第5話 描かれた影
アリシアの誕生祝賀と肖像画のお披露目が終わって一週間。それまで慌ただしかった政務課は、ようやく日常業務に戻ったともいえた。
そんな中、一枚の文書に目を通した事務官は頭を抱え始めてしまっていた。
「おい、どうしたんだ」
「大事なこと、忘れてた。ベルナール工房との話し合いがあった」
その声に、事務官たちは顔を見合わせる。次に彼らの口からでた言葉は不思議と同じものだった。
「……ああ」
「あれか」
「うん。第六に回そう」
そして、その日の午後。政務課から回ってきた文書を前にフロイは半ば固まっていた。
「リースフェルト三等書記官。政務課からの案件なんだけどね。君に一任したいと思うんだよ」
「……お訊ねしてもよろしいですか? どうして私でしょうか」
「いや、ちょっと確認したんだけど、儀礼課が絡みそうだろう? あそことは関わりたくないんだよ」
「それは理由にはなりませんが?」
「そうかい? でも、君なら問題ないと思ってね。ま、とにかく頼んだよ」
そういって、強引に渡される文書。しぶしぶ受け取ったフロイは中身を確認するなり、机に突っ伏してしまっていた。
「これ、どうしろというんですか……」
とはいえ、誰も応えてくれる人はいない。結局、彼は半ば諦めた表情で、ベルナール工房への書状をしたためるしかないのだった。
◇◇◇
「リュカ、呼べ!」
ベルナール工房の全体を震わせるような大声が響き渡っていた。工房の弟子たちは戦々恐々で工房主の顔を見る。
「お、親方。どうしたんですか?」
「どうしたも、こうしたもない。とっとと、リュカのアホを引っつかまえてこい!」
こうなったら、何を言ってもダメだ。そのことがわかっている弟子たちはリュカを探しに行こうとする。その時、工房の扉が開いたかと思うと、リュカが入ってきた。思わずその首根っこが捕まえられる。
「と、父さん。何があったって……」
「ああ、あったな。とにかく、これ読め」
突きつけられたものを恐る恐る広げるリュカ。そして、文面を読み終わることには真っ青な顔になってしまっていた。
「父さん、これって……前に話したあれの続き?」
「みたいだな。あの後、まるっきり話がこないから流れたと思ってたんだけどな」
「で、ですよね……」
「じゃない。なんで王太子殿下がうちの工房にまで話を持ってくるんだ」
「い、いや……俺もどうしてかなんて……」
「グダグダ言うな。とにかく、王宮には行かないとな。呼び出されて無視したなんて噂が流れたら一発アウトだ」
そう言うなり、ベルナール工房の主は息子のリュカを引きずるようにして、王宮へ向かう準備を始めていた。
◇◇◇
「ベルナール殿、誠にご迷惑をお掛けしました。記録課のリースフェルトと申します。こちらの手違いで、ずいぶんとお待たせしてしまいまして、申し訳ありません」
王城に到着するなり通された一室。そこで深々と頭を下げる穏やかな文官――フロイの姿に、リュカの父はすっかり毒気を抜かれていた。
「リースフェルト文官、頭を上げてください。うちはただの細工師です。王宮勤めの方に頭を下げられるなんて……」
「そんなことはありません。ご子息のリュカ殿の才能は芸術院のみならず、王太子殿下も一目おかれているのです。そのような才能に敬意を表するのは当然ではありませんか」
(こいつ……何を言いたいんだ?)
とはいっても、文官一族リースフェルトの名を背負ったフロイの表情が読み切れるはずがない。結局、親子はフロイが提示する条件をこくこくと飲み込むしかないのだった。
そのまま、親子は疲れたような姿で王城のからの帰途につく。そのまま、門を出たと思ったあたりでふわりとスズランが香るのを感じていた。
「父さん、この香りって……」
「言うな。これ以上、ややこしいことになりたくない」
父親がそういうのと同時に、親子の前に一台の馬車が止まっている。その窓から顔を出すのは貴婦人の中の貴婦人。
「あら、リュカではないの? この前はよくやってくれました」
「は、はい……ありがとう……ございます」
「あらあら。そんなに固くならなくてもいいのよ。今日はどうして、こちらに?」
その質問に答えようとした瞬間、父親が見えない場所をつねってくる。ハッと我に返ったリュカはおどおどした調子で返事をしていた。
「じ、実は……工房のことで話があるとか言われまして……」
「まあ、そうだったのね。送って行って差し上げたいのだけれども、わたくしも用があるの。また、機会があれば屋敷にいらしてね」
「は、はい……」
そのまま、馬車は動き始める。馬車の中の貴婦人は扇を口元にあてながらクスリと笑みを浮かべていた。
◇◇◇
そして、リュカ親子が馬車の貴婦人と遭遇した同じ頃。ゼノ=グラナートは居心地の悪い顔で王城の一室にいた。いや、彼の身分であれば、王城にいることは不思議ではない。
ただ、それまで身に着けていた軍服ではなく貴族服。そして、場所が王太子宮の一室だということで困惑しているといえるのだった。
もっとも、部屋の主であるエドワルドはそのようなことを気にしてはいない。気軽な調子でゼノに声をかける。
「そんなに固くならなくてもいいだろう」
「とは言いましても、特にこちらに参る理由もありませんし」
「そう? 本来なら、リュシアンと同じように側近として仕えてくれるんじゃなかったっけ?」
その声に、ゼノは何も言うことができない。もっとも、エドワルドはそんな彼の様子を楽しむような顔で言葉を続けていた。
「それはそうと、先日のアリシアの誕生会の話は聞いたかい?」
「あ、はい……ずいぶんと見事な肖像画が披露されたとか」
「そうなんだよ。あの画家は本当に素晴らしかった。若いから不安だという声もあったけど、彼に任せてよかったよ」
エドワルドの「若い」という声にゼノの眉がピクンと動く。それを横目に見ながら、エドワルドは話を続けていた。
「そうだ、あの時の会に君は参加していなかったね」
「はい、招待状はいただいておりませんでしたので」
「グラナートだし、何とかなると思っていたんだけどね」
「左様でございますか」
「うん。だから、今日は君に見せたいものもあるから呼んだんだよ」
その声にこの場から逃げ出したいという思いがゼノの中には湧き上がってくる。だが、王太子の前を勝手に辞することができるはずもない。そんなゼノの葛藤を気づきもしないように、エドワルドは1枚の絵画を手にしていた。
「本当はもっと大きいものなんだけどね。手元に置きたかったから少し小さめのものにしてもらったんだよ。どうだい? よくできているだろう?」
そう言ってエドワルドが見せる絵の中にいるのは、満面の笑みを浮かべた少女の姿。それを見た瞬間、ゼノは「誰だ?」と思ってしまっていた。
アリシアのはずだ。彼女以外の誰でもないはず。それなのに、一瞬、別人に見えてしまった。だが、よく見るとアリシアでしかない。彼が護衛としてそばにいたときの彼女の面影がそこにはある。
「いい絵だろう?」
「……はい」
それ以上の言葉が出てこない。何かを言えば、感情があふれてきそうになっている。そんなゼノの姿を楽しそうに見ているエドワルド。そんな二人の姿を部屋の隅にいたリュシアンはがっくりとうなだれながら見ることしかできないようだった。




