49、異変を知らせた者
知崎邸前で要の車が走り去り、少しして親友三人衆は正気を取り戻し、誰かが時間を確認した。
お昼前に張り込み、すでに夕方前である。
「おい、本当に今日ここにマドンナの妹が来てるのかよ!」
家を家の間の小幅通路に、1番先頭でお尻を浮かせた状態で座り込んでいた清水が小声で吠える。
「何かはあるはずだ。要関連で家族も同行となれば消去法でいけば、顔合わせだ」
2番目に中腰になっている堂本が冷静に言えば、1番奥にいた河野が疑問を小声で口にした。
「でもこの間、要はまだ口説き中って言ってただろう。いきなりそんな話になるか?」
「馬っ鹿だな!あの要に言い寄られてその気にならない女なんていないだろう!そんな女がいたら拝んでみたいよ!」
合コン失敗続きの清水が言えば、河野もそれもそうかと黙り込んだが、まさかその拝む対象が絵梨だとは誰も思っていなかった。
「それに確信があるから堂本が俺たちを招集したんだろう!」
「さっきは本当に来てるのかって、口にしたのはお前だろうが」
河野の呆れ顔に清水は少し顔色悪くしながら言った。
「だって待てど暮らせど誰も出て来ないんだぞ!流石にカイロも効果無くなって来て体が完全に冷えて来ちまった。文句の1つも言いたくなるだろう!」
座っている清水が自分の両足を摩るように言えば、2人も無言で両手で自身の上腕を擦った。
「間違いないはずなんだ」
堂本の声は小さすぎて2人には聞こえなかったが、秘書である彼には確信があった。
異変があったのは連休明けの今週火曜日のことだ。
昼休憩が終わり午後の始業に合わせて資料作りをしている時に、秘書室長の御手洗に声をかけられた。
40代手前の若い室長だが、大変優秀な人で昨年の人事で室長に昇格した人だった。
細身の銀のフレームメガネをかけた切れ長目の男性の左手薬指には黒い結婚指輪が嵌っていた。
「堂本くん、今週末副社長の予定はどうなっていますか?」
急に話しかけられて、普段は副社長である要のことを聞いて来ない室長に違和感を抱いたが堂本は返答した。
「ここ最近土日はカレンダー通りのスケジュールになっていますが、何かありましたか?」
週休2日、土日は仕事の予定はないと言えば室長は真剣な顔つきになった。
「ではプライベートで何かあるのか・・・」
「誰のです?社長ですか?」
室長は会長、社長の2人のスケジュール管理をしている。
「それが会長社長揃って今週土曜日の予定をキャンセルして欲しいと要望があったんだ」
「お二人から、ですか」
「こんなこと始めのことだからね。会長は体調を崩すこともあるから滅多に土曜日は予定を入れることはないが、今回は重要な取引先の会長様とゴルフと会食が予定されていたのに、それをキャンセルして欲しいってよっぽどのことがない限りそんなことはしないだろう」
「そう、、、ですね」
「この間の会議の時に、副社長に紹介したい良いお相手がいると話が出ていただろう。もしや両家の顔合わせかと思ったんだが・・・」
「あー、実は副社長には意中の人がいるらしく、その話に憤怒していたのでそれはないかと」
「そうなのか?」
そこで何かに気がついた室長が「あ、もしや先ほど会長が大株主に何か釘を刺すようなことを言われたのはその件なのか?」と呟いた。
堂本はその言葉を聞き取れてしまった、と虚無顔になった。
それ俺が聞いていい情報?と戸惑っていると室長が質問して来た。
「副社長に変わったことはないかい?」
「まあ、あると言えばありますけど。最近副社長は公私混同されて退勤時間前に抜け出して帰って来ないのでこちらも困っているんですよ」
「仕事が滞っているということかい?」
「仕事は今まで通りきっちりこなされてますが、退勤時間が早いために急ぎの話とかが入って来ても相談が出来ずにこの間も代わりに社長に相談しに言ったほどです」
「ああ、そんなこともあったね」
「でも社長も副社長のその行動には黙認している節があるので、こちらも副社長に口を出すのも憚れて困っている状態なんです」
「そうだな。確かに言いにくい話ではあるな。怠惰な姿勢で仕事をされているならまだしも、そこはきっちりされている以上は私たちの出る幕はないですね」
「そうなんですよ。しかも休憩時間返上で仕事されている以上余計に言えなくて」
「退勤時間より早め、と言うのは社長の娘さんのことではないのですか?」
「そうですが、その問題は先週中に解決したと室長が言われていましたよね」
「はい、娘の憂いは晴れた!と社長室のガラス張りの壁面を前に胸に手を当てて社長がキラキラして言われていたからな」
相変わらず娘のこととなると過剰な行動を取る社長にもう慣れたと堂本が話を続けた。
「ところが今日副社長から、夕方の仕事は当分入れないでほしいと言われたんですよ」
姪の問題も解決した後なのに?
