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カボチャ頭のランタン  作者: mm
05.Sunrise
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 何の問題も起こすことなく貴族アンソニーにはお引き取りいただいて、ランタンたちは中庭にある噴水、その風上に用意された敷物、ござとは到底呼べぬ豪華な絨毯に腰を落ち着けた。

 迷宮の地面に敷く時は毛布で代用するそれも、ネイリング家の中庭ともなれば何やら精緻な刺繍の施されたものになる。屋内で使うことも躊躇われるような絨毯をリリララは躊躇なく、露に濡れる芝生の上に広げて待っていた。

 中庭から飛竜の着陸跡はすっかりと失われている。絶え間なく噴き上げ続ける噴水の水気に暑気が和らいで、緑が濃く香った。

 リリララがどこからか先のやり取りを観察していたらしい。そして事の結末を見ない内におやつの準備を済ませてくれたようだった。

 リリララの本職はレティシアのメイド兼護衛である。二人の関係が対等なのは迷宮の中だけだった。

 そして客人である二人との関係も。

 リリララは絨毯の脇に立って気配を消している。

 余所余所しさすら感じさせるメイドとしての振る舞いにリリオンは寂しげな表情を隠さなかったが、レティシアは平然と彼女を一個のメイドとして使用していた。

 二人の関係はもう何年にもなる。主従の線引きの大切さをレティシアは理解していたし、それこそがリリララのためでもあった。

 ネイリング家に仕える使用人たちはきちんと教育が成されている。

 だがそれでも貧民の出である、そして暗殺者として差し向けられた過去を持つリリララに対する風当たりは強い。

 本来、レティシアの世話係ともなればそれなりの貴族の娘が宛がわれても不思議ではない大役だ。使用人の中にも上級職、下級職の線引きがあり、下級のメイドなどはおいそれとレティシアに近付くことすら出来ず、いつかはそのお側に、などと夢見て職務に励んでいる。

 貴族令嬢への単純な憧れだけではなく、給金の面から見ても憧れの的だ。

 そんな誰もが夢見る場所にリリララはヴィクトルの鶴の一声で収まってしまった。

 童話のような都合のいい話は寝物語するにはちょうどいいが、現実に目の前で起これば妬ましい。レティシアに付き従うリリララに向けて、冷ややかな視線を向けられるのをランタンは見たことがある。

 そんな中でリリララはよくやっている。

 人目のあるような場所ではほとんど隙を見せることがなかったし、上流階級の暮らしに慣れていないランタンの目から見てもリリララの所作は他の使用人と遜色がないほど滑らかだ。

 身体の使い方の上手さはおそらく暗殺者として育てられたことも関係しているのだろうし、その当時彼女が施された教育と比べれば必要な所作を覚えることぐらいは容易いのだろう。

 もしリリララが不器用だったらまた何かが違っていたのかもしれない。独りでもできてしまうからこそリリララは使用人の中で孤立したのかもしれない。

 リリララの耳は、聞きたくもない陰口を聞かざるを得ない。

 向こうっ気の強い彼女が反発することよりも受け流すことを学んだのはいつだろうか。自らの粗野な振る舞いが、レティシアやヴィクトルの外聞にも影響を及ぼすことをリリララはよく判っていた。

 リリララは冷たい紅茶を三人に用意して、風景の一部に溶け込むように静かに佇んでいる。

「まあ、悪い人ではないんだ。彼は彼で、それを良かれと思ってやっているからね。ちょっと考えが足らなくて独善的なきらいはあるけれど、悪を悪と知って権力を振るうよりはましなんじゃないかな」

 おやつは調理場を覗き込んだ時に持たせてもらったバゲットだった。レティシアたちに出すわけにはいかない、少し古くなったパンに焼き目をつけて野菜や炒り卵、肉の切れ端をこれでもかと挟んだものだ。料理人たちはそれがレティシアの口に入るなどとは露知らず、レティシアもレティシアで賄い飯とも知らぬままに舌鼓を打っている。

 加工肉の切れ端は、なんとなく味付けが濃い感じがして美味しいのだ。

「初めてお会いした時のレティシアさんは、後者でしたよね」

「う、それを言われるのは辛いな……」

「覚悟を決めてるってのは、それはそれで良いことですよ」

 パンにはバターとカラシが塗ってある。リリオンがカラシの厚いところを囓ったらしく目を白黒させながら、懸命に口を閉じて咳き込んでいた。決して吐き出すまい、という覚悟を決めたようで両手で口を塞いで眦に涙を溜めながら咀嚼している様子は可愛らしい。

