『現れたるもの』
それは、あの不思議な午後から、いくらか日が経った頃のことだった。
風の匂いが微かに変わり、
森の色もほんのわずかに深みを帯び始めたある日──
湊とチヒロは、ふとしたきっかけで、再びあの森を訪れることになる。
「また行ってみようか、あの場所……」
そんな会話が交わされたかどうかも、今でははっきり思い出せない。
ただ、ふたりの心に同時に浮かんだ“何か”が、確かにその背を押していた。
あの日の切り株──
森の中心に静かに佇んでいたその場所は
変わらぬ姿でふたりを迎え入れてくれた。
だが今回は、そこに新たな“徴”があった。
切り株の中央に、銀色にかすか光る“鈴”のようなものが置かれていたのだ。
その瞬間──風が音を立てて揺れ、一本の白い尾羽が空から舞い降りた。
それはどこかで見た気がする、不思議な白い鳥の羽。
思わず湊が手を伸ばしかけたその時──
チリン……と、ほんのかすかな音が鳴った。
チヒロが小さく息を呑む。
「この音……知ってる」
そう言って、彼女は膝を折り、そっと切り株の前に座り込んだ。
湊もその隣に腰を下ろす。
「昔、見たことがあるの。白くて、ふわふわで……どこかに行っちゃった猫」
チヒロがそう呟くと、まるでその言葉を受け取ったかのように、
鈴がほんのりと光を帯び始めた。
空気が揺れ、風の中に──微かな鳴き声が重なる。
「にゃあ……」
次の瞬間、ふたりの目の前で、光が静かに形を取っていく。
その姿は──あの時、湊が火事の中で助けられなかった、小さな猫。
いや、同じだが違う。
もっと長く、しなやかな尾。
すっと伸びた足。
胸元には、先ほどの鈴をそっと抱くように留めている。
そして、まるで人のように──凛として座りまっすぐ彼を見つめ返した。
チヒロがぽつりと呟く。
「やっぱり……そうだ。あのときの子」
ふたりの間で、記憶が静かに重なっていく。
その日から始まった──
目に見えなかったものが、ほんとうに“見える”ようになってしまう現象。
後に、ある研究者がこの事象をこう語ることになる。
『共鳴した二つの意識が、場を形成し、局在的に存在を生成した』と。
だがその時ふたりはただ、目の前に現れた奇跡のような存在に
そっと手を差し出すだけだった。
ルゥは、ふたりの手の中に、静かに顔を寄せた──
そして、物語はもう一度、動き始める。




