第9話 燃える代償
カロックさんの工房を後にして数日、僕たちは南へと馬車を走らせていた。
目的地は風車の街、ラベリアだ。
あそこの風車が産む特殊な魔石があれば、僕の壊れかけの回路を補助する装具が作れる。カロックさんのその言葉だけが、今の僕の希望だった。
馬車の窓から流れる景色を眺めながら、僕は自分の右腕をさする。
痛みはない。けれど、時折指先が痺れるような感覚がある。それが「命の灯火を無理やり引き出している状態」であることを、僕は嫌というほど自覚していた。
「……アレン。あんまり、無理すんなよ」
隣に座るエレクさんが、心配そうに声をかけてくる。
彼の膝の上には、真紅に染まった『聖剣マリア』が鎮座している。
あの山頂で見せた黄金の拒絶はもうない。剣はエレクさんの手に馴染み、冬の凍えた指先を優しく温めるような、穏やかな熱を放っている。
「……大丈夫です。これくらい、なんてことありません」
「そうか。……俺も、まだこいつを完全に使いこなせている気がしないんだ。マリアは笑って許してくれるだろうけど、勇者としては、もっとこいつの力を引き出してやらなきゃいけない気がしてさ」
エレクさんは愛おしそうに剣の柄を撫でる。
聖剣は、かつてのような「神の力」を一方的に振るう武器ではなくなっていた。エレクさんの魔力と、中に宿るマリアさんの遺志が共鳴しなければ、その真価は発揮されない。
ラベリアにあるという『風の祭壇』。そこなら、聖剣と勇者の同調を深められるかもしれない……。それがもう一つの目的だ。
「……ッ、止まれ!」
突然、御者台のギークさんが叫び、急ブレーキをかけた。
つんのめる馬車。アメリアが悲鳴を上げ、座席から滑り落ちた僕は、偶然にも後方の窓を視界に収めた。
「エレク、出ろ! 野盗だ!」
街道を塞ぐように、倒木と十数人の男たちが現れた。
ただの盗賊だ。
「……おいおい、こんな時に。アレン、アメリア、馬車から出るなよ」
エレクさんは苦笑いしながら、聖剣を手に取った。
正面の盗賊たちに意識を集中し、彼が扉を開けて外へ踏み出そうとした、その一瞬。
僕の目に、森の闇から音もなく飛来する黒い「棘」が映った。
それは盗賊たちが放つ矢などではない。
正面の敵へ意識を向けたエレクさんの、完全な死角を突く、冷酷で正確な一撃。
(……動け!)
考えるより先に、僕は手を伸ばしていた。
エレクさんの膝の上、まだ鞘に収まったままの『聖剣マリア』の鍔へ、指先を叩きつける。
埋め込まれた紅い結晶が、僕の体温に触れてドクンと強く脈打った。
(……一瞬でいい。……一瞬だけでいいんだッ!!)
カロックさんの忠告が耳の奥で鳴ったけれど、僕は無視して「栓」をこじ開けた。
マリアさんの温かい熱が、僕の右腕に一気に逆流してくる。
「アレン……!? 何を――」
エレクさんが驚愕に目を見開く。
その背後に迫る「死」に、彼が振り向くよりも早く。
僕は、ただの一般人には不可能な速度で、馬車の窓を突き破るように右腕を突き出した。
ガキィィィィィィィンッ!!
金属がぶつかり合うような、鋭い音が響く。
マリアさんの炎を纏った僕の右拳が、迫り来る黒い棘を、エレクさんの背中すれすれで弾き飛ばした。
衝撃で僕の腕の骨が軋み、視界がチカリと明滅する。
「……な、なんだ、今の……!」
エレクさんがようやく異変に気づき、振り返る。
森の奥、黒い棘が飛んできた場所には、人影のような歪な「黒い霧」が蠢いていた。
「……そこかッ!!」
エレクさんは聖剣を抜き放ち、弾かれるように馬車から飛び出した。
泥を啜ってでも、明日を繋ぐ。その執念を込めた真紅の刃が、黒い霧へと襲いかかる。
けれど、刃が届く直前。
黒い霧は、あざ笑うかのようにチリリと音を立てて霧散し、森の闇へと消え去った。
「……チッ、逃げたか!」
エレクさんは悔しげに剣を収める。
森の中には、もう何の気配も残っていなかった。
「……アレン! 大丈夫か!」
エレクさんが慌てて馬車に戻ってくる。
窓枠に身を乗り出したまま、僕は荒い息を吐いていた。右腕は感覚がなく、だらりと垂れ下がっている。
身体の奥で、何かが崩れていくような感覚。カロックさんの言葉が、現実味を帯びて迫ってくる。
馬車の前方では、すでに戦闘が硬直していた。
「……ひ、ひいぃッ! 化け物めッ!」
盗賊たちは、ギークさんの巨大な盾と、アメリアが放つ光の魔法の前に、完全に戦意を喪失して逃げ出していくところだった。
ただの盗賊では、勇者一行の守りを崩すことなど、到底不可能だったのだ。
あの森の奥の刺客さえ、いなければ。
「……終わった、みたいですね」
僕は、力なく笑った。
その瞬間、身体の緊張が解け、強烈な倦怠感が襲ってきた。僕はそのまま、座席へと崩れ落ちた。
その夜。
僕たちは街道から少し離れた場所で、野営をしていた。
焚き火の爆ぜる音が、静寂の中で重く響く。
ギークさんが周囲の見張りをし、エレクさんは『聖剣マリア』の刀身を熱心に磨いている。その背中は、昼間の刺客の正体について深く考え込んでいるようだった。
「……アレン」
スープの入った器を手に、アメリアが僕の前まで歩み寄ってきた。
彼女の表情は、いつもの穏やかな聖女のものではない。冷たく、そして酷く張り詰めていた。
「……はい、アメリアさん」
酷く不穏な空気に思わず丁寧な口調になっていた。
僕は、痺れの残る右腕を隠すように、スープを受け取ろうとした。
その時。
パンッ!
