第10話 異形の彫金師
ラベリアの門をくぐった瞬間、乾いた風が僕たちの頬を撫でた。 街の至る所で巨大な風車がゆっくりと回り、重厚な歯車の音が心地よいリズムを刻んでいる。アイゼン山脈の凍てつく空気とは違う、活気に満ちた「音」のする街だ。
「……すごい。本当に風車だらけだ」
僕は馬車の窓から身を乗り出して、空を遮るほど大きな翼を見上げた。
「アレン、危ないわよ。……まだ体調、万全じゃないんだから」
隣でアメリアが、少しだけ膨れた顔で僕の服の裾を引く。昨夜あんなに泣かせたのに、朝食のパンにジャムを多めに塗ってくれたり、こうして心配してくれたり。アメリアの優しさが、今の僕には少しだけ痛かった。
「……ごめん、アメリア。でも、本当に綺麗だから」
「……わかってるわよ。ほら、もうすぐ宿に着くわ」
宿に荷物を預けた後、エレクさんとアメリアは職人の居場所を探しにギルドへ向かった。 僕はというと、カロックさんに言われた「回路の冷却」のために、街の高台へ行くように命じられた。ラベリアの風には風車を回すための特殊な魔力が混ざっていて、それが熱を持った魔力回路を鎮める天然の冷却材になるらしい。
「アレン。……暇なら、少し歩くか。高台まで送ってやる」
声をかけてきたのは、ギークさんだった。 いつも大きな盾を背負い、最後尾を黙々と歩く彼と二人きりになるのは、実はこれが初めてかもしれない。
「はい、ギークさん。……いいんですか?」
「ああ。俺も、この街の鍛冶屋に盾の調整を頼みたかったからな。……付き合え」
ギークさんの歩幅は大きいけれど、僕が遅れないように時折立ち止まって待ってくれる。 街の中心にある大広場。噴水の周りでは子供たちが走り回り、屋台からは香ばしい肉の焼ける匂いが漂っていた。
「……マリアなら、真っ先にあの屋台に突っ込んでいただろうな」
ギークさんが、ふと足を止めて呟いた。 その視線の先には、串焼きを頬張る幸せそうな親子連れ。
「……そうですね。きっと、僕たちの分まで勝手に注文して、笑ってたと思います」
「……俺は、あいつに救われた。……昔、戦場で動けなくなった俺の前に立って、あいつは言ったんだ。『あんたの盾は、後ろの奴を笑わせるためにあるんでしょ』ってな」
ギークさんは、背中の大きな盾にそっと手を触れた。 その手は、昨日の戦闘で見せた力強さとは違い、どこか震えているように見えた。
「俺は、守護の騎士だ。……だが、あの山ではマリアに守られた。……アレン、お前にもだ。……情けない話だよ」
「そんなことないです。ギークさんが馬車を守ってくれていたから、僕は……」
「いいや。……お前のあの『一瞬』がなければ、勇者は死んでいた。……礼を言う。……そして、すまなかった。……お前にばかり、重いものを背負わせて」
ギークさんは、僕の細い肩に大きな手を置いた。 その手の重みは、彼が今まで背負ってきた「盾」の重さそのもののように感じられた。
「……アレン。ラベリアで良い装具が見つかることを祈っている。……お前が塵になる前に、俺がもっと……本当の『壁』になってみせるからな」
「……ギークさん」
不器用な、けれど真っ直ぐな言葉。 ギークさんの瞳には、後悔だけじゃなく、新しい決意が宿っていた。
「……さあ、湿っぽい話は終わりだ。あそこの屋台の串焼き、アメリアの分も買って帰るぞ。昨日の今日だ、あいつも腹を空かせてるだろうからな。……お前の分も、俺が奢ってやる」
「……はい! ありがとうございます、ギークさん!」
ラベリアの風は、僕のボロボロの魔力回路を冷やすだけじゃなく、縮こまっていた心も少しだけ、解きほぐしてくれた気がした。
ギークさんと買った串焼きを抱えて宿に戻ると、ちょうどエレクさんとアメリアもギルドから帰ってきたところだった。
「あ、アレン、ギーク。……なんだ、いい匂いさせてるじゃないか」