2人が視線を合わせて戸惑っていると、御手洗が呟いた。
「やはり副社長の身に何か起きているのかな?」
室長の言葉に堂本は首を傾げた。
「急いで帰りたい何かがあると?」
「意中の人がいると言っていましたが、もしかしてその方と良い方向に話が進んでいるのでしょうかね?」
「口説いている最中と聞いていますが」
「堂本くん、知崎ほどの大企業になれば外堀から埋める方法が定石です」
室長のとんでもない発言に堂本はギョッとした。
「反感買いません?」
「相手の女性はそうかもしれませんが、囲って仕舞えばこっちのものです」
強者の発想だな。と冷や汗を出している堂本に、室長はまたもや爆弾発言をした。
「実際社長も夫人との結婚の時にそういうやり方を使ったようですよ。でも今では夫人は知崎の影の支配者と言われるほど、知崎を受け入れ活躍されています。囲って仕舞えばとはそう言う意味です」
一般市民の自分は無縁だし、聞かなかったことにしよう。と堂本は目を瞑った。
そんな話をした数時間後、やっぱり定時時間前に帰宅しようとした要は数人の秘書に「帰らないで下さい!」と引き止められていた。
他部署の人間とスケジュール調整に出ていた堂本は秘書室の中の惨状を何事!?と目を見張った。
その騒ぎに室長室にいた御手洗も出て来て状況を見守っていた。
押し問答が続き、良い加減止めに入った方がいいかと思われたその時、要の懐にあったスマホが震えたようで要は秘書たちから離れて、いそいそとスマホを取り出し画面を凝視した。
それまで数人がかりで引き留めていた秘書達は肩で息をしながら要の動向を見守っていた。
それまで帰る!と一直線に廊下に出ようとしていた要は、皆に背を向けてスマホに何か書き込み、そのまま副社長室に戻って行った。
唖然とする秘書課の面々は何が起こったのか分からず、副社長専属秘書の堂本を一斉に見た。
自分が悪いことをしたわけでもないの堂本はビクッと体を強張らせて秘書課の面々を見るが、その誰もが弱り顔を向けて来た。
要に何が起きたのか、堂本自体が把握してないのにそんな目で見るな!と憤ったが皆、何が起きたのか知りたいのだろう。
専属秘書は盛大にため息を吐きながら、持っていた資料を後輩に預け残りの調整を頼んで副社長室の戸をノックして入室した。
要は机に座っていたが、その顔が今まで見たこともないほど緩んでおり、スマホ画面を食い入るように見ている。
「副社長」
声をかけるが返事が返ってこない。
「副社長!」
少し声を張り上げて言えば、ようやく室内に堂本がいることに気がついたのか驚き顔を向けられたが、秘書として聞かねばなまい。と質問した。
「先ほどは帰られようとしていたようですが、仕事をする気になったと考えていいでしょうか?」
「ああ、今後はちゃんとその日分の仕事はして帰るようにするよ」
・・・・・・・。
どういう心境の変化?
「それは当たり前のことですが、急に態度を変えられた理由をお聞きしても?」
「エリンが仕事に邁進せよ。と言うから」
は?
「エリンって誰です?」
「婚約者だが?」
「は!?お前マドンナの妹を口説いてるって言ってなかったか!?いつ婚約したんだよ!しかも外国人!?」
秘書の肩書きを殴り捨てて堂本が素で突っ込めば、要が片目を眇めた。
「誰が外国人だ。エリンはマリン、仲嶺真梨の妹のあだ名だ」
「婚約ってなんだよ!つい数日前に口説いてるって話を聞いたばかりだぞ!」
「その翌日に向こうの親族から結婚の打診があって、親父も兄さんもこの話を了承したんだ。もちろん俺もな」
急展開についていけない堂本に、要は相貌を崩しまたスマホを見た。
何がそこに書かれているのか。
気になった堂本は前屈みになって要のスマホを覗き込んだ。
向き的に見えにくいが確かに[仕事に邁進せよ]という文面が見えた。
その下に[今日は響子に送ってもらいます][スーパーに寄って帰ります]とメールが送られていた。
いまだ頬を緩ませた親友に、彼女にご飯作ってもらうのか。と思ったと同時に、その文面から察するに彼女には合鍵を渡しているか、すでに一緒に暮らしていると言うことか!?と驚愕した堂本は昼間に聞いた室長の言を思い出しスン顔になった。
『囲って仕舞えばこっちのものです』
大企業の人間のすることは付いて行けんと、虚無顔で副社長室を退出した。
秘書課の人間には、『今後副社長が暴走することは早々にはない』と言っておいた。
理由を尋ねられたが、知らんで押し通した。
しかし翌日昼休憩には頭に花が咲いている要は、自らやらかした。
彼女は料理が得意なのか、要はお弁当箱を持って来ており嬉しそうに食堂に行って、お弁当箱を広げて食事していた。
副社長が相貌を崩してお弁当を一心不乱に食べていれば、誰でも、嫌でも気づく。
どこぞの猛者がそのお弁当はどうされたのか?と質問した日には、その場にいる面々の耳がダンボになるのを堂本は見逃さなかった。
要のお相手が公にできない人物なだけになんて言うのか、横にいた堂本の方が緊張して要を見れば、けろっと言ってのけた。
「婚約者がお弁当を作ってくれたんだ」
・・・・・・うぉーい!!!言っていいのか!?
