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全てはここから始まった〜最後には根源、断ち切らせて頂きます〜  作者: 虹乃懸橋


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1、偽りの身分と現実


 田中絵梨。

 旧姓、仲嶺絵梨は15歳の時に歳の離れた優しかった姉の真梨が事件を起こし、一家はバラバラになった。


 姉は思慮深く優秀だった。誰にでも人当たりが良く、いつも友達に囲まれている中心人物であり老若男女に好かれる人だった。

 家族も絵に描いたような仲睦まじい両親。姉妹仲も良好でそれまで苦労と言う苦労を知らずに生きてきた絵梨は、特に年の離れた優しい姉が自慢で憧れだった。


 そんな姉が人を傷つけたと聞いた時にはあり得ないと思ったが、連日過熱する姉の報道と現行犯逮捕と聞かされては信じないわけにはいかなかった。


 あの事件が発生した時期と同じ季節が巡り、窓の外で落葉樹の冬木立が立ち並ぶ裸木を見て絵梨はあれからもう9年が過ぎたのかと悲しくなり、重たい足を引きずるように保健師の仕事場である保健室に再度足を向けた。

  

 保健室に戻る間、考える事はあの事件後の出来事だった。

 あの事件の一報が入ってすぐに絵梨を引き取ったのは、報道にもあった母方の白芭家門の祖母だった。


 姉の報道が加熱を帯びてくると祖母は絵梨を仲嶺の戸籍から抜き、口の固い知り合いを何件かまたいで戸籍を転々と移動させた。 

 事件の報道が過熱し身の危険を感じさせる出来事も起こり得ると判断した祖母が、未成年の絵梨を色んな人間から徹底的に隠したのだ。


 今ではどこにでもあり触れた田中姓を名乗り、素顔を隠し地味に装い生活しているため誰も彼女が仲嶺の人間だと分かるものは、ごく少数だけ。

 元仲嶺の側近中の側近を除いては皆無に等しかった。


 あの事件後、絵梨はそれまで関わった全ての人の前から完全に姿を消して生活していた。

 高校時代は地方で過ごし、大学は都内近郊の国立大学に通った。

 今ではここ都内でお嬢様が通う女子校、姉も通った学校の臨時保健師をしている。


 4年前、姿を隠したまま田中姓になった絵梨は、大学2年の時に止まっていた運命の歯車がまた動き始めた。


 仲嶺の全てを捨て、新しい人生を歩み始めて5年の月日が過ぎたある日、大学校内の食堂で5年前まで見知った顔を見つけ、血の気が引いた。

 バレないように食堂の隅で早々に食事をし、食後静かに退出しかけたその時、食堂の出入り口先の廊下で一人の男に肩を掴まれた。


「何コソコソしてんだ?あ?」 

 ガラの悪そうな物言いにそっぽ向きながら、見つかった!と内心焦った。

「あ、ナンパなら結構です」

 その手から逃れようと肩に置かれた手を叩いて落とした。が、相手から「お前エリンだよな」と告げられ、やっぱりこいつ仲嶺の子飼いじゃないかと顔を強張らせた。


 エリンとは、姉が妹の絵梨を呼ぶ時に使っていたあだ名で、本当に親しい人しか知らないあだ名だった。


「ガラの悪い人と知り合いもいないので、呼び止められる筋合いもないので失礼します」

 しかし今度は腕を掴まれ、逃れようとジタバタとその男と攻防を繰り広げていると、他の学生に何事かとジロジロと見られ、目立つ行為は人目を引いて本能的にまずいと体を硬くした。