 リリララがすっとリリオンのカップに紅茶を注いだ。

「それにしてもずいぶん回復したようだな」

「レティシアさんと違って毎日だらだらしていますからね。回復しない方がおかしいですよ」

 ランタンはバターの付いた指を舐めた。

 タイラーに叩き込んだ右手。掌の下の方に衝撃の残滓がある。だがそんなものは大した問題ではない。足元から吸い上げた力の感覚が腰のあたりで燻っていて、これが厄介だった。

「そろそろ身体を動かし始めないと弱くなっちゃう」

 ランタンはむずむずと身体を揺すった。今まで大人しく過ごしていた。

 ランタンやリリオンは概ねネイリング家に歓待されていたが、それでも悪意と呼ぶほどではない嫉妬心を向けられることがあった。レティシアが戻ったこと、宝剣万物流転が戻ったこと。その功は大変なものだが、全ては迷宮の中で行われた。

 エドガーやドゥアルテに、英雄の素質があると言われても、それは見る人が見れば判る程度のものでしかないのだ。

 騎士団の一部はレティシアの護衛も兼ねて残留していて、彼らからするとランタンもリリオンもよそ者だった。そしてエドガーの肉体が失われたのはランタンたちのせいかもしれず、ヴィクトルの敵討ちを横取りした馬の骨であり、我らが姫君の寵愛を受ける小僧であった。

 彼らの持つ嫉妬心が、理性と感情の交錯でしかないことは誰もが理解していたが、理解しても止めることができるものではなかった。

 英雄か、とランタンは声に出さず呟く。

「――んっ、うっん。はあ、苦しかった」

 リリオンが紅茶を一気飲みして、豪快な仕草で唇を拭う。空になったカップに再び紅茶が注がれた。

「あ、ありがとうリリララさん」

 リリララはにこりと微笑んで、それだけだった。

「わたしも身体動かしたいな。ねえねえ」

「食べてすぐだと消化に悪いよ」

「じゃあちょっと休んでからね」

 リリオンはそう言ってランタンの太股の上に頭を預けて横たわった。

 そんなリリオンの様子にレティシアは微笑ましいものを見たとでも言うように笑っていて、ランタンは陽射しの暑さに負けぬ熱を持ったリリオンの頭に苦笑を禁じ得ない。

「なら私とも一戦頼むよ」

「そんなひらひらしたドレスでですか?」

「貴族にとってはドレスも戦装束みたいなものさ」

「お転婆ですね」

「まあな。着れなくなったらみっともないから、食べたら動かなければいかんのだ」

 ランタンはお転婆筆頭のリリオンを撫でてやりながら笑った。

 リリオンの髪をぐしゃぐしゃに掻き混ぜて、変な髪型にしてやるとリリオンはばっと跳ね起きて頬を膨らませながら髪を整える。

 何でそういうことするの、と淡褐色の瞳が訴えかけてきた。

「ごめん、ごめん。ほら、もうしないから」

 ランタンはおびき寄せるように膝を叩いたが、リリオンは警戒心もたっぷりにただランタンに寄り添うだけに留めた。留めようとしたが引き寄せられるように近づきランタンの首筋に鼻先を擦り、すんすんと鼻を鳴らした。

 そうされるのは久し振りのような気がする。

「お日様の匂いがするわ」

「……干した布団の匂いじゃないだろうね」

 ランタンはリリオンの鼻を人差し指で突くように押し返し、鼻息の触れた首筋を恥ずかしげに撫でた。

「違う。お布団の匂いじゃなくて、お日様の匂い」

 リリオンは鼻先を赤くしながら真面目くさった様子で言った。ランタンは空を見上げる。

 青々とした空には塊の雲が幾つも浮かんでいて、時折陽光を遮るように風に流されている。雲に隠された太陽は、けれどその強い陽射しで雲の陰影をはっきりと浮かび上がらせる。そして姿を現すと容赦なく照りつけて、ランタンは真白い光に目を瞑った。

