36、隠された第二の悲劇の謎
一部残虐シーンがあります。
お気をつけください。
宇崎邸を出た時には、空が明るさを失い始めており、数十分後、要のマンションに到着した頃には街の明かりが目立ち始めていた。
疲れて寝ていた絵梨は、停車した車中で肩を揺さぶられて目を覚ました。
絵梨は盛大に違和感を覚えた。
要なら寝ている絵梨を起こさないように横抱きにして部屋に戻るだろう。
なのに律儀に起こしたと言うことは異変があったということだ。
黙って要を見れば、彼は不機嫌な表情を隠しもせず、車外に視線を送っていた。
「要くん?」
「エリン、先に部屋に戻っててくれないか。同僚が来ているようだ」
そう言えば宇崎に行く前にも、会社関係の人(姉らしき者憑き)が来ていたな。
わざわざ自宅にまで来るとなると急ぎか。
疲れて直ぐに横になりたい絵梨は了承し、要の部屋の鍵を受け取り車から出た。
するとエントランス手前のお客様駐車場に停めていた1台の車から1人の男性が降り立ち要に駆け寄って来た。
要と同じくらいの年齢の人だ。と思いながら絵梨がその男性の横を通ってマンションのエントランスに向かった。
そんな2人がすれ違った瞬間、相手の男が絵梨を気にして振り返った時、要はスッと冷たい視線をその男に向けた。
その後も男は絵梨を気にしながらも足は要の方に向かってきており、要は目の前にその男が来る前に我慢出来なくなって口を開いた。
「なんの用だ、堂本?」
大学の同級生であり会社の同僚でもある男に声をかければ、意外な言葉が返って来た。
「お前、子供を預かってるのか?」
思っても見なかった言葉に、要は驚き堂本を見、先を歩いていた絵梨も目を見開いて立ち止まり振り返った。
「子供?」
要は理解出来ず聞き返したが、絵梨は持っている札を思い出し、これの効果か!?と懐から取り出した。
その仕草を堂本越しに見た要も理解し「ああ、まーな」と曖昧に返事しておいた。
すると堂本は意味ありげにニヤリと笑った。
「珍しいな、どういう心境の変化だ」
「どういう意味だ。興味がなかったわけではなく、これまでそういう年齢の子と関わる事がなかっただけだ。それよりここには何で来た」
休暇中に来るなと要が苦言を呈せば、堂本は本来の目的を思い出したようにハッとした。
「そうだった!?お前どこ行ってたんだよ!急ぎの仕事があって電話しても繋がらないし、ここに来たのに留守っぽいから一旦本社に戻ろうとしたところだ」
「急ぎ?今朝絹谷が来た件か。あれは急ぎとはほど遠いものだろう」
嫌悪感満載で言えば堂本も、ああ、あれねと弱り顔になった。
「あれは彼女の早とちりだ。俺が持って行って欲しかったのはこっちだ」
差し出されたメモ書きを受け取り目を通した要は、その重要性を理解するとため息を吐いた。
「これを渡されたなら緊急性は理解するが、あの書類を渡した理由は何だ?」
「渡してねーよ。電話口で取引先から要件聞きながら指示している途中で彼女が勘違いして手前にある書類を手に取って行ったんだ。止めに行こうにもこの件で次々と取引先から電話がじゃんじゃん入ってくるし後も追えなかったんだよ」
その理屈なら誰も嘘はついていない。
しかしあの冷静な絹谷にしてはとんだミスをしたもんだ。
堂本もあの人らしくないと首を傾げているが、人はミスをするものだ。
ただ緊急性があるだけにタイミングが悪すぎるとため息を着いた。
絵梨はこれ以上はここに居ても邪魔なだけだな。とマンションに向かって歩き始めた。
その後ろで2人は話し合いを続けていた。
「彼女に関しては明日出社したら、以後気をつけるように注意はする。それよりこの問題をどうするか方向性だけでも決めてくれないか?」
「薬の材料の供給が滞りそうなのか」