エレクさんが鼻をひくつかせ、少しだけ表情を緩める。 アメリアはまだ少し僕を避けるような素振りを見せていたけれど、ギークさんが無造作に串焼きの束を差し出すと、その湯気に目を丸くした。
「……これ、私にも?」
「ああ。アレンと選んだ。昨日はろくに食ってないだろ、アメリア。……食え」
不器用なギークさんの言葉に、アメリアは一瞬驚いた顔をして、それから僕の方をちらりと見た。僕が頷くと、彼女は少し照れくさそうに串焼きを受け取った。
「……ギークにしては、気が利くじゃない。……ありがとう、アレンくんも」
アメリアが串を頬張り、「おいしい」と小さく笑う。その笑顔を見て、僕の胸の中にあった鉛のような重みが、ようやく少しだけ軽くなった気がした。
だが、串焼きを囲む穏やかな空気は、エレクさんの次の一言で一変した。
「……それで、職人の話なんだが。……正直、一筋縄じゃいかなそうだ」
エレクさんはギルドで受け取った地図をテーブルに広げた。そこには街からさらに北、風車の翼さえ吹き飛ばすほどの暴風が吹き荒れるという『断崖の回廊』が記されていた。
「カロックさんの紹介状にある男の名は、ザイード。数年前から街を離れて、そこに隠居してるらしい。……理由は『街の風じゃ、細工を冷やすのに生ぬるすぎる』だそうだ」
「……ザイードさん、ですか。カロックさんといい、どうして腕のいい職人はみんな、そんな偏屈な場所に住みたがるんですか」
僕が思わずため息をつくと、エレクさんは苦笑いしながら頷いた。
「まったくだ。だが、アレンの装具を作るには、そのザイードの力が必要だ。……明日の早朝、街を出るぞ。道中は今日以上の暴風になる。……準備しておけ」
「……はい、わかりました」
アメリアとギークさんが荷物の整理を始めた頃、エレクさんが僕に目配せをした。宿の裏手、巨大な風車の影。そこは、街の喧騒から切り離された、強い風が吹き抜ける場所だった。
「……アレン。さっきの話の続きだ。……ザイードの所へ行く前に、お前のその『一瞬』、どうすれば一番効率よく、そして安全に制御できるか……。少しだけ試しておきたい」
エレクさんは腰の『聖剣マリア』を抜き放った。真紅の刀身が、月の光を反射して怪しく、けれどどこか温かく輝く。
「……いいか、アレン。お前の右腕に流れる熱を、一箇所に閉じ込めろ。……爆発させるんじゃない。『凝縮』させるんだ。……マリアが、お前を守ろうとしたあの時の想いだけを、拳に込めろ」
僕は深呼吸をし、聖剣の鍔に埋め込まれた結晶に指を触れた。ドクン、と。マリアさんの鼓動が、僕の壊れかけの回路を通じて、右拳へと集まっていく。
「……行きます、エレクさん」
アメリアには内緒の、命を繋ぐための特訓。生き残るための短い火花が、風車の轟音の中で散った。
ラベリアの街から北へ半日。馬車が悲鳴を上げるほどの暴風が吹き荒れる『断崖の回廊』へ、僕たちは足を踏み入れていた。
「……くっ、風が強すぎて、目を開けていられない……!」
アメリアが杖を突き立て、吹き飛ばされないように必死に堪えている。ギークさんが盾を斜めに構え、風除けとなって僕たちを先導するけれど、その巨体でさえ時折よろめくほどの風圧だった。
カロックさんが言っていた彫金師、ザイードという男の住処。それは、切り立った崖の合間に、まるで大蛇の口のように開いた洞窟の奥にあった。
「……ここか。風が、中で渦を巻いてやがる」
エレクさんが聖剣の柄を握り直し、慎重に足を踏み入れる。洞窟の内部は、外の暴風を吸い込んで、キィィィィンと耳を刺すような高周波が鳴り響いていた。磨かれた岩壁は、数千年の風に削られて鏡のように滑らかだ。
その最奥。無数の風車が歯車のように噛み合い、轟音を立てて回転している作業場が見えた。中央には、見たこともないほど透明な青い炎を上げる炉。その前に、一人の「影」が座っていた。
「……あの、あなたがカロックさんの紹介した、彫金師のザイードさん……ですか?」