「……青臭いってこと?」

「それは芝生の匂いよ」

 芝生を濡らす滴が蒸発して、青々とした草の匂いを孕んだ大気が鼻腔を擽る。

「よくわからないけど、よしっ。食休み終了、腹ごなしの運動するよ。リリララさんも混じりますか?」

 ランタンは陽光に向けて背を伸ばし、リリララに視線を向けた。

「まさかあたしがお嬢様に剣を向けるなんて恐れ多い。ですがお手伝いはさせていただきます」

 リリララはメイドスカートを丁寧に織り込みながら淑女然として腰を屈め、一度指先に口付けをして芝生に触れた。

 垂れた兎の耳がぴんと立ち上がり、リリララは土中から三振りの剣を引き抜いた。土中深くに散在する鉱石に干渉してそれらを引き寄せ、剣を生み出したのだ。

「ではランタンさまはこちらを」

 土の冷たさがそのまま残る鉄剣は刃を作っていない。長さは戦鎚と同じぐらいだが、鎚がない分だけ頼りないほどに軽く思えた。

「なんか僕のだけ短くないですか?」

「身長比でございます」

「その話し方止めでもらえません?」

「――馬鹿みたいな敬語、のように聞こえてしまいますか?」

 どこから聞いていたんだ、とランタンが驚くとリリララは笑った。

 リリララは斜視の瞳をぱちりと閉じて、小さく囁く。

「この勝負に勝てたら考えてやんよ」

 ランタンがはっとして振りかえると、レティシアとリリオンが二人揃って剣の振りを確かめていた。

 そして交代交代に耳を寄せて何かひそひそ話をしている。

「うん、……うん、わかった。その作戦で行こう」

「じゃあランタンっ、行くわよっ! 覚悟してね」

「二対一なの? まあ、別に、軽く捻ってやるけど」

 ランタンは内心の驚きを巧妙に隠して、くるくると手を回し、短く息を吐くと芝生を薙いだ。

「三対一ですよ。お嬢様に剣を向けることはできませんが、言ったでしょうお手伝いさせていただく、ってなっ!」

 メイドの仮面をかなぐり捨てたリリララが不意打ちに足を踏み鳴らすと、ランタンの足元が隆起をみせた。

 後ろに跳べば着地を狙ってリリオンが突っ込んできて、鍔迫り合いになればレティシアの横やりとリリララの追撃が入るだろう。

 ランタンは左足を後ろに引き、隆起の先端が鋭さを生み出すよりも早く、振り子のような一撃で魔道の初動を斬り払った。

「……エドガーさまみたいなことしやがって」

 こんな物はただの真似事だ。

 呆気に取られたリリオンとレティシアが目を丸くして、リリララが悔しそうに腕まくりをした。腕に鉄輪を嵌めていて、それが二振りの刃物へと姿を変える。

 ランタンはタイラーとの戦いを思い出す。力を吸い上げる感覚と、それの手綱を握る感覚を。

「さて、玩具も手に入ったことだし」

 三対一の戦闘は四人が泥だらけになって、中庭の惨状を目にした白髪の老メイドに一喝されるまで続いた。

 ――しかしそれにしても、まさか魔道を使うとは。

 ランタンは読み書きの教育係と言うだけで苦手意識のある老メイドに戦慄を禁じ得なかった。

 英雄にはほど遠い。




「勝敗の付け方決めてないんだから、勝ちも負けもないよ。まさか殺すわけにはいかないし」

「当たり前だろ。レティシアさまに怪我をさせたら許さないぞ」

「……三対一だよ? 僕の心配をしてよ」

「ランタンの何を心配するんだよ」

 夏の陽射しと女たちの容赦ない攻撃に晒されて汗と泥に塗れたランタンは、エドガーの付き添いから帰ってきた汗だくのベリレと一緒に風呂に入った。

 そして着替えの最中である。

「風呂に入っただけでまたデカくなってない? 水を吸って膨らむ不定形生物かなんかか? 魔道ギルドで改造とかされてないよね?」

「う――、く、――うるさい」

「ああもう、見てるこっちの首が絞まる」

 ベリレは太い指を窮屈そうに動かして、シャツのボタンを留めるのに一苦労していた。不定形生物に改造はされていないようだ。何せ奴らときたら太いも細いも厚いも薄いも、質量の許す限りその形は自由自在である。

 ベリレはボタンをどうにかこうにか留めて、だがベリレの苦労をランタンは問答無用に外した。それも二つも。

「ああ、何すんだよ」

 ベリレは顔の彫りも深いし体格もいいのでシンプルな白の開襟シャツがよく似合う。だが腕の太さに袖はぱんぱんで、背中の厚みに肩がぱつぱつだ。ボタンを二つも外してちょうどいいのだが、胸筋の盛り上がりを見せつけるような着こなしをベリレは恥ずかしがっているようだった。鏡を見ながら困ったように頭を掻いている。

