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思い出と別れ

「いやかたじけない」


 しばらくして、目を覚ました若者はしきりに申し訳なさそうに頭を下げました。冬の女王が手ずから作ったコーンスープをこくこくとお腹に入れて、はぁっと安心するように溜息を吐きます。


「次の旅路への途中であったのですがどうにも道に迷ったようで。私はどうにも、方向音痴の気があるようで。まあそれ故に出会えた縁もあったのでそれほど嫌ってもいないのですがね。いや、こうして助けてもらって面目ないのですが」


 その若者は無骨ながらもどこか朗らかで、人のいい男でした。初めは少し警戒していた冬の女王ですが、次第に、悪い男ではないと信じ始めているのに気付きます。


「あなたは、異国の兵士なのですか?」


「ん? ふむ、兵士というと間違いであるかと。兵士というのは国を守る盾。私のような根無し草と一緒にしてはならぬでしょう」


「では、あなたは?」


「勇者です」


「……は?」


「自らの行く末を自らで決め、人々の救いとならんことを夢見て旅をする。私はそのような勇ましき者となる、と。そう定めて生きています」


「……くすっ」


 冬の女王から思わず笑みが零れます。


 若者が自らを語ったその言葉は、嘘偽りが入り込む余地などない程に晴れ晴れとしていて微笑ましく思えたのです。


「あぁ、申し訳ありません。笑ってしまって」


「ハハハ、いや、気にせずともよいですよ。それよりも、あなたの笑顔の糧に少しでもなれたというのであれば私にとっては至上の喜びというもの」


 冬の女王は思わず顔を赤らめてしまいます。


 冬の女王の置かれた立場などきっと知らない筈なのに、今、こうして笑って人と話をすること。喜び。それを、見透かされているようで。


「口が上手いのですね」


「む? ふむ、まあ色々と苦労もありましてね。権力争いだの何だのに巻き込まれぬよう煙に巻く手段ばかりが上達するもので」


 なるほど。勇者というのもなかなか大変なのだな、と冬の女王は思いました。


「……あなたは、冬をどう思いますか?」


 はっと冬の女王は自らの言葉に驚きます。思わず口に出た言葉、それは……


「冬ですか……冬は好きですよ」


 冬の女王の頭が整理しきれていない中で、若者の言葉は不思議なくらいに頭に響き、我を取り戻します。


「ど、どこが……ですか? 言っては何ですが寒いですし、流通も滞ります。作物だって育ちはしませんし花々を愛でることも」


「花は花で私もこよなく愛していますが、冬にだって植物は生きているのです。育つのに年月を要する大木は、冬の間に凍てついた大地にも根を張り、細く頼りなさげに見える枝も雪をしかりと受け止めている。私はそのような木々の姿を見て、負けていられぬと奮い立つのです」


 冬の女王は驚きました。自分の様に季節の営みを知る力など持ち合わせてはいない筈なのに、雪に隠れる大地の底力を。この目の前の若者は感じ取っているのです


「冬はですね。人を冒険へと掻き立てる季節であると私は考えているのですよ」


「……冬が、ですか?」


 冬の女王だけではありませんが、旅立ちというのは往々にして春か、少なくとも冬ではないとそう考えられているものです


 冬の女王は聞きたいと思いました。


「処女雪の雪原を、未だ誰も足を踏み入れたことの無い地に足跡を着けたい。誰しもが一度はそう思い描いた筈」


 あぁ、それは、冬の女王もはしたなくも覚えがあります。


「昼は短くすぐに夜を運んできてしまいますが、故に早く。早く。遠くまで行かねばと。そう我が胸を掻き立てる。なまじ時間があると、人というのは動こうとしなくなってしまいますからね」


 限りある生であるからこそ、人は懸命に生きるのです。


「冬の間は雪に覆われ、容易に行き交うことは出来ません。であるからこそ、その困難をこそ、乗り越えたいとそう夢を見る。冬の厳しさは人が乗り越えるべき試練として立ちはだかる」


