04 模造品の劣化品
「おい、今のプレイは何だ。説明しろ!」
「あの女の何の仲間になったのか……!」
白ビブスを纏った巨漢たちが、チームの司令塔である165cmの親父を取り囲み、殺気を孕んだ視線を突き刺していく。
怒号が飛び交う直前、弍估が小男の耳元へ残していった『助かりました』という一言――。
たったそれだけの毒が、白チームの固い結束を内側から確実に、音もなく腐らせていく。
「心配ない、俺を信じろ……!」
35歳の司令塔は必死に声を張り上げ、味方へ向けてジェスチャーを送るが、その冷え切った背中を、硬い肋骨を内側から突き破らんばかりの激しい動悸が突き上げていた。
「……チッ、使えねえな。審判! 交代だ!」
仲間達は不穏な空気を、親父である白の選手から敏感に察知したのか。
苛立ちを隠さず言葉を吐き捨てた。
司令塔のミスを責めるというより、もはや「不良品」を返品するかのような事務的な残酷さがそこにはある。
「out、No.4。in、No.7」
審判の声とともに、絶望に顔を歪めた司令塔の小男がコートを去っていくと……
周囲の巨漢たちは、弍估を前に身構えたまま動かなかった。
誰も口にはしない。
だが、視線だけが弍估から離れない。
やがて1人が赤ビブスへ目をやる。
続いて、隣の男も。
この少女が勝ち上がるなら、どうやって「赤」に乗るか――そんな打算が、互いの視線の奥で交錯していた。
コツ
その空気の中を靴音が進む。
イケメン先輩だった。
彼は周囲の警戒など気にも留めず、弍估を眺めながら足を止めると…
その目が、細い身体をゆっくりと追った。
口元が、わずかに緩む。
まるで、思いがけない場所で宝物を見つけたように。
先輩にとって弍估は、自分を引き立てる「アクセサリー」であり、甘い言葉で手に入れられる「資産」にしか見えていなかった。
「皆さん、そんなに構えなくても大丈夫ですよ」
軽口を叩きながら、先輩は身構える巨漢たちの肩を次々と叩いて回る。
殺気を孕む巨漢の肩がぴくりと揺れる。
だが、弍估が放つ「強度91」の重圧すら読めず、「可愛い女の子」としか解釈できないその無神経な背中に、周囲の冷たい視線が一斉に突き刺さる。
仲間ですらない「無能なデコイ」の滑稽な足取りは、凍りついた空気を裂いてそのまま弍估へと歩み寄っていった。
ショットクロック【12.00s】
審判の手から放たれたボールを、先輩は悠然とキャッチする。
本来ならアークの外へ素早く持ち出すべきところを、彼はドリブルすら突かない。
無防備にその球を抱え込んだまま、無神経な足取りで弍估へと近づいていく。
「おい、クリアはどうした……何ボサッと歩いてやがる」
背後で、白チームの巨漢たちが思わず息を呑み、血走った目を細める。
12秒という極限の規律に縛られた戦場において、そのピクニック気分の散歩は狂気の沙汰だった。
「お嬢さん。こんな薄暗くて埃っぽい地下街は、君のような綺麗な人には似合わないよ。僕と一緒に来れば、もっとマシな世界へ――」
花束でも差し出すかのようにボールを弄ぶ先輩。
その気色悪いうわ言を、弍估は古い換気扇の不快なノイズを聞くような冷めた視線で透過する。
だが、その無能な自信すらも、彼女は次の手駒として冷徹に処理していた。
「……それでは、行動で証明してください」
鈴を転がすような、しかし心底凍りつくような声。
先輩は、その微塵も感情の乗らない冷たさを「不慣れな環境に戸惑う少女の純真さ」だと、都合よく脳内で歪めて陶酔の笑みを浮かべる。
「ええ、もちろん。ふふ、これは素敵な約束になりそうだね」
イケメン先輩が、愛の告白でもするようにボールをふわりと放った。
「……ッ」
白チームの巨漢たちが息を呑む中、弍估の細い指先がボールを受け止める。
先輩は口元を緩めた。
「これで、彼女は僕を選ぶ――」
だが弍估は、先輩へ一瞥もくれない。
ただボールを手にしたまま、目の前のゴールへ視線を向けていた。
「おい見ろよ! 敵に塩を送りやがった!」
「いいや、自分の命を熨斗付けて差し出したんだよ、あのイケメンは!」
対照的に、白チームの巨漢たちは声すら失っていた。
膝を震わせる者、奥歯が砕けるほど食いしばる者――今のパスは、自分たちの首に死刑執行の縄をかける行為に他ならなかったからだ。
審判の笛が、その無様な喜劇に乾いた音を引く。
弍估は、自分を慈しむ先輩の視線を路上の泥水のように透過させ、もはやその姿を網膜にすら留めない。
ショットクロックリセット。
空中で数字を刻む立体ホログラムが【12.0】へ戻る。
弍估は一瞥し、無人のゴールへ歩くようなドライブを始めた。
その進路へ、イケメン先輩の愚行に苛立つ巨漢が踏み込むが、足が止まってしまう。
