第4話 決まらぬまま、動き出す
翠月の大夜会から一週間。その夜、グローリアは王都でも評判になっている舞台に足を運んでいた。表向きはお気に入りの俳優が出ている舞台を応援するため。実際は翠月の大夜会の波紋の状況を確認するための情報戦でもあった。
とはいえ、劇場は華やかな空気に包まれていた。天井から下がるシャンデリアは蠟燭が惜しげもなく使われている。床は足音を吸い込むような絨毯。そして、幕間の時間は人々がグラスを片手にさんざめく時にもなっていた。
いつものグローリアならば、旧知の夫人やお気に入りの令嬢に声をかける。だが、今日の彼女の目的は別のところにあった。スッと細められた視線がロビーに集まる人々の間を抜けていく。やがて、にっこりと笑みを浮かべた彼女はスズランを香らせながら、ゆっくりと歩いていた。
「あら、グラナート様ではございませんこと?」
「ヴァルモン侯爵夫人、ご機嫌麗しいようでなによりです」
返される声は高位貴婦人に対しての礼を尽くしたもの。その声に「あら?」というような表情を浮かべたグローリアは扇を口元にあてていた。
「ま、お口がお上手になられましたこと。それはそうと、本日は?」
「評判の舞台ということで、父からも観ておけと」
「まあ、そうでしたのね。本当は別のことが気になっていらっしゃるのでは?」
ゼノの返事を信じ切っていない様子で言葉を続けるグローリア。だが、ゼノも顔色を変える様子もなく穏やかに言葉を続けている。
「そのようなことはございません。まだ、前半ですが後半も楽しめると思っております」
「たしかに、見事なものですものね。それはそうと、このところ王女宮に見事なものが届くとか」
「左様ですか? あいにくと存じ上げませんでした」
その声に扇の陰の笑みが深くなる。
(ふーん、まだ余裕ね。じゃあ、これにはどう返してくださるかしら?)
会話の中で言質を取られないようにするのは、貴族としては当然だろう。そして、今のゼノの対応はグローリアとしてもまあまあね、と納得がいく。だからこそ、彼女はもう一歩を踏み込んでくる。
「娘がおそばにおりましてね。先日も王女殿下がそれをすっかりお気に召されたとか」
「……そ、そうなの、ですね……」
ほんの一瞬だが、返事が遅れた。それが何を意味しているのかはグローリアには手に取るようにわかる。そして、ゼノの後ろに控えていたロドルフォの顔が軽くひきつったのも見落としてはいない。
(あらあら、やっぱりなのね。となると、仕掛けはあちらね)
心の中で答え合わせを済ませた彼女は、そろそろ頃合いだろうと見計らってもいる。
「毎日、とても楽しみになさっているそうですわ。あら、お顔の色がよろしくありませんわね」
「い、いえ。大丈夫です。お見苦しいところをお見せいたしました」
「お気をつけあそばせ。熱は急に出てまいりますものね」
「……は、はい……お心遣い、まことにありがとうございます……」
そう告げ、深々と頭を下げるゼノを残して、グローリアは席に戻り始める。
(わかってはいましたけど……でも、なぜ今更ですの? もっと早くにしていたと思ったのに……)
心の中でそんな叫びがあがる。もっとも、見た目は優雅な貴婦人のまま、彼女は残りの時間を楽しんでいた。
◇◇◇
その日も儀礼課の執務室には、早くから人が集まっていた。
壁際の窓から差し込む朝の光が、積みあがった羊皮紙の山を白く照らす。
書記官たちは席についたまま、互いに視線だけを交わしていた。
「政務課は?」
「見事にだんまりです」
「一週間たっているんだぞ」
「問い合わせても、何の返事もないですし……」
朝の執務室は、囁きともため息ともつかぬ声で満ちていた。そんな中、一人がおそるおそる文書を手にしている。
「なぁ、これって、見たくなかったんだけど……」
「なんだ?」
「東のオルレアが、司式に教皇を出してくるって……」
その声に、執務室の空気が凍りつく。信じられないことを耳にしたとばかりに、震える声が続く。
「そ、それって……メリセーヌ様が動かれたのか?」
「だろな。あの方は”祈りの蛇”の二つ名もちだが、聖母ともあがめられていると聞くぞ。教皇猊下も動くだろう?」
その場にいた書記官たちはお互いの顔を見合わせるだけ。たしかに、王の言葉はあった。となると、その先に必要なものはわかる。だからといって、こちらからの話が先だろう。彼らは互いにそう語り合っていた。そんな時、別の声も聞こえてくる。
「だがな、北が動いていないだけいいだろう」
「ま、そうだな。あそこのこの時期は、雪と氷だ。さすがに動くことはないだろう」
「いや、さっき鳥がきた。炎月に使者がくるそうだ」
ひゅっと息をのむような音がする。なんといっても、北におられるのはフィオレンティーナ王女。彼女とメリセーヌは今の王の姉として非常に存在感が強い。だが、もう一人いたはずだ。その方はどうしている、という思いがその場の誰の胸にも浮かんでいた。だが、あえて口にしない。口にすることで、実際に呼び寄せるのではないかと危惧しているともいえるのだった。
そんな時、部屋の扉が開く。入ってきた相手は別の意味での爆弾を投下していた。
「おはようございます。先日より王女宮に届いている品物があるのですが、そちらで把握されておりますか?」
「……また別件か」
「いや、全部同じ案件だろう」
疲れ切った書記官たちの囁き声。その後ろから、聞こえてくる声がある。
「四男、朝から厄介ごとを持ってくるものではないですね」
「いえ、そちらに話が通っているのかと気になりまして」
儀礼課監察官であるクラウスがため息をつく。そのまま、眉間をおさえたまま、言葉が続けられていた。
「先日来、儀礼課は通常業務以外が多すぎるのですよ。贈答品の管理は業務ですが、手が回りません」
「こちらもです。匿名の品物が定期的に王女宮に届くなど、言語道断です」
その声に儀礼課執務室に激震が走る。積み上げられた羊皮紙が崩れ落ち、誰かがばたりと倒れた音もする。
そんな中、クラウスは顔色を変えずに入ってきた相手の顔を見ていた。
「たしかにそうですね。でも、本当にこちらも手が回らないのですよ。先日のことが正式になっていないのですから」
「兄上のお気持ちもわかります。こちらも似たようなものですから。ただ、記録課としては匿名のままにできないと」
その声に、クラウスは大きくため息をつく。言いたいとこはわかるが、こちらも譲れないのだと言わんばかりの調子で声が出る。
「いっそのこと、お前のところで王命として記録してくれないか? フロイ」
「兄上、冗談はやめてください」
フロイはきっぱりと言い返す。
兄の性格はよく知っている。こう言い出した以上、絶対に言いくるめるだけの理論をもっている。そして、それに巻き込まれたら地獄を見ることもわかっている。
となると、にこやかに笑いながらも断るのが当然。そして、それを見ていた書記官たちは震えながら、お互いに同じことを言っていた。
「鬼だ……鬼がここにいる……」
もっとも、言われたほうはそんなことは気にしていない。なんとかして、今の状況を動かしたい。そんな思いしかないようにも見える二人だった。




