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カボチャ頭のランタン  作者: mm
14.Day By Days
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 少年たちの足取りが見る間に遅くなった。

 疲労である。

 不甲斐ない自分への苛立ち、行く先への恐怖、立ち止まるきっかけを失った不安、罪悪感。そして罪悪感から目を背けること。

 まだ成熟していない精神を削り取るには充分な要素が揃っていた。

 そしてそれに追い打ちをかけるように彼らは、未だに戦闘状態から抜け出せてはいなかった。曲がる角の一つ一つに魔物の幻影を見ている。

 気持ちの切り替えは大切だった。戦闘、進行、休憩。迷宮では如何なる時でも気を張り続けるべきだが、常に最大限にそれを維持するわけではない。

 それが無駄なことだとは言わない。それができるならばそれをするべきだ。

 だが迷宮の最初から最後まで、最大限に緊張を維持し続けることができる人間は一握りもいない。

 例えばランタンでさえ、それは不可能なことだった。

 精神の消耗は、体力の消耗を加速させる。体力の消耗は、精神の消耗を加速させる。

 互いに影響し合い、そうやって迷宮は一個の人間を削りきってしまう。

 ローサは彼らを後ろから見守ることしかできない。見捨てることなど端から考えてはおらず、いざという時、彼らのために戦うことはどうしてか当然のことのように思っている。

 先頭の少年はこちらを一度も振り返ることなく、迷宮を進んでいく。

 少年たちの中にあって一回り大きな背中は頑なであり、そして心細そうだった。安っぽい辻舞台の書き割りじみて薄っぺらに見える。腰の短剣だけが厚みを持つ。

 殿(しんがり)の少年は牛人族だった。誰が先頭に立ち、誰が後ろに付くかをきちんと決めているわけではない。自然とそうなった。

 牛人族は角がまだ短く、茶色をしている。子供の証明だった。もう少し大人になれば人族よりも頑強な肉体を手に入れるが、まだ人族と亜人族で差はそれほどない。

 たかだか五人の隊列がずるずると縦に伸びた。それほどないはずの差が徐々に広がりつつある。

 牛人族が遅れたわけではない。一つ前を歩く人族の少年の遅れが目立つようになった。

 そしてそれを牛人族の少年が気遣っている。ほとんど横並びになって声を掛けていた。

 先行くものに声を掛けて待ってもらえばいいものを、それをしないのは肉体と同様にほとんど差のない関係性だからこそだろう。

 関係性に上下が生まれるのを嫌がっているのだ。遅れることは負い目となり、待つことは優越感や、あるいは哀れみとなるかもしれない。

 酒場で互いの軽口を言い合い、肩を組みながら酒を酌み交わす探索者たちが、しかし迷宮では指揮者を頂点とした厳格な関係性を築いている意味を彼らは知らなかった。

 進む、進む、進むほどに速度差は顕著になる。

 ローサは迷宮の壁面を引っぱたいた。

 掌に痺れ。

 瓦礫の壁面が崩壊し、がらがらと音を立てて流れ出す。

 その音に驚いたように少年たちが皆一様に肩を竦めて立ち止まり、それから慌てて振り返ったり、恐る恐るゆっくり振り返ったりする。

 ローサだけが前を見ていた。迷宮での危険は、だいたい前から来る。

 正面から視線を逸らさず、手の中に瓦礫を握り込む。

 少年たちは何が起こったのかをいまいち理解せず、驚きの表情を(いぶか)しむものへと変化させ、ただ自分たちの列が縦に伸びていることだけを自覚した。

 先頭は立ち止まり、後続がそれに追いつく。

 ローサも立ち止まり、集団から一定の距離を保ったまま、言葉を発せず黙っている。

 なんと声を掛けても無駄だろうとわかっていた。

 呼吸を繰り返す。呼吸はいやに熱っぽかった。

