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第12話 矜持

洞窟の入り口から、弾き飛ばされるようにして彫金師の工房へ転がり込んだ。 背後で大精霊の咆哮が響いたが、魔導人形の彫金師が機械腕をひと振りすると、工房の入り口を特殊な風の結界が塞ぎ、静寂が戻った。

「……持ってきた、ぞ……」

エレクさんが膝をつき、肩で息をしながら僕を床に下ろした。 僕はもう、指一本動かせなかった。腕の中にある『大精霊の吐息』だけを、離さないように抱きしめているのが精一杯だ。

「……フン。死体を持ってこられたら掃除が面倒だと思っていたが、ギリギリ繋がったか」

彫金師が、音もなく僕の前に立った。 銀色の鏡面のような顔に、ボロボロになった僕の姿が映る。

「小僧。ここから先は、地獄だぞ。装具を打つのは俺だが、それをお前の『壊れた回路』に無理やり馴染ませるのは、お前の意志だ。……耐えられなければ、右腕どころか魂ごと弾け飛ぶ」

「……やって、ください。……ザイードさん」

僕は、霞む視界の中で、彫金師の無機質な顔を見つめた。 「……みんなに、守られてばかりじゃ嫌なんです」

その瞬間、彫金師――ザイードの鏡面の顔が、微かに揺れた気がした。

「……その覚悟、代価として受け取った」

ザイードの数本の機械腕が、一斉に動き出した。 炉の青い炎が爆発的に燃え上がり、工房内が異常な熱気に包まれる。 『大精霊の吐息』が、彼の銀の手によって炉の中に放り込まれた。

「エレク、アメリア、ギーク! 下がっていろ! ここからは、このガキと俺の戦いだッ!」

……。 ……どれくらいの時間が経ったんだろう。

ふっと、風の音が止まった。 重かったまぶたをゆっくりと開ける。

「……あ、アレン! 目が覚めたのね!?」

アメリアの泣きそうな声が聞こえる。 僕は体を起こそうとして、自分の「右腕」に、かつてないほどの重厚な違和感を覚えた。

「……起きたか、小僧。いや、アレン」

ザイードが、炉の火を落として立っていた。 その銀色の身体は、先ほどよりも少し輝きを失い、あちこちの関節から排熱の煙を上げている。

「それが、お前の新しい『命』だ。……名はまだない。お前がその腕で、何を成すかによって決まる」

僕は、新しく生まれ変わった右拳をゆっくりと握りしめた。 肘から先を覆うのは、銀とエメラルド色が混ざり合った、有機的な曲線を持つ**『魔導手甲ガントレット』**。 装甲の隙間からは、大精霊の結晶が放つ淡い光が漏れ、僕の肌には、回路を補強するための銀の紋章が刻み込まれていた。

「……ありがとうございます、ザイードさん。これ……すごく、静かです」

「静かなのは当たり前だ。お前の荒ぶる熱を、その装具がすべて『圧入』して閉じ込めている。……だが忘れるな。一度放てば、それはお前の肉体を内側から削る刃にもなる」

ザイードは、機械の指で僕の胸元を指した。

「カロックに伝えろ。『借りは返した。二度と人間を連れてくるな』とな」

無愛想な言葉。けれど、その背中には、職人としての誇りと、僕の命を繋ぎ止めた自負が漂っていた。 僕は、まだ熱を帯びた銀の腕を見つめ、新しい力が自分の拍動と重なるのを感じた



ザイードの工房を後にした僕たちの背後で、重厚な石の扉が閉ざされた。

外はまだ薄暗く、猛烈な風が吹き荒れている。けれど、不思議と僕の足取りは、来る時よりもずっと確かなものになっていた。


右腕の銀の重みが、暴風に抗うための「芯」を僕の中に作ってくれている。そんな感覚だ。


「……アレン。無理して歩くなよ。きつかったらすぐ言え」


エレクさんが僕の肩を支えながら、ゆっくりと雪の積もる斜面を下っていく。

アメリアも僕の顔色を何度も確認しては、心配そうに眉を下げていた。


「大丈夫です。……ただ、右腕が静かすぎて、まだ自分の体じゃないみたいで」


僕は手甲の隙間から漏れるエメラルド色の光を見つめた。

あの狂おしいほどの熱が、今は銀の装甲の奥で、静かに、冷徹に**「圧入」**されている。それはまるで、嵐の前の静寂を右腕に飼っているような、恐ろしくも心強い心地だった。