乾いた音が、夜の空気に響いた。
アメリアの手が、僕の頬を、強く叩いていた。
「……え?」
「……どうして」
アメリアの声が、震えている。
見上げると、彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。
「……どうして、またあんな魔法を使ったの? カロックさんに言われたでしょ? 『次やったら塵になる』って……!」
「それは……エレクさんが危なかったから……」
「……わかってる! わかってるけど、でも……!」
アメリアは、その場に膝をつき、僕のボロボロの右腕を、泣きながら強く握りしめた。
「……もう、嫌なの。……仲間が、私の目の前で、光になって消えていくのは……! もう二度と、あんな悲しい景色は見たくないの……ッ!!」
アメリアの涙が、僕の腕に落ちる。
その涙は、マリアさんの熱とは違う、痛いくらいの冷たさを持っていた。
「……アメリア。」
僕は、何も言えなかった。
彼女が怒っているのは、僕が約束を破ったからじゃない。
マリアさんを失ったあの日のトラウマが、僕の身勝手な行動によって、再び呼び起こされてしまったからだ。
「……ごめんなさい。……アメリア。ごめんなさい」
僕は、泣きじゃくるアメリアの背中を、感覚のない右腕で、そっと撫でることしかできなかった。
焚き火の向こうで、エレクさんが剣を磨く手を止め、僕たちをじっと見つめていた。
その瞳には、仲間を守れなかった後悔と、それでも前へ進まなければならないという、悲壮な決意が滲んでいた。
マリアさんが命を懸けて繋いだ、この一行。
けれど、その絆はまだ、喪失という深い傷跡を抱えたまま、脆く、壊れそうな状態だった。
アメリアが泣き疲れて馬車に戻った後、焚き火のそばには僕とエレクさんだけが残った。
僕の右腕は、いまだに自分のものじゃないみたいに冷え切っている。マリアの結晶から引き出した熱は、使った瞬間に僕の体温を根こそぎ奪っていった。
「……アレン」
エレクが、磨き終えた聖剣を鞘に収め、僕の隣に腰を下ろした。
パチリ、と爆ぜた火の粉が、彼の苦悶に満ちた横顔を照らす。
「悪かった。俺が油断したせいで、お前にまた……あんな真似をさせた」
「……違いますよ。エレクさんが悪いんじゃない。僕の体が勝手に動いただけです。」
「勝手に、か。……お前、自分の命がどれだけ危ういか分かってるのか? カロックさんの言ったことは脅しじゃない。今の俺には、お前の回路が、無理に風を詰め込んだボロボロのふいごみたいに見える」
エレクの言葉は静かだったが、その奥には自分への怒りが滲んでいた。
聖剣を手にし、マリアの想いを背負ったはずの自分が、結局は年下のアレンに守られてしまった。その事実が、彼のプライドを、いや、それ以上に「仲間を守る」という決意を切り刻んでいるんだろう。
「……エレクさん。あのさ、僕に『一瞬だけ』、戦い方を教えてくれませんか?」
僕の言葉に、エレクが意外そうに目を見開いた。
「戦い方? お前、あの回路で剣を振るつもりか?」
「そうじゃなくて。……僕には、エレクさんみたいに長時間戦う力はないし、あの日みたいに全力を出せば、次は本当に消える。……でも、今日みたいに、ほんの一瞬……呼吸を止めるほどの間だけなら、僕は誰よりも速く動くことができる。」
僕は、感覚の戻り始めた右拳を握りしめた。
マリアの結晶から流れてくる熱。それを、全身じゃなく「一点」に、一秒にも満たない時間だけ集中させる。
「僕が消えずに、みんなを……マリアが繋いだこの場所を守るための、一瞬の、確実な守り方。……それを、一緒に考えてほしいんだ」
エレクはしばらく黙って焚き火を見つめていた。
僕の無茶を止めるべきか。それとも、この「壊れかけの武器」を、最も安全に、かつ最強に使いこなす道を探るべきか。
「いくら短い時間とはいえあの魔法はすさまじい。毎度自分が塵になるかもしれないというギャンブルをするようなものだぞ?」
やがて、彼はそういっても君は使うんだろうなと
呟き、ふっと短く笑った。
「……マリアに怒られるな、こりゃ。勇者の俺が、子供に『命の削り方』を教えるなんてさ」
エレクは立ち上がり、僕の頭を乱暴に撫でた。
「分かった。ラベリアに着くまでの間、お前のその『一瞬』の精度を上げる方法を考えよう。……ただし、アメリアには内緒だ。あいつにバレたら、今度は俺が張り倒されるからな」
「……うん。ありがとう、エレクさん。」
焚き火の光の中で、僕たちは約束を交わした。
それは、いつか来る「最後の一瞬」を、最高の結果にするための残酷な特訓の始まりだった。
翌朝、馬車が再び動き出した時、アメリアはまだ少し目を腫らしていた。
僕と目が合うと、彼女はぷいっと横を向いたけれど、朝食のパンには、僕の分だけ少し多めにジャムが塗られていた。
風車の街、ラベリアまで、あと少し。
森に潜んでいたあの「黒い影」の正体は分からない。
けれど、次にそいつが現れた時、僕は今度こそ、誰の涙も流させずにそいつを叩き伏せると決めた。
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