第2話 白の中の薔薇
その日、王城の衣装室はいつも以上にざわめきに包まれていた。
もっとも、それも当然のことだった。
今年の翠月の夜会――アリシアがついにデビュタントとして舞踏会に臨む。そのため、衣装室には白いドレスばかりが並べられていた。
冬の柔らかな日差しが窓辺から差し込み、レースのカーテンを透かして白い光を散らす。
広間の机に広げられている色も白一色。それは、デビュタントの装いは白と定められているから。王女であっても、その決まりだけは変わらない。
とはいえ、所狭しと並べられている衣装に圧倒されたアリシアは呆然とつぶやいていた。
「マティルダ……こんなに多いなんて、選べないわ」
「さようでございますか? でも、まだまだ並ぶ予定でございますよ」
「ま、まだ? やめてよ……」
埋もれそうなほどの量の中からどれを選べというのだろう。そんな戸惑いがアリシアにはある。だが、そんな彼女の様子よりも、侍女たちはドレスの選定に熱が入っているようだった。
「殿下、こちらの白絹は如何でしょう! 胸元に小粒の真珠をあしらっておりますわ」
「いえ、こちらこそ。裾に三段フリルを重ねております」
「お待ちくださいませ! このドレスは背姿までも華やかに見せられます!」
「ちょ、ちょっと待って……どう選べっていうの?」
「白という色は見せ方で印象が変わります」
「そうなの?」
「ええ。侍女たちは姫様の魅力を最大限に引き出そうと張り切っております」
「わ、わたくしにはぜんぜん違いが分からないわ……!」
「姫様、ご安心ください。最終的には一番お似合いの一着が見つかります。……ただし、少々根気が要りますよ」
「……少々って、どれくらい?」
「ええ、そうですね。最低でも……今日一日は」
その瞬間、アリシアの声にならない悲鳴が、衣装室に響き渡った。
◇◇◇
「姫様、最後に――こちらをご覧くださいませ」
一番奥にしまわれていた一着が、そっと運ばれてくる。
純白の絹地。裾と胸元には、銀糸と青の糸で繊細に縫い上げられた薔薇の刺繍が広がっていた。
「……薔薇?」
「はい、銀青の薔薇でございます。姫様のお色であり、お印でございます」
「で、でも……デビュタントのドレスは白でしょう? 刺繡をいれていてもいいの?」
「たしかに本来は許されませんね」
「でしょう?」
「とはいえ、王女殿下が他の令嬢と同じというのも問題がございます。
ですので、これくらいは認められておりますよ」
マティルダの声はいつになく静かで、誇らしげだった。
「そ、それなら……これにしてもいいの?」
確認するようにアリシアはマティルダに問いかける。そんな彼女の問いかけに穏やかな声がこたえていた。
「問題ございません。そちらのお召し物は王陛下より賜ったものでございます。侍女たちが騒ぎますので、好きにさせておりましたが、最初から大夜会でのお召し物は決まっておりました」
「フェルミナ……」
アリシアの口からは疲れたような声が漏れている。それなら、この時間は何のためだったのか。そう言いたげなアリシアの視線を受けて、フェルミナは侍女たちを見渡している。
「王家の女性の晴れ着を整えるのは久方ぶりのことでございます。それだけに、王女殿下の晴れの舞台で張り切るのはわかりますが、行き過ぎはよろしくありませんよ」
「はい、フェルミナ様」
「申し訳ございませんでした」
「わかればよろしい。殿下、この者たちも久しぶりに王族の正装を選べると思って浮かれてしまっていたのです。わたくしに免じてお許しいただけますでしょうか?」
その言葉にアリシアはちょっと考えていた。たしかに、疲れたという気持ちはある。でも、華やかなドレスを目にして楽しかったのも事実。そう思うと、フェルミナに叱られてしょげている侍女たちが気の毒になってきていた。
「わかったわ、フェルミナ。わたくしも楽しいと思えたし、今日のことはあなたに任せます。では、ドレスは本当に刺繍の入ったこれでいいのね?」
「もちろんでございます。そして、これは誠に王女殿下にお似合いのものだと存じます」
その声に、アリシアはかすかに頬を染めながら、銀青の薔薇が刺繍されたドレスに手を伸ばしていた。
◇◇◇
「……ねえ、マティルダ」
「どうかなさいましたか、姫様」
「わたくし……舞踏会で、ちゃんと踊れるのかしら」
その言葉に、侍女たちが顔を見合わせて微笑む。
「まあ、姫様ったら」
「ご心配はご無用ですわ。ステップはすでに習われていますでしょう」
「そ、そうだけど……練習だって、してるわ……。でも、もし途中でつまずいたらどうしよう」
アリシアの眉がしゅんと下がる。
その年相応の不安げな表情に、マティルダは苦笑した。
「姫様。誰も最初から完璧を求めてはおりません」
「でも……夜会って、みんなが見ているのでしょう? もし、失敗したらって……」
「姫様。でしたら――兄君にお頼みになればよろしいのです」
「……お兄様に?」
「はい。兄君であられる王太子殿下こそ、姫様にとって最も安心できるお相手でございましょう。それに、デビュタントでのエスコートとダンスのお相手も殿下と決まっております」
「そうですね。足の歩幅を合わせるのも必要なことです。殿下のお時間は、こちらで必ず調整させていただきます」
フェルミナが当然というような顔をして言葉をはさむ。
「……でも、お兄様、お忙しいし」
「姫様の晴れ舞台ですよ。殿下がお時間を割かれないはずがございません」
「じゃあ……お兄様にお願いしてみようかな」
「はい、それがよろしゅうございます」
「きっと殿下も、お喜びになりますわ」
侍女たちの後押しに、アリシアの胸の奥に少しだけ勇気が芽生えた。とはいえ、不安も残るのだろう。
「……そうは言っても、本当に、お願いしてもいいのかしら」
アリシアは首をすくめ、瞳を揺らした。
その時――。
「――何をお願いするんだ?」
低く澄んだ声が響いた。振り向けば、扉口に王太子エドワルドの姿がある。長身を包む濃紺の衣が、凛とした気配を際立たせていた。
「お兄様!」
「偶然通りかかったら、楽しそうな声が聞こえてな。で? アリシア、俺に頼みたいことがあるのか」
「え、えっと……舞踏会の……その、ダンスを……練習したくて」
「俺と?」
「……だめ、かしら」
「だめなわけあるか」
「ほ、本当に?」
「当たり前だ」
「ありがとう、お兄様……!」
エドワルドは柔らかく頷き、妹の髪をひと撫でした。
――と、その横で。
「……まったく」
呆れたような溜息が洩れた。
「殿下、また即答で……。少しはお考えになってからでもよろしいでしょうに」
「考える必要があるか?」
エドワルドは涼しい顔をして肩をすくめる。
「妹が頼んでいるんだ。断る理由などあるものか」
「ほんとにもう……」
リュシアンはこめかみを押さえ、深々とため息をついた。
「決まりだな。明日から時間を取ろう。……アリシア」
「はい、お兄様!」
「――というわけで、練習相手は俺が引き受ける。以上だ」
「……また、仕事が飛びますね」
リュシアンの小さな呟きが、部屋に最後の苦笑を添えていた。




