ヨコセヨコセ2
振動が伝わってくるくらい大きな足音が、徐々に近付いてくる。
この足音の主が鬼なら、鬼は戸建てにしか住んだことがないんだろうなあと思った。
この足音、絶対苦情くる。うちのアパートなら床が抜ける。そういえば最近、夜中に部屋の前の廊下を通る足音を聞いてないな、と連想していると、男の子が私の腰にしがみついた。怯えているようだ。
「えーと、逃げますか?」
「逃げられない……!」
鬼がいるせいで外に出られない、ということは、鬼は足が速くてすぐに捕まってしまうのかもしれない。もしくは、何らかのセンサー的なものがあって居場所がバレてしまうのだろうか。
男の子は、その鬼に閉じ込められていたようだ。
理由はわからないけれど、私と勅使河原さんが目指していた村は御荷古路村。鬼殺しが語源と言われている村で、そして勅使河原さんいわく「殺しそびれている」らしい。
この鬼が、御荷古路村関連の鬼であれば、私は偶然にも目的地に近付いているのかもしれない。であれば、勅使河原さんも近くにいるのかもしれない。
もじゃもじゃパーマに丸メガネ和装さらにピアスという怪しい見た目とは反対に、勅使河原さんの除霊的な腕前は相当なもの、らしい。少なくとも、依頼に失敗したというところを見たことがないし、たまに依頼者の言ってないことまで当てていたりする。
勅使河原さんが来るなら大丈夫だろう。たぶん。
スマホを見る。やっぱり圏外なのでとりあえずポケットにしまって、私は代わりに武器を手に取った。
普段ならとても心強いのだけれど、これから来るのは虫じゃなく鬼。スプレー缶を構えるだけでは若干心許ない気がした。やっぱりライターも持ち歩くべきかもしれない。
足音は大きくなり、廊下の床だけでなく全体がミシミシと軋むように揺れている。かなり近付いているようだ。
けれど音がする方に姿は見えないので、鬼はまだ遠いところにいるらしい。それでもこれほどの足音がするなんて、どれだけ巨大な鬼なんだろうか。
あまり大きすぎたら逃げよう、と思いながらじっと廊下の先を見つめていると、ふいに音が止む。腰を掴んでいる手にぎゅっと力が込められた。
しばらくの沈黙。
ゲームのBGMが流れていない廊下は、余計に暗く感じる。鬼が姿を現すのを今か今かと待っているせいか、廊下に緊張感が満ちているように見えた。足音を消して近付いてくる技術があるなら、中々の強敵だ。賃貸にも住めるし。
「……来ませんね」
たっぷり3分ほど緊張感を持ってじっとしていたけれど、あまりに何も起こらない。スプレー缶を構えていた手も疲れてきた。私は腰にしがみついている手をそっとタップして、後ろに声を掛けてみた。
「あのー、こっちには来てないみたいですよ。今のうちに逃げましょうか?」
私たちに気が付いて歩いていたのじゃないなら、何か用事があったのかもしれない。この隙に逃げればチャンスがあるのでは、と言うと、男の子は私の背中に顔を押し付けたまま首を振った。か細い返事が聞こえる。
「……そ、そこにいるでしょ……!!」
「え、どこに?」
周囲を見渡しても、それらしき姿はない。
鬼という響きから赤鬼とか青鬼とかの、もじゃもじゃ髪に虎パンツを想像していたけれど、もしかしたら小さくて黒くて分かりにくい姿だろうか。しかし、目を凝らして探してみてもそれっぽいものは見つからなかった。
「あの、どの辺にいるんですか? 何メートル先?」
「……すぐ近くにいる、お姉さんに怒ってる……!!」
「え、すぐ近く? 私のすぐ前?」
「そう! すぐ近く!」
男の子の囁き声が焦っているようにだんだん大きくなっていく。しがみついている手はぶるぶる震えていて、やっぱり嘘を言っているようには思えなかった。
あー、なるほど。
私は腕を持ち上げて、前方に向かって殺虫スプレーを噴きかけてみた。
途端に大きな音がする。ガラスが割れ障子が倒れ、どんどんと激しい物音が響いた。まるでなにかすごく大きなものがもんどりうっているような音である。男の子はひぃと悲鳴をあげてますます私にしがみついた。背中にメガネが当たってちょっと痛い。
「……効いたっぽい」
果たして効いたのは殺虫成分のせいなのか、勅使河原さんの聖水効果付与のおかげなのかはわからないけれど。
鬼はいたようだ。見えないけども。




