第13話 影の刺客
代金を支払い、新しい『黒鉄の大盾』を背負ったギークさんと共に、僕たちは店を後にした。 ずっしりとした金属の擦れる音が、ギークさんの歩みに合わせて規則正しく響く。その音を聞いているだけで、僕の心臓の余計な震えが収まっていくような気がした。
「……さて。装備も整ったことだし、一度宿に戻って作戦会議といこうぜ。エレクの旦那も待って……」
ギークさんが言葉を切り、足を止めた。 石畳の路地裏。 夕陽が建物の隙間から差し込み、長い影を作っている。その影の先に、いつの間にか「一人」立っていた。
灰色の外套に身を包み、顔の半分を仮面で隠した男。 その手には、不自然なほど細く長い、漆黒の刺突剣が握られている。
「……ようやく見つけたぞ。『終焉の爆花』を宿した苗床よ」
男の声は、風に擦れる砂のように乾いていた。 アレン、と短く呼んでギークさんが僕の前に一歩出る。僕の右腕、ザイードさんが打った銀の装甲が、外敵の殺気に反応するように内側から熱を帯びた。
「苗床だと……? アレンは俺たちの仲間だ。物扱いすんじゃねえよ」
ギークさんの低い声が路地に響く。だが、男は微動だにせず、嘲笑を浮かべた。
「名乗る必要もないと思ったが、これだけの護衛がいるのなら礼儀を尽くそう。……我が名はザルク。魔王軍が誇る『魔王軍五冠』が一角だ。苗床の少年は大したことがないようだが。なぜそこまであの方がこいつを危険視するのかはわからないが…。せめてもの救いだ。一瞬で終わらせてやろう。」
ザルクが動いた。 速い――! 一瞬で距離を詰めた刺突剣が、僕の喉元を目掛けて突き出される。
「させるかよッ!」
横から割り込んだのは、ギークさんだった。 買ったばかりの黒鉄の大盾を、地面を削るほどの勢いで叩きつける。
ガキィィィィィィィン!!
金属同士が激突する、鼓膜を震わせるような衝撃音。 ザルクの鋭い一撃は、ギークさんの構える盾の真ん中でぴたりと止まっていた。 あんなに鋭い一撃を受けたのに、ギークさんの体は微塵も揺るいでいない。
「……ほう。その盾、中々の硬度だ」
ザルクが忌々しげに、けれど冷静に距離を取る。
「当たり前だ。こいつはな、お前みたいな針を通すために買ったんじゃねえ。……仲間を守るために、わざわざこの『確かな重さ』を選んだんだよ!」
ギークさんが盾を押し戻すと、ザルクは軽やかに後方へ跳んだ。 僕は、ギークさんの広い背中の後ろで、震える指を握りしめた。 今までなら、この殺気に晒されただけで足がすくんでいたはずだ。
けれど今は、目の前の漆黒の壁が、そして右腕に宿る静かな拍動が、僕に「逃げるな」と言っている気がした。
「……チッ、予定外の頑丈さだ。だが、逃げ場のない路地裏で『爆花』の苗床を守りきれるかな?」
ザルクの合図と共に、建物の屋根や影から、十数人の伏兵が音もなく舞い降りてきた。 逃げ場を塞がれ、じりじりと包囲が狭まる。
ギークさんの背中が、盾の重みを受け止めながら、静かに、けれど力強く僕を庇い続けていた。
「……囲め。こいつは厄介だ。」
ザルクの冷酷な号令と共に、伏兵たちが一斉に地を蹴った。 狭い路地裏、逃げ場のない空間で、十数人の刺客が影のように僕たちに迫る。
「アレン、俺の背中から離れるなよ……! 盾の裏は、世界で一番安全な場所だってことを教えてやる!」
ギークさんが叫び、黒鉄の大盾を横一文字に振るった。
ドォォォォォォンッ!!
ただの盾のなぎ払いじゃない。地竜の皮を裏地に張った黒鉄の質量が、空気を爆ぜさせ、正面から飛び込んできた刺客二人をゴミのように吹き飛ばした。壁に叩きつけられた男たちが、声も上げられずに崩れ落ちる。
だが、ザルクは動じない。 「……ほう。その巨躯に見合わぬ速度。だが、これならどうかな?」
ザルクの姿が掻き消えた。 速い――! 一瞬でギークさんの死角、僕の背後へと回り込む。漆黒の刺突剣が、影から伸びる毒蛇のように僕の脚を狙って突き出された。
「させねえと言ったはずだッ!!」
ギークさんの体が、その巨体に似合わぬ鋭さで翻った。 黒鉄の大盾の縁が、正確にザルクの剣先を弾き飛ばす。
ガガガガガギィィィン!!
