十四話、想像と破壊
――九月三日。
彼女が噴水の前に佇む姿はまるで、紳士の様で思わず息を飲んだ。
見間違いではない。再度見ても密かにキャアキャア騒がれている彼女は、リツに変わりはなかった。
「おはよ、リツ」
軽く手を振るとリツは小さく眉間にシワを寄せた。遅刻でもしたかと時計を確認すれば、まだ待ち合わせの五分前だった。
リツは随分早くから待っていてくれたのだろうか。
「……遅い。待ち合わせは十分前が鉄則だろう」
「ごめんね」
「謝る程の事柄ではない」
「これなら、僕がリツの家に迎えに行けば良かったね。近いんだし待ち合わせよりも、うんと楽だった」
「過ぎた事だ。……今度からはそうしよう。では、行くか」
「うん」
乱暴に頭を掻いて歩き出したリツの数歩後ろを歩く。
空白の二年間があったとは思えぬ程、修復された関係性に心踊る。これなら昔の様な仲に戻るのに時間はかかるまい。
今日はリツに誘われて書店に行く予定だ。改めて確認しよう。僕からではなく、リツから誘われたのだ。これは、過去をゆっくり許してくれてると思っても良いだろう。
そうだ。今日は幻滅させない様にも、精一杯リツに奉仕しなくてはいけないな。けれど、僕に出来る事といったら……ハイスペックリツが相手だと皆無である。
「きょ、今日はさ。何で僕を誘ってくれたの? 何か僕がいないと買えない本でもあったの? あ、もしかして少年漫画とか? あははは……」
「……ボクの外見を思い出せ。恥ずかしげもなく簡単に買える」
墓穴を掘った。
いや、確かにリツは少し体格も良くて男顔だけど、実際は女だし少年漫画なんて読まないよね。焦り気味に考えたフォローは喉の奥にしまいこんだ。
まさかリツが自分の外見を気にしているだなんて思わなかった。その男らしい格好も敢えて好きこのんでいるのだとばかり。
「僕もよく女顔って言われるから、抵抗せず少女漫画買えちゃうんだよね。あははは……」
「無理して笑うな。別に君の言葉は気にかけていない。それに、ボクは自分の外見は人並みに嫌いではないから」
「あ、そ、そう。僕もリツの外見好きだよ。僕にはない格好良さがあって、凄く羨ましいな。それに、背も高いし」
「……ふん」
咄嗟に自分なりのフォローを矢継ぎ早に繋げたが、リツの反応は芳しくない。
何をやってるんだ。僕はリツにただ喜んで欲しかっただけなのに。
「ユキは、ボクがこんな身形だったら嫌か?」
「え、や、……嫌じゃないよ。リツはリツだもの」
「ん。なら、良い」
リツは満足気に頷いた。分からないけど、リツの機嫌を良く出来たみたいで安心した。
何処かに遊びに行くのは中学振りか、いや、小学生振りだろう。中学の頃は仲は良かったものの、学校以上の関係からは発展しなかった。
良かった。死んだ僕に感謝しないと。
買い物はすぐに終わった。待ち合わせから一時間も経っていないだろう。
久し振りのリツとの遊びなのに、早く切り上げてどうするんだ。
かといってこれでも本を選ぶのに時間をかけた方だ。これも定めなのか。
「今日は急に呼び出して、すまなかったな。目当ての物は買えたか?」
「僕は、参考書を買ったんだ。受験も控えているし、気休め程度にさ」
「何処だ。何処に進学するつもりなんだ」
「えっと、今は新得大学、だけど。……リツは?」
急に前のめりに問うリツの勢いに圧倒されて、目が泳いだ。
「ボクもだ。ボクも新得大学だ。そうか、ユキも受けるのか……そうか」
確認する様に呟くリツに、そうだよと返事をする。
何も生産性のない会話。そう、そうと言い合うだけ。なのに、どうしてこうも嬉しくなるのか。
分からない。分からないからこそ、嬉しい。不思議だ。
「リツ、僕はリツの幼馴染みで良かった。リツと同じ病院で生まれて良かった。リツと知り合えて良かった」
「何だ、急に。死ぬ訳でもあるまいし」
「分からないけど、この嬉しさを伝えたかった。リツへの想いを僕の中だけに留めるんじゃなくて、リツにも植え付けたい」
「ワガママね」
「…………………………え?」
僕と、リツの間を引き裂く澄んだ声は、聞き覚えがあり過ぎて咄嗟に反応が遅れた。
先に発したのはリツだった。
「麻衣」
「はーい。麻衣でぇーっす」
キラリンと効果音が漏れそうな、アイドルポーズでターンすると僕らに近づいてきた。
「良いね。幸せそうで」
僕の耳元で囁くと、悪戯をした子供の様に口元を押さえて離れた。キャハハと作った様な笑い声が耳にさわる。
クルクル回っては、飛んでみたり、麻衣は僕らの前で遊ぶ。それをどちらかが止める事はしない。出来やしない。
麻衣を疑い、壊したのは僕なのだから。
道化師の如く踊る麻衣は、リツの前に立つとリツに向かって叫んだ。
「良いね。女になれて!!」
「麻衣、もう止めてよ。僕らは行きたい所があるんだ。今度にしてくれないかな」
リツを守るにはか弱いナイトだけど、今にも食ってかかりそうな麻衣の前に立ち塞がった。
「あはっ。私、ユキのそんな顔、知らなーい。狡いなぁ。私達、恋人なのに隠し事はダメでしょー? そんな狡いユキにはお仕置きしちゃうー」
「もう、僕らは恋人じゃ――」
「死にさらせ、ユキ」
既視感のある光景に動くのを忘れてしまった。
嫉妬で狂ったメスの顔をした麻衣は、笑顔を取り払って、僕の首に手をかけた。女の力と嘗めてはいけない程キツク、僕の首を締め付ける。
リツにしかり、麻衣にしかり、絞首の趣味でもあるのだろうか。そんな趣味を植え付けた犯人は、僕だろうけどね。
「死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ。ユキなんて、あの女なんて、リツなんて、皆皆皆皆皆、死にさらせば私は幸せになるのに。どうしてまだ生きてるの? どうして死んでくれないの? ねえ?」
「止めろ!! 山田くんを殺して良いのは、ボクだけだ!」
「かっ、は……」
「大丈夫か、ユキ。息は出来るか」
首が解放されたと同時に膝から落ちた。リツは僕に駆け寄り、抱き締めてくれる。
ねえ、リツ。助けてくれたのは嬉しいけど、少し発言に気になる点があるんだよね。
「どオして? どうして邪魔するの。邪魔する、んなら、アンタもお仕置きだよ」
揺らぐ視界の中で、麻衣は徐にナイフを取り出した。手を伸ばして、リツを呼ぶが声にならない叫びで終わった。
「どうしたんだ、山田くん」
そして、それをリツに向けて――
「死にさらせ、リツ」
――薄らいでいく意識の中で見えたのは、愛しい人の悶絶する顔と、赤い飛沫だった。