 その時、相手も目立つ行動は避けたかったのか小声で「ちょっと来い!」と誘導して来た。

 食堂を出て人目につかない近くにあった体育館の裏手に連れて来られた絵梨は、観念したように渋々相手に従った。 


 久々に対峙した相手は、同い年の宇崎恭二だった。


 宇崎家は昔から仲嶺に仕えていた家系で、公私共に共有する時間が長い一族だった。

 仲嶺本家の人間にだけ仕える一族で、父の秘書から始まり、自宅でも家政婦、子供の遊び相手など、どの年齢層にも仲嶺には宇崎ありと言われるほど距離が近い存在だった。


 この男もまた絵梨が生まれた時から見知っている腐れ縁とも言える人物で、手早く言えば絵梨の身近な護衛兼監視役を任されていた宇崎の一人だった。

 生まれた時から15歳のあの事件が起きるまで身近にいただけに、素顔を隠している絵梨に気が付いたようだ。


 ブスッと機嫌の悪さも隠さず絵梨は腕組みして外方を向いた。

「お前ここに通っていたならなんで俺に声を掛けなかった」

 体育館裏の壁に追いやられ逃げ場を失った絵梨は観念したように口を開いた。


「悪いけど私もさっきあんたに気がついたのよ」

 その後絵梨は真正面に顔を向けて相手を見た。

「そもそも都内の学校じゃなくて、なんであんたがこんなところ(都内近隣県の大学)にいるのよ」


 宇崎は都内の方が顔が効く。そういう意味で宇崎の人間は都内の大学に通う者がほとんどだったと記憶している絵梨は質問したが、恭二は剣もほろろに答えた。

「そんなの俺の勝手だろうが。そもそも今まで何処にいた。うちがどんなに捜索しても見つけられなかったのに、灯台下暗しとはよく言ったもんだな」


 恭二の言葉を聞いて、絵梨は内心ホッと安心した。

 宇崎は情報網では警察よりも上だと業界内では有名だった。

 そんな彼らでも仲嶺の最後の後継者の行方がわからなかったというなら、誰も絵梨を追っては来れない事を意味する。

 お祖母様の采配、お見事です。と感心した。


 今でもギャーギャーと口を開いている恭二に、絵梨は大きくため息を吐いた。

「私を引き取ってくれた人の遺言でね。仲嶺の子飼いは信用するな。その言葉があったからさっきあんたに気がついても声を掛けなかったのよ」

「白芭のばあさんか。余計なことを」

 吐き捨てるように言った後、さらに絵梨に詰め寄った。


「言っておくが俺ら宇崎はそこに当てはまらない。仲嶺がどこぞの人間に奪われたと知らせを受けた時点で、うちは全て仲嶺から撤退している」 

 その事実を聞いていなかった絵梨は驚いたが、だからと言って親しくする必要はないと両腕を抱えて再度外方を向いた。


「撤退しようが残っていようが私には関係ない。もうあの家とは無縁の生活を送っているからね」

「お前はそうでも俺たちはそうじゃないんだよ。お前が生きている以上放っておくことは出来ないし、マリン姉ちゃんのこと。このまま放置する気かよ」


 マリンは姉、真梨のことだ。

 放置・・・とは何のことだ?


 キッと睨みつけるように相手を見て絵梨は言った。

「姉の命日には時間を空けてお墓参りはしてる。放置とは言いがかりはやめてよね」

「あ!?時間を空けて!だから墓地で待ち伏せしても捕まらなかったのか。クソが!」

 口悪いな、おい。


 いつからそんな粗暴の悪い言葉使いになったよ。と半眼で幼馴染を見れば相手は頭をガシガシと乱暴に掻く仕草をした。

「それとは別件だ。マリン姉ちゃんが起こした事件と旦那様と奥様の死に不審な点があって今でも俺らが捜査していることだ」


 ・・・・・・・は?

 思っても見なかった話の切り口に絵梨は呆然と相手を見た。 

「詳しいことが知りたければ、宇崎が運営している学校を訪ねて来い。本家の叔父さんたちは今でもお前を探しているんだ」


 今でも夢に出てくる姉の向日葵のように暖かな笑顔を思い出し絵梨は狼狽した。

 虫をも殺せないほど温和だった姉。

 年が離れていたこともあったが妹の私に優しかった姉とは喧嘩一つしたことはなかった。

 そんな姉が愛してもいない男の浮気に激怒し、婚約者とその浮気相手を刺した。


 そしてそんな姉の死の知らせを受けて急いで留置場へ向かった両親は、道中大きなカーブをスピードの出しすぎで曲がりきれずに道路をはみ出しガードレールを突き破って数メートル下の川底に落下し、即死状態で見つかった。


 その二つに不審な点があるってこと?


