第4話 紅蓮の魔術師マリア
カロックさんの工房を出ると、外はさらに吹雪が強まっていた。
刺すような寒さに身を縮めながら、僕たちは登山用の厚手の毛皮や、滑り止めのついた靴、そして命を繋ぐための保存食を買い出しに市場へと向かった。
スミクの市場は、雪に埋もれながらも、生きるための活気に満ちていた。
王都のような華やかさはないけれど、並べられた毛皮や干し肉からは、この厳しい土地で生き抜いてきた人々の強かさが感じられる。
「……寒っ。ねえ、マリア。魔法で少し温めてくれない?」
アメリアが肩をすくめて頼むと、マリアさんは震える手で杖を握りしめた。
「む、無理よぉ……。こんな吹雪の中で火を出したら、自分の魔力まで凍っちゃいそうだわ……」
マリアさんはそう言って、さらに深くフードを被った。彼女は、この雪山そのものを、まるで巨大な捕食者のように恐れているように見えた。
「情けない。……小僧、マントの買い出しはあっちだ。ついて来い」
ギークさんが差し出した大きな背負い袋を受け取ろうとした、その時だった。
(……えっ?)
エレクさんの腰にぶら下がっていた、あのカロックさんから渡された青い結晶。
それが、僕の手が近づいた瞬間、ボウッ……と淡く、けれど力強い蒼い光を放ったのだ。
「……光ってる?」
エレクさんが驚いて足を止める。
僕が手を離すと、光はスッと弱まり、再びただの冷たい石に戻る。
けれど、僕がもう一度手をかざすと、結晶は僕の心臓の鼓動に合わせるように、ドクン、ドクンと脈打つ光を放ち始めた。
(……カロックさんが言っていた男。……命を糧にして死んだ、無名の守護者。……僕の魔力と、同じ……?)
「……アレン。この結晶、君の魔力に反応しているみたいだ」
エレクさんが不思議そうに結晶を見つめる。
「アレン。見て」
アメリアが僕の隣に立ち、結晶を指差した。
激しい吹雪で、一寸先も見えないはずの白い闇。
けれど、結晶が放つ蒼い光の筋だけは、まるで夜の海を照らす灯台のように、真っ直ぐに雪の壁を貫いていた。
「……温かい」
僕が結晶に触れると、カロックさんの言葉が脳裏に蘇る。
『その不吉な光こそが、極寒の闇を照らす唯一の火種になるかもしれん』
「……不思議ね。あんなに怖かった吹雪が、この光の先だけは、道が見える気がするわ」
マリアさんも、その光に吸い寄せられるように顔を上げた。
けれど、その目は、何か遠い過去を見つめているようだった。
「アレン。これは君が持つべきだ。……この山で、僕たちの目になってくれ」
手渡された結晶は、驚くほど温かかった。
破壊するためだけの魔法だと思っていた。
消えてなくなるためだけの力だと思っていた。
けれど、今、この結晶を通して、僕の魔力は仲間たちの足元を照らしている。
スミクの街を後にした僕たちを待っていたのは、想像を絶する白の世界だった。
一歩踏み出すごとに、膝まで埋まる雪が体力を奪い、容赦ない烈風が体温をさらっていく。
「……アレン、光を! 絶やすなよ!」
前を行くギークさんの怒鳴り声も、吹き荒れる吹雪にかき消されそうになる。
僕は、胸元に抱えた『氷晶の守り』を必死に握りしめた。僕の魔力に呼応して、結晶は蒼く、鋭い光を放ち、白い闇の中に細い一本の「道」を穿っている。
この光がなければ、僕たちは数分と経たずに方向を見失い、永遠に雪の下に沈むことになるだろう。
「……寒い。寒い、寒い、寒い……ッ!」
最後尾を歩くマリアさんの声が、悲鳴のように響いた。
彼女は杖を杖とも思わず、狂ったように雪に突き立てながら、這いずるように進んでいる。
「マリア、頑張って! もうすぐ風を避けられる岩場があるから!」
アメリアが彼女の肩を支えようとするが、マリアさんはその手を振り払った。
「嫌……! 私、火は出さないわよ! 絶対に、出さないから……ッ!」
「マリア? 誰もそんなこと言ってないわ、落ち着いて!」
マリアさんの瞳は、目の前の雪山ではなく、もっと別の「恐ろしいもの」を見ているようだった。
その時、一際強い突風が一行を襲った。
「きゃああっ!」
アメリアとマリアさんが雪の斜面を転げ落ちそうになる。僕は咄嗟にマリアさんの腕を掴んだ。
その瞬間。
僕の手から伝わる魔力が引き金になったのか、彼女の脳裏に、固く閉ざしていた記憶の蓋が開く。
スミクの街を後にした僕たちを待っていたのは、想像を絶する白の世界だった。
一歩踏み出すごとに、膝まで埋まる雪が体力を奪い、容赦ない烈風が体温をさらっていく。
「……アレン、光を! 絶やすなよ!」
前を行くギークさんの怒鳴り声も、吹き荒れる吹雪にかき消されそうになる。
僕は、胸元に抱えた『氷晶の守り』を必死に握りしめた。僕の魔力に呼応して、結晶は蒼く、鋭い光を放ち、白い闇の中に細い一本の「道」を穿っている。
この光がなければ、僕たちは数分と経たずに方向を見失い、永遠に雪の下に沈むことになるだろう。
「……寒い。寒い、寒い、寒い……ッ!」
最後尾を歩くマリアさんの声が、悲鳴のように響いた。
彼女は杖を杖とも思わず、狂ったように雪に突き立てながら、這いずるように進んでいる。
「マリア、頑張って! もうすぐ風を避けられる岩場があるから!」
アメリアが彼女の肩を支えようとするが、マリアさんはその手を振り払った。
