十三話、依存と不審
眠り姫、と形容しても良いのだろうか。
死んだ様に眠るユキの姿は美しく、それでいて可憐さがあった。
扉の隙間からユキを見つめて早五分、眠り姫は王子のキスも待たずに目を覚ました。
起きてしまったし、突入すべきかタイミングを計っているとユキは立ち上がろうとしていた。
危ない。風邪引いてるのにすぐに身体を起こそうとするなんて、目眩でも起こしかねない。
心配は的中しユキはフラリと、バランスを崩した。
ああ、もう。
「横になってなさいって、お母さんにも言われてたでしょー」
片手で支えられる位ユキは軽かった。男に勝る力持ちではないけれど、余裕で戻す私を見てユキは呆気に取られていた。
やはり、ユキは同性ではないかと思ってしまう。
だからこそ男性不審の私が引かれてしまうのだけど。
「先生にプリント渡してって頼まれてさ」
真っ赤な顔して布団に埋もれるユキにファイルを渡す。一番の目的に見えてただの口実である事にユキは気付かないだろう。
おバカさんだから。
ありがと、なんて無垢に私を信じて笑うユキの表情を伺う。
失恋した時、弱っている時に限って『卑怯だと思うけど』と前置きして告白するのが定番だ。そして、大抵が上手くいく。
パターン化された軸に沿って動けば、ユキだって簡単に手に入る。でしょう?
顔を明らめて、己の最大限の乙女を露出して、弱い弱い女を演じる。好きでしょう? 男ってそういう女が。
ユキは違うって信じているけど、私の知る人生を勝ってきた女は大抵これで通っていたの。だからそれ以外知らない。
きっと私達、端から見たら百合ップルね、なんて。
「私、ユキの事好きなんだわ」
演技だけじゃなく自然に上擦る声に、自分が緊張していると知る。何だかんだ理屈付けて、本当は怯えている。
そう、結局私もリツと同じね。
「僕も麻衣が好きだけど、それがどうしたの?」
「違う。私が言ってるのはフォーリンラブの方だって」
ライクじゃなくてラブなんだよ。改めて口にすると耳まで熱くなる。
私はちょいと普通と違う人種と認識していたけど、恋したり何なりは初めてだった。ただの男性不審の女だった。
ついついこの燃えたぎる感情を何処かに発散したくて、目を細めるユキに当たった。
「何よ。悪いの?」
「悪くないし、正直、嬉しい」
オーバーヒート状態。耳やら口やら穴という穴から、蒸気が出て脳髄が沸騰している。
告白して嬉しいって言われるなんて、これはもう、つまり良い結果が返ってきたと考えても良いのだろう。
ニヤニヤしそうになる口元を押さえて、バレない様に必死に背中を向けた。帰るから、と一言残して。
「ああ、イヤな奴に会った」
ウキウキ浮かれた気分を失墜させたのは、ユキの部屋の前で腕を組むリツだった。
人の告白を聞いてでもいたのだろうか。悪趣味な女だ。だが良い。きっとこの女の心境は私の告白で酷く乱れている筈だ。
「……ボクだって、お前の事が嫌いだ」
「良いよ、別に模造品に嫌われたって。私はユキの好意さえあれば良いの。聞いていたなら、分かるよね?」
「…………」
「あーあ、可哀想に。アンタは授業中にユキとくだらない話して笑ったり、一緒にお昼御飯も食べれないのね。ましてや、素直に告白も出来やしない」
悪女宜しく、最高の笑みを浮かべてリツを見れば、簡単に挑発に乗った。
力強く私の肩を壁に押し付けて、睨む。言葉にならない感情を力で押し切るのか。下手な男と同じだ。
眉間にシワを寄せ、悲哀と叱咤の感情を複雑に入れ混ぜた顔で私を見下ろすリツは可哀想な女だった。簡単に泣ける程、女に成りきれない模造品。
男にも成れず、女にも成れない。ああ、なんて可哀想なの。涙がちょちょぎれちゃうわ。なんて、嘘。
「ご愁傷様」
後はご勝手に。
リツの手を振り払うと背中を見せた。
――七月二十五日。
「付き合おう」
待ってた。ずっと待ってた言葉は現実味なくて、ジンワリ身体に広がる。そうか、この気持ちが嬉しいって事か。
そうだ! 嬉しいんだ!
「本当!? ……そっか、そっか。良かった」
湧き水の様に止まる事なく溢れてくるユキへの想い。小躍りしたくなる様な気持ちでユキを見た。
貼り付いた様な柔和な笑顔でコーティングしている。いつもの暖かさとは違ったモノを含んでいた。そうか。これが恋人目線というモノか。
「ねえ、麻衣にはヒミツある?」
「ヒミツ? ないよ、そんなもの」
小さく鳥肌が立った。
大それたヒミツなんてない。が、ユキに内緒でリツを蹴落としたのは事実だ。それは女には付き物だ。ヒミツと呼ぶ程でもない。
けれど、何故か反応してしまう。罪悪感、だろうか。
そう、と話を元に戻したユキに対して、ただ引きつった笑顔しか返せなかった。付き合うって、両想いになるってこんな障害があるだなんて知らなかった。
あの女には、リツには体験出来ないんだ。ざまあみろ、そう思えばどんな受難だって乗り越えられる気がした。
――八月九日。
「誕生日、おめでとう」
ぱん、と祝福の音が暑苦しい部屋に響いた。無駄に広い部屋から追随して返ってくる祝福の声はない。
写真越しのユキに唇を合わせ、微笑んだ。無機質な味がした。初キッスは冷たいんだね、なんて。こんな光景を見たらユキは私を避けるだろう。
避けられるだけで済めば良いのだけど。
写真越しのユキは私ではない何かに視線を向けている。それが何かも全て全て知りたい。それが彼女の特権でしょう?