「変じゃないか?」

「その方が自然だよ。けど、そもそもとして少し小さいな。――それでおじいさまの腕の様子はどうだったのさ」

「俺は見てるだけだからよく判らないけど、なんかいい感じだ」

「再生でもするの?」

「エドガーさまの腕を、蜥蜴の尻尾と一緒にするなよ」

「してないって」

 エドガーは目と腕の治療のために探索者ギルドや魔道ギルドに顔を出している。腕は相変わらず包帯が巻かれているのでどのように治療されているのかは不明だが、無駄に得意げな顔のベリレを見るに何かしらの特別な処置をしているのだと思われる。

 今日は魔道ギルドに泊まり込みで帰ってこない。

「動けるようになったら相手してもらおうかなあ。三人相手に全力出すわけにはいかないし」

「っじゃあ!」

 用意されたズボンに足を通すランタンをベリレは鏡越しに見た。

 ベリレは期待に胸を膨らませていてにこにこしている。リリオンと同じでベリレは無邪気に笑う。そうすると大人びた姿が幼く見える。

「俺の相手もしてくれっ」

「四対一か?」

「一対一でだっ!」

「でも、その前に装備だな」

 リリララの鉄剣はぱきぽきに折れてしまって、ランタンは途中から徒手格闘を強いられた。それで引き分けに持ち込めたのはおそらく手加減をしてもらったからだろう。

 ランタンが素っ気なさを多分に含ませながら呟くと、ベリレの熊耳がしょんぼりと萎れた。ランタンは悪魔のようにけらけらと笑って、ズボンを履いた己を鏡に映した。笑みが凍る。

「このズボン……」

「――着替え、もう終わったかしら?」

 扉の外から声が掛けられて、答える間もなく扉が開けられてしまった。男の着替えなのだから遠慮も要らなければ恥じらいも必要がない。

 それでもランタンもベリレも揃って微妙な顔つきで扉を開けた人物を見た。

 商工ギルド職員にして、名工グラン・グランの娘であるエーリカ・グランがにこにこと微笑みながら二人の姿を見て両手を叩いた。

「ほら、出ていらっしゃい。二人ともよく似合っていますよ。でもベリレさまのは少し小さかったかしら?」

「いえ、はい、いえ、大丈夫です!」

 ベリレは直立不動の姿勢を取って、鬼教官に相対するかのような堅苦しさでエーリカと向き合った。

 レティシアの来客は貴族ばかりではない。

 教会関係者が寄進を募りに訪れ、御用商人たちが挨拶に訪れ、門前には乞食たちが集まったりもする。貴族はその格が高くなればなるほどに人を寄せる。

 無意識に、そして意識的に。

 泥だらけになった服を着替えるために、レティシアはわざわざエーリカを呼びつけたのだ。

 ランタンとリリオンは探索の装備以外の私服をほとんど所有していない。探索用の衣類も大迷宮の探索ですっかり草臥れてしまい、一番気に入っていたものは燃え尽きてしまった。

 ランタンとリリオンはネイリング邸に身を寄せて衣食住の全てをレティシアに頼りきっていた。

 そんなランタンたちのためにエーリカは山どの衣装ケースを持って大張り切りで飛んできたようだった。

 商工ギルドとしてネイリング家との繋がりが強くなることは喜ばしいどころの話ではない。商業ギルドの地盤を切り取り、御用商人として食い込むチャンスである。

 ランタンは取り敢えずベリレの尻を蹴っ飛ばしてレティシアの私室に備えられた衣装部屋から出た。

「おー、結構似合ってんじゃん」

 背もたれを胸に抱くように、がばっと股を割って椅子に座るリリララが無感動に手を叩いた。メイド服なので下着が見えるようなことはない。だがはしたない姿であり、メイドの振る舞いではない。

 レティシアの私室はリリララを監視する目がなく、リリララが気を抜くことのできる数少ない場所だった。

 天井には数多の竜種が空を飛んでいる。戯画化されて描かれた竜種はどことなくユーモラスで、それはまさしく子供部屋のそれだった。子供が一人でも怖がらぬようにと、天井で見守っている竜種たちは多少のはしたなさなどは見逃してくれる。

「お、いいじゃないか。涼しげで」

「……よかないですよ。どう見ても」

 絶対に似合うから、とランタンに用意されたそれは迷宮でのリリララを思わせる丈の短いズボンだった。下着かと思うほどに短く、まったく隠されていない太股を心許なげに撫でながらランタンは呟き、優雅に微笑むレティシアを睨んだ。