 迷宮の空気には魔精が含まれている。

 魔精は探索者を強化する。

 そして魔精は意思の溶媒でもある。

 呼吸するほどに知る。それは感覚的なものだった。

 ティルナバンの街を散歩する時に感じる陽射しの暖かさ、風の冷たさに似ている。ローサは暖かさや冷たさと一体となってティルナバンを放浪するのだ。

 強化とは、つまり増幅だった。

 増幅された少年たちの不安定な心が、肉体から零れだしているようだった。

 彼らにローサの言葉を聞く余地はない。迷宮を進むことだけが少年たちの心を支えていた。

 意地っ張り、と思う。怖いのなら帰ればいいのに、と思う。それは恥ずかしいことではないのに、どうして恥ずかしいと思うんだろう。

 ローサはそういったものを感じられることを不思議に思わなかった。

 迷宮が何故、人間というものを増幅するのかなどと考えない。

 もしかしたら迷宮は人を知ろうとしているのかもしれないなどとは。学者が仮説として唱え、しかし証明することのできないものを、体感しているのかもしれないとは思わない。

 背嚢にくくった水筒を引き寄せる。水分を補給する。水筒に口をつけて、ごくりごくりと音を響かせる。

 少年たちがそれを見て、生唾を飲んだ。そしてそれぞれの腰にくくられた革袋の水筒を思い出した。ここまで一度も水分補給をしていないことを。からからに喉が渇いていることを。

 生温い、革の味が染み出したそれが美味く感じる。

 ローサは彼らの中にある羞恥心を知覚する。

 ローサがそれを言外に伝えたことに気付いたのだ。

 そして連想する。ローサがわざと音を立てて自分たちを振り返らせた理由を。

「……それぐらいにしろ」

 硬い声で少年が言う。水を一気に飲みすぎていた。迷宮を攻略するには、帰りの分も残しておかなければならない。攻略し、無事帰還することが迷宮を探索すると言うことだ。

「あ、――ああ、そうか。そうだよな」

 声と同じぐらい顔が硬くなった。

「迷宮攻略」

 口に出した途端にそれが遠のいた。現実感を持って語らいだものが、夢物語だったのだと思う。

 途端に一人が、膝が抜けるかのように腰を下ろした。

「おい、座るな」

「やだよ、疲れたんだ」

 夢から覚める。支えていたものがほつれた糸を引っ張ったように肉体からするりと抜けていく。あれほど固執していたものが、ふいに無価値になる。

 探索者集団の崩壊とは、関係性の崩壊だ。そして多くの場合は命の。

「立てよ!」

 そう言ったそばから、もう一人が座り込んだ。がっくりを頭を垂れたかと思えば、重たげに友達を見上げる。

 見つめられ、硬くなりすぎた表情が今度は硝子のようにひび割れる。それをどうにか意思の力で封じ込める。しゃがみ込む少年の二の腕を乱暴に掴んだ。

「立てって!」

 その手が振り払われる。それが自分がローサにしたことだと気が付く。爪に入り込んだ青い血が黒ずんでいる。ずいぶん歩いた。やったことは二頭の子狼を仕留めたことぐらいだ。

「――迷宮攻略、本当にできると思うか? お前だってわかってるだろ。ただ歩くだけで、こんなんだ。迷宮を攻略するまで、あとどれだけ歩けばいい?」

 尋ねると言うよりも、挑むような口調だった。

 歩きながら考え続けてきたことが、ついにどろどろと溢れ出す。一つ口に出してしまえば、もうそれを止めることができなかった。

「どれだけ戦えばいい? どれだけ――」

 また別の少年が二人の間に割って入った。

「そんな言い方はないだろ。こいつ一人に背負わすなよ」

 彼らは対等な友達同士だった。

 浮かれていたことは事実だ。

 だが全員で迷宮を攻略しようと決めたのだ。狼の毛皮で得た金を等分せずにそれで購入できる中で一番上等な短剣に使ったのだって、もっとも体格がよく、勇気あるものにそれを持たせようとみんなで決めたからだった。

