女帝の視察
「――聖様。大変急なことで恐縮なのですが、本日、我がクランに『極めて身分の高いお客様』が、極秘で視察に訪れることになりました」
リビングで、ツグミがドヤ顔で差し出してきた『究極の聖母チキン・試作一号(ブランド地鶏使用・外はザクザク、中は肉汁の洪水)』を「美味い、マジで美味いよこれ!」と絶賛していた時のことだ。
怜華さんが、かつてないほど緊張で顔を青ざめさせながら滑り込んできた。
「身分の高いお客様? 国家医療班の人とか?」
「いえ……それを遥かに凌駕する御方です。この国の政治・軍事の全権を握る最高権力者――内閣総理大臣にして国家防衛最高指揮官、至条ウタハ様です」
「……はい?」
俺は思わず、チキンを持ったまま固まった。総理大臣?
なんでそんな、日本のニュースでしか見たことのないような雲の上の存在が、この地方都市のいちクランにやってくるんだ。
「原因は……間違いなく、ここ二日間のネットの暴動です」
怜華さんが、苦渋の表情で情報端末の画面を提示する。
そこには、昨日の皇様を跪かせた『黒パーカーの聖母事件』のまとめ記事と、世界中のトレンドワードを『聖母』『ナナク』が独占している惨状が映し出されていた。
「至条様は、他区の傲慢な男性たちに深く失望されており、大の『男性嫌い』としても有名です。今回の件も、『第7区の男が、男装女子のフリをして市井を混乱させている不埒な案件』として、自ら直々に断罪しに動かれたのだと思います……。聖様、どうかお部屋でお隠れに――」
「いや、逃げたら余計に怪しいだろ」
前世の派遣時代、本社のエラい役員が現場査察に来た時の教訓がある。
そういう時は、隠れるよりも「完璧な礼儀と準備で迎え撃つ」のが一番の防衛策だ。他区の男がクソなら、俺が「まともな社会人」として普通に対応すれば、それだけで向こうの毒気は抜けるはず。
「怜華さん、怜華さんたちはいつも通りにしていて。お客様へのおもてなしは、俺に任せてほしい」
「せ、聖様が自らおもてなしを……!? い、いえ、しかし……!」
「大丈夫。前世でVIPの対応は何度もやってるから」
俺はツグミにチキンの骨を預けると、洗練された動作で手を拭き、自室へ戻って「一番フォーマルで、かつ威圧感のない清潔なシャツ」に着替えた。
数十分後。
クランの応接室に、数人の黒服のSPを引き連れて、その女性は現れた。
至条ウタハ。
二十代後半とおぼしき若さでありながら、一国のトップに君臨する絶世の美女。
軍服を模したタイトな黒いスーツに身を包み、その冷徹な切れ長の瞳は、触れるものすべてを凍りつかせそうなほどの威圧感を放っている。
怜華さんとツグミが、部屋の隅で完全に蛇に睨まれた蛙のように硬直していた。
至条総理はソファに腰を下ろすと、組んだ長い脚を気だるげに揺らし、冷ややかな視線を俺に向けた。
「……あなたが、ネットで『聖母』などと騒がれている第7区の白瀬聖ね。男の身でありながら、パーカー一枚で街を徘徊し、一般市民を惑わせた罪……どう申し開きするつもりかしら?」
氷のように冷たい声。
だが、前世のホテルで「予約が通っていなかった超大物クレーマー」の修羅場を経験している俺からすれば、これくらいの威圧感は想定内だ。
俺は一切動じることなく、事前に準備しておいた『最高品質の緑茶』を載せたトレイを持ち、彼女の正面へと進み出た。
そして、ホテルのバックヤードで叩き込まれた、完璧な『呈茶のマナー』を披露する。
まず、相手の右側から、決して足音を立てずにアプローチする。
湯呑みの絵柄が相手の正面を向くように、指先を美しく揃えてテーブルに置く。
茶器を置く際、カチャリという不快な音を「絶対に」立てない。
「本日は遠方から、極秘の視察にお越しいただき誠にありがとうございます。至条様。まずは長旅の疲れを癒していただきたく、冷たい緑茶をご用意いたしました」
俺は、前世の役員応接室で何度も使った、低く落ち着いたトーンの敬語を紡いだ。
「お茶……? 他の男なら、私を待たせた挙句に酒を要求するところだけど……」
至条総理は訝しげに眉をひそめながらも、差し出された湯呑みに目を落とした。