 確かに姉が起こした事件には不可解な点は多かった。

 しかし現行犯逮捕された以上事件を起こしたことには変わりはなく、捜査は被疑者死亡で捜査本部も打ち切られた。

 両親の死に関しても事件性はなかったと警察から聞かされたと祖母は言っていた。 

 この二つに何があるというのか・・・・。


 もう自分の人生に仲嶺は必要はない。そう思ってこの5年間必死に生きてきた。

 なのにこのタイミングで、いまだに家族のことで動いている一族がいるとは思っていなかった絵梨は、急に足元が激しくグラグラと揺れるのを感じ驚き呆然とした。


 その後幼馴染がその場を離れても、狼狽した絵梨は当分動くことが出来なかった。

 一週間考えても答えは出ず、一度話を聞いてからどうするか決めようと宇崎の運営するここ女学校に足を踏み入れた。

 それが今から4年前の事だ。


 この学園は宇崎が大正時代から運営している学校で、この女学園と裏手にある児童養護施設を経営していた。

 その昔、仲嶺に恩ができたことで長年付き従っていた力のある一族は、私の父の代まで恩を返していたが、あの事件以降その縁も切れていた。

 そしてその恩は最後まで自分たちが信じた仲嶺に向けられ、両親や姉の事件を極秘裏に調べていた。


 この学校の裏手にある児童養護施設の横に宇崎の大邸宅があり、引退した老夫婦や分家筋も大きな屋敷で昔から皆が一緒に暮らしていた。

 重い足を踏み入れ、久しぶりに見た宇崎の面々は絵梨を歓迎し、家族のことでそれまでに判明している事実をその時に聞かされた。


 現在宇崎と行動を共にしている事で分かる通り、私は宇崎達の話を聞いて、事件の全容を知るためにもう一度仲嶺の両親と姉を受け入れ向き合おうと思えたからだ。 


 絵梨はあの事件以降、ずっと中身のない抜け殻状態で生きて来た。

 唯一高校時代に大変お世話になった保健室の先生の存在が心の支えとなり、なんとか生きて来られた。それがきっかけで将来自分も保健室の先生になりたいと夢を描いたことで目標が出来、大学時代も勉強に邁進した。


 だが、それでもどこか心の中にぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。


 急に家族を失い消化不良なまま、事件の全容が全く見えなかったことが気持ちの整理が出来ずにいた。

 なぜ姉はあんな事件を起こしたのか。

 世間が姉を加害者としてでなく、むしろ被害者であると見られ始めた矢先の姉の自死。 

 そして両親の事故死。


 全てのことが解明されないまま警察の捜査は終了し、行き場のない感情を持て余した絵梨は勉強以外の所では抜け殻のような無気力に生活を送っていた。


 宇崎は昔からその情報網の広さから有益な情報源を収集出来る能力が高かった。そういう意味で警察にも顔が効く一族だった。

 それに加え多種多様な業界内に顔が広く影響力を持っていた。

 そんな万能一族が長年支えていた仲嶺を捨て独自に、二つの事件事故のために動いていた事実と、判明している情報は絵梨を動かすには十分な説得力があった。


 ただその宇崎の情報網を持ってしても、この事件の全容を知ることは困難を極めていた。

 まるで煙に巻かれたように情報が途中拡散し掴めない状態が何年も続いていた。


 2年前大学を無事卒業し、去年までは臨時に保健師として訪問介護などの手伝いをしていたが、昨年の春にこの学園の保険医が産休に入ったことで絵梨は代わりに赴任していた。 

 一族の無念を今すぐにでも晴らしたいが、あれから目ぼしい情報がないまま4年の月日が流れた。


 ここまで来ると究明も風化しすぎてもう無理かもと思い始めていた絵梨は、学校での保健師としての生活も慣れ比較的穏やかな日常にどっぷり浸かっていた。 

 このままゆったりした時間の中で過ごしながら究明とはいかなくても家族のことで少しずつ判明する事実を少しずつ探し出し、心の整理ができればいいと思い始めていた矢先に報道で指摘された通り、祖母の遺言が公開されると知り心中嵐が吹き荒れていた。


