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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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 明日(みょうじつ)、ドゥアルテを見送った。

 それはまだ日も昇りきらぬ早朝のこと、泥のように眠っていたランタンは窓の外に迫る気配を敏感に感じ取って目を覚ました。雷を取り上げられた暗い色の雨雲はしとしととした細い雨を降らせていた。

 ランタンはリリオンを起こさないようにベッドから降りると、カーテンの端を捲り上げて窓の外に目を向けた。

 そこには雨粒を身体に燻らせながら中庭に降り立とうとしている二対四翼の飛竜の姿があった。

 翠玉色エメラルドグリーンの堂々たる巨体、毛細血管の透ける翼の皮膜が青みがかっていて背には鞍、口元からは手綱が伸びて、金属鎧を身に纏っている。尾の先に眩しい程の光を放つ魔道光源をぶら下げていた。

「んー……」

 リリオンが甘い呻き声を上げた。ランタンは窓に鼻先を当てて飛竜を眺めている自分に気が付く。

 窓からさっと身を離してリリオンの寝顔を覗き込み、起こさぬように頬を撫でて、薄い羽織を肩に巻いた。

 ベッドサイドに寝姿を見守るような龍の彫刻がある。

 蛇の胴に六つの足、顔は鹿で、虎の牙。複雑に枝分かれした鹿角に青く透ける(ぎょく)を抱いている。

 ランタンは玉に触れて、部屋の空調を弱めた。

 雨が連れてきた冷気に部屋が少し肌寒い。

 そして薄茶色の暗い光りを灯したままのシャンデリアの光を完全に消した。

 この玉は部屋の全てを司る魔道具だった。接触し念じれば、望むままに部屋の光量を、温度を、風量を、カーテンの開閉さえも操作することが出来た。願えばメイドだってすっ飛んでくるらしい。

 ランタンはそっと部屋を出た。

 ネイリング邸はすでに目覚めていて、人の気配が感じられる方へと足を進めた。欠伸を噛み殺し、ぱたぱたと部屋履きの踵を鳴らしながら小走りで進み、阿呆みたいに広い玄関広間をこっそりと覗く。

 大勢の使用人と、数名の騎士。そしてドゥアルテとレティシアがいた。

 レティシアはランタンよりもだいぶ身嗜みに気を使っていたが羽織の下が寝衣であることは間違いないようで前をぴったりと合わせている。対してドゥアルテは雨の旅装できっちりと身を固めていた。

 昨日の今日でもうお別れか。

 飛竜の姿に思わず部屋を飛び出してきてしまったが、なれど家族の一時を邪魔するのは野暮だろう。

 そう思ったランタンは身を翻そうとして、盛大にくしゃみをした。

 広間の全員が一斉にランタンを見た。不審な物音に騎士たちは腰の剣に手を掛けて臨戦態勢を取った。

「……おはようございます」

 七分丈の足元から冷気が這い上がってきていた。リリオンという熱源に常日頃温められている弊害がこれである。ほっそりとして真っ白なランタンの脹ら脛にぷつぷつと鳥肌が浮き出たのは、向けられた警戒心のためだろうか。ドゥアルテの近衛騎士たちは、尋常ならざる使い手たちだ。

 ランタンは隠れるのを止めて、二人の前に身を晒した。害意がないこと示すように両手を挙げる。ついでに欠伸も。

 眠たげな子供の姿は、油断を誘うのにちょうどよい。

「おはよう」

「ふふ、おはよう。ランタン、こんな朝早くどうしたんだい? まだ寝てないとダメだろう」

「……それはレティシアさんもですよね」

 休息は探索者の仕事だ。

 特に大迷宮の探索が探索者に及ぼす負の作用は大きい。小、中迷宮と違い大迷宮は一度探索を始めたら、引き返すことが出来ない。一ヶ月以上も太陽の光から離れると肉体も精神も変調をきたす。