その瞬間、彼女の美しい瞳が、微かに揺れた。
「……これは、ただの緑茶ではないわね?」
「はい。至条様が大変お忙しいスケジュールの中、お忍びで来られると伺いましたので、胃に負担をかけず、脳の疲労を和らげる『テアニン』が最も豊富に抽出される【低温抽出の玉露】をご用意いたしました。氷も、お茶の味が薄まらないよう、同じ玉露を凍らせたものを使用しております」
前世、お茶の老舗専門店から派遣されてきた先輩に教わった、究極のこだわりだ。
張り詰めた緊張の中にいる要人には、冷たくて甘みの強い緑茶が一番効く。
至条総理は無言で湯呑みを口に運んだ。
一口、コク、と喉が鳴る。
「っ…………!?」
その瞬間、彼女の冷徹な仮面が、音を立てて崩れ落ちた。
湯呑みを持つ彼女の手が、ガタガタと激しく震え始める。
「な……何、これ……っ。雑味が、一切ない……。それに、私の体調やスケジュールまで完璧に把握し、最適な温度と成分で、この私を……『もてなして』いるというの……?」
「当然です。遠路はるばるお越しいただいた大切なお客様ですから。至条様、お口に合いましたでしょうか?」
俺がフードを被っていない生身の顔で、前世の「国家元首クラス対応用」の極上スマイルを向けると、至条総理の顔が、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染まった。
「あ、あ……うあ……っ」
彼女は胸を強く押さえ、ソファに深く深く沈み込んでいく。
冷徹な女帝の瞳はどこへやら、完全に「生まれて初めて男に優しくされた限界女子」の潤んだ目になっていた。
「この世界の男は……私たちが国を挙げて宝のように奉仕しても、感謝どころか、まともに話すら聞いてくれない……。なのに、あなたは……私を一人の『疲れた人間』として労い、こんなにも、こんなにも深い慈愛で包み込んでくれるなんて……っ」
「至条様……?」
「無理……何この男様……本物の、本物の聖母じゃない……っ! 国家最高機密、いや、人類の至宝よ……っ!!」
総理大臣が、SPたちの前で顔を両手で覆い、ソファの上で「あのお方に労われた、死ぬ、もう総理大臣辞めてこのクランのメイドになりたい、無理……っ!」と激しく悶絶し始めた。
周りのSPの女性たちも、お茶の香りと俺の所作の美しさに当てられ、全員が頬を染めて拝むように俺を見つめている。
応接室の片隅では、怜華さんとツグミが「ああ……国家の女帝すら一瞬で調伏されるなんて、やはり聖様は神の化身……っ!」と涙を流して抱き合っていた。
(……うん、この国のトップがこれなら、マジでこの国終わりだな)
俺は心の中で、そっと遠い目を。
ただ、前世のビジネスマナーに則って、普通に「お茶を出した」だけなのに。
数時間後、至条総理は「白瀬聖様の安全は、今後国家の総力を挙げて最優先で保護する(意訳:誰もあのお方に触れさせない)」という最高レベルの国家通達を裏で回しながら、フラフラとした足取りで帰っていった。
その日の夜、地元のネット掲示板『第7特別保護区スレ』は、もはやサーバーが物理的に炎上しかねない勢いで加速していた。
『【超弩級悲報】ナナクの男様の屋敷に、黒塗りの政府公用車が複数突入。ついに国に目をつけられたか……!?』
『>>1 え、聖母様連れて行かれちゃうの!? 嫌だあああ!!』
『【続報】至条総理、屋敷から出てくる際、なぜか限界オタクみたいな顔で「聖母……聖母……」って呟きながら車に乗り込んだ模様』
『は???? あの男性嫌いの女帝が????』
『確信した。我が第7区の男様は、国家権力すら一瞬で洗脳(全肯定)する、ガチの「生身の神」だわ』
画面の向こうで、数百万人の女子たちが狂喜乱舞し、我が第7区は名実ともに「世界の聖地」へと昇格してしまった。
自室のベッドで端末を裏返し、俺は深いため息をつく。
ただ、普通に過ごしているだけなのに。
俺の「派遣仕込みの一般常識」がもたらす天変地異は、いよいよ国家の枠組みすら、ゆるやかに壊し始めていた。
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