「嫌……! 私、火は出さないわよ! 絶対に、出さないから……ッ!」
「マリア? 誰もそんなこと言ってないわ、落ち着いて!」
マリアさんの瞳は、目の前の雪山ではなく、もっと別の「恐ろしいもの」を見ているようだった。
その時、一際強い突風が一行を襲った。
「きゃああっ!」
アメリアとマリアさんが雪の斜面を転げ落ちそうになる。僕は咄嗟にマリアさんの腕を掴んだ。
その瞬間。
僕の手から伝わる魔力が引き金になったのか、彼女の脳裏に、固く閉ざしていた記憶の蓋が開く。
六年前、北の果てにある名もなき小さな村。 その夜は、窓の外を刺すような寒気が支配し、雪が音もなく降り積もる静かな夜だった。
「……はぁ、はぁ……っ」
石造りの小さな家の片隅で、マリアの弟、七歳のテオが苦しげに熱い息を吐いていた。 流行り病に冒されたテオの体は、高熱で赤く火照っているというのに、指先だけは死人のように白く、氷のように冷え切っている。
「……寒い。お姉ちゃん、僕、凍っちゃいそうだよ……」
テオの震える声に、十歳のマリアは胸を締め付けられた。 父も母も、吹雪の中を薬草師を探しに飛び出したまま戻らない。薪はとうに尽き、暖炉の火も、今にも消え入りそうな小さな炭火を残すのみだった。
「大丈夫よ、テオ。今、あったかくしてあげる。……すぐよ、すぐだから」
マリアはテオの氷のような手を、自分の両手で包み込んだ。 彼女はこの時まで、自分が特別な力を持っているなんて知らなかった。ただ、目の前で震える弟を「救いたい」「温めてあげたい」という、あまりに純粋で、あまりに切実な願いを抱いただけだった。
(温まって。お願い、この子を……私の大切なテオを、助けて……!)
その瞬間だった。 マリアの心臓が、ドクンと大きく脈打った。 体内の奥深く、今まで眠っていた「熱」の源流が、堰を切ったように溢れ出す。
「……あ?」
マリアの掌から、ポウ……と淡い、オレンジ色の光が漏れた。 それは最初、ロウソクの火よりも小さく、愛らしい種火のように見えた。
「……わぁ。お姉ちゃん、あったかい……。お日様みたいだ……」
テオが、弱々しく微笑む。 その笑顔を守りたかった。もっと温めてあげたい。もっと、この子を包んであげたい。 そう願って、マリアが魔力を込め直した、その時――。
バチッ、と。 不吉な火花が散った。
「……え?」
マリアの制御を、彼女の「善意」をあざ笑うかのように。 掌の小さな光は一瞬で膨張し、荒れ狂う獣となって、テオの眠るベッドへと牙を剥いた。
ボォォォォォッ!!
優しかったはずの熱は、瞬く間に「凶器」へと姿を変えた。 目の前の景色が、一瞬で真っ赤な閃光に塗りつぶされる。
「ぎゃああああっ! 熱い、熱いよ、お姉ちゃん!!」
テオの悲鳴が、室内に響き渡った。
「消えて、消えて、消えてええええッ!!」
マリアは半狂乱になって、火を噴き出す自分の両手を振り回した。 けれど、止めようと願えば願うほど、彼女の指先からは新しい魔力が、濁流のような熱となって溢れ出していく。
「お姉ちゃん、助けて! あつい、あついよぉ……!!」
炎のカーテンの向こう。テオが眠っていたベッドは、一瞬で炭の檻と化した。 伸ばしかけたテオの小さな手が、紅蓮の渦に飲み込まれていく。マリアがその手を掴もうとした瞬間、彼女の掌から放たれた熱が、無慈悲にもテオの指先を、服を、そして彼の存在そのものを「黒い塵」へと変えていった。
救いたかったはずのその手が、愛する弟を直接、焼き殺してしまった。
ボォォォォッ!!
火勢はさらに増し、古い石造りの家の屋根を突き破る。 そこへ、吹雪の中から戻ってきた両親が、悲鳴を上げて飛び込んできた。
「マリア! テオ! どこだ!?」
「お父さん、お母さん! 来ないで! 私、私……ッ!!」
マリアの叫びも虚しく、二人もまた、娘が制御を失い放ち続ける火の海の中へと消えていった。助けようと手を伸ばした父の服に、マリアの火が燃え移る。 彼らの絶叫は、家が崩れ落ちる轟音にかき消された。
「……あ、ああ……」
腰が抜け、這いずるようにして外へ逃げ出したマリアが振り返った時。 そこには、自分を温かく包んでくれていたはずの「家」はなかった。 ただ、天を突くような巨大な火柱が、静かな雪夜を真っ赤な地獄に変えていた。
雪は、地面に届く前に蒸発していく。 降りしきる白は、彼女の熱によって、汚れた灰色の霧へと姿を変えた。
マリアは、自分の両手を雪の中に深く、深く突き刺した。 「……消えて、消えてよ。こんな手、いらない……っ」 ジュウ……と音を立てて雪が溶ける。 けれど、どれほど冷やしても、掌に残る「人を焼き殺した感触」は消えなかった。
『……人殺し』
誰の言葉でもない。崩れ落ちる我が家の音と共に、その烙印が彼女の魂に深く刻み込まれた。 かつて弟の手を握り、「あったかいね」と笑い合ったその手は、今や、愛する者たちを灰に変えた呪いの道具だった。
真っ赤に染まった雪の上で、マリアは一人、朝日が昇るまで泣き続けた。 彼女の心は、あの夜、家族と共に焼き尽くされ、冷たい灰となって死んでしまったのだ。
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