激しい金属音が路地裏に反響し、火花が夜の闇を白く染めた。 並の盾なら一撃で削り取られるようなザルクの魔力。けれど、黒鉄の大盾はそのすべてを真っ向から受け止め、役割を果たしていた。
「……ッ、この硬度、ただの鉄ではないな」
「当たり前だ! 三層の黒鉄を舐めるなよ!」
ギークさんが一歩踏み出し、盾の面でザルクを突き放した。 その凄まじい衝撃音が、石畳を震わせ、静まり返った街の空気を震動させた。
「――そこまでだッ!」
背後の角から、風を切る音と共に二つの影が飛び出してきた。 聖剣を抜いたエレクさんと、杖を掲げたアメリアだ。
「エレクさん! アメリア!」
「……あんなデカい音を立てて暴れてりゃ、嫌でも気づく。宿まで響いてたぞ、ギーク」
エレクさんは不敵に笑い、聖剣を構えてザルクの前に立ちはだかった。 宿で待機していた二人は、街の奥から響いてきた異常な破壊音と、武器屋のある方角が重なったことで、即座に異変を察知して駆けつけたのだ。
「……それに、この不吉な魔力の気配。魔王軍の幹部ともなれば、隠しきれるもんじゃないわよ」
アメリアが杖を掲げ、ギークさんの盾を援護するように障壁を張る。 ザルクの仮面の下で、目が鋭く光った。
「……チッ、予定外の合流か。……だが、『苗床』の殺害は諦めんぞ。我ら五冠の計画を邪魔する者は、誰であろうと排除する」
ギークさんの盾が、エレクさんの剣が、そしてアメリアの魔法が。 僕を囲むようにして、鉄壁の陣形が完成した。
僕は、ギークさんの広い背中の後ろで、右腕の銀の装具を強く握りしめた。 魔法は使えない。特別な力なんて何もない。 けれど、仲間がこれほど体を張って僕を守ってくれている。
(……足手まといにだけは、なりたくない。僕にできることを……!)
僕は震える足を一歩前へ出し、銀の手甲を固く握った。
「……我ら五冠の計画を邪魔する者は、誰であろうと排除する」
ザルクが低く呟くと、路地裏の影が意志を持ったように膨れ上がり、僕たちの視界を奪った。 「……そこかッ!」 エレクさんが聖剣を振るうが、ザルクは影へと溶け込み、一瞬でギークさんの死角へと回り込む。
その狙いは、一貫して僕の命だった。
「しまっ……!」 ギークさんが巨体を翻すが、ザルクの漆黒の刺突剣の方がわずかに速い。 黒鉄の大盾の脇をすり抜け、僕の胸元へと吸い込まれる死の閃光。
(……あ)
死ぬ。 反射的に目を閉じた僕の体は、動くことさえできなかった。 ただ、怖くて、震える右腕を顔の前に突き出すのが精一杯だった。
ガギィィィィィィィンッ!!!
衝撃で腕が弾け飛ぶかと思った。 耳を劈くような金属音が響き、僕は石畳に転がった。
「……なっ、魔法も使わぬ小僧の腕が……私の剣を弾いたというのか!?」
目を開けると、ザルクの剣先が僕の銀の手甲に弾かれ、大きく逸れていた。 僕が反応したんじゃない。ザルクの放った「殺しの突き」が、僕が咄嗟に突き出した銀の腕に、運良く、けれど必然の硬度でぶち当たった。
「アレンッ! よく堪えた!」
ギークさんが割り込み、よろめいたザルクに向けて黒鉄の盾を叩きつける。 「……ぐ、ぅ……ッ!」 続けざまに放たれたエレクさんの聖剣がザルクの肩を裂く。
「……フフ、面白い。運に助けられたか、苗床よ。……だが次は、その銀の腕ごと心臓を貫いてやろう」
深追いは危険だと察したのか、ザルクの体は墨を流したようにドロリと影に溶けていく。 「……アレン、貴様の命、五冠が一人ザルクが預かっておくぞ」
冷たい声だけを残して、ザルクは消えた。 路地裏には、僕の荒い呼吸と、切り裂かれた灰色の布切れだけが残された。
「……アレン、大丈夫? 腕、折れてない?」
駆け寄ってきたアメリアの手が、僕の肩を掴む。 僕は、まだ熱を持ったままの銀の右腕をじっと見つめていた。 今回は運良く助かった。
けれど幸運は何度も続かないことをマリアを失ってから知った。
死ぬ時は一瞬で死ぬのだと。
宿に戻ったエレクは、机の上に置かれた『聖剣マリア』を無言で見つめていた。 窓から差し込む月光が、鈍く光るその刀身を照らす。
「……刃が、通らなかった」
エレクの絞り出すような声に、部屋の空気が凍りつく。 それは技術の問題でも、魔術的な障壁のせいでもない。ザルクという個体の「肉体」そのものを、聖剣は切り裂くことができなかったのだ。
「……聖剣とマリアの結晶が合体し、やっとの思いで聖剣を抜いたあの日。本来抜くべき器でない僕が抜いたことで、この剣は聖なる力のほとんどを失った。今のこれは、ただの『聖剣の硬さを持っている炎の剣』にすぎない。魔族にはやはりあの聖なる力が必要だ。」
エレクが拳を強く握りしめる。 不完全な融合の代償。魔を祓う輝きを失った聖剣は、五冠という真の強者の前で、その無力さを残酷なまでに露呈した。
「……明日、『風の祭壇』へ向かう」
エレクが窓の外、夜の闇に沈む山脈へと視線を向けた。 「あの一戦で、その必要性がより明確になった。今の出力では、五冠の肉体を断つことすら叶わない」
「……」
僕は、その横顔を黙って見守ることしかできなかった。
「風の祭壇の清浄な空気の中で、マリアの意志をもう一度引き出す。……完璧に同調させなければ、次、奴と会った時は全員殺されるぞ」
エレクの言葉は、自分自身を追い込むような鋭さを持っていた。 勇者としてのプライドではなく、仲間を死なせないための、最短にして唯一の道。
――明日、風の祭壇へ。 失われた聖なる力を取り戻すための、静かな、けれど決死の行軍が始まる。
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