 ランタンの神経は少し過敏になっている。

「外に飛竜が見えたので。あれはドゥアルテさんの飛竜ですか?」

「ああ、あれで起こしてしまったか。それはすまんな」

 ドゥアルテは頷いた。そして気さくにレティシアを指差した。

「一足先にあれで帰らねばならんのだ。()()の所為で仕事が溜まっているから」

「はいはい、ご心配をお掛けして悪うございました。もう、そのことは謝ったでしょう。他の方々の迷惑になる前に、早くお帰りください」

「時すでに遅しだ。決裁書類がいくつか滞っているからな。今頃予算が下りなくててんてこ舞いだろうよ。はっはっはっ」

「笑い事ではありません」

「――ここからはどれぐらいの時間が?」

「そうだな、あれは一等速いやつだが、それでも一昼夜駆けさせて一日半は掛かるだろうな。空の様子次第ではあるが。ランタンは、そう言えば王都には?」

 ランタンはふるふると首を横に振った。王都どころか、この都市から出たことがない。たぶん。おそらく。

「そうか、ならば一度見聞を広めるのもよかろう。エドガーさまも若かりし頃は旅をされていたからな」

「そう、――ですね。暇が出来たら、考えておきます」

「ああ。王都へ来たら本邸に寄りなさい。歓迎しよう」

 騎士の一人がドゥアルテに声を掛けた。

 もう出発の時間を過ぎているらしい。ドゥアルテは本当に時間に追われているようだ。

「ではお父様、お気を付けて」

「籠の中でも仕事だから気を付けるも時間はないさ。空の旅を楽しむ時間も、親子の時間を楽しむ暇もないのだから」

 ドゥアルテはそう呟いて、赤毛の親子はともに笑った。惜別の別れというわけではない。それを噛み締めているようだった。

「レティ、身体を休めたら一度帰ってこい」

「はい」

「宝剣はお前が持って帰ってこい。――なんならランタンも連れてな。ランタン、レティをよろしく頼む。では、またいずれ。――待たせたな、行くぞ」

 ドゥアルテは外套を翻し、騎士を引き連れて小雨の中に出た。

 扉の目の前にまで飛竜を回してきたようで、窓から見たときよりも更に大きな身体が雨に打たれていた。濡れた鱗は苔生した緑のように艶めかしい。

 迷宮内で見たときは恐ろしい姿だと思ったが、開放された場所に姿を晒すと雄大で美しい生き物だと思えた。

 初代ネイリングが嫁に取ったというのも判らないではない。そう思ったのは寝ぼけているからかもしれない。

「竜種って飼えるんですね」

「人の手で卵から孵してやらないと、魔物は人の手には馴れないけれどね」

「そうなんですか?」

「ああ、それも飼育可能な種類でも、そこから更に個体を厳選しなければならない。大変なものだよ。どれほど愛情を注いで育てても、迷宮へ連れ立ったらあっさりと人を襲うしな。迷宮の魔精にやられるようだ」

「でかいなりして、繊細な生き物なんですね」

 ランタンはふっと口元を緩めた。そういう生き物に心当たりがあった。

 飛竜が羽ばたいた。水溜まりが吹き散らされて霧が発生した。尾先の光がきらきらと反射している。

 騎手が見事な手綱捌きで飛竜を安定浮遊させ、ドゥアルテと近衛騎士が腹下に吊された籠に乗り込んだ。籠の扉が閉められると、飛竜は二度三度と大きく翼を打って垂直に高度を上げていく。

「うわ、乗り心地悪そう」

「水平飛行に入ればかなり安定するが、発着はどうしてもな。――いってらっしゃい、お父様」

 レティシアは飛竜が雲間に消えてもしばらく空を眺めていた。

 飛竜はあっという間に高度を上げて、雲の中に入った。おそらく雨雲を突き抜けて、その上にまで出るのだろう。

 その姿を見つめていた二人は、そろって欠伸を漏らした。

 レティシアは眦を擦り、そっとランタンの肩に手を掛ける。歩き出すと、数名のメイドがしずしずと後ろを付いてくる。

「ほら、ランタン。もうしばらく休んでおいで」

「レティシアさんは?」

「もちろん、私も休ませてもらうよ。昨日の今日では、さすがに堪える。これではシュアに怒られてしまうな」

「次はいつ迷宮行こうかって話してたら、そんなこと考えるなって怒鳴られました」

「休むときは戦いのことは考えてはいかんな。それに装備を失ってしまったんだし」

 そう言ったレティシアは、ランタンの僅かな表情の変化に気が付き慰めるように肩を抱き寄せた。リリオンの肉体とは違う、大人の柔らかさに身を抱かれながらランタンはよたよたと歩いた。

