第4話 誕生日の余韻
翠月の終わりから二月余り。
炎月一日。この日はアリシアの誕生日だった。
16歳になったのを記念して制作された肖像画も無事に完成し、本日の祝宴はその披露も兼ねている。だからこそ、王女宮の広間はいつもよりも人の出入りが多く、慌ただしい空気が流れていた。
「マティルダ様、アリシア様の準備が終わりました」
「お疲れ様。姫様にはもう少しお待ちいただくようにお伝えして」
その声に侍女は頭を下げる。その傍らでは、フェルミナが来客の相手に追われていた。その姿を見て、すっとマティルダが傍らに近寄っていく。
「フェルミナ様、お手伝いすることはございますでしょうか?」
そばにいるものにしか聞こえないかすかな響き。それに対して、軽くうなずいたフェルミナはすっと視線を向けていた。そこにはどこか緊張した様子のリュカがいる。それを見たマティルダも心得た顔でリュカのそばへと近寄っていた。
「ベルナール様、本日はお疲れ様です」
「マ、マティルダ様……ほんとに、僕がこんなところにいていいんですか?」
「当たり前ではございませんか。本日の主役ともいえる方が何をおっしゃいますか」
「だ、だって……芸術院の長老もおられるし……僕みたいな若手がやったことを気に入らないと思っていらっしゃるんじゃないかと……」
その声に滲んでいたのは、自信のなさではない。「本来、自分がいるべき場所ではないのではないか」そんな不安だった。それに気が付いたマティルダは静かな声をかけていた。
「ベルナール様。そのようなことを気になさる必要がございません。何かを言いたい方はいらっしゃるかもしれませんが、あれを目にすれば何も言えないはずでございます」
「そ、そうなんでしょうか……」
「間違いございませんわ」
マティルダの励ましともとれる声に、ようやくリュカはあたりに目を向ける。その時、彼の目には優雅に扇を揺らす貴婦人の姿が入っていた。ここまで漂ってくることはないが、スズランの香りが届いたようにも思う。
「あの方は……」
とはいえ、リュカはそれが誰なのかもわかっている。彼女にだけ見えるようにかすかに頭を下げると、当の貴婦人は軽く扇で口元を隠していた。そのままの視線でフェルミナに向けて声をかける。
「フェルミナ、王女殿下のお出ましの前に用意しておくものがあるのではなくて?」
「ヴァルモン侯爵夫人、失礼いたしました。ただいま、用意しております。また、王女殿下もお出ましを願うよう、侍女を呼びにやらせました」
祝宴の場は一気に慌ただしくなる。談笑していた人々もある一角に視線を集めている。そして、ゆっくりと扉が開かれたのだった。
◇◇◇
ゆっくりと開かれた扉。その向こうから姿を現したアリシアに、広間の空気が静かに変わった。
本日のアリシアは、裾を流れる淡い銀青の刺繍が印象的なドレスを身にまとっていた。
「あれは……」
思わずリュカの口から声が漏れる。だが、それを咎めるものはいない。誰もがアリシアの姿に釘付けになっているからだ。そんな中、ゆったりとした仕草で動く貴婦人。
「王女殿下、16歳のお誕生日おめでとうございます。また、本日は素晴らしいものも拝謁できると伺っております。今日のこの日に招かれましたこと、お祝いとともに心よりの感謝をささげさせていただきます。」
「ヴァルモン侯爵夫人、ありがとう。そのように心にとめていただいて、わたくしも言葉になりませんわ」
そういいながらアリシアはフェルミナに視線を向ける。それを受けたフェルミナは近くに控えていた近衛に指示を出していた。すぐに別の扉から布をかけた大きなものが運び込まれる。その布が丁寧な手つきでとられた瞬間、その場にいた人々は声を上げることも忘れたようだった。
「……なんと」
「まぁ、王女殿下がお二人いらっしゃるよう……」
広間の中をざわつきが走る。それも当然だったろう。披露された肖像は人々が予想したポーズとは少し違っている。満面の笑みを浮かべ、花束を持った姿。
王女の肖像だから椅子に座った真面目なものと思っていた人々には驚くしかないものだった。そして、なによりも描かれている表情が自然。そのことに芸術院の長老は目ざとく気付いていた。
「ポーズとしては認めづらい。だが……モデルを描き出す力量は本物か……」
招待されていた芸術院の関係者はお互いに頭を突き合せている。その中の一人。最も年嵩の長老格がリュカのそばに近寄っていた。
「ベルナール君。非常に良いものを見せていただいた」
「あ、ありがとうございます……」
「ちなみに聞くが、君の得意は肖像よりも細密ではないのかね?」
その声にリュカがどう返事をしようかと視線をうろうろさせる。そんな彼の方を軽くたたいた長老は気軽に言葉を続けていた。
「いや、そのことを咎めているのではないのだよ。君が肖像よりも細密が得意ならば、孫娘の細密を頼みたいと思ってね」
(ど、どうしてですか!)
リュカの悲鳴にならない声が響く。だが、声をかけたほうは気にもしない様子で仲間たちとの話に戻ろうとしているのだった。
◇◇◇
和やかな時間は終わりを告げようとしていた。招待された人々は王女であるアリシアに祝いの言葉をのべ、披露された肖像画の出来を語り合う。そこに貴族同士の探り合いもあるのは当然。だが、この場にあるのは、アリシアの生誕を祝うという優しい空気だけだった。
「リュカ、ほんとうにありがとう」
少しずつではあるが、招待客の姿が減り始めたころにアリシアがリュカの元に駆け寄っていた。
「ほんとはもっと早くにお礼を言いたかったんだけど……でも、あまり早くにわたくしが声をかけると目立っちゃうでしょう? リュカを困らせるかと思って」
「そんなことまで考えてくださっていたのですか? 僕のことなんて気になさる必要はなかったのに……」
アリシアの言葉にリュカは驚いたような声を上げる。たしかに、王女宮で過ごした時間はある。そうであっても、貴族階級ではない自分のことを気にかけるはずがないとも思っていたのだ。
「だって、お礼は必要だと思うわ。リュカはこんなにステキな絵を描いてくれたんですもの。だから、これはわたくしからのお礼」
そう言ってアリシアはリュカの手にハンカチを渡している。
「わたくしの刺繍だから、あんまりキレイにできてないけど、許してね。マティルダに教えてもらったから、見栄えは悪くないはずよ」
「あ、ありがとう……ございます……」
リュカの声にアリシアはにっこりと笑いながらその場を離れている。そんな彼に近寄ってきたのは政務課の文官。
「ベルナール殿。今回は誠にご苦労様でした。王女殿下のみならず王太子殿下、ひいては王陛下もご満足なさっておられます」
「あ、ありがとうございます」
「つきましては、先日、王太子殿下よりありましたお話を進めさせていただきたく存じます。近々、父君とご一緒に政務課へ足をお運びいただければと存じます」
「あ……はい。わかりました。父にも話をしています。まさかのお話に恐縮していましたが、伺わせていただきます」
王女宮の片隅で繰り広げられていたやり取り。それを目にした誰かが、目を細めていたのかもしれなかった。