ようやく辿り着いたラベリアの宿。

暖炉に火が入り、温かいスープがテーブルに並んだところで、僕はようやく、あの処刑場のような洞窟から生きて戻ったことを実感した。


「……さて。腹が膨れたら、明日に備えて手入れをしねえとな」


ギークさんが壁に立てかけていた自分の巨大な盾を手に取ろうとした、その時だった。


カラン……。


乾いた音を立てて、盾の縁を補強していた合金の破片が、床に転がった。

「あ……」

僕が声を上げると、ギークさんは動きを止め、苦笑いしながら盾の裏側を僕たちに見せた。


そこには、大精霊の放った無数の風の刃による、凄まじい傷跡が刻まれていた。

盾の中央には深い亀裂が走り、魔力を循環させるための魔石は粉々に砕け散っている。それはもう、盾としての機能を完全に使い果たした、ただの鉄の塊だった。


「……ひどいな。あの暴風の中で、これだけの衝撃を吸い込んでくれていたのか」


エレクさんが盾の傷をなぞり、沈痛な声を出す。

僕が風の繭の中へ飛び込めたのは、この盾が、僕を塵にするはずだった全ての攻撃を代わりに受けてくれたからだ。


「気にするな、アレン。盾ってのは、主人の代わりに壊れるのが仕事だからな。こいつも本望だろうよ」


ギークさんはガシガシと頭を掻き、いつものように豪快に笑ってみせた。けれど、その指先が少しだけ、長年連れ添った相棒を惜しむように震えているのを、僕は見逃さなかった。


「……ギークさん。新しい盾、探しに行きましょう。……次は、絶対に壊れないような、一番いいやつを」


「ははっ、そいつはいい。だがアレン、盾選びってのは奥が深いんだぜ? 重さ、重心、衝撃の逃がし方……俺の腕に馴染む最高の一枚を見つけるまで、付き合ってもらうからな」


「はい。喜んで」


僕は、自分のためにボロボロになった鉄の塊を、目に焼き付けた。

今の僕にできるのは、ギークさんが納得のいく「新しい相棒」を見つけるまで、その隣で荷物持ちをすることくらいだ。


夕闇の街に、風車の回る音が低く響いている。

12歳のあの日、絶望の中で見つめた「美しい世界」は、今も変わらずそこにある。

けれど、今の僕には、その美しさを守るためにボロボロになってくれる仲間がいる。


この時間が永遠に続けば良いのに。


雪山から戻った翌朝、宿の主人が教えてくれた『鉄の風車亭』へと向かった。

「あそこの店主は軍の退役兵でね。重装歩兵の扱いにはうるさいが、モノは確かだぞ」という言葉通り、店内に一歩足を踏み入れると、そこは華美な装飾を排した、武骨な防具の森だった。


「……おう、いらっしゃい。……ほう、いいガタイだな」


カウンターの奥から、片目が潰れた老店主がギークさんを値踏みするように見た。

ギークさんは無言で、布に包まれたボロボロの盾を台の上にドン、と置いた。


「……ありゃ。こりゃあ、相当無茶な使い方をしたな。表面がここまで削れるのは、並の魔物じゃねえ。……相当な『風』か、あるいは『高圧の衝撃』でも食らったか」


店主が盾の深い亀裂を指でなぞる。大精霊とは言わなくても、その傷の異様さは職人の目には明らかだった。

「ああ。だが、こいつはもう動かねえ。……代わりを探しに来た」


ギークさんの声は、いつになく真剣だった。

店主は頷き、店の奥から三枚の巨大な盾を運んできた。

一枚は、輝く白銀の騎士盾。

二枚目は、棘のついた威圧的なスパイクシールド。

三枚目は、何の飾りもない、煤けたような『黒鉄くろがねの大盾』。


アメリアが「あの白いのが綺麗じゃない?」と小声で言ったけれど、ギークさんは迷わず三枚目の黒鉄に手を伸ばした。


ガシッ、と。

ギークさんの太い腕が盾の裏のグリップを握りしめる。


「……重いな」


「当たり前だ。純度の高い黒鉄を三層に重ね、裏地には地竜の皮を張ってある。……並の兵士じゃ、持ち上げることすらできん重石だ」


店主がニヤリと笑う。

ギークさんは盾を構え、重心を低く落とした。

その瞬間、店内の空気がピリリと引き締まる。

いつもは豪快に笑うギークさんが、まるで動かぬ岩山のような、近寄りがたい威厳を放っていた。


「……アレン。ちょっと、こいつの端を押してみてくれ。……いや、手で押すだけでいい。俺がどれくらい踏ん張れるか試したいんだ」


「あ、はい。……えい」


僕は言われた通り、両手を盾の縁にかけて、精一杯体重を乗せてグイッと押してみた。

――びくともしない。

僕がどれだけ力を込めても、ギークさんは呼吸一つ乱さず、まるで地面と一体化しているみたいだった。


「……大丈夫か、アレン? 無理に力を入れすぎるなよ」


「だ、大丈夫です。……でも、本当に壁みたいだ……」


僕は息を切らしながら手を離した。僕の細い腕の力なんて、この巨大な黒鉄の前では羽毛のようなものだった。


「……よし。こいつだ。この『重さ』が、今の俺にはちょうどいい」


ギークさんは満足げに頷き、ポンと盾を叩いた。

「アレン、悪かったな。……次は、こいつがお前を守る。ザイードの銀の腕も、この黒鉄の裏なら安心して休めるはずだぜ」


「……ギークさん。ありがとうございます」


僕は、自分のためにボロボロになった以前の盾と、新しく仲間になった漆黒の防壁を交互に見つめた。

重戦士としてのギークさんの矜持。

言葉数は少なくても、その背中が「次は通さない」と語っているようで、僕は言葉にできないほど心強かった。


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