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これが、恋の始まりだった  作者: Aldith
第7章 微笑みの裏側で

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第3話 噂は熱を帯びて

翌日の昼下がり。

昨夜の舞踏会で陛下が口にしたあの宣言──王女殿下をグラナート公爵家嫡子に、というお言葉。

あれで縁談は確定だと、多くの者が信じていた。

けれど、その場で王太子殿下は何も仰らなかった。

たったそれだけのことが、こうして昼下がりのサロンを満たす話題になっている。

陽射しの差し込む大きな窓辺に、花柄のソファと丸いテーブル。銀盆の上で揺れる紅茶の香りは、菓子の甘い匂いと混じり合い、部屋全体にやわらかな幕をかけていた。

──表面だけは。


「……嘘ですわ。たしか、話を進めていると家宰が……」

「まあ、わたくしの家には丁寧なお詫び状が届きましたのよ」


その声に、場の空気がぴりりと張り詰める。紅茶の湯気が一瞬で冷えたような感覚が広がった。


「おそらく、昨年の終わりから、もう決まっていたのですわ」

「どうしてそう思われますの?」

「だって、昨夜のお二人、これ以上ないくらい意匠が揃っていましたもの」


銀青の意匠──同じ模様ではないが、互いに呼び合うように計算された装い。偶然と呼ぶには整いすぎていた。


「たしかに、そうでしたわよね……」


兄と妹が並んで入場したときのかすかな違和感を思い出したのだろう。ため息は深くなる。

昨夜の白礼服は王家としておかしくはない。王太子としてはむしろ正統な選択だった。けれど王女の銀青に合わせるなら、本来は藍に銀糸を添えるのが最も映えるはず。

それなのに、殿下は白一色で、差し色が袖口の銀青にとどまっていた。

そしてアリシアの纏っていた銀青こそが、ゼノの装いと呼応していたのだ。

息が詰まるほどの沈黙が落ち、やがて低く同意の吐息が重なる。

暖かい午後の日差しのはずなのに、冷たさだけが深くなっていくようだった。




◇◇◇




令嬢たちがさんざめくのと同じ時。夫人たちも探り合うような時間を過ごしていた。

彼女たちにしても、昨夜のことは語り合いたい。だが、表立っては集まれない。そんな時、娘たちが集まることを耳にして、付き添いの名目で集まっているのだった。そのために、交わされる声も低いが、互いの顔色をうかがうことも忘れない。


「昨日は本当に不思議なことが起こりましたこと」

「ですわね。普通でしたら、あの場は『妹を頼む』と仰るはずなのに」


そうなのだ。一晩、考えてみてもこれだけが納得いかない。だからこそ、互いに確認しあいたいという気持ちもあるのだろう。

カップを置く音すら止まり、菓子の甘さが妙に際立つ。

沈黙が降りてきた──昨夜の舞踏会で、殿下が何も言わなかったあの瞬間と、同じ重さで。


「でも、陛下のお言葉は間違いなくありましたわよね?」

「ええ、はっきりと。それに応えられた方も……」


これだけは間違いがない。王太子の言葉こそなかったが、これは社交界の常識ならば確定事項。ならば、家を預かる夫人なら何をする?


「宅は早速、領に使いをやりましたわ。今年はいい出来の果物がございますから」

「そちらの砂糖漬けは有名ですわよね。でも、今からでは早すぎませんこと?」

「とはいっても、古すぎるものもいけませんでしょう?」


扇の陰でささやかれる言葉はどこか剣呑。だが、彼女たちは当然のようにして自領の物品のことを口にする。


「本当は、もう少しきちんとなってからのほうがよろしんですけれども……」

「まぁ……」


一人の声に、クスクス笑いが広がり、扇が揺れる。令嬢たちの紅茶が冷えていく中で、夫人たちの席の菓子はコロコロ転がっていくようだった。




◇◇◇




貴族たちがあたふたとしている中、王女宮はいつもの空気のままでいるようだった。

王の言葉と王太子の沈黙。

これは考えようによっては重いものだろう。だが、王女宮の生活が一気に変わるものではない。侍女たちはいつもと同じようにアリシアの傍に控えていた。そんな中、イレーネだけは困惑した表情を隠すことができなかった。


(これ……どうすればいいのかしら……)


彼女の手にあるのは小ぶりの花かご。翠月の大夜会の翌日から届けられるようになったもの。

たしかに、王女宮に花が届くのはおかしいことではない。あちらこちらの貴族家や若い貴公子から挨拶として贈られる花は大量にある。だが、これはそれらとは違うとイレーヌは敏感に感じ取っていた。


「イレーヌ、元気にしている?」

「お、お母……いえ、ヴァルモン侯爵夫人。いかがなさいましたでしょうか?」


口にしかけた言葉を慌てて言い直して頭を下げるイレーヌ。なにしろ、目の前にいるのは五大家の一角ヴァルモン侯爵家夫人のグローリア。たしかに母ではあるが、王女宮という場所ではそれは出さないほうがいい。そう判断した彼女は高位貴婦人に対する礼を尽くす。それに対して、すっと扇を口に当てたグローリアは満足そうにうなずいていた。


「そのように緊張しなくてもいいのよ。それはそうと、最近の王女宮はいかがかしら?」

「はい。特に変わったことはございません」

「そうなのね」


イレーヌの声にグローリアはゆったりと扇を動かすだけ。もっとも、その次の言葉を耳にしたとき、パタリと手が止まっていた。


「ただ……このところ、毎日のように花かごが届くようになりました」

「あら、王女宮に花が届くなんて、珍しいことではないでしょう。ひょっとして、あなたが持っているそれかしら?」

「あ、はい。今朝、一番に届いたものです」


そういいながらイレーヌが出すのは片手で持てそうな小さな花かご。中にはピンクのチューリップと白いレースフラワーが上品にまとめられている。


「アリシア様がお好みになりそうね」

「はい。とてもお気に召されて、毎日、楽しみになさっておられます」

「まあ、そうなのね。でも、それならこれは王太子殿下ではないの?」


エドワルドがアリシアのことを溺愛しているのは公然の事実。先日の王の宣旨に対するエドワルドの声がなかったことも有名。だからこそ、妹に対して気にしないようにとの意図を込めて贈っているのではないか。そう言外に告げるグローリアの言葉をイレーヌは否定している。


「いえ、殿下からは別にいただいております。王太子宮にもそのことは確認しております」

「そうなのね。でも、本当に見事な花かごね。上品で嫌みがないわ」


グローリアの声にイレーヌも静かに頷く。その彼女がおずおずと言葉を続けていた。


「ただ、カードだけが添えられているんです」

「カード? では、贈り主がわかるのではないの?」

「それが……Zの頭文字だけでして……」


それを聞いた途端、グローリアの扇がピタリと止まる。彼女の中では一つの仮説がすさまじい勢いで組み立てられていた。


(まったく……いまさらですの? もっとも、本人ではないかもですが……)


口元を隠すように寄せられる扇。しかし、目元の光は隠せない。それを見てしまったイレーヌはおろおろすることしかできない。


「お、お母さま……?」


思わず侍女の顔を忘れた娘に注意はしない。グローリアは次に打つ手をどうしようかと考えながら、扇をゆったりと動かし始めていた。

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