『朝の匂いと、沈黙の余韻』
静けさが、満ちていた。
光が差し込む前の、かすかに冷たい空気。
窓の隙間から漂ってくる、朝の匂い。
草の葉に残る露のように、まだ夢の輪郭が指先に残っている。
*
湊は、薄く目を開けた。
天井の模様。枕元の時計が、少しだけ進んだ時間を刻んでいる。
となりに、うつ伏せになったチヒロの髪が広がっていた。
その寝息は、静かだった。
けれど、湊にはわかっていた。
彼女は、目を閉じながら、同じように目覚めていたのだ。
*
言葉はなかった。
ただ、沈黙の中に“なにか”があった。
それは、夢に触れた者同士だけが知る、共犯のような沈黙。
互いに確認することもなく、確信だけがそこにあった。
湊は、ポケットに手をやった。
中にあるのは──葉、そして灰。
昨夜までの“現実”のしるし。
けれど今は、そのどれよりも、目の前に在る、彼女の存在が真実だった。
◇
「……朝だね」
チヒロの声は、カーテン越しの光のように優しかった。
湊は、小さくうなずいた。
「うん。なんだか、変な夢だったよね」
チヒロは少しだけ笑って、目を細めた。
でもその笑みの奥には、何か確信めいたものがあった。
「──ううん。夢じゃない。きっと」
彼女の言葉には、なぜか重さがあった。
湊は問い返さなかった。ただ、黙って見つめた。
ふたりの間に言葉がなくても、今朝だけは、それで十分だった。
*
やがて、カーテンの隙間から、朝日が細く差し込んだ。
部屋の中の空気が、ゆっくりと色を変えていく。
それは、現実がふたりを呼び戻していく合図のようでもあった。
湊は、静かに立ち上がった。
チヒロもそれに続いて、ゆっくりと髪を整える。
言葉は少なかったけれど
──それでも、ふたりの間に流れていたものは確かだった。
◇
そして──ふたりが部屋を出たとき、
窓の外では、銀色の葉がまた風に揺れていた。
それは、夜を越えた“記憶の残り香”のように、
朝の光の中で、ささやかに舞っていた。