驚愕な表情をしたのは堂本だけではない。その場にいる者全てのものが同じ表情だったが、要だけは気づいていない。
全てのものを食した要は早々にお弁当を片してその場を離れたが、堂本含め誰もがその場に縫い付けられたように動けなかった。
その後、要の姿が完全に消えた後、女性社員達の悲鳴が飛び交い、堂本も正気に戻ったが要を追う気にはなれなかった。
悲鳴をあげるいくつかのグループの中に見知った者達のグループがあった。
堂本の同期達のクループだ。
本来ならその中に同じ部署の女性社員が紛れているのだが、その彼女はあの失態以降無断欠勤をしている。
要の今の現状を知ったら余計に会社には来にくいかもしれないな、と深いため息を吐いた。
浮かれる者がいれば、落胆する者、そして好奇心が勝る者が混在する。
好奇心が勝った者の中には堂本も含まれた。
あれだけ暴走気味になった要をたった短い文章を二、三個送っただけで大人しくさせたエリンと言われる女性に興味が湧いたのだ。
室長とはいつくか情報共有するうちに今日は間違いなく顔合わせだ!と意気込んで張り込んだが、一向に要とその婚約者は出て来ない。
1月の寒空の中、外は完全に帷が降りていた。
誰かの鼻をすする音が響く中、門扉が開いた。
来た!と誰もが思った次の瞬間、そこから姿を現したのは会長だった。
会長はそこに誰がいるかわかっていたのか、弱り顔で3人を見て来た。
その中によく見知った人物を見て呆れ顔で声をかけて来た。
「そこで何してるんだい、堂本くん」
「か、会長!?」
「もしかして要を待ってたのかい?」
バツが悪そうに黙り込む3人に会長が無情にも言い放った。
「あいつならとっくに帰ったぞ」
え?
「だからここにいても時間の無駄だから帰りなさい」
そう言うと屋敷の方に戻って行った。
「う、嘘だろう・・・・」
「いつの間に帰ったんだ?」
「無駄骨かよ・・・」
チーンと誰もが項垂れた後、大きなくしゃみをして鼻水を垂らしたのは清水だった。
3人とも肩を落とし、駅の方へ移動して行くしかなかった。
邸宅に戻った会長は絵画の貴婦人の前に行くと、その絵画に触れながら「教えてくれて、ありがとう」と言った。
そこに静波が駆け寄った。
「どうだった、お祖父ちゃん」
「静波が言うように張り込んでた者が数名したよ」
「先生の素性を知ろうとしてる人たち?」
「いや、要の友人数名だ。そのうち1人は堂本くんだ」
「堂本さん!?・・・そっか、じゃあ心配することではないのかな」
「大丈夫だろう。エリンさんがうまいことやったようだよ。要達の乗った車を全く見ていないような感じだったからね」
「よかった〜。まだ公にできない分、慎重に慎重を重ねた方がいいもんね」
そう言うと、静波も絵画を見上げて「教えてくれてありがとうございます」と笑った。
「しかし、よくわかったな」
「私もなんとなくだったんです。やたらと外が気になって、頭の片隅に貴婦人の映像が浮かんで来たから何かのメッセージかと思って、絵画に手を触れたら家の前に人影が動いたような気がしたの」
「うーん、本当に守り神のような存在になったのか。不思議なものだな」
「先生の存在自体が神秘だもん。その周りで何か起きても驚きはしないわ」
「若いからかね?私にはいささかキツネにつままれた気分だよ」
「そのうち慣れないとね。長い付き合いになるんだもん」
「そうだな」
芯之介は絵画を見上げてなんとも言えない表情になった。
貴婦人の呪いで死んだ妻のことを思えば複雑な気持ちになるが、今後のことを考えれば遺恨は残さない方がいいだろう。
と芯之介は目を閉じた。
「それより夕食出来たみたいよ。冷めないうちに早く頂きましょう!」
「わかったよ」
「じゃあ、また後でね。高貴な貴婦人!」
絵画に手を振って祖父の腕を掴んでダイニングに向かう静波を、貴婦人が嬉しそうに見ていることを2人は知らない。
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明日1話UP予定です。




