第2話 衣装の選定
その日も王宮の衣装部屋は熱気と慌ただしさであふれかえっていた。アリシアの肖像画が作成されるという噂がここまで回っているのだろう。侍女たちは仕事の合間にお喋りを止める気配がない。
そんな彼女たちの横では、先日、開催された翠月の祝夜でアリシアが着たドレスがトルソーにかけられている。デビュタントのドレスを思わせる、裾を彩る銀青薔薇。銀糸で彩られた薔薇が午後の柔らかい光を浴びてキラリと光っていた。
「本当に、何度見ても見事なものよね」
「でも、次にこれをお召しになる時ってあるのかしら?」
「王族の方が同じドレスをお召しになるってないでしょう? それ考えたら、もったいないわよね」
「たしかにね……で、今度は肖像画なのね。やっぱり、お姫様なんだなって思うわ」
「うん……そう思うわよね」
囁き合う声が交わされる中、衣装室の扉が静かに開いた。
王女宮を束ねる女官長フェルミナの姿に、侍女たちは一斉に膝を折る。
花のように散っていた噂話は、瞬く間に息をひそめた。
その場の空気が張り詰めるのを確かめるように、フェルミナは淡々と告げた。
「こちらにも通達があったと思います。王女殿下が肖像画の作成時にお召しになるドレスを選びます。明日の午後には王女殿下がお見えになりますので、それまでに候補を揃えておきなさい」
フェルミナの声に、侍女たちはいよいよなのだとばかりに表情を浮き立たせる。その勢いのまま、彼女たちは様々なドレスを用意し、翌日に決まったアリシアの訪れを胸を躍らせながら待っていた。
「王女殿下、お待ちしておりました。衣装室の侍女たちが選んだ衣装でございます。お気に召すものがあれば、どうぞ手に取ってご覧くださいませ」
女官がうやうやしく頭を垂れる。その後ろで侍女たちは期待に頬を紅潮させ、視線をアリシアに注いでいた。
まもなく十六歳を迎えるアリシア。
少女から女性へと移り変わるこの時期の娘には、往々にしてどこかアンバランスさが残るものだ。
だが、衣装室へと姿を現した王女には、そのような危うさは見当たらなかった。
緩やかに結い上げられた金の髪。まだ少女らしい柔らかさを残しながらも、その立ち姿には王女として育まれた気品が宿っていた。
「まあ……」
誰ともなく漏れた声に、周囲の侍女たちも小さく頷く。
「去年とは、ずいぶん印象が変わられましたね」
「ええ。本当にお綺麗になられて……」
ひそやかな囁きが交わされる中、アリシアは並べられたドレスの数々を見渡していた。
「こんなにたくさん……」
思わず漏れた声に、侍女たちの表情が明るくなる。
「王女殿下の御肖像でございますもの」
「皆、張り切って選びましたの」
「お気に召すものがございましたら、ぜひ」
次々と差し出されるドレスに、アリシアは少し困ったようにマティルダを振り返った。
「……また、なの?」
その声に、マティルダはわずかに視線を逸らす。
「何のことでございましょう」
「去年も似たようなことがあった気がするのだけれど」
途端に衣装室の空気が微妙に揺れた。
デビュタントの衣装選び。
朝から夕刻まで続いた、あの大騒ぎ。
その記憶は侍女たちの間にも鮮やかに残っている。
いや、むしろあの騒動は本宮殿の衣装室だったからこそ、侍女たちは仕方がないとあきらめたのだ。だが、今回は違う。自分たちのテリトリーである王女宮での話。それだけに勢いもある。
「今回は肖像画ですから」
「去年とは意味合いが違いますわ」
「そうですとも」
口々に弁明する声に、アリシアはますます怪しそうな目を向けた。
「そうかしら……」
だが、その視線も並べられた衣装の前で止まる。
純白の絹。
淡い銀青を織り込んだ生地。
刺繍を抑えたものもあれば、花を散らしたものもある。
どれも美しい。
どれも王女のために用意されたものだった。
「姫様」
静かに声をかけたのはフェルミナだった。
「今回選ばれるのは、ただの衣装ではございません」
アリシアが振り返る。
「御肖像は長く残るもの。十年後も、二十年後も。あるいは、それ以上の時を越えて人々の目に触れることになります」
衣装室の空気が少しだけ静まった。
先ほどまで浮き立っていた侍女たちも、その言葉の重みを理解しているのだろう。
「ですので、皆が真剣なのです」
「……そう、なのね」
アリシアは改めて並ぶ衣装を見つめる。
今まではただ美しいと思っていた。けれど、これから描かれる一枚は違う。そこに残るのは、一人の少女ではない。王女アリシアという存在そのものなのだ。
そう思っただけで、自然とアリシアの背筋が伸びる。
その様子を見ていたフェルミナは、わずかに目を細めた。
「お覚悟が決まったようですね。では、姫様。まずはどちらからご覧になりますか?」
問いかけに、アリシアは並ぶドレスの中へ一歩足を踏み出した。
◇◇◇
「どれも本当に素晴らしい……」
「お目に叶うものはございましたでしょうか?」
「……そうね。叶うというより、今のわたくしにふさわしいかと思ってしまいましたわ」
アリシアの声にフェルミナはなるほどというような表情を浮かべる。だが、横に控えている侍女には通じていなかったのだろう。彼女は見事なレースの飾り襟があしらわれたドレスをアリシアにすすめている。
「姫様。姫様でしたら、このようなレースが間違いなくお似合いですわ」
「そう? ありがとう。でも……少し違うのではないかしら」
アリシアの声にフェルミナが確認するような声をかける。
「どうして、そのようにお考えでしょうか?」
「たしかに、このレースは素晴らしいですわ。おそらく、二度と手に入らないものだと思います。
ただ、それを16歳のわたくしが身に着けて、姿に残すのはふさわしいかと思ってしまったんです」
「え、どうして、そう思われるんですか? 姫様なら絶対に似合いますもの」
「そう思ってくださるのは嬉しいわ。でも……どういえばよろしいのかしら? ちょっと、違うような気がするの」
アリシアの声にフェルミナは「さようでございますね」というような表情を浮かべるだけ。ただ、静かに見守っているだけ。
その視線を感じながらも、アリシアは別のドレスを手に取っていた。
華やかなレースはない。宝石もほとんど使われていない。けれど、淡い銀青の刺繍が裾を流れるように走り、光を受けるたびに静かな輝きを返している。
「……あら」
思わず声が漏れた。先ほどの豪華なドレスとは違う。けれど、不思議と目が離せない。
「姫様?」
「わからないの。でも……こちらの方が落ち着くわ」
指先でそっと刺繍に触れる。銀青の糸は派手さこそないものの、どこか懐かしい温もりを感じさせた。そして、何よりも自分が安心できるという思いを強く持つことができる。
「こちらでございますか」
フェルミナが静かに頷く。その表情には、かすかな納得の色が浮かんでいた。
「ええ、これがいいわ。これなら、16歳のわたくしとして残っても恥ずかしいとは思わない」
「かしこまりました。では、これで話を進めさせていただきます」
うやうやしくドレスを受け取ったフェルミナはそう告げる。この日、肖像画の作成は確実にその歩みを進めたともいえるのだった。




