第5話 聖剣の番人
「嫌あああああああああああああああッ!!」
アイゼン山脈。 マリアさんの悲鳴が、氷の壁に反響して何度もこだまする。 彼女は狂ったように自分の手を雪に擦り付け、爪が剥がれそうなほど地面を掻きむしっていた。
「マリアさん、しっかりして! マリアさん!」
僕は彼女の肩を強く掴んで揺さぶった。アメリアも駆け寄り、震える彼女を後ろから抱きしめる。
「……あつい。あついの、アレンくん。私の火が、また誰かを……」
「大丈夫、マリアさん。火なんて出てない。ここは雪山だ。こんなに冷たい……!」
僕の声が届いたのか、マリアさんの瞳に少しだけ光が戻る。彼女の頬を伝う涙は、流れたそばから氷の粒となって、雪の上にこぼれ落ちた。
「……ごめんなさい、ごめんなさい……。私、やっぱりダメだわ。こんな山、登れるわけ……」
マリアさんが力なく首を振った、その時だった。
ゴオォォォォォォォォォォォォォ……ッ!!
アイゼン山脈の静寂を、恐ろしい咆哮が切り裂いた。 頭上の雪のカーテンが、巨大な影によって切り裂かれ、蒼白く輝く鱗を纏った死の化身が、僕たちを静かに見下ろしていた。
「ドラゴンだ。この山の番人…いや聖剣の番人の…」
「総員、構えろ! マリア、火を!」
エレクさんの叫びと共に、戦闘が始まった。 エレクさんは、踊るような足さばきで、ドラゴンの巨大な脚の間を駆け抜け、銀色の大剣でその硬質な鱗を斬りつける。
「はぁっ!」
一閃。 けれど、ドラゴンの鱗はエレクさんの大剣を弾き飛ばし、微かな火花を散らすのみ。
「……っ、硬い……!」
エレクさんは瞬時に距離を取り、再び構え直す。彼は、その華麗な剣技で、ドラゴンの注意を自分へと引きつけていた。
一方で、ギークさんは、巨大な盾を地面に突き立て、ドラゴンの『氷の吐息』を真っ向から受け止めていた。
ドォォォォォォォォッ!!
轟音と共に、ブレスが盾を襲う。盾の表面が瞬く間に氷に覆われ、ギークさんの体が数メートルも弾き飛ばされた。
「……っ、この野郎……!」
ギークさんは、氷に覆われた盾を振り払い、再び盾を構える。彼の役割は、その圧倒的な防御力で、僕たちをドラゴンのブレスから守ることだ。
けれど、アメリアが支援魔法を唱えても、マリアさんは雪の中に蹲ったまま、ガタガタと震え続けていた。
「……無理。無理よぉ……。私、火なんて出せない。また、誰かを焼き殺しちゃう……っ」
「マリア! このドラゴンは炎に弱い!君の力が必要なんだ!」
エレクさんの声が、吹雪にかき消されそうになる。 ドラゴンはギークさんを弾き飛ばした後、今度は僕とマリアさん、そしてアメリアがいる場所へと、その巨大な鉤爪を振り下ろそうとしていた。
(……アメリアが。みんなが、死ぬ……?)
「……アレンくん、逃げて」
マリアさんが、雪の中から顔を上げた。その目は、恐怖ではなく、深い絶望と、どこか諦めに満ちていた。
「……私の火は、呪いの火。……誰も救えない。焼き尽くすだけ。……だから、私がここで……」
(……呪い? 誰も救えない?)
僕は、マリアさんの言葉に、胸が締め付けられるような思いがした。 彼女の中に眠る、焼き尽くす恐怖。 それは、僕の中に眠る、弾け飛ぶ恐怖と同じだ。
「……マリアさん」
僕は、アメリアの手を振り払い、マリアさんの前に立った。 そして、胸元に抱えた『氷晶の守り』を、彼女の目の前に掲げた。
ドクン、ドクン……。
結晶は、僕の鼓動に合わせて、蒼く、優しく脈打っている。
(……燃えろ。僕の、命……ッ!!)
ドクンッ!!
