第7話 黄金の呪い
聖剣の黄金の輝きが、エレクさんの顔を無慈悲に照らし出す。 その光は、汚れなき者への祝福ではなく、臆病者への断罪のように、彼の瞳を焼き、心を抉っていた。
「……勇者、か」
エレクさんが自嘲気味に呟いた。その声は、強風が止んだはずの山頂で、今にも消え入りそうなほど細かった。
「国中の期待を背負い、聖教会の祈りを受け……俺こそが世界を救う『選ばれし者』だと信じて疑わなかった。だが、見てみろ」
エレクさんは、震える自分の右手を見つめた。 マリアが命を燃やした熱も、アレンが血を吐いて戦った泥も、その手には何一つ付いていない。
「……アレン。お前は、さっきの強化でもう身体が限界のはずだ。カロックさんの言った通り、これ以上魔力を練れば、お前は本当に塵になって消える」
エレクさんの視線が、僕が握りしめる赤い結晶……マリアさんの命の残滓へと向けられた。
「アメリア、お前も魔力特性が違う。ギーク、お前は守護の力だ。……つまり、この場にいて、この剣に触れて命を奪われないのは、この俺……『勇者』という呪いを与えられた俺だけなんだ」
エレクさんは一歩、また一歩と、黄金の輝きへ歩み寄る。その足取りは、まるで処刑台へ向かう罪人のようだった。
「嫌なんだ。……仲間が命を捨てて道を切り拓き、アレンが死ぬ思いで繋いだその時、俺は……何もできなかった。一太刀も浴びせられず、ただ、犠牲の上に立っているだけの男が、どうして伝説の剣を握れる?」
彼は聖剣の柄の直前で、拳を白くなるほど握り込んだ。
「俺には資格がない! マリアの最期の言葉さえ、お前に言われるまで届かなかった俺に、世界を救う正義などあるはずがないんだ! ……だが、俺が引かなければ、マリアの死は何だったということになる? お前の削った命はどうなる?」
エレクさんの肩が激しく震える。 資格がないと叫びたい。放り出して逃げ出したい。 けれど、彼が引かなければ、マリアの死はただの犬死にに終わり、アレンの決死の奮闘も無に帰す。その「責任」が、何千トンもの重圧となって彼にのしかかっていた。
「……代わりが、いないんだ。俺以外に、この忌々しい剣を抜ける奴が……。世界を救う義務を負わされた『勇者』が、一番卑怯で、一番汚れているなんて、これ以上の喜劇があるか……ッ!」
彼は、泣きそうな顔で笑った。 かつて王都を出る時に見せた、あの輝かしい英雄の面影はどこにもない。 そこにいるのは、仲間の屍を積み上げた先にしか「希望」を見出せない、一人の哀れな男だった。
「……ああ、分かっているさ。抜けばいいんだろう。俺が、この汚れた手で」
エレクさんは、呪いを受け入れるように、黄金の柄へとゆっくりと手を伸ばした。 その指先が触れた瞬間、聖剣が共鳴するように低く、冷たく鳴り響いた。
エレクさんの指先が、聖剣の柄に触れた。 その瞬間、山頂を支配していた神聖な月光が、凶器のような鋭い輝きへと変貌した。
ギィィィィィィィィィィィィンッ!!
鼓膜を突き刺すような高周波。 聖剣が、まるで不浄なものに触れられたかのように激しく震え、黄金の衝撃波を放出した。
「……ぐ、ああああああッ!!」
エレクさんの身体が、紙屑のように弾き飛ばされた。 岩壁に叩きつけられ、雪の上に転がるエレクさん。その右手は、聖剣の拒絶による魔力焼けで真っ黒に変色し、煙を上げていた。
「……はは、は……。そうか。……やっぱり、そうか」
雪に顔を埋めたまま、エレクさんが力なく笑った。 塵にはならなかった。聖剣は彼を殺す価値さえないと判断したのか、あるいは最低限の温情か。だが、その「拒絶」は、死よりも深く彼のプライドを切り裂いた。
「聖剣にさえ、見放された。……仲間を犠牲にして、自分だけが生き残り、その挙句に『資格なし』と突きつけられる。……これ以上の無様があるかよ……っ!」
エレクさんは拳で地面を叩いた。 勇者という希望の象徴が、今、ただの「挫折した男」として雪山に転がっている。 アメリアも、ギークさんも、かける言葉が見つからず、ただ呆然とその光景を見つめていた。
聖剣は依然として、岩盤に深く突き刺さったままだ。 だが、その輝きは先ほどよりも冷たく、寄る辺ない僕たちを突き放しているように見えた。
(……このままじゃ、マリアさんは……)
マリアさんの死が、ただの「失敗の記録」になってしまう。 それだけは、絶対に許せなかった。
僕は、右手に握りしめた『赤い結晶』を見つめた。 マリアさんの命が宿った、温かい石。 僕の魔力(自爆)で触れれば、結晶ごと僕も塵になるかもしれない。……だけど。
「……エレクさん。もう一度、立ってください」
僕は、這いつくばるエレクさんの前まで歩み寄り、その真っ黒に焼けた右手に、マリアさんの結晶を押し当てた。
「……な、何を……」
「僕の魔力じゃダメです。でも、マリアさんのこの僕たちを、強い思いで救ったこの『熱』なら……聖剣だって、無視できないはずだ」
結晶が、エレクさんの傷ついた手を通じて、再び赤く脈打ち始める。 マリアさんの最期の願い――『私たちが生きた証を、刻んで』。その声が、結晶を通じて僕とエレクさんの魂に直接響いたような気がした。
「……そうだな。大切なことを忘れていた。」
雪を掴む指が震えている。