 あの報道よりも数ヶ月前に人伝に遺言の話を聞いていた絵梨は困惑していた。

 "絵梨ありきでの遺言書公開"。


 財産放棄するにしろ相続するにしろ一度名乗り出る必要があるが、仲嶺ですと札をぶら下げて行う行為はどうしたって目立つ。

 自殺行為に近いそれらの行動は、静かに暮らしたい絵梨にとっては断固拒否の姿勢を崩す要因にはなり得なかった。

 母方の実家には秘密が多い家系なだけに財産にも色々あり、受け取るにもハイリスクハイリターンを伴うだけに結論が出ず、身動きが取れずに数ヶ月その話題はフリーズしたまま時間だけが過ぎていた。


 相変わらず寒風が吹き荒れ窓ガラスが音を立てて揺れている。

 保健室に続く廊下を歩いていると、数名の3年生の生徒と出会でくわした。


 私立大学や専門学校を受験した子達はすでに結果が出ており、進路が決まっている子達はすでに自宅待機で学校には通っていなかったが、国立や県立大学などを専攻する生徒達は来週行われる大学入学共通テストの関係で特別授業に参加するために学校に通って来ている子達だった。


 午後の授業が始まる予備チャイムが鳴り響き、脱兎のごとく走って教室に戻る生徒を見て「走らないよ〜」と注意すれば、少し速度は落とすものの競歩状態で移動する生徒に、絵梨は(ほぼ走っとるやないかい)と眉を下げて笑った。


 建物の角を曲がり保健室へ一直線に歩を進めながら、絵梨は先ほど教員室で流れた報道の映像を思い出し、表情を再度強張らせた。

 昨年末に親切な人が公共電波使って『あなたを探している人がいますよ〜』『探されていますよ〜』『お気を付けくださーい』と言って来た事を思い出し苛立った。


 親切のつもりか知らないが傍迷惑この上ないと憤慨した。 

 姉は手配書か?と言われんばかりにその顔は報道やデジタルタトゥーによって世間に知られていた。

 風化しつつあったその顔立ちも昨年末の報道で再度出回った。 


 高校の頃には姉にそっくりな絵梨はどこに行っても後ろ指を指されていたが、今ではその顔立ちも目立たないようにあえて地味にしている。

 保健室まで続く廊下の窓に写る絵梨の姿は、そばかす顔に見えるように化粧を施し野暮ったい前髪と長い髪は緩い三つ編み。

 大きな黒縁の瓶底眼鏡で顔を覆い隠し、極め付けは保健師らしくマスク姿で素顔も見えてる?見えないなと言われるほどの徹底ぶりである。


 パット見、誰も絵梨が悲劇のヒロインの妹と分かるはずがなく、今では世間に紛れて社会人しながら生活していた。

 そんな絵梨の最近の悩み事は、遺言書公開時にどう動くべきか、は置いておいて私生活では2つのことで頭を悩ませていた。


 一つはあの報道のせいで再度姉の話題が登り、もうすぐ姉の命月なのに墓地周辺に事件当時のように報道陣がいた場合近寄れなくなることだ。

 いつどのタイミングでお墓参りに行くべきか今一番の悩み事だった。


 そしてもう一つは仕事面で気になる生徒がいること。

 高校一年生の生徒なのだが、三ヶ月前から頻繁に保健室を訪れる子がおり、私生活での悩みがあるのか精神的に参っている様子の彼女を大変気にかけていた。


 本日も保健室に戻ってみると、室内に置かれたベットに浅く腰掛けた生徒が顔色を暗くして俯き、一人座っていた。

 腰まである長い黒髪をポニーテールにし、大きな瞳には憂いが見える。

 実に可愛らしいお嬢さんなのだが、週に何回か決まった時間に来る生徒に絵梨の眉が下がった。


「知崎さんまた来たのね」

「ごめんなさい。先生。今日はその・・・・月のものがひどくて」

 ここに来る理由は様々だが、今日はそう言っているが、先日は頭痛、その前は腹痛と多種多様な理由をつけてここに来る。

 ただそれが仮病とわかっていても絵梨は受け入れていた。


「いいわよ。気が済むまでここにいなさい。もし早退するならその旨、担任の先生には伝えておくから気兼ねなく言ってね」

 その言葉にホッとして彼女は「ありがとうございます」とベットに横になった。


 背中を向けて寝始めた彼女に、今日は雑談する気はないらしいと判断した絵梨は、そのベットを囲うカーテンをそっと閉めた。

 この行為は自分が家族を一度に失い、見知らぬ地で寂しく心を閉ざした自分にそっと寄り添ってくれた保険医の先生がしてくれていた行為だった。


 多感な時期のそれぞれの問題に大人が必要な時とそっと見守ってほしい瞬間があることを身をもって知っている自分にとって、あの時の保健室の先生の対応には本当に有り難く、心の支えになってくれたことに感謝していた。