 若者はおもむろに立ち上がり、服を脱ぎ始めます。


「な、なにをしているのですか!?」


 冬の女王の制止も聞かず、そのまま塔の外に。


「であればこそ、この冬の寒さですらも愛おしい! 肌を突き刺すこの冷気は私を強くする!」


 そうして若者は裸のまま、雪原の中に倒れ込みます。熱を奪われながらも、その胸の中に籠る熱い何かは、今もまだ燃えているのです。


 良い子はマネしてはいけません。


※※※


 あれからしばらくして、塔の中に戻った若者は派手にくしゃみをして、そのまま倒れ込んでしまいました。


「いや、手間を取らせて申し訳ない」


 冬の女王はそんな若者を、暖炉の火を強めて。毛布を一つ余計に持って来て、手厚く看病しました。


「あなたは……愚かですね」


「……言い訳のしようもなく」


「けれど、とても好ましく思います」


 冬の女王は自らの手を若者のおでこに乗せます。


「貴女の手は……とても冷たいのですね」


 冬の化身である冬の女王の体温は、人のそれより少しだけ冷たいのです。


「手の冷たい人は、心が温かい人なのだとそう聞いたことがあります」


 若者はおでこに添えられた冬の女王の手を取ります。とても、大切なもののように。


「冬というのは、常は気付かない、けれど確かにいつもある温かさというものを感じさせてくれる季節でもあるのですね」


 それは、病気になった時に看病してくれる人であるとか。


 そういう、いつもは気付かない温かさ。


「すぐにおいとまするつもりではあったのですが、ご迷惑をおかけして申し訳ない」


「これからあなたはどうするつもりなのですか?」


 冬の女王は、何を尋ねているのだろう、と自分でも不思議に思いながらも口に出します。


「さてどうしましょうか。ここに来る途中、大仕事を終えたばかりでして急ぐ予定もないのです」


「常春の国で冬の時節が過ぎるのを待つのが旅人の常と聞いたこともありますが」


「いや、それではあまりにも風情が無い。冬の間でも何とか間借りして暮らしていける国を探すつもりでした。幸い、路銀には困っておりませんで」


「では、この塔はいかがでしょうか?」


「……よろしいので?」


 女王自身が拒むのであれば話は別ですが、塔の中に入るのは女王のみであるという決まりはありません。ただ、女王の宿命に、例えば使用人であっても巻きこむのは気が引けるという理由でいつしか女王たちは一人で塔に籠るようになっただけです。


「ええ。宿代も要りません。その代り……」


「何でしょうか?」


「あなたの今までの人生についてお聞きしたいと思います。この塔での生活は、どうにも暇を潰せるものが少ないので」


「なるほど。そんなものでよろしければ。では、まず。ここに来る直前に会った、神と呼ばれた獣についてのお話を」


 そうして若者は様々な冒険譚を語りました。


 竜や魔女、はたまた言葉では語りつくせない奇妙なものとの出会い。


 それは作り話と考えた方が自然とも思えるような、どこまでが誇張なのかあるいはどこまでも真実なのか。


 けれど、とても心が躍ります。


 果たしてこの胸の高鳴りは、若者の語る冒険譚が面白かっただけでしょうか? それとも……


※※※


 それから数か月。 


 やがて、冬は終わりに近づき始め、雪は溶け始めて大地は姿を現し、春の準備をし始める時分となりました。


 本来はもう少し早くてもよかったはずですが、どちらからも言い出せないまま、しかし、それを打ち破って、男は告げます。


「もうそろそろ、新しい冒険の旅に出ようかと思います」


「……そうですか」


 冬の女王は平静を装いながら、ゆっくりと頷きます。


 これでいい。この若者は紛れもない冒険者であり、それはこの冬の間で疑いようもなく語られました。であれば、その旅立ちを妨げてはなりません。


 人が生きる道を、環境を形作るのが、女王と、為政者と呼ばれる存在であるからです。


「……また出会うことがあれば」


 若者もまた、後ろ髪を引かれる思いを引きずりながらも、旅立っていきます。


 冬の女王と若者は、思えば名前すらも交わさず、別れを受け入れました。


 後悔と、どこか諦めと。だからこそ名残りは尽きず。その想いは……やがて国を巻きこんだ一大事へと発展していくことを、二人はまだ知る由もありませんでした。


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