 戦鎚を失ったランタンは、尾を失った獣のようだった。

 あれはランタンの肉体の一部であった。思い出すと、誇らしくも哀しくなる。

 レティシアに部屋の前まで送り届けられて、ランタンは眠たそうな欠伸を再び零して別れを告げた。

 ベッドに上り眠るリリオンの隣に身を横たえると、リリオンは眠ったままにランタンの身体に腕を伸ばしてしがみついた。

 リリオンはランタンを自分の身体の中に抱え込んだ。

 抜け出そうと思えば容易く抜け出せる華奢な抱擁から、ランタンは逃れられない。

 ランタンは目を瞑って、リリオンと二人、竜の背に跨がる夢を見た。




 多頭竜の首級は探索者ギルドの前に七日七晩、晒されることになった。

 エドガーは天日干しのためだ、などと嘯いてベリレを煙に巻いていたが、それはどこからどう見たって探索者ギルドの宣伝行為である。

 いくつもの竜頭が絡み合った異形の首級は街の人々だけではなく、探索者も驚くような威容であった。

 果たして己はこれを討伐できるだろうか、と探索者たちは喧々囂々と議論を交わし、街の人々はもしも探索者がいなかったらこのような魔物が街に溢れ出すのだと言うことを再認識させられていた。

 大きな迷宮特区を囲うこの街は、昔から魔物と戦ってきた街であった。だが昨今は特区を囲う周壁が厚みを増し、治安維持局の戦力が増大し、迷宮探索のノウハウが溜まったこともあって、管理区外にまで魔物の侵攻を許すほどの手酷い迷宮崩壊とはとんと無縁であった。

 魔物よりも、質の下がった探索者と戦うことの方が多いぐらいだ。

 そんな折にこれである。このような魔物と戦っているのならば、多少の乱暴は大目に見なければと探索者を見る目が少し変わったようだった。ここは何だかんだで探索者によって支えられている街である。

 探索者ギルド前の広場に、首級を囲むように臨時の市場が出来上がった。首級を見に来る見物客は大勢いて市場は賑わっている。

 褒めそやされて良い気分になった探索者たちはじゃぶじゃぶと金を使って飲み食いし、商人たちはほくほく顔であったらしい。

 らしい、と言うのはランタンがそれらを実際に目にしていないからだった。

 お前が行ったら混乱になる、とエドガーからは釘を刺され、疲労が抜けるまで外出禁止だ、とシュアから言い聞かされた。

 そんなこんなでランタンはネイリング邸に引きこもりっぱなしで、リリオンはランタンと一緒じゃないと嫌だとずっとランタンにくっついて離れなかったのでやはり引きこもりっぱなしだった。

 朝起きては用意された朝食を取り、シュアに毎日体調を管理され、レティシアもリリララも頭の上がらぬらしい白髪の老メイドに読み書きを習い、広大なネイリング邸を探検したり、庭を散歩したり、昼寝をしたり、おやつを食べたりして過ごした。

 エドガーは怪我の治療のために毎日どこかへ出かけていて、ベリレは忠犬よろしくその背中に引っ付いて行った。

 ベリレは帰ってくるとランタンたちに屋台飯を買ってきてくれた。探索前に揚げ鶏を買ってやったことを覚えていたようで、晩飯前に三人でそれを貪り食ってリリララに怒られたりもした。

 そんなリリララは、充分な休息をとれ、と言うシュアの言いつけを破り、メイドとしてもう働いている。なぜならば主であるレティシアがもうすでに毎日を忙しくしているからだ。

 レティシアは、ドゥアルテを見送ったその日の内から来客の対応に追われていた。

 レティシアがネイリング家の筆頭跡取りに躍り出たことが、貴族界隈にはもうすでに噂になっているようである。

 我先にと争うように、朝も早くからひっきりなしに貴族たちの来訪があって、ランタンたちと共に食事を取ることもままならないほどに彼女は忙殺されている。

 貴族は訪ねてくるばかりではなく、レティシアを自らの家に招きもした。断ることの方が少なく、レティシアは精力的にそれらに出席して貴族たちと友誼を結んでいるようだった。