心臓が大きく脈打ち、全身の血管を、灼熱の魔力が駆け巡る。 視界が鮮明になり、ドラゴンの鉤爪が振り下ろされる速度が、まるで止まっているかのように遅く感じられた。
「……アレン、くん……?」
時は遡り、登山前。
カロックさんの工房を出ようとした時、背後から地響きのような声が僕を呼び止めた。
「……おい、小僧。お前だけ残れ」
エレクさんたちが怪訝そうな顔をしたが、カロックさんの威圧感に押されるように先に外へ出た。工房の中に、火の爆ぜる音と僕の鼓動だけが響く。
「……その結晶『氷晶の守り』には、かつてこの山で力尽きた『無名の守護者』の魔力が封じ込んである」
カロックさんは炉の炎を見つめたまま、重々しく口を開いた。
「そいつもお前と同じ、自らの命を魔力に変換する呪われた術の使い手だった。……奴は最期に、仲間の撤退を助けるため、全魔力を練り上げ、『人を超えた身体能力』を得て戦い……そして、過剰な力を仲間の撤退を助けるために長く使い…力尽きた。」
カロックさんが僕の目を真っ直ぐに見据える。その瞳は、悲しみと、ある種の賭けに出るような鋭さに満ちていた。
「いいか。その結晶はお前の『爆発したがる魔力』を、身体へと還元する触媒になる。……だがな、小僧。それはお前の命を灯火として燃やし尽くす行為だ。使えば使うほど、お前の寿命は削られ、内側から崩壊していく」
「……僕の、命を削って……戦う」
「そうだ。本来なら渡すべきではない禁忌の道具だ。……だが、あの聖女や勇者の甘い理想だけでは、この山は越えられん」
カロックさんは大きな手を僕の肩に置いた。その重みは、これから僕が背負う「死への加速」そのもののようだった。
「……死にたくなければ使うな。だが、誰かを守るために、守りたいと願う時が来たら……その光を、己の血肉に取り込め」
ドラゴンが出てから雪山の吹雪の勢いはどんどん強くなっていた。
「マリア! 今出さなきゃ、全員凍りついて死ぬんだぞ!」
エレクさんの叫びが吹雪に消える。 ドラゴンの巨大な鉤爪が、絶望に震えるマリアさんと、彼女を庇うアメリアの頭上へと振り下ろされた。
(……今だ。今しかない)
僕は胸元の『氷晶の守り』を強く握りしめた。 カロックさんの言葉が脳裏に蘇る。『それはお前の命を灯火として燃やし尽くす行為だ』。
「……いいよ。元々、捨てようと思っていた命だ」
僕は自分の内側にある、ドロドロとした自爆の魔力を、結晶へと流し込んだ。 刹那、蒼い結晶が真っ赤な灼熱を帯びて発光する。
ギチ、ギチ、ギチッ……!
全身の骨が軋み、血管が焼き切れるような激痛が走る。けれど同時に、僕の視界から吹雪のノイズが消え、ドラゴンの動きが、まるで止まっているかのように遅くなった。
「……はああああああッ!!」
僕は地面を蹴った。 雪を爆発させ、弾丸のような速度でマリアさんの前へと割り込む。
「え……アレン、くん……?」
ドォォォォォォォォォン!!
ドラゴンの巨大な鉤爪を、僕はただの「素手」で受け止めた。 衝撃で足元の岩場が砕け、周囲の雪が衝撃波で吹き飛ぶ。
「……が、あああああッ!!」
腕の筋肉が悲鳴を上げ、口の中に鉄の味が広がる。 一秒ごとに、僕の寿命が結晶を通じて吸い取られていくのがわかる。身体が、内側からボロボロと崩れていくような感覚。
「なっ……アレン!? お前、その力は……!」
エレクさんが驚愕に目を見開く。 ギークさんも、盾の陰から信じられないものを見るような表情で僕を見ていた。
「……マリアさん。見ててください」
僕はドラゴンの巨力を押し返し、一歩、前に踏み出した。 全身から立ち上る魔力の余熱が、周囲の雪を蒸発させて白い霧を作る。
「僕の命は、もう長くありません。……でも、この命が燃えている間は、絶対に、誰も死なせない!」
蒼白きドラゴンの瞳に、赤く燃え盛る僕の姿が映った。 僕は、不吉な魔力を力へと変えた拳を握りしめ、咆哮を上げる死の化身へと、真っ向から突っ込んでいった。
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