「ねえ、ユキ? ユキは甘いモノが好きだったよね。私、知ってるよ。ちゃあんと、ね」
携帯を取り、ユキにメールを送る。そして、天井を仰いだ。笑うユキ、泣くユキ悲しむユキ俯くユキ喜ぶユキ、一面ユキの写真を貼り付けた私だけの楽園。
ようやく、私だけのモノになった。
珍しく速いユキの返信に驚きながら、準備を始める。明日渡すのだから。うんと美味しいのを作らないと、ね。
「待っててね、ユキ」
――八月十日。
待ち合わせである教室には、一足先にユキがいた。空中に向かってにらめっこ。頭を抱えたり、掻いたり、首を振ったり、見ていて飽きない。
ユキは私服も女の子らしいんだね。益々好きになってしまうよ。最早、戻れない。
いつになく真面目な表情をするユキにケーキを投げ付けた。照れ隠しと言えば可愛いが、本当は制御出来ない感情の捌け口になったに過ぎない。
「ユキ、あげる」
「作ったの? これ」
「うん」
ユキは控え目に笑った。何かを恐れているみたいだ。なんて、嘘。ユキが怯える筈ないもの。ねぇ?
ユキは大きく息を落とすとしゃんと背筋を伸ばして私を捉えた。いつになく真剣な表情だ。例えこの状況でジョークを言われても、笑って誤魔化せそうにない。
「麻衣は誰が好きなの?」
「ユ、ユキが好きに決まってるじゃん」
何だ、ただ心配になっていただけね。と笑う。そんな表情をしているからてっきり別れ話でも持ち出されるのかと不安になって、損をした。
だとしてもね、許さないわよ。そんな事。
「本当? 本当に僕が好きなの?」
「好きだってば」
「嘘。本当に心を寄せてるのは僕じゃないでしょ」
知恵を与えられた小動物の様な目で私を見る。ユキ、貴女は何を悟ったの? もしかして、潜在的なユキへの想いが普通の色恋と違うと気付いたの?
違う。私はちゃんとユキの事が好きだ。ユキは私の家庭環境を知らないから言えるんだ。ユキじゃなきゃダメだ。だから、これは好きって感情でしかない。そう、好きなんだ。
だからお願い。ユキが私の気持ちを否定しないで。
「あのさ、何を言いたいの?」
「僕が風邪ひいた日、どうやって家に来たのか知ってるよ。リツと来たんでしょ?」
リツ。ユキの口からアイツの名前が飛び出ただけで、全身の血液が煮えたぎる程の怒りを感じた。腹が立つ。ユキを侵食するあの女が妬ましい。
「それが何? 個人情報保護法、プライバシーの侵害とでも言いたい訳? それはリツさんに言ってよ。私は教えてもらっただけだから」
嘘だけど。私一人で来たかったけどあの女が邪魔したんだ。まあ、お義母さんの手前上アイツを立ててやった。
「リツさん? いつの間に下の名で呼ぶ関係になったのさ。僕が知らない間に何を話したの?」
「嫉妬深い奴は嫌われるよ」
「ああ、知ってる。嫌われてるよ。でも取られたくないんだよ。リツはずっと、僕の友人だから」
嘘だ。アイツの名を口にする時のユキは恋する乙女の様に、切ない表情を浮かべている。狂おしそうに胸を押さえ、そして私に嫉妬をはらんだ醜い視線をぶつける。
初めて話した時は、私が初めての異性の友達だって喜んでくれたのに、何で今更アイツを友人呼びするの? あれは、嘘だったの?
それとも、アイツは異性じゃないって? ユキは知らないんだ。アイツがユキをどんな目で見てるか。同族には分かる。ユキに恋ではない熱い想いを注いでいる目だった。
「ねえ……、麻衣は僕を利用してリツと繋がろうとしてるんでしょ?」
私を羨み蔑むユキの顔。初めて見た。こんなにも人間らしい穢い表情をするなんて知らなかった。嬉しいけど、この表情を作る原因がアイツにあると考えただけで憎い。
思わず手が出てしまった。怒りからか寂しさからか飛んだ右手は、小さな破裂音を生んだ。
「最低」
ユキの嫉妬に歪む顔がかつての母と被った。
父親を奪って笑った屑女を見ている時の母は般若よりも恐ろしい顔をしていた。ユキも同じだ。男のクセに、女の顔をしていた。
怖くなると同時に過去を思い出す。私達を捨てた父親を、泣いてすがった母親を、全てを他人事の様に見て笑った父の女を。
ユキも私を捨てるの? 嫌だ。させない。二度と私から離れていく者がない様にきつく縛ってやる。ユキも離さないよ。私が好きになれたんだから。
男性不審の私がようやく好きになれたただ一人の人なんだから、離しはしない。なら、邪魔なのはアイツね。
飛び出した教室の外に一瞬、アイツが見えた気がした。幻覚か。だとしても腹が立つ。この世に存在するな。私からユキを奪う全ての生物は死んでしまえば良い。
「……死にさらせ」
そう、簡単な事。
アイツが死んでしまえばユキも元のユキに戻る。私が好きだった頃のユキに。万事オーケー、解決ね。なんて頭が良いんでしょー。
なんてーね。