 大変ですね、と労うと、勤めだからな、とつまらなさと疲労を滲ませてレティシアは言った。ランタンも来るか、と問われて断ったら寂しそうな顔をされた。

 だが、どうやら一通りの貴族と、顔合わせは済ませたようだった。

 一時レティシアが使う執務室の前には、うんざりするような数の貴族が列を成していた。大迷宮攻略の祝いと称して、山ほどの土産がレティシアの前に積み上げられた。

 それはいわゆる袖の下と呼ばれる貢ぎ物である。

 今はまだネイリング公爵家令嬢でしかないレティシアだが、彼らの目にはいずれの公爵閣下として映っているようであるし、若い男たちの目中にはレティシアに見初められようと着飾った者たちも多く見受けられた。

 玩具のような勲章を胸にじゃらじゃらとつけていたり、きんきらきんの剣を腰に帯びていたり、噎せ返りそうなほどの香水をぷんぷんと漂わせていた。

 彼らは良く言えば自信家で、悪く言えば傲慢だった。

 人の上に立つことが当然というような立ち振る舞いをランタンは好きになれず、彼らの通った跡の残り香を嗅ぐだけでくしゃみが出るので、彼らがいる間はあまり出歩かなくなった。それもランタンを引きこもらせる要因の一つだ。

 雨上がりの広々とした庭をリリオンと散歩していたら、そこにも邪魔が湧いた。

 身なりとしては騎士だろう。だがネイリング騎士団のものではない。

「ここから先は立入禁止だ」

 よく鍛えられた身体をしていて、騎士鎧が窮屈そうだった。腰に手を当てて気怠げな感じてランタンたちを一瞥して、唾を吐くように素っ気なく言い放った。

「なぜ?」

 ランタンが聞き返すと苛立ちに目を細めた。威嚇のための剣気が吹き荒れて、剣呑な気配を感じて木陰から鳥が飛び去っていった。枝がしなり、葉を濡らす雨粒がばらばらと零れて音を立てる。

 ランタンも、リリオンも平然としている。

「――お前、小姓じゃないのか?」

「聞いたのは僕なのですけど」

 ランタンの小生意気さに、騎士が目をぱちくりとさせた。

 例えばリリオンは、大迷宮の探索を経て一皮剥けた。騎士の剣気を浴びてけろりとしている様子は女武官のような頼もしさがある。ランタンの背に佇んで注意深く騎士を観察する様子に、違和感は一つもない。

 だがランタンは大人しくしていると、相も変わらず探索者には見えない。その姿はどこからどう見ても小姓のそれであるし、だが剣気をまったく恐れない姿は小姓からかけ離れているし、不貞不貞しいほどの生意気さは貴族にも思えなくはない。