 いくらなんでも子供っぽすぎやしないか。だがランタンは自分の童顔を思い出し、隣のベリレと自分を比べてうんざりした。童顔だけの所為ではない。比べるために見上げなければならない屈辱を今さらながらに思いだした。

 ベリレはエーリカに服の襟を立ててもらっていて、何やらどぎまぎしている。

 夏の装いをしたエーリカの胸元は今日も白く、柔らかそうだ。

 そしてランタンの脹ら脛はそれに負けず劣らず白く、柔らかそうだった。産毛すら生えない滑らかな足は幼さと、探索者らしい鋭さを併せ持っている。

「痛えっ!」

 そこから繰り出される蹴りはベリレを跳び上がらせるほどだ。

「なんだよ!」

「なんでもない」

「うふふ、相変わらず仲良しね。そんなにお気に召しませんか、そのお召し物?」

「ません。――だっていやらしい目で見てくる人がいるから」

 ランタンが優雅に紅茶を嗜むレティシアに視線を向けると、レティシアはあからさまに視線を逸らした。

 探索前、リリララと二人でランタンの部屋を訪れたレティシアの視線を思い出した。

「リリララさんの探索装備も実はレティシアさんの趣味とか?」

 ランタンは意地悪く表情を歪めて、ベリレの尻を蹴っ飛ばした足をゆらりと持ち上げた。ランタンの素足は、歩き詰めの探索者にはあるまじき軟弱な足である。角質もなければ胼胝も魚の目も水虫もない。

 レティシアは視線をそらし、けれどちらりちらりと緑の虹彩が揺れる。

「なんなら触りますか? お仕事を頑張ったご褒美ですよ。ほらほら、早い者勝ちですよ」

 心なく言い放つと、どかんと音を立てて寝室へと通じる扉が開かれた。

「わたしのよ!」

「――僕の足を勝手に自分のものにしないでくれる?」

 勢いよく開け放たれた扉と、飛び込んできた声とは裏腹にリリオンが遠慮がちに顔を覗かせた。

「どうした? 一人で着られなかった?」

「ううん、大丈夫」

「じゃあ出ておいでよ」

 ランタンは自らの素足を餌に使い、もじもじしているリリオンをおびき寄せようとした。ランタンによってぐしゃぐしゃにされ、さらには泥だらけになった髪をリリオンは綺麗にハーフアップに纏めていて、鼻から上だけをランタンたちに見せている。まるで扉枠に齧り付いて、勿体ぶっている。

 いや、恥ずかしがっているのか。

「いいから出てこい」

 ランタンが強く言うとようやく姿を現した。

 リリオンはサマードレスに身を包んでいた。袖がなくて、あと少しで谷間のできそうな胸元は隠しているけれど鎖骨は丸見えで、背中は尾骨の近くまで大胆に開いていて、首の後ろでストラップを形良く結んでいる。

「わたし、変じゃない?」

 リリオンは不安げに尋ねた。

「夏らしくて良いよ。色が白いから薄い色の服も似合って羨ましいな」

「似合ってる、似合ってる。変な所なんてねーよ。でも、ちょっと太ったか?」

「これで、太った? あらまあ、リリオンさまは腰が細くて羨ましいわ」

 女たちはリリオンをちやほやと褒めている。

 けれどリリオンは未だに不安そうでちらちらとランタンに視線を向けた。

 ランタンは黙っている。ベリレも黙っている。

 二人ともリリオンを見ていて、先にリリオンから視線を切ったのはランタンだった。

「てえい!」

 ランタンは妙な気合いを発し、ベリレの膝に下段蹴りを叩き込んだ。

 不意打ちされたベリレが体勢を崩し、ランタンは抵抗を許さぬ滑らかさで首を絞めるとそのまま投げ飛ばした。百キロを超える巨体がくるんと宙を舞って、ふかふかの絨毯の上に大きな音を立てて転がった。

「なにすんだよ!」

「お前は見るな」

「なん――」

 ランタンは言い、ベリレの抗議を無視して蠍固めで押さえ込む。

「――痛い痛い痛いっ!」

「リリオン、とても似合ってる。でも」

「でも?」

「……背中、開きすぎだと思う」

「ランタンも、足丸出しよ。お揃いね」

「男と女じゃ、意味が違うの。――エーリカさん、あの子に一番似合う羽織り物を。っていうかもっとも露出の少ない服にして! ……リリオンがそれでいいなら、まあいいかもしれないけど」

