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コンビニの聖母、あるいは国宝級の男装女子

クラン(屋敷)の敷地を出て、徒歩で約十分。


近未来的な自動自動運転車がたまに行き交う道路を通り抜け、俺は目的地である24時間営業の大型コンビニ『マート・セブン』の前に立っていた。


自動ドアが開き、涼しい冷気とともに「ピンポーン」と気の抜けたチャイムが鳴り響く。


(これだ……! この独特の空気、この匂い……!)


前世で嫌というほど通った、あの懐かしいコンビニの空間がそこにあった。


宮廷のようなクランも悪くないが、やっぱり俺のような小市民には、この雑多な棚の並びこそが一番落ち着く。


俺はフードを深く被り直すと、現地の女性客たちの視線を避けるように、一目散に目的の場所――レジ横のホットスナックコーナーへと向かった。


ガラスケースの中で、オレンジ色のランプに照らされた黄金色のチキンが神々しく鎮座している。


前世で愛したファミチキそのもののフォルム。じゅわっと染み出している脂の光沢を見ただけで、口の中に唾液が溢れてきた。


(あった……! これだよ、これ!)


テンションが跳ね上がるのを必死に抑え、俺はレジへと進んだ。


レジカウンターの中にいたのは、地元の高校の制服の上にマートの制服を羽織った、茶髪ショートカットの女子高生店員だった。名札には『結城ゆうき』とある。


彼女はスマホをいじっていたが、俺がレジの前に立つと、面倒くさそうに顔を上げた。


「いらっしゃいませー……」


やる気のない、絵に描いたようなアルバイトの態度。


だが、前世でデパ地下の惣菜店やホテルのバックヤードで、数々の「接客のプロ」を見てきた俺からすれば、そんな態度もどこか微笑ましい。


むしろ、クランの美女たちの命懸けの奉仕に比べて、この「適度な雑さ」がたまらなく心地よかった。


俺はフードの隙間から、彼女に真っ直ぐ視線を合わせ、元デパ地下店員仕込みの『極上の営業スマイル』を浮かべた。


「すみません、ケースの中のホットチキンを一つ。


あと、あちらの冷たいウーロン茶を一本、一緒にお願いできますか?」


前世の接客研修で叩き込まれた、聞き取りやすく、かつ相手に不快感を与えない完璧な発声と、丁寧な敬語。

そして、ほんの少しだけフードがズレて、俺の「顔」が彼女の正面から露わになった。


「っ…………え?」


結城さんの動きが、文字通り凍りついた。


手にしたバーコードリーダーが、ガタガタと小刻みに震え始める。


(おっと、やっぱり驚かれたか)