 だが何一つとして確信に至らせない独特の雰囲気が、騎士を戸惑わせていた。

「ああ、ええっと、すんません。どこかのお坊ちゃんでしょうか?」

「――なぜ、立入禁止かと聞いているのですけれど。聞こえませんでした?」

 ランタンが言い含めると、騎士はバツが悪そうに頭を掻いた。

 粗野な振る舞いは昔から躾けられた騎士のそれではない。かといって探索者とは違うとランタンの勘が告げている。戦働きが認められて取り立てられた傭兵騎士だろうか。

「俺の主が、そう命令したからだ、です」

「ネイリング家の人ではないですよね」

「まあ、そうだな、です」

「その馬鹿みたいな敬語は止めてください」

「馬鹿って、おい……」

「では何の権限があって、そのような命令を下されたのでしょうか?」

 もっともな疑問だった。ランタンの問い掛けに、騎士は苦笑を禁じ得ない。

「ちょっと待ってくれ。一つ答えたんだからそっちも一つ答えてくれ。おたくらは誰なんだ? 貴族の坊ちゃんじゃねえようだが、どこの坊ちゃんだよ」

「この家のお世話になっている探索者です」

 なんとなしにはぐらしたランタンだが、騎士の男は合点がいったようだった。

「探索者! ならてめえがランタンで、そっちの女がリリオンか! へえ、噂通りにちっこいし、噂通りに美人だ!」

 褒められたリリオンは少し照れて、事実を言われたランタンは少しむくれた。

「ああ、そうか。いや、そうだよなあ。俺も見に行ったぜ多頭竜! ありゃすげえよ、俺も闘技場で魔物とは幾つも戦ったけどよ。あんなでけえのは闘技場に入らねえもんな」

「闘技場?」

「昔、剣闘士だったんだ。それなりに名の知れた剣闘士だったんだぜ。太刀風のタイラーって知らん? ……ああ、知らない。ああ、そう。今のご主人に拾われてまだ二年ぐらいしか経ってないんだけどな、まあ、いいか。――いや、しかし探索者も大変な仕事だねえ。俺らはちっぽけな魔物と戦ったってきゃあきゃあ言ってもらえるけどよ、あんたらは誰も見てねえ所であんなんとやんだろ」

 やだやだ、と首を竦めた騎士タイラーは、それでも驚きを失っていなかった。

 ランタンとリリオンを無遠慮にじろじろと眺め回し、へえ、はあ、と妙な声を上げている。

「あんま強そうには見えないけど、ほんとに強いんか?」

 その疑問は戦う者の(さが)なのだろう。ランタンは肩を竦める。

「見た目通りですよ。――それで、さっきの続き。なんで通ったらダメなの?」

「主はネイリング家のご令嬢にお熱でね。今、口説いてんのよ。その邪魔が入らないようにって」

 レティシアの来客は少なくなったが、この手合いは一度顔を合わせただけでは満足せず、迷惑を考えずに何度も訪れた。レティシアが優しいので勘違いをするのだろうし、その美貌の虜となっているのだろう。

「ふうん……無駄な努力を」

 ランタンが思わず呟く。するとタイラーは肩を揺らして苦笑を噛み殺した。

「言ってやるなよ。――まあ、お嬢様も迷惑がってたけどもよ。美人ってのは大変だね」

「じゃあ、助けに行かないと!」

「あ、いや、邪魔すんなって」

 リリオンがふいに声を上げる。リリオンの見かけを裏切る無邪気な響きに、タイラーが眉間に皺を寄せた。

「そんなの知らないわ。レティシアさんが迷惑しているなら、やめさせるべきよ」

「――もっともなご意見だ。だが、それをされると俺が迷惑する」

「それこそ知らないわ。だってわたしあなたのことよりレティシアさんの方が大切だもの」

 リリオンの優先順位ははっきりしていた。切り捨てるようにリリオンが言うと、タイラーはぐっと呻いて言葉を失った。無邪気さは、時に冷徹ですらある。

 ランタンはそんなリリオンを宥めて、忠実な騎士に僅かながら同情した。

「探索者より、あなたのお仕事の方が大変そうだ」

「かもな。安定職かと思ったけどよ、ボンボンの相手は面倒だわ」

「だけど、リリオンの言う通り知ったことじゃない。僕らは噴水の側でおやつ食べないといけないんだから」

 シュアから療養のため日光浴を義務づけられているのだが、ここ数日どうにも天気が不安定で今も雨上がりの青空である。貴重な晴天をどこの誰とも知らない貴族のために無駄に浪費する必要はない。

「――困ったな。……と思ったけど困ってなかったわ。主様、早えよ。流石に同情するぜ」

 レティシアがドレスの裾を露草に濡らしながら憤然とした足取りでこちらへ向かってきていた。その後ろから着飾った優男が何やら言い訳をしながら、レティシアを追いすがっている。

 どうやらタイラーの主は、早々にレティシアに振られたらしい。

「アンソニーさま、ご用はお済みで?」

 タイラーが声を掛けると、アンソニーと呼ばれた貴族は憎々しく護衛騎士を睨み付けた。色の薄い金髪を肩ぐらいにまで伸ばしていて、細かな癖の浮き出る毛先が躍動的に波打っている。男のくせにコテを当てているようだ。

 レティシアがランタンたちに気が付いて、ぱっと表情を和らげる。

「おや、二人ともどうしたんだ?」

「いい天気ですし、日光浴がてら外でおやつでも食べようかと、中庭に行こうと思ってたんですけど。何か立て込んでたみたいだからどうしようかなって。でも、それも済んだみたいだし、よかったら一緒にどうですか?」