 決めたのはたったそれだけだった。

 どのように迷宮を攻略するかなんて、少しも考えなかった。

 ローサは黙って口喧嘩を見守っていた。

 ローサの言葉は届かなかった。

 だが彼ら同士は話し合える。

 魔精を通じて人の心はわかるのかもしれない。だが分かり合うには言葉も必要なのだろう。殴り合うように言葉をぶつける。

 これが帰るきっかけになればいい。

 はらはらしながら、少し寂しく、少し羨ましく思う。

 思いながら祈る。

 お願いだから、来ないで。

 それは来ることを確信に近く、予感していたからこその祈りだった。

 迷宮の奥から獣の足音が駆け寄ってくる。




 少年たちがそれに気付かず、ようやくローサのほうを見た。年相応の気まずさと、照れ隠しをするような妙な表情だった。

 八の字の眉と、情けないへの字の唇。状況が状況でなければ笑ったかもしれない。それぐらい変な表情だった。

 少年たちは迷宮から目を背けた。

 だからローサが一番早くそれを見つけた。

 ローサの縦に割れるような虎目がわっと丸くなった。光を少しでも取り入れようとするように。

 ひゅっとローサは息を吸う。そしてぷっとそれを吐き出した。

 呼気が触れられぬ程の熱を持ち、それは瞬く間に拳大の火球となった。

 火球は浅い弧を描き少年たちの旋毛を焦がしながら、その頭上を飛び越える。

「まもの!」

 ローサは叫ぶが早いか火球を追いかける。

 少年たちは火球にまず驚き、そして滅多に見ることのないローサの形相に息を飲んだ。

 振り返る。

 それは狼だった。子供の狼ではない。

 四頭それぞれが鼻の先から尾の付け根までゆうに一メートルはあるかという成獣だ。

 涎を垂らし、唸りながら迫ってきている。

 地を震わせるような低音。えづくほどの獣臭。

 全身が粟立った。膝が震え、しかし崩れ落ちることもできない。恐怖に身体が強張り、肉体はまったく脳の命令を受け付けなかった。

 魔物。

 それが彼らが目にした本物の魔物の姿だった。

 今、手を汚す青い血は、あるいはこの狼たちの子のものなのかもしれない。本当のところはどうかはわからない。だがそのはずだ。そうでなければこれほどの殺意はない。憎しみはない。そうに決まっている。そう信じるしかなくなるような殺意が全身を貫いた。

 下街で遭遇したどの修羅場よりもはっきりと死の臭いがした。

 ローサの火球が着弾した。地面に落ち、割れて弾けた。火柱が立ち上り、炎に炙られて熱風が肌を打った。

「やった!」

 少年たちは口内に熱風が飛び込んでくるのにも構わず叫んだ。

 迷宮の天井近くまで立ち上った火柱は心強かった。狼たちは光の中に埋もれ、視界に捉えることはできない。

 ごう、と音を立ててローサが彼らの脇を横切った。

「にげて!」

 同時に握った瓦礫をばらまくように投げ付ける。狼は二頭ずつ左右に分かれて火柱を避けていた。

 ローサが手に狩猟刀を握り、それを腰だめに構えたのは本能だった。

「わあああああ!」

 ローサは叫んだ。炎虎の半身がわっと燃えさかり、その炎は上半身に巻き付いて、だがかつてのようにローサの肉体を焼かなかった。鎧のように炎を纏う。

 ローサは一塊の炎となってまず左の二頭に突っ込んでいった。

 それがローサの最大の武器だった。重さ二百キロを超える炎の塊。

 狼はローサを恐れずに向かってくるが、噛み付こうと大きく開いた顎門に飛び込んでくるのは火先だった。

 鼻先を焦がし、舌を焼き、喉を爛れさせた。

 狩猟刀はもうほとんど関係がなかった。

 ローサは闇雲にぶつかっていく。何とも言えぬ感触がローサに伝わった。撥ね飛ばされた狼の肉体が、炭のようにひび割れた。流れた血が焦げ付いた肉体を濡らし、青い蒸気となって異臭を広げる。

