第4話 光の下の舞
高らかな声が、大広間の高天井に響いた。
「――これより、翠月の祝夜を開始いたします。本日をもって成人を迎えられたご子息、ご令嬢方。順にご入場を」
儀礼局員の宣言に、ざわめきはひと呼吸で静まり返る。扉が開き、白の衣装に身を包んだ若者たちが一組ずつ姿を現した。緊張を隠せずに足を運ぶ姿、誇らしげに胸を張る姿。その一つひとつに視線が集まっていく。
「まあ、皆さん可愛らしいこと」
「でも、今年は格別よね」
「だって……王女殿下がいらっしゃるんですもの」
扇の影で声がひそひそと交わされる。花々に飾られた舞踏会をも霞ませる存在感に、視線は自然と吸い寄せられていった。
「王太子殿下とご一緒だとか」
「当然ですわ。いまさらですの?」
囁きは音楽の前奏と重なり合い、さざめきとなって広間を満たしていく。
やがて、楽の音がふっと途切れた。
静寂を切り裂くように、宣言の声が高らかに響く。
「――王太子殿下、並びに王女殿下」
重厚な扉がゆっくりと開いた。
最初に広間を満たしたのは、規則正しく大理石を打つ靴音だった。
誰もが息をのむ。
伏せられた視線の奥で、熱を帯びた好奇と期待が波のように広がっていく。
現れたのは、白絹のドレスをまとった王女。その裾と胸元には、銀青の薔薇が咲き誇り、清らかさと気高さを同時に刻んでいた。
隣に立つのは、藍を基調とした礼服の青年。銀青の刺繍を添えた意匠が、妹の装いと静かに呼応している。
「まあ……!」
「白に銀青の薔薇……あれは王女殿下のためのものですわね」
「殿下はやはり藍。それに銀青を合わせるなんて」
囁きは扇の影を伝い、広間を包んでいく。
燭台の光を受け、縫い込まれた銀糸がほのかに瞬く。藍と白、それぞれの布を渡るきらめきは、まるで見えない糸で兄妹を結び合わせているかのようだった。
「ご覧になって? わかってはいたけれども、こうも映えるのね」
「ですわね。殿下の藍が、妹君を引き立てているようですわ」
笑みを隠した扇の奥で、婦人たちの視線はますます熱を帯びていく。
兄妹はゆっくりと中央へ歩みを進めた。
光の下に並び立ったその姿だけで、すでに広間を圧倒していた。
「――王太子殿下と王女殿下にて、ファーストダンスを」
儀礼局の高らかな声が大広間に響いた瞬間、空気が震えた。
楽師たちの手が一斉に動き、音色が空気を震わせた。
中央に進み出た二人。兄が妹の手を取るその所作は、あまりに自然で、あまりに美しかった。
その瞬間まで交わされていた扇の陰の囁きが、ふっと途絶える。
ただ音楽と、床を滑る足音だけが広間を満たしていた。
白のドレスがひと回りするたび、銀青の薔薇が光を受けて咲き誇る。
その手を導く藍の礼服には、妹の色がそっと添えられている。
兄妹が一歩ごとに描き出す調和に、広間の視線は釘付けとなった。
「ご覧になって? 殿下の藍と妹君の銀青が……まるでひとつに溶け合うよう」
「やはり兄妹だからこそ絵になりますわね」
扇の影で交わされる囁きも、やがて音楽に吸い込まれていく。
広間全体が、舞う二人を中心にひとつの旋律となっていた。
視線を送るのは婦人だけではない。
列の後ろ、青年たちの間からも低い声がもれる。
「……完璧すぎる」
「これでは、誰も割り込めない」
杯を傾けながらも、彼らの目は舞台から離れない。
その中に、一際静かな視線があった。
ゼノ・グラナート。
壁際に立ち、口元にかすかな笑みを浮かべたまま。
その目はただ一人に向けられていたが、内に潜む熱を悟る者は誰もいない。
旋律が高まり、二人の影が光の下で交錯する。
白と藍が絡み合い、銀青の薔薇が花開く。
その一瞬、広間にいた誰もが「これこそ祝夜だ」と理解した。
音楽が収まると同時に、拍手が波のように押し寄せる。
視線も手も奪われ、人々はただその光景に酔いしれていた。
◇◇◇
「――続いて、本日のデビュタント令嬢・令息によるお披露目を」
儀礼局の声が高らかに響いた。
再び音楽が流れ、中央に若者たちが集っていく。白を基調とした衣装に、それぞれの小さな工夫が光る。髪飾りに花をあしらった令嬢、クラバットの結びに趣向を凝らした令息。緊張に肩を張りながらも、どの顔も輝いていた。
「まあ……初々しいこと」
「ええ、あれが今年の主役たち」
扇の影にひそむ声は、温かい眼差しを隠すように漂う。
緊張と誇らしさが混じり合う姿は、まさに「青春」という言葉がふさわしかった。
「アリシア様も、同じご年代なのですわね」
「まあ、比べられるなんて……どこに耳があるのかわかりませんのよ」
音楽が弾み、若者たちが一斉に舞い始めた。
足取りはまだぎこちない。けれど、その拙ささえも眩しい。
令嬢のドレスがふわりと広がり、令息の手がそれを支える。緊張で表情が固まっているのも微笑ましく、見ている者の頬が自然に緩んだ。
「まあ、あの子は緊張して裾を踏みましたわ」
「ふふ、可愛らしいこと。でも相手がうまく支えましたわね」
「ええ……初めてにしては十分ですわ」
囁きの輪が広間のあちこちに広がっていく。
王宮の一夜にしては珍しく、和やかで温かな空気だった。
その流れの中、視線は自然と中央の一人に集まっていく。
白のドレスに銀青の薔薇をあしらった少女――王女アリシア。
「殿下も、もしここに並ばれていたら……」
「あら、月は月だから美しいのですわ。そうは思いませんこと?」
扇の陰で交わされる囁き。遠慮をしているようで、実は明確に序列をつけようとする声。そこに飛び込んできたのは透き通るような声。
そこで優雅に扇を揺らしていたのは、社交界の女王。
彼女の声に、もしもを口にしていた夫人たちの顔色が青ざめる。もっとも、本人はそのようなことを気にもかけずに、中央に立つアリシアの姿に見とれているようだった。
「本当にお似合いですわね。そうは思いませんこと?」
遠慮のない囁きをしていた人々は、その声にどう返そうかと目くばせをする。
その姿にクスリと笑った彼女は優雅にその場から動いていた。ふわりと動いた扇から香るのは、この時期に咲くスズラン。その姿に自然と道が開かれる。彼女は、アリシアとは別の意味で会場の注目を集めている女性だった。
そんな中、音楽が大きく跳ね上がり、舞う若者たちの動きが揃う。夫人たちが互いの位置取りを確認している間に、ダンスは終わっていた。
拍手が一斉に広間を満たし、熱が波のように広がる。
「見事でしたわね」
「ええ……若さというものは、それだけで華やかですわ」
人々の視線と笑みが、舞い終えた若者たちに注がれる。
アリシアもまた拍手を重ね、唇に小さな笑みを浮かべた。
その横顔を、壁際からじっと見つめている視線があった。
もっとも、静かな眼差しに、誰も気づくことはない。
――そして、広間全体は、もう次の段階へと動き始めていた。
杯を手にした当主格が立ち上がり、扇を閉じた婦人たちが視線を交わす。
高位貴族たちが順に歩み出し、王族への挨拶が始まろうとしていた。