 だから彼女にも少しでも力になれるならと仮病も黙認している。


 そんな時、外の廊下からバタバタと小走りで近づく気配と共に、急に保健室の戸が開かれた。 

「先せーい」

 ガラッと保健室の戸を引いて入室してきた生徒を見て、絵梨は眉間に皺を寄せた。


「ちょっとベット貸して〜」

 乱暴に戸を閉め、奥にあるベットに移動する生徒の首根っこ掴んで絵梨は阻止する。 

「ちょ!先生!」

「やかましい!なんであんたの寝不足のためにここのベット貸さなきゃいけないのよ」 


「そうはいうけど、授業中寝てたら怒られるじゃん」 

「ここで仮眠取っても同じです。なぜなら私が担任の先生に告げ口するからです」

 この生徒は2年生の生徒で数ヶ月前に他校の男子生徒と親しくなり、人生初の彼氏ができたとわざわざ報告しにきた葉山という生徒だった。


「今日は見逃してよ!」

「いいわけないでしょう!初めての彼氏に浮かれて夜遊びも大概にしなさい!勉学に支障がない程度で遊びなさいよ!」

「耳が痛い・・・。でも先生にも経験あるでしょう。今が一番楽しい時期なんだって」


「知らん。そんな彼氏がいたことはないし、浮かれてる時間がないほど資格摂りまくってたからね」

かった!え、じゃあ先生もしかして処女!?」

 女子校の女生徒なんて赤裸々もいいところだ。もう慣れたと言わんばかりに半眼で絵梨は目の前の生徒を見た。


「そうよ。でも誰にも迷惑はかけてないんだから別にいいでしょう」

「出会いないの!?紹介しようか!」

「要らん!今は家の事情でそんなことしてる余裕はないの。それより話逸らしてここに居座ろうとするな」

「いいじゃん!1時間だけ、ね」

 手を合わせて強請ってくる葉山に、無慈悲に言い放った。


「可愛く言ってもダメです。そもそもここには具合の悪い子が来るところだから、仮眠程度でここには来ないで!今も1人具合は悪くてここに来てる子いるんだから静かにして」

「え、そうなの。ごめんなさい。じゃあ仕方ないかぁ、教室に戻りまーす」

 素直に保健室の扉まで移動した生徒にダメ出しで忠告する。


「ここに人がいようがいまいがダメなものはダメです。怪我病気以外の生徒はお断り。はい帰った帰った」

「ケチー!」

 そういうことじゃないんだよ。それが私の仕事だつーの。


 その後2時間保健室で横になっていた1年生の生徒は、お迎えが来たことで静かに帰って行ったが、絵梨は気になっていることがあり用務員として勤務している幼馴染の恭二に彼女のことを調べるように頼んだ。 

 最初は「なんで俺が!」と言っていたが、話を聞いて顔が曇ったあいつは理事である従兄弟の所へ行って相談しに行った。


 放課後、夕暮れ時生徒が帰っていく中、絵梨は保健室の窓辺に立って壁に寄りかかり腕組して背中越しに外を眺めていた。

 窓の外で寒風に煽られ何枚かの枯葉がカラカラと地面を這う様子を見ながら考え込んでいた。


 現実問題、社会人として生活を続けている以上、姉の事ばかり考えて行動出来る時間は限られる。

 保健師としての矜持もある以上、責任ある仕事なだけに妥協する気もない。

 理想と現実の狭間で揺れるものはあるが目の前のことを全力で取り組めば、仕事も姉の事も希望の光は必ず射すはずと信じて邁進するしかない。


 焦っても何も解決しないとこの9年間学んだ絵梨は、嘆息し本日も日報を書き込もうと机に向かった。


 この先、思いもしない現実が待っていることをこの時の絵梨はまだ知らない。







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