僕が声をかけると、その影がゆっくりとこちらを振り返った。その瞬間、アメリアが短く悲鳴を上げ、エレクさんが反射的に剣を抜こうとして……止まった。
そこにいたのは、人間ではなかった。
「……カロックの、使いか」
声は、喉から出たものではない。風が隙間を通り抜けるような、虚空から響く音。
銀色の金属で編み上げられたような細い身体。頭部には目も鼻もなく、滑らかな仮面のような鏡面がひとつあるだけ。関節の代わりに青い魔力の光が脈打ち、背中からは数本の機械的な腕が、まるで蜘蛛の脚のように伸びて炉を操っている。
それは、遥か昔に絶滅したはずの**『魔導人形』**そのものだった。
「人が、ここへ何をしに来た。……ここは、風が言葉を奪う場所だ」
彫金師――ザイードは立ち上がった。その鏡のような顔に、僕たちの驚愕の表情が歪んで映り込む。人間を捨て、感情を捨て、ただ「究極の細工」を打つためだけに、この暴風の吹き荒れる果てで時を止めた存在。
「……僕の、身体を。……壊れかけの、この魔力回路を助ける装具を、作ってほしいんです」
僕は震える右腕を差し出し、その人ならざる彫金師の「顔」を、真っ直ぐに見つめ、事情を話した。
「……魔力特性『自爆』。そして、死者の命を強引に捩じ込んだ、硝子細工の回路か」
ザイードの銀色の鏡面のような顔が、僕の右腕をじっと覗き込んだ。目はどこにもないはずなのに、全身を透視されているような、凍り付くような視線を感じる。
「カロックの野郎……。とんでもないガキを送り込んでよこしたもんだ」
ザイードの背中から伸びた数本の機械腕が、カタカタと不気味な音を立てて蠢いた。彼は炉の青い炎を素手で弄びながら、感情の読み取れない風の音のような声で告げる。
「いいか、小僧。お前のその回路を繋ぎ止めるには、ただの魔石じゃ強度が足りない。マリアとかいう女の熱に耐え、お前の自爆の衝撃を吸い込み、なおかつ『一瞬』の爆発力を逃がさない……。そんな矛盾した装具を打つには、最高純度の**『風精霊の核』**が必要だ」
「風精霊の……核?」
僕が聞き返すと、ザイードは洞窟のさらに奥、暴風が咆哮を上げている暗闇を指差した。
「この回廊の最深部、風が生まれる場所に、千年生きた大精霊が座り込んでいる。……そいつを狩って、その心臓を持ってこい。それが、俺、ザイードがこの槌を振るう唯一の条件だ」
「……待てよ! そんなの、今のこいつにできるわけないだろ!」
エレクさんが一歩前に出て、聖剣の柄を強く握りしめた。
「アレンの体は、次やったら塵になるって言われてるんだ。そんな化け物相手に戦わせるなんて……!」
「……なら、帰れ。ここで朽ちるのを待つのが、お前たち人間にはお似合いだ」
ザイードは興味を失ったように、再び炉に向き直った。機械腕がリズムを刻み、青い火花が散る。
洞窟の奥から吹き抜ける風は、まるで僕たちを拒絶するように冷たく、鋭い。アメリアが僕の服の裾をぎゅっと握りしめているのがわかった。彼女の震えが、僕の指先まで伝わってくる。
(……風精霊の核。……それがあれば、僕はまたみんなと歩ける)
僕は、まだ感覚の鈍い右拳をゆっくりと固めた。エレクさんを見上げ、それからアメリアの震える手の上に、自分の手を重ねる。
「……エレクさん。ギークさん。アメリア」
僕は、三人の顔を順番に見た。恐怖がないわけじゃない。足はさっきから震えっぱなしだ。けれど、マリアさんが繋いでくれたこの「明日」を、ここで終わらせるわけにはいかないんだ。
「……やりましょう。僕が、囮になります。……その一瞬を、みんなで作ってください」
僕の言葉に、ザイードの機械腕が一瞬だけ止まった。鏡のような顔に、覚悟を決めた僕の姿が、はっきりと映り込んでいた
下のブックマークや評価(☆☆☆☆☆)で応援してもらえると、執筆の励みになります!これからも精進してまいります!