「ああ、例の戦争の影響で原材料のナフサが入って来にくくなってるからな」
そんな会話が耳に入り、医療従事者の絵梨は再度足を止め、他人事ではないと振り返った。
医薬品の多くは、特に化学合成される薬の約99%が石油から抽出される中間原料を基に製造されている。
痛み止め(ロキソニン)、抗生剤、軟膏など、身近な薬の大半が石油由来であり、医薬品産業は石油に深く依存していると言える。
元々、数年前から薬の製造会社の不正などで製造中止に陥っていた関係で、一部の薬の流通が滞っていた所にアメリカによる戦争勃発で石油が手に入りにくくなった。
この問題が長引けば長引くほど、持病を持つ患者にも薬を届ける事が本当に難しくなる。
それは当事者にすれば、死活問題だ。
しかも薬そのものだけでなく医療器具やパッケージにも石油が使われており、点滴パック、手袋、注射器、包装シート(PTPシート)、軟膏を入れる容器なども石油由来だ。
「政府も備蓄油を放出しているが市場に出回って来ていないのが現状だ。薬品会社にはナフサの在庫は多少あるが、PTPシートを作る会社は在庫を抱える程の財力も保管場所はない小規模会社が多い為に、入手困難な上に原材料の高騰が三倍以上になって製造が難しくなると連絡が入って来ている」
原材料の価格は使われる材質によって大きく変わるという。
そこに資源価格の上昇によってより入手困難になっている。
需要と供給とはよく言うが、その資源が乏しくなれば、人はどうしたって儲かる方へ資源を流す方向に舵を切る。
薬はあってもそれを納める容器がなければ提供できないのが現状だ。
現在知崎が抱える問題はそんな話なのだろう。
思うように事が運ばない辺りは、自分もそう変わりはしないが患者にとっては生命がかかっているだけに切実だ。
各社代替え品を用意し工夫しているが、戦争が長引けばその代替え品さえも底をつくだろう。
そう言う意味では戦争を早く終結させてもらいたいが、この問題は正常化するまで来年以降も続く可能性がある。
下手をするとウクライナ戦争のように何年も尾を引く可能性があるだけに政府も備蓄油の在庫も無尽蔵でない限り、決断を迫られる瞬間がいつか来るだろう。
なんにせよ、医療従事者としては患者に負担がかからないように早めに解決してほしいものだ。
頭が回らないなりにそんなことを考えながら足を引きずるようにマンションの中に入っていけば、要もすぐに絵梨の元に行きたいと今出来る対策としていくつか指示を出し、その話を聞いた堂本は思案顔の後、急いで会社に戻って行った。
絵梨は瀧田から聞いた情報整理する前に混乱した頭をクールダウンするために、寝室に入ってそのままベットにダイブして死んだように寝た。
膝下がベットから落ちていたが、知ったことか。
要が戻って来た時には、白目をむいて寝ていた絵梨だったが、要は愛おしそうに抱えてベットの中央に移動させて寝かしていた。
その後翌朝まで要が絵梨をピッタリと抱えて眠った。
翌日早朝に絵梨は回想夢を見た。
遺影でしか見たことがない体躯の良い白芭の祖父、俊明が白芭の送迎車の前で誰かを待っているようで、タバコを吹かしながら建物の入り口をじっと見つめていた。
その建物の佇まいからテレビ画面の中で何度となく見たことのある総理官邸の建物だった。
その建物から目当ての人物が出て来て祖父の目が優しく揺れ、タバコを床に投げ足で踏み潰すと、迎えに行くように歩を進めた。
次の一瞬、怪訝そうな表情の後、瞳が鋭くなった。
1点を凝視し、次の瞬間驚愕な表情に変わり建物から出て来た人物に向かって駆け寄った。
祖父が駆け寄る先は、まだ30代と若い祖母の下だった。
若い頃の祖母の顔には皺一つ無く、高校生の娘がいるとは思えないほど若々しい人に絵梨は違和感を覚えながら祖父の動きに見入っていた。