 一頭、二頭。

 ローサは左の二頭をあっという間に蹴散らして、速度をそのままに身を翻す。

 右の二頭はローサを避けて少年たちに向かっていった。武器を構えたのは体格の良い短剣の少年だけで、それでも腰が引けていた。

「わあああああ!」

 ローサは同じように叫びながら少年たちに跳びかかる狼を背後から襲った。

 狩猟刀を腰だめに構えたままの肉体。だが炎虎の半身は本能的に動いた。抱きしめようとするように前肢が開く。

 いつもは隠されている爪が飛び出した。それは狼の爪や牙を遥かに凌ぐ、恐るべき凶器だった。

 炎虎の爪である。一度、熱を持てば鉄をも溶断する。

 厚みがあり、それでいて鋭い。

 魔狼の強靭な獣毛を容易く裂き、骨さえ断った。

 ローサはこぼれ落ちる魔狼の命を抱きしめる。白い胸の毛がひたひたと血に染まる。死体にローサの炎が燃え移った。獣毛の焼ける臭いの奥に、芳ばしさを感じる匂いが混じる。

「ロ、ローサ……」

 少年が名を呼んだ。ローサはそれが聞こえぬと言うように背を向けて、迷宮の先へと振り返った。

「ローサ待て! あやまるから! お前の言うこと聞くから! 行くな!」

 ローサの表情から幼さが失せていた。血の臭いに酔っていた。

 開かれた狼の肉体から溢れた魔精に酔っていた。

 狼はその四頭だけではなかった。

 迷宮の奥から戦いの気配に導かれるように駆け寄ってくる。迷宮は深度を増すほどに魔物が強くなっていく。

 それはまた狼だった。しかし顔つきがどうにも違う。

 より恐ろしい顔をしている。鼻が短く、口が大きく、狼と熊の合いの子のようだった。身体も一回りも大きい。獣毛を押し上げる筋肉の隆起が背中にはっきりと見えた。

 それが二頭。

 ローサが胸を張った。肺にいっぱい息を吸い込む。

 再び炎を吐いた。火球ではなかった。竜種の息吹(ブレス)のようにそれは放射された。炎のうねりが轟々と音を立てる。火線上にあった狼の死体が呑み込まれ灰になった。

 熊狼も果敢に炎の中に飛び込んできた。一頭は燃えながら炎の中を進んだ。瞬く間に火だるまになり、炎を身体に纏わり付かせながらローサに飛び掛かってきたが、しかしその手前で勢いを失った。

 その影に潜み、炎を逃れたもう一頭が飛び出した。

 ローサの唇から炎の息吹が途切れ、少女は前進する。再び下肢が自然に動いた。狼の横っ面を引っぱたいた。爪が首元に引っかかり、そのまま横面を三つに裂いた。

 しかしそれは生き延びた。

 吹き飛ばされながら壁に着地し、目元まで裂けた口を大きく開いてローサの腕にまず最初の牙を突き立てた。

 ぎゃあ、とローサが叫んだ。獣のように。

 下肢の本能が上半身に伝染する。右手に握った狩猟刀が狼の首を貫く。血が溢れる。青い血がローサを濡らす。深々と食い込んだ牙が緩み、命を失った肉体が重力に引かれて横たわった。血が流れる。青い血と混じり、紫になる。

「うぅ、うぅ――っ!」

 ローサは苦しげに呻いた。

 それはランタンが憂慮していたことの一つだった。

 ローサの半身は魔物である。迷宮の魔精に当てられた時、それがどう反応を示すのか未知数だった。

 例えば魔精中毒になった人間は暴力性や残忍性が増すことが確認されている。閾値は人それぞれだが、一度の探索でそれを起こすことはないとされている。しかしローサに現れている症状は、それに近いように思えた。