 着飾ったリリオンを見るのは丸裸のリリオンを見るよりも妙に恥ずかしく、自分以外の異性の視線にそれが触れたことにランタンは動揺した。ベリレへのこれは照れ隠しの八つ当たりに過ぎないが、我慢することもできない。

 リリオンは綺麗だ。並の男なら並べないぐらい、綺麗だとランタンは思う。

「わたしの背中、変だった?」

 ランタンは慌てて首を振った。

 それは僕のだ、とリリオンがランタンの足に向けたような啖呵を切ることはできなかった。

 普通の少年みたいにただ恥ずかしがって、ふて腐れるように視線を逸らして、不安そうなリリオンを安心させるように心の底から小さく呟く。

「変じゃないよ。本当に、綺麗だった」

 どぎまぎしているランタンの姿が余程に面白いのかエーリカは笑いながらリリオンに幾つもの羽織を用意して、肩に当てて色味を確かめている。

「男の子って恥ずかしがり屋なのよ、リリオンさま」

「うん。でも、わたし、ランタンが喜んでくれる格好でいたいな」

 一瞬の隙を突いてベリレがランタンの拘束から抜け出した。だがランタンは無意識的に掴みかかってくるところを迎え撃ち、手四つの状態に持ち込んだ。物凄い握力で手が握り潰されそうだが、それはベリレだって同じ筈だった。

「俺は、別に、見てないっ」

「目がっ、やらしいっ、んだよっ」

「やらしくないっ! お前の方が見てたっ!」

「それの何が悪い!」

 ベリレは顔を真っ赤にしてランタンを睨み付けた。ランタンは開き直ってべえと舌を出した。

「こら、二人ともそれぐらいにしろ。――あんまり騒ぐとまたダニエラに怒られるぞ」

 レティシアに注意を受けて二人はびくんと身体を震わせて手四つを切った。

 ダニエラとはランタンの読み書きを教える老メイドの名であり、中庭での戦闘に魔道をもって介入し勝負を有耶無耶にした老メイドの名であり、過去にはエドガーと肩を並べたことがある元探索者の名でもあり、怒るととんでもなくおっかない老婆の名でもある。

 ランタンは燃えるような恥ずかしさがすっと冷たいものに変わるのを自覚し、ベリレはおどおどした視線を扉の方へ向けた。人の気配はない。ランタンとベリレは二人して頷き合って、何もなかったことにする。

「うん、リリオン、その方がいいよ。よく似合ってる。でもよくサイズが判りましたね。ベリレは別にしても」

 そして強引に話題を変えた。

「父に頼んで、お二人のサイズは聞いておりましたから。けれどランタンさまはぴったりですけれど、リリオンさまは少し窮屈ではありませんか? お胸とか、お尻とか。本当はもう少しゆったりとするはずなのですが、大きくなりましたのね」

 ドレスはぴったりとして身体の輪郭が浮き出ている。そのようなデザインかと思ったが、そうではないらしい。

「ああ、そう言えば父から伝言を言付かっております。――多頭竜の解体がそろそろ終わりそうなので近く顔を出すように、とのことです。レティシアさま、申し訳ありません。頑固な父で」

 グランはレティシアの招きを断ったようだった。だがグランは元々が貴族に剣を打つのを嫌ってこの都市に流れてきた偏屈な職人である。

「いやいや、私の多忙を気遣っていただいたのだ」

 グランは多頭竜の解体計画も主導していた。複数の首が複雑に絡み合った異形のそれををただ漫然と解体するのは容易いが、可能な限り使える素材を増やすためには職人の目と技が必要だった。グランは多頭竜が職人ギルド所有の解体所に運ばれてから、自分の工房も後回しにして作業に取り掛かってくれている。

 ランタンは帰還の挨拶を済ませていない。

「今から行く?」

 リリオンはランタンの背に回って、少年の成長していない小躯を抱いた。旋毛に顎を乗せて、べたっと体重を掛けて、身体の前に腕を垂らすとランタンの太股に指が触れる。ズボンの裾の縁を指でそっと撫でた。

 身体に掛かるリリオンの重さにランタンは頬が緩む。

「こんな格好で行ったら怒られるよ。火傷したらどうすんだって」

 ランタンはグランに怒られないような露出の少ない服と、そして結局そのサマードレスも購入した。


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