「俺は……間違っていたんだ。聖典にあるような、汚れなき心で剣を抜く『理想の勇者』に執着して……。その『高潔さ』を守るために、土壇場で身体が竦んだ。……自分が傷つくことより、自分の『正しさ』が揺らぐことを恐れたんだ」
エレクさんは、血の混じった唾を吐き捨てた。その瞳に、今まで見たこともないような濁った執念が宿る。
「その結果がこれだ。俺が『綺麗』であろうとしたせいで、マリアが死んだ。……守りたかった仲間の命より、自分のプライドの方が重かったなんて……反吐が出るッ!!」
彼は、這いつくばったまま僕を、そして僕が持つ赤い結晶を見据えた。
「……もう、高潔な正義なんてクソ食らえだ。仲間の屍を積み上げ、子供に命を削らせ……そんな薄汚れた絶望の淵に立っているのが今の俺だ。……だったら、その汚れごと、全部引き受けてやる。仲間の屍の上に立ち、泥に塗れてでも!!」
「行きましょう、エレクさん。……一人で抜けないなら、僕が、マリアさんが、あなたの手を支えます」
僕の「自爆」の魔力を結晶のフィルターに通し、マリアの「祈り」を上乗せして、エレクの「勇者の血」に流し込む。 三人の命が一つに混ざり合う、禁忌の共鳴。
エレクさんは目を見開き、僕の手を、そしてその中の結晶を強く握り返した。
「……ああ。……泥を啜ってでも、引いてやる。……マリア、見ていてくれ……ッ!!」
ボロボロの勇者と、死に損ないの少年が、同時に聖剣の柄へと手を伸ばした。
「……引くぞ。マリア、アレン。……俺たち全員で!」
エレクさんの叫びとともに、僕たちは重なり合った手で、岩盤に突き刺さった『聖剣』の柄を強く握りしめた。
ギィィィィィィィィィィッ!!
先ほどよりも凄まじい、黄金の拒絶が僕たちを襲う。 掌の皮が焼け、骨が軋む。僕の体内の「自爆の魔力」が結晶を通じて逆流し、視界が真っ白に染まりかけた。
(……負けるな! マリアさんの命を、ここで終わらせるなッ!!)
僕は歯を食いしばり、割れんばかりの結晶にさらに魔力を流し込んだ。
「エレクさん! 離さないで!」
「……ああ、分かっている! 俺は、もう『勇者』なんて綺麗なもんじゃない……!」
エレクさんは、血の混じった唾を雪に吐き捨てた。かつての凛とした面影はなく、髪を振り乱し、歯を剥き出しにして、ただ執念だけで剣に縋り付いている。
「……高潔な正義なんて、クソ食らえだ。仲間を一人死なせ、もう一人の命を削り取って……そんな薄汚れた手でも、俺は、この剣を掴んで離さない。……例えこの先、どれほど無様に地べたを這いずることになっても、マリアの……お前たちの想いだけは、明日に繋いでやる……ッ!!」
その魂の咆哮に応えるように、真っ赤に変色した『氷晶の守り』が、太陽のような眩い光を放った。
『……アレンくん、エレク……。……行って』
耳元で、懐かしいあの声が聞こえた。 結晶から溢れ出した紅蓮の炎が、エレクさんの腕を、僕の腕を、そして聖剣の黄金を包み込んでいく。 黄金の拒絶と、マリアさんの慈愛の炎が混ざり合い、激しい火花を散らして溶け合った。
「……おおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
ズ、ズズ……ッ!
岩盤が砕ける轟音。 ついに、びくともしなかった聖剣が、ゆっくりと、けれど確実に引き抜かれていく。
ドォォォォォォォォォォォォン!!
山頂を埋め尽くすほどの光の柱が天を突いた。 衝撃に吹き飛ばされ、僕が雪の上に倒れ込んだ時。
そこには、もう「黄金の剣」は存在しなかった。
「……これが、僕たちの……」
エレクさんが立ち上がり、その剣を天に掲げた。 かつての眩いばかりの黄金は、マリアさんの炎に焼かれ、深く、静かな**「真紅」**へと染まっていた。 刀身には、まるで血管のように熱い魔力が脈打ち、鍔の部分には、僕が持っていたあの結晶――『氷晶の守り』が、マリアさんの魂を封じ込めたかのように埋め込まれている。
それは、神が授けた無機質な伝説ではない。 仲間を失い、自らの無力に打ちひしがれ、それでも諦めなかった僕たちの**「生きた証」**そのものだった。
「……あったかいな」
エレクさんが、涙を流しながら笑った。 かつて彼を拒絶したはずの聖剣は、今はその紅蓮の刀身から、凍えた身体を包み込むような、穏やかな熱を放っている。
「……伝説の名前なんて、もういらない。……この剣は、俺たちと一緒に歩んだ、あいつそのものだ」
エレクさんは愛おしそうに、燃えるような刀身を指でなぞった。
「……今日から、お前の名前は『聖剣マリア』だ。……いいな、相棒」
エレクさんがその名を呼んだ瞬間、紅蓮の剣がチリリ……と鈴の鳴るような音を立てて共鳴した。
僕は、雪の上に大の字に寝転がり、空を見上げた。 雲一つない夜空には、満天の星。 右手の熱はもう引いていたけれど、僕の胸の奥には、マリアさんの温かさが消えずに残っていた。
「……マリアさん。……見てますか。僕たち、やり遂げましたよ」
返事はない。けれど、頬を撫でる冷たい風が、一瞬だけ、優しく微笑んでくれたような気がした。
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