 リリオンが下げていたバスケットを掲げてにっこりと笑うと、レティシアも白い歯を零した。

「ああ、それはいいな」

「――おい、なんだ貴様ら、レティシアさまに対してその口の利き方は!」

「アンソニー殿、彼らは私の友であり仲間だ。あなたの口出しは不要。先程もそう申し上げたはずだが」

 歯が牙になったような鋭い言葉だった。

 それを向けられたアンソニーは一瞬、怯んだが、しかしへこたれることはなかった。タイラーが天を仰いでいる。

「仲間……? ああ、それが件の探索者ですか。どんなものかと思えば子供じゃないですか。レティシアさま、あなたはきっと何か思い違いをしておられるのだ。こんな子供が私よりも強いはずがないではありませんか。私はこう見えても騎士爵を持っているんですよ。ええ、判っております、判っておりますとも。金とコネで爵位を得る輩がいることは。ですがこれは実力で頂いたものですよ」

 アンソニーは見せびらかすようにぶら下げた勲章を、ことさら見せびらかすように胸を張った。職業戦士であるタイラーには劣るが、それなりに鍛えてはいるようだ。とは言え貴族の嗜みから逸脱するほどではない。

 タイラーからは血の臭いがするが、アンソニーからはしない。

 レティシアがうんざりしたように溜め息を溢すと、アンソニーはきっとランタンを睨み付けた。八つ当たりも甚だしい。

「信じていただけないようでしたら、今ここで証明してみせましょう! そういうわけだ、私と勝負したまえ」

「いやです」

「何故だ!」

「めんどうだから」

 ランタンはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 アンソニーはすでに間合いの内である。頸椎をねじ切るのに一秒と掛からないだろう。だがねじ切ってしまえば大問題になるし、適当にあしらってやっても面倒なことになりそうな気がした。あえて負けてやるという気は全くない。

「探索者風情が、馬鹿にしているのか!」

「レティシアさんも探索者だよ」

「ええい、減らず口を! 子供だからといって大目に見てやるのもここまでだ――!!」

 柄に手を掛けて今にも剣を抜こうとしたアンソニーを留めたのはタイラーだった。

 レティシアも流石に眉を顰めてアンソニーに何かを言おうとしたがタイラーは絶妙なタイミングで、まあまあまあ、と演技がかった仕草で声を張り上げる。闘技場仕込みの立ち振る舞いか、やけに堂に入っている。

「落ち着いてください。アンソニーさまに何かあっちゃ、俺が大旦那に叱られるし、俺がいるのに雇い主を戦わせちまったら面目が立たねえ。なあ、ランタン――俺とやろうや」

 自信満々といった様子で、にっと歯を剥いてタイラーは笑った。

「……構いませんよ、それなら」

 このあたりが落としどころだろう。ランタンが頷くと、タイラーは下手くそなウィンクを寄越してきた。ランタンは苦笑し、上手なウインクをレティシアに向けた。すると眉を顰めたレティシアの脂が下がり、リリオンが羨ましそうに唇を尖らせた。

「お前丸腰だろ? じゃあ装備を用意しねえと」

「要りませんよ」

「ああ?」

「これって殺しはなしですよね」

「当たり前だろ」

「じゃあ、やっぱり要らないです。お遊びですから」

 ランタンの言葉にタイラーも流石に苛立ちを覚えたようだった。額に青筋が浮かんで、唇の端がぴくぴくと引き攣っている。

「そちらはお好きにどうぞ。なんなら防具を買い足しに行っても構いませんよ」

「俺も素手でやろうかと思ったが、もうやめだ。殺しはしねえが、寸止めもしねえからな」

 タイラーは剣を抜いて、低い声で唸った。反りのない片手用の直剣。剣闘士時代は太刀風のタイラーと呼ばれているのだったか。ならばその腕前は風が唸るほどの剛剣か、それとも風を切るほどの柔剣か。

 ランタンは腰の後ろに隠していた短剣をリリオンに渡して、下がらせた。その光景にタイラーが目を見張った。ランタンがそれを気が付かせなかったのだ。

「丸腰じゃねえじゃん、くそ。騙された」

「もう持ってないから、安心して良いですよ。本当に。ではレティシアさん、合図を」

 ランタンは首を鳴らした。迷宮内で意識を取り戻してから柔軟体操ぐらいはしていたが、しっかりと動くのは本当に久し振りだ。ぐるぐると腕を回したかと思うと、寝起きのように目一杯に背伸びをした。