 足音が聞こえる。

 また奥から狼がやってくる。

 やってくる。

 やっつけてやる。

「がああああああ!」

 ローサは吼え、遂に背後さえ振り返らずに駆けだした。

 それは熊狼の群だった。いちいち数を数えない。肺の空気を全て火球に変えて吐き出し、地面も壁も関係なく駆け、すでに腕と前肢の区別も、爪と狩猟刀の区別も曖昧だった。

 ローサが虎爪を振るうほど血と魔精が迷宮を満たした。ローサは血溜まりを泳ぐように狼と戦う。それを見たものはどちらが魔物かわからないかもしれない。

 狼の牙がローサを貫く。ローサの纏った炎ごとその肉体を貪ろうとする。舌が焼けようと牙が焦げようと関係がなかった。

 ローサは痛みと恐怖を忘れたわけではない。

 自由の利かぬ衝動に突き動かされている。

 狩猟刀が手から零れる。両腕は無惨なほど穴だらけだった。血を失いすぎていた。狼はまるで血溜まりから湧いて出るようだった。それでもローサは狼に向かっていった。全身は血に濡れて、炎はぐずぐずと燻っている。

 熊狼が跳びかかってくる。

 熊狼の口腔をローサは睨む。もう睨むことしかできない。鋭い牙と分厚い舌、糸引く涎が霞んで見えない。

「ローサ!」

 声は少年たちのものだった。

 どうして、と思う。どうして逃げ出さなかったのかと思う。

 向かってくる狼の口腔に少年の短剣が突き出される。両腕に噛み付く狼たちをやたらめったら打ち据える。

「てめえこのやろうっ! このやろうめっ!」

 荒っぽい言葉を吐き捨てる。声が震えているのは興奮と恐怖の両方のせいだ。

 助けに来た。

 だがあまりにも無力だった。

 牙が閉ざされ短剣が砕け、その腕が顎門に捉えられた。そのまま狼が首を振ると、少年は人形のように振り回された。

「ぎゃああ!」

 肩と肘が一気に脱臼し、腕が倍近く伸びたように思える。

 ローサの腕から狼が離れたのは、蝿のように煩わしい存在をまず噛み殺すためだった。

 ローサを突き動かす衝動は、魔物の持つ残虐性ばかりではなかった。

 迷宮は人間を増幅する。

 守る。

 ローサがもっとも増幅したものはそれだった。

 命を燃やすようにローサは後肢を蹴った。

 本能だけではなかった。

 雨の日も風の日もひたすら真面目に積んだ修練が、ふいに結実した。血溜まりと不安定な瓦礫の地面を確実に捕らえた蹴り足は、二百キロ超の巨体を独楽のように旋転させた。

 一振りで虎爪が狼を切り裂き、ローサは回転する力を制圧力へと変換する。

 少年を振り回す熊狼に体当たりをし、体重を振り子のようにしてのし掛かる。鞘に仕込んだ先を尖らせた枝を握ると、その喉に突き立てた。

 それはローサがようやく実感した、肉を貫く感触だった。命を奪う感触だった。

 小さな傷口から思いもよらぬほど血が溢れだした。

 ローサの腹の下で熊狼が命を失った。

「ローサ。おい、無事かっ? ああ――」

 少年たちが顔を真っ青にして駆け寄ってくる。ローサの傷も少年の傷もあまりにも酷い。

 だがローサはそんな彼らの心配に応えない。

「みんな、みんな、かくれて。ローサのおなかのしたにかくれて……!」

 ローサは言うが早いか、少年たちを押し倒しすっかり腹の下に埋めてしまった。

 どこからか現れた最後の一頭はもう熊でも狼でもなかった。

 もはやそれこそが魔物であるとしか言いようのない巨大で恐ろしげな凶獣だった。

「ローサ、ローサ、ローサ!」

 腹の下で少年たちが喚く。戦おうとしてくれるのがわかった。それで充分だった。

 ローサは首飾りを握り締めた。

 それが暖かく感じるほど血を失っていた。

 凶獣が迷宮を蹴った。

 天井ががらがらと崩れ、雨のように瓦礫が降った。

 ローサは目を瞑らなかった。迷宮で前を向くことを教えられていた。

 だから背後から自分たちを追い越す存在に気付いたのは、その巨大な獸の横っ面が弾けるように吹き飛んでからだ。

 右手に戦鎚、小さな背中。

「おにーちゃん」

「すぐ終わらせる」

 兄は言った通りのことをした。


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