手を伸ばして妻の腕を引っ張りその場から引き離し背中に庇った。
自分に向かって走って来る男の手にはサバイバルナイフが握られていた。
祖父の間合いにその人物が入った瞬間、祖父はその腕を掴むとその腕を捻り、身軽にその場でうつ伏せに組み敷いた。
何かを口走る男の目は血走っておりギョロリと大きく見開いていた。
犯人がその顔を祖父に向けた時、祖父は驚き何か呟いた瞬間掴んでいた手が緩み、機を逃さなかった犯人はナイフを何度も振り回した。
腕や手に怪我を負う祖父を振り落とすとそのまま祖父に跨ると、一気にナイフを心臓目掛けて振り落とした。
ドスっと大きな音が聞こえ、近くで祖母の悲鳴に近い祖父を呼ぶ声が聞こえたが、その時には白芭の女帝の周りにはSPが数人張り付いており祖父に近寄ることも出来ない状態だった。
瀧田も呆然とその現場を見ていたが、この時絵梨は犯人の顔を見て何かおかしいと感じ凝視した。
男は祖父に致命傷を負わせた後、急に正気に戻ったようにハッとし、その場に呆然と佇み祖父の返り血を浴びた自分の血まみれの両手を凝視していた。
恐る恐る自分の下にいる祖父の顔を見て聞こえない悲鳴のような声を発した後、その場から離れようと動いた。
その様子を見た祖母は涙を流しながら、右手の人差し指を天に伸ばし向けて左手で印を踏み、呟いた。
『穢れ封印』
現場保持の意味で祖母は呟いたのだろう。
その言葉を発した瞬間、逃げようとした犯人の足はその場に縫い付けられたように動かなくなり、その後数人のSPによってその身柄を確保されていた。
それを見届けた後、祖母は崩れ落ちるように祖父に走り寄り、瀧田は救急車を呼ぶように官僚たちに取り乱したように叫んでいた。
祖母は祖父の頭の上に膝をつき、恐る恐る夫の頭を抱えて顔を覗き込んだ。
心臓にはナイフが刺さったままだ。
『俊明!』
『朋恵、様』
『喋るな!もうすぐ救急車が来る!それまで頑張ってくれ!』
『朋恵、様。私は、命をかけられる、ほど、あなたを、、、愛して、いました』
『・・・・俊明?』
『こんな、ことに、ならなければ、、、気の利、いたことの、一つも、言えない、男で、すみません』
『そんなの退院してからまた聞かせてくれたら!』
それ以上言葉を発することが出来なくなった祖母の頬に祖父は震える手で軽く触れた。
『愛、して、います』
そう言った祖父の手が力無く床に落ち、祖母の足の上にあった祖父の顔も力が抜けカクッと顔が揺れた後、動かなくなった。
医療従事者の絵梨は、祖父が事切れたのを見て息を呑んだ。
遠くで救急車が鳴っているが、心臓にナイフが刺さっている以上心肺蘇生法も出来ない状況では手の施しようがない。
祖母も瀧田も大声で祖父を呼びかけているが、この状況では反応はもうすでにない。
それよりも、と絵梨は空を見上げた。
【穢れ封印】
現場保持の意味で祖母が放ったと思われた呪術は、一種の結界のようだ。と空を見回した。
祖母が空に向かって伸ばした指を中心に現場数百十mに渡って半球を描くように透明な膜のようなものが発現していた。
この意味はなんだ?
実行犯以外に共犯者、または首謀者がいると判断したのだろうか?
この頃の白芭の女帝は、一族の負の連鎖は連想していなかったはずだ。
無意識なのか?
宙に浮いている絵梨の下では、醜聞も忘れて祖母が泣きながら祖父に話しかけているようだが、手遅れだ。
救急車が到着して隊員が降りて来たが、その場で首を横に振られ呆然とする白芭の女帝と瀧田が見えた。
次の瞬間、テレビ画面の砂嵐のように映像が乱れたがすぐに場面が変わり、祖母の表情が抜けおちたような顔で腕組みして政府関係者と話をしている場面になった。