 血の巡りが指先にまで。

 ぴりぴりと痺れる感覚が心地良い。

 うん、悪くない。

「――始めっ!」

 レティシアが合図をした瞬間、タイラーがその場から後ろに跳んでランタンから大きく距離を取った。鋒をランタンの眉間に向けるように右半身の構え。一合も打ち合わず、タイラーは渋面に脂汗を一筋垂らした。

 姿は変わらずとも、大迷宮を越え、ランタンは生まれ変わったのかもしれない。

 炎に包まれて、肉体は燃え尽き、再び生まれた。

 それが事実か、それともそう感じただけかは判らない。

「見た目と、全然違えじゃねえか」

 タイラーは呻き、ランタンは笑った。

 剣闘士として観客を満足させるように戦ってきたのだろうタイラーには華やかな雰囲気があった。

 だが戦いを前に一変したランタンのそれは比べるべくもない、圧倒的なものだった。

 余裕綽々にランタンが指先で手招くとタイラーは腹を決めたようだ。

 粘着く唾液を飲み込む音がはっきりと聞こえる。

「――し」

 滑るような足運び。芝生が一直線に切り取られ、二人の距離が失せる。太刀風さえも遅れて吹き荒れる平突きがランタンに向かった。ランタンが身を動かすと、柔らかな手首の動きで追従してくる。まるで鋒と眉間が紐で結ばれているように。

 剛柔一体の剣は、なるほど闘技場で、己と相手の血で鍛え上げられたものだろう。

 寸止めなしが嘘ではないなら、殺しの方は嘘っぱちだ。

 これを喰らえば脳みそがなくなる。

 タイラーの主であるアンソニーの顔色が変わった。自分で語った実力の半分ぐらいはあるのだろうか。二人の攻防を目で追う事ができている。

 ネイリング家の庭で、自らの騎士が殺生をする愚に血の気が引く。

 だが止める間もなく、鋒が眉間へと吸い込まれていく。

「しゃおらっ!」

 タイラーの気合いが切らせたのは、しかしランタンの前髪数本。

 額を太刀風が撫でていくのを感じながら、ランタンはタイラーの懐に踏み込んだ。騎士に背を向けるように左半身。左足を、大きく一歩前に出されたタイラーの右足の内に掛ける。

 そして三人の観客に見得を切るように、ゆらりと首を巡らせた。

 アンソニーの顔色は白く、レティシアは目を見張り、リリオンは頬を赤らめている。

 足の裏に根が張るようだ。地にある力を吸い上げるように、今まで感じたことのない勢いが足元から駆け上がった。

 御せ。

 でなければ殺してしまう。

 ランタンは力を抜くように、ひゅるりと息を吐いた。

 天を衝き上げるほどの力の奔流を、身体の捻りに巻き込んでいく。

 ほっそりとした脹ら脛から、柔らかい太股へ。力の余波に裾が飜って、臍が覗く。

 男女の区別のない柔らかい腰つきが独楽のような鋭さで半回転し、振り返ったランタンは右の掌打をタイラーの胸元に叩き込んだ。

 胸甲が爆ぜた。誰の目にもそう見えた。心臓が破裂した。タイラーさえもがそう思った。

 タイラーは後頭部から転倒し、地面に叩き付けられる。顔面蒼白で、呆気に取られたようにぽかんと口を開けて、犬のような激しい呼吸を繰り返している。

「はっ、はっ、はっ――、俺、生きてる?」

 胸甲はランタンの小さな手の形に陥没していた。だがそれだけだった。

 ランタンはそんなタイラーに頷きを一つ、金属を殴打したためではない、右手の不思議な疼きを払う。遊ぶにしたって玩具がほしい。空の手を振り回したって楽しくない。

 ランタンは三人を振り返り、アンソニーへつまらなそうな視線を送った。

「僕よりも強いって?」

 ランタンは生意気に肩を竦める。

「冗談は止してよ」

 文句は出ない。


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