第6話 資格
「……が、はっ……!」
内側から焼き切れるような激痛が走り、僕の視界が爆ぜた。
カロックさんの結晶を通じて引き出した『無名の守護者』の力。それは確かに僕の身体を神速へと押し上げたが、ドラゴンの鉄壁を穿つには、僕の命という薪があまりに細すぎた。
渾身の拳を叩き込んだ喉元。そこには、わずかな亀裂が走っただけ。
「……嘘、だろ……」
ドラゴンの冷徹な双眸が、至近距離で僕を射抜く。
その喉奥が、不吉な蒼白い光を帯び始めた。零距離。全魔力を凝縮した、最大出力の『氷の吐息』。
(……あ、死ぬ)
直感した。僕が死ぬだけじゃない。背後にいるエレクさんも、アメリアも、そして――絶望に震えるマリアさんも、一瞬で凍てつく彫像に変わる。
その時だった。
「……嫌。……もう、誰も、焼かせない。凍らせたりもしない……ッ!!」
背後から、世界を塗り替えるような熱風が吹き荒れた。
振り返ると、そこには杖を捨て、両手をこちらへ伸ばしたマリアさんがいた。彼女の瞳は紅蓮に燃え、全身から噴き出す炎が周囲の雪を一瞬で蒸発させていく。
「燃えろ……燃えろおおおッ! 私の家族を、テオを奪った呪いの火よ! どうか…どうか私に力を!!」
「マリアさん、ダメだ! 下がって!!」
僕の叫びをかき消し、彼女の全霊を込めた炎がブレスと衝突した。
ドォォォォォォォッ!!
凄まじい水蒸気が視界を真っ白に染め上げる。
けれど、蒸気の向こうで、ドラゴンの影は微動だにしていなかった。
マリアさんの「呪いの火」ですら、雪山の主の鱗を溶かすには至らない。
「……あ、ああ……。もう、ダメなの……?」
マリアさんの膝が折れる。
僕も、強化の反動でその場に崩れ落ちた。腕の感覚はない。結晶はヒビ割れ、僕の命の灯火も、もう消えかけていた。アメリアが懸命に回復魔法をかけてくれているがダメージは大きく、治る気配はない。
誰もが諦めかけていたその時、ただ一人立ち上がる者がいた。
その影は、立ち上がりアレンに向かって歩く。
一歩一歩決意を固めて歩くように。
アレンは、背中に驚くほど温かい「手」が触れたことに気づいた。
「アレンくん。私の火は誰も救うことが出来なかった。……だから最後は……せめて最後は、私が君を温めてあげる」
「マリア、さん……?」
彼女が僕の背中にしがみつく。
彼女の身体が、内側から赤く透き通り始めた。それは魔力の譲渡なんて生易しいものじゃない。自分の命という薪を、無理やり僕の「結晶」へと放り込む、文字通りの自己犠牲。
「やめてください……! 離れて、マリアさん!!」
「……いいえ、離さない。これが私なりの償い。今までたくさんの人を傷つけてきた。……だからもう一度だけ、立って、アレンくん」
ドクンッ!!
結晶が真っ赤に染まり、僕の中に膨大な「熱」が逆流してきた。
焼き切れたはずの血管が修復され、砕けた骨が強引に繋ぎ合わされる。代わりに、背中に触れているマリアさんの体温が、みるみるうちに奪われていくのがわかった。
「……行って。私たちが、生きた証を……刻んで」
マリアさんの声が、掠れた吐息へと変わる。
彼女の指先から、パラパラと灰のように崩れ始めていた。
「……ああああああああああああああああッ!!」
僕は咆哮し、地面を爆破するように蹴った。
彼女の決意を無駄には出来ない。
マリアさんの命が宿った右拳を、先ほど刻んだ「亀裂」へと叩き込む。
ドォォォォォォォォォォォォォォン!!