この世界において、男性は女性に敬語なんて使わない。


それどころか、まともに目を合わせて注文することすら稀だ。だからこそ、俺は「男装女子のコスプレ」として振る舞う必要があった。


「あ、ごめんなさい。この格好、ちょっと驚かれちゃいましたよね。


趣味のコスプレ――いわゆる『男装』なんですけど、紛らわしくてすみません」


俺は苦笑しながら、さらに好感度を意識した「レディファーストなおもてなし精神」を発動させた。前世で理不尽な客を丸め込んできた、息をするような気遣いムーブだ。


「お仕事中、変な格好で驚かせてしまって申し訳ないです。チキンは急がなくて大丈夫ですので、結城さんのペースでゆっくり準備してくださいね」


相手の名前をさりげなく呼び、その労働を気遣う。

デパ地下では基本中の基本であるこの対応が、この世界の女子高生にとってどれほどの破壊力を持つか、俺は全く理解していなかった。


「あ……う、あ…………」


結城さんの顔が、一瞬で耳の裏まで真っ赤に染まった。


大きな瞳が限界まで見開かれ、みるみるうちに涙が溜まっていく。


心臓の鼓動が、レジ越しにこちらまで聞こえてきそうなほどドクドクと脈打っていた。


「あ、あの……っ、私、お、驚いてなんか……っ! ああ、うあ、なんですかその、国宝級のお声と、お顔……っ! 髪の毛一本にいたるまで、尊さが尋常じゃ……っ!!」


「えっ、あ、ありがとうございます……?」


予想以上の過剰反応に俺が戸惑っていると、結城さんは過呼吸寸前の震える手で、神聖な儀式でも行うかのようにトングを握り、チキンを袋に詰めた。


「お、お会計、380円に、なります……っ!」


俺は速やかに電子マネーの端末にカードをタッチした。


決済音が鳴り響くと同時に、俺はチキンとウーロン茶を受け取り、前世でVIP顧客に送っていた『45度の完璧なお辞儀』を添えた。


「丁寧に対応していただいてありがとうございました。お仕事、頑張ってくださいね」


「ひゃうっ……!!」


結城さんが、胸を押さえてその場にヘナヘナと崩れ落ちた。


レジの床に座り込み、顔を両手で覆って「無理、尊死する、今の絶対本物の男様じゃん……いやでも男様がコンビニに来るわけないし、でもあの聖母みたいな優しさ何……? 抱かれたい、無理……っ!」と激しく悶絶している。


(……うん、この世界の女子、やっぱりみんな情緒がバグってるな)


これ以上いると巻き添えを食らいそうなので、俺は逃げるようにコンビニを後にした。


屋敷の裏手にある静かな公園のベンチに座り、俺はついに念願のホットチキンを口にした。

ザクッ。

口の中に広がる、ジャンクで暴力的な脂の旨味。


「……美味い。やっぱりこれだよ……」


ウーロン茶でそれを流し込み、俺は至福のため息をついた。


クランの宮廷料理もいいが、このジャンクフードこそが俺の魂の拠り所だ。


大満足した俺は、怜華さんたちに見つかる前に、大急ぎでクランの勝手口へと引き返した。


なんとか誰にも見つからずに自室に戻り、パーカーを脱いでベッドにダイブする。

セーフ。完全犯罪成立だ。


一息つき、何気なく情報端末で地元のネット掲示板『第7特別保護区スレ』を開いた。

すると――。


『【超緊急特報】ナナクの「マート・セブン」に、歴史上最高クオリティの聖母系男装女子が出現!!!!』


『>>1 マジ!? 何があった!?』


『レジの店員(私のリア友)からの直電。グレーのパーカー被っためちゃくちゃ線の細い美少年風の人が来て、信じられないくらい綺麗な敬語で「結城さん、ゆっくりで大丈夫ですよ」って名前呼びで気遣ってくれたらしい。お辞儀の角度もロイヤルファミリー並みだったって』


『は???? 名前呼び!? 敬語!? 何その究極のレディファースト!!』


『店員女子、尊すぎてその場で失神。今救急車で運ばれたらしい』


『特定急げ!!! その男装女子、どこのクランのお世話係だ!? 貢がせてくれ!!』


『てか……これ、本当に「男装女子」か……? ナナクの男様って、引きこもりだけどシルエットがめちゃくちゃ綺麗って噂じゃ……』


『>>50 それ以上は国家機密(消されるぞ)。でももし本物の男様だったら、我々の地区には本物の「聖母」が君臨していることになるんだが……?』


「……ぶっ!?」


掲示板の書き込みを見た瞬間、俺は勢いよくカウチの上で跳ね上がった。


拡散されるスピードが早すぎる。しかも、すでに一部の鋭いオタクたちによって「本物の男(俺)ではないか」という疑惑まで浮上し始めている。


コンビニでチキンを一個買っただけなのに。

前世の感覚で普通に「ありがとう」と言っただけなのに。


「……これ、次外に出る時、もっと変装厳重にしないとヤバいな……」


俺の冷や汗混じりの呟きは、廊下の向こうから聞こえてくる「聖様、おやつに最高級のアフタヌーンティーをご用意いたしました!」という怜華さんの弾んだ声にかき消された。


世界を揺るがす「聖母」の勘違い快進撃は、まだ始まったばかりだった。

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