先ほど肩をぶつけた瞬間、弍估だけが軸を崩さず、巨漢の重心を外へ持っていった記憶がストップさせたのだ。
正面から受け止めたはずの肩はまだ揺れ、後ろへ流れた足が床を探っている。
弍估の視線が、その足元を捉えると…
一度だけ先輩へ向く。
イケメン先輩の笑みが、僅かに引きつった。
弍估の視線が前へ戻り、歩幅が変わった。
171cmの細い身体が沈み込み、床を捉えた足から重い踏み込みが走る。
巨漢が反射的に腰を落としたときには、弍估はもう半歩先にいた。
「……っ」
巨漢の肩が開く。
その死角を、弍估は速度を上げずに抜けている。
ゴール下への侵入。
重心を低く保ったまま一歩、さらに一歩。
最後の踏み込みで床を蹴り、細い身体がふわりと浮くと…
指先から放たれたボールが、バックボードの小さな長方形を正確に捉えた。
スパッ
乾いた音が響く。
ボールは狙い澄ました軌道のまま、リングへ吸い込まれていった。
ショットクロック【9.81s】
残り時間【6:50s】
スコア【赤6-5白】
―――逆転
それはもはや、変えられぬ当然の流れであった。
ネットが乾いた音を立てて跳ね上がり、ボールがコンクリートに転がっていく。
弍估は、精密機械が定位置に戻るような、寸分の狂いもない足取りで着地すると、髪を一度かき上げ、得点に一顧だにせず歩き出した。
地下街を支配した重苦しい静寂の中、異様な熱を孕んだ視線は、一斉に先輩の白ビブスの胸元へと集まっていた。
――勝利の証である鮮烈な『赤』へと電飾が輝き、自分をこの地獄から救い出してくれる。
そう信じ切った先輩の白い指先が、誇らしげに自身の胸元を掴みにかかる。
だが、地下街の容赦ない埃に汚れた『白』は、無機質な沈黙を保ったまま微動だにしない。
「……あれ? おかしいな」
乾いた呟きが、静まり返った空間にぽつりと落ちる。
震え始めた指が、変わらぬ白の布を虚しく掻きむしっていく。
かつて優雅に整えられていた前髪は、冷や汗と脂にまみれて額に張り付き、その下で肥大化した自尊心の裏側から、死を待つ家畜のような濁った眼球の震えが剥き出しになっていく。
「おい、審判! 何故俺のビブスが赤へ変わらない!」
張り詰めた静寂を切り裂くように、掠れた悲鳴が跳ね上がった。
その醜悪な絶叫に呼応するかのように、頭上を旋回するドローンのレンズが冷たく明滅し、無機質な合成音が響き渡る。
『……判定。引き抜き行為は認められません』
弍估は、呆然とする先輩をゴミを見るような目で見据えており、この男はチームメイトの七合目と同様の「ガラクタ」、それ以上の粗大ゴミに過ぎない、引き抜く価値など、最初からゼロだと考えていた。
この“Blood Money 3x3”の本質がライアーゲームである以上、劣勢でも優勢でも、最後に勝敗を分けるのは「裏切らない駒」の有無。
その時、弍估と先輩の間に、影が割り込んできた。
————179cmのシューター、向日葵だ。
かつて放課後の体育館で、この先輩に「君のフォームは綺麗だ」と言われ、恋に落ちた。
その信頼を、2000万という無機質な数字に変えられた過去が、彼女の脳裏をかすめる。
「……先輩。まずは私に、何か言うことがあるんじゃないですか?」
先輩は、内面で「面倒な女だ」と吐き捨てながらも、神妙な顔を作って謝罪の言葉を紡ごうとした。
しかし、向日葵の口から出たのは、予測を遥かに超える言葉だった。
「先輩。自分の価値を、高く見積もりすぎていませんか?」
「……なんだと? どういう意味だい?」
格下だと思っていた女からの辛辣な一撃に、先輩の仮面が剥がれ落ちていく。
彼は無意識に、本来の傲慢さを剥き出しにして問い返した。
「そう、それです。その上から目線の言葉。……この状況でそんな態度を取るなんて、先輩って、結構なお馬鹿さんですよね」
「……っ、調子に乗るなよ!」
コート外のアウトローたちから、堪えきれない失笑が漏れ出す。
全世界へ放送されているドローンのレンズを前に、先輩の顔は茹で蛸のように真っ赤に染まった。
向日葵は、冷徹なまでに言葉を畳み掛けていく。
「確かに私の目も曇っていました。でも、本物(弍估)を見てしまった以上、先輩がインチキ臭い偽物……いえ、模造品の劣化品だってことがよく分かりました。私を騙したこと、ここで土下座して詫びてください」
「お前、いい加減にしろよ……!」
先輩の細い声が、怒りで尖り、震えている。
その瞬間、弍估は彼らの言い争いに興味を失ったように、無機質な視線で審判を指差した。
「……審判。リスタートを。掃除の時間は終わりです」
絶望の均衡が崩れ、新たな地獄が幕を開けようとしていた。




