですわ)
もっとも、そんなことは表情に浮かべるはずもない。ゆったりとした足取りで、グローリアはクラリッサのそばに近寄っていた。本日の飾りは、と視線が素早く走る。
(今日は白珠は……ありませんわね。もっとも、今日のドレスの色で合わせると、騒ぐ口も増えますわね)
「本日は白珠ではございませんのね」
「ええ、夏の前ですし、夜の色のほうがよろしいかと」
その声にグローリアの扇の手がピタリと止まる。
「たしかにそうですわね。では、あきらめられまして?」
「まさか。きちんと伝手はございますわ。その節は、本当にありがとうございました」
そう言いながら、クラリッサの目が細められる。それを見たグローリアもスッと頷き返す。
「少し、お話をお耳に入れただけですわ。こちらこそ、過分なものをありがとうございました」
「では、わたくし、他の方にもご挨拶してまいりますわ」
「それがよろしいですわね。また、招待状をお渡しいたしますわ」
「ありがとう存じます。その際はお願いいたしますわ」
公爵夫人と侯爵夫人。それぞれが次の相手へと歩み寄る。その姿を見送るように、夜会は何事もなかったかのように華やぎを取り戻していった。