衝撃波が雪山の雲を吹き飛ばした。
ドラゴンの鱗がガラス細工のように粉々に砕け散り、一瞬苦しんだ表情を見せた雪山の主は、その巨体を氷の塵へと変えて霧散していった。
静寂が戻る。
僕は震える身体を引きずりながら、背後を振り返った。
けれど、そこにはもう、誰もいなかった。
ただ、真っ黒に溶けた雪の上に、彼女の杖の破片と……。
彼女の命を吸い尽くし、真っ赤な宝石のように変色した『氷晶の守り』だけが転がっていた。
「……っ、ああ、あああああ……!」
僕は、その赤い結晶を震える手で拾い上げ、胸に抱いた。
救いたかった。守りたかった。
ドラゴンの巨体が氷の塵となって霧散し、荒れ狂っていた吹雪が、嘘のようにピタリと止んだ。 雲の切れ間から、冷たく、けれど澄み渡った月明かりが山頂を照らし出す。
マリアさんの命を薪にして燃え上がった僕の身体は、皮肉なほどに温かく、そして、どうしようもなく孤独だった。
たった今、僕はこの過酷な旅路で初めて出会った自分の力に対する「同じ痛みを知る理解者」を失った。
「……マリア?」
アメリアの、震える声が響いた。 彼女はよろよろと、黒く溶けた雪の跡へ駆け寄る。 そこには、マリアが愛用していた、先が少し欠けた木製の杖の破片だけが転がっていた。
「……嘘。嘘よね? どこ? マリア、どこにいるの!?」
アメリアは雪の中に膝をつき、素手で雪を掻きむしった。 けれど、返ってくるのは凍てつく沈黙だけだ。マリアの身体は、魔力を、命を、その魂の最後の一片まで薪にして、アレンへと託された。灰にさえなれず、光の中に溶けて消えてしまったのだ。
「……あ、ああ……」
ギークさんが、力なく盾を落とした。雪に沈む金属音が、重く、鈍く響く。 鉄壁を誇った彼の背中が、今は驚くほど小さく、震えていた。
そして――エレクさんは、抜いたままの銀の剣を握りしめ、ただ立ち尽くしていた。 ドラゴンの返り血すら浴びていない、白く輝くままの剣。 守るべき仲間が命を燃やし、絶望的な一撃を放っている間、彼は、何一つ成し遂げられなかった。
「……すまない」
エレクさんの口から漏れたのは、謝罪だった。 誰に向けてか分からない、掠れた、力のない言葉。
僕は、右手に残る強烈な「熱」を感じながら、マリアさんの形見となった赤い結晶を、強く、痛いほどに握りしめていた。 僕の血管を流れるこの魔力は、彼女の命そのものだ。 温かい。 けれど、その温かさが、今の僕にはどんな刃よりも鋭く胸を刺した。
「……あっちだ」
ギークさんが、掠れた声で山頂の奥を指差した。 吹雪が晴れたその先。 氷の結晶が花のように咲き乱れる中心に、それはあった。
台座などない。 剥き出しの岩盤に、ただ真っ直ぐに突き立てられた、一振りの剣。 月光を浴びて、それはこの世の不浄を一切拒絶するかのような、神々しいまでの黄金の輝きを放っている。
「あれが聖剣…私たちの希望。」
アメリアが涙を拭い、息を呑んで呟いた。 これだ。これのために、僕たちは地獄のような雪山を登り、マリアさんを失った。 この剣さえあれば、魔王を倒し、世界を救える。
エレクさんが、一歩、また一歩と聖剣に近づいていく。 勇者として選ばれ、王国の期待を背負い、この日のために血を吐くような修行を積んできた男。 けれど、その足取りは、王都を出発した時の自信に満ちたものとは程遠かった。
聖剣の前に立ち、エレクさんは手を伸ばしかけて、止めた。
「……俺に、これを引く資格があるのか?」
彼の自問自答が、静寂に溶けていく。
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