17、捕獲者を踊らせる
6限目の時間になり、知崎静波が保健室を訪れた時は不安を隠せず顔面蒼白になっており、震える声で今後の事を聞いて来た。
「先生この後どうするんですか?」
「利籐先生がここに来るように仕向けるわ」
「私があの人と対峙するんですか?」
今にも泣きそうな表情の彼女に、絵梨は笑顔で首を振った。
「そこはあの先生が会いたがってる人にご登場頂いてから、方をつけるわ」
その言葉に静波はえ?と驚いた表情になった後、上手くいくはずがないと震えたが、絵梨は「大丈夫、私を信じて」と諭した。
「それまでここで待ってて」
そう言って彼女を保健室に置いてある簡易寝台に寝かせると、「放課後が勝負だからそれまでは安心して大丈夫だから」と言うと彼女は小さく頷いた。
「私は今から準備して来るわね」と声をかけるとカーテンを閉めて静かに保健室の外に出て、スマホを取り出し電話番号を表示した。
相手は昨日あの運転手から渡されたメモに書いてあった電話番号だ。
相手が現在仕事中なのを知っていて、それでも彼は無碍にはしないと、そして今が彼にとっても絶好のタイミングでもあると感じ迷わず電話をかけた。
一方その少し前
パリッとしたスリーピースの紺色のスーツを着こなし、前髪をオールバックにした仕事スタイルの要は、今日はどうやって絵梨の所に行こうかと腕を組んで頭を悩ませていた。
中間決算期と言うこともあり今日は朝から会議続きで、抜け出せる状態ではない程スケジュールがぎっしり詰まっており、座りっぱなしの状態が続いていていい加減お尻が痛くなるほどだった。
エリン欠乏症から苛立ち、貧乏ゆすりのように片足が忙しなく踵が浮き沈みする。
途中から何故か他の株主が乱入して来てなんか面倒くさい話が出始めており、仕事とは関係ない話に興味ないとそっぽを向いた。
会議室の窓から見える冬空を見ていると、隣にいる社長である兄に小突かれた。
「おい、集中しろ」
小声で注意され、ちらっと横目で見れば呆れ顔を向けられたが、退屈なのは否めない。
「さっきまで決算の話してましたよね。今のこの時間は何ですか?」
中間決算の報告もあり筆頭株主も交えてこの時間を設けていたが、肝心の話はとうに終わっていた。
現在は株主達を中心に脱線した話が始まっており、マジで早く解散してくれとゲンナリしていた。
「聞いてないのか。さっきから独身のお前に結婚のお相手に相応しい方がいるとかでプレゼンが始まっているぞ」
個人に関する事を株主が首突っ込んで来るとは下世話な。誰にアピールしたいのか大勢の前で紹介するとか意味が分からん。
ちょっとイラッとしながら「俺、もう心に決めた人がいるから、間に合ってるんだけどな」と呟けば兄には聞こえたようで一瞬、は?と目が点になった。
が、直ぐに目の色を変えて会議そっちのけで、向きを変えて弟の首に腕を巻き付けて小声で話しかけてきた。
「どこの誰だ?」
え?
「その心に決めた人とは?」
「聞いてどうするんです」
「お前が今までそんなこと言うの初めてだろう。どこのお嬢さんだ」
どこか誂うような笑みで聞いて来る兄に、言って良いものかと少し戸惑ったが、ここで無視しても兄のことだから誰のことか気になると興信所とか使って調べるのがオチだと素直に応えた。
「・・・・静波の学校の保健師ですよ」
昨日静波のことで起きた出来事を要は夕べ帰宅してすぐに、報連相は大事と会社にいる兄に電話で説明していた。
娘を溺愛している兄はその後慌てて仕事を切り上げて自宅に戻り、すでに学園から帰宅していた静波に、気づいてやれなくてすまなかったと泣いて謝っていたと今朝出勤した時に、義姉から直接聞いている。
その上で力になってくれた保健室の先生に是非御礼を言いたいと今朝学園に行こうとしていた兄を、今日は大事な会議があると引きずって会社に連れて来たのも義姉だった。
そう言う意味でも兄はその存在は知っておりキョトンとした。
「保健室の先生?」
「彼女・・・・マリンの妹なんですよ」
さらに小声で言えば、兄は驚き大きく目を見開き黙ってしまった。
会議中発言をしていた者達は、社長と副社長が会議場中央に背中を向けて兄弟で会話を始めてしまったために発言出来なくなり、会議室内は一気に静まり返っていた。
そこに1本の電話が入り、皆緊張した面持ちになった。
会議が始まる前に社長から『スマホの電源は切るように』とお達しがあったにも関わらず、ベル音が鳴っているからである。
ただ社長がその電話の音を聞いても注意する素振りがないのはどうしたことか?と皆が思っていた時、要が懐から大事そうにスマホを取り出すと、そのまま通話ボタンを押した。
兄は電話の音の場所が弟の背広の中と気づいたが、先ほどの衝撃発言のせいで声を上げられず、またその懐から出したそのスマホの画面にエリンという文字を見て、その相手が仲嶺絵梨だと気づき驚愕な表情をする以外何も出来なかった。
要はそんな皆の視線には気にせず電話に出て会話し始めた。
「もしもし、今日は早く連絡をくれて嬉しいよ」
物腰の柔らかい気遣うような声色にそこにいる者皆がピシリと固まった。
『要くんこんな時間にごめんね』
「何を。君の電話なら夜中だろうと早朝だろうと急いで出るよ」
『そう?ありがとう。実はお願いがあって電話したの』
「何だい?君のお願いなら何でも聞いてあげるよ」
『それは助かるわ。実は静波ちゃんのことなんだけど、問題がもう1つあって今その問題に直面しているの。これからあなたが来て手伝ってくれないかしら』
「俺で役に立つのかい?」
『あなたでなくてはならないの。お願いできる?』
2人の会話は隣にいる兄にも聞こえていたようで、本来は社長として止めるべき立場の人間だが、娘のピンチと聞いて逆に弟の肩をガシッと掴むと「行って来い」と低い声で言った。
要はパアッと明るい顔になると「後、お願い出来ます?」と兄に聞くと、漢の顔でスッと親指を立てられたので、要は「今から急いでそっちに行くよ♪」と絵梨に伝えるとスマホを握りしめて会議室を飛び出して行った。
残された者は唖然として、社長に視線を向けるが漢顔で腕組みして椅子に座っているために副社長がどこに行ったのか聞ける者は誰1人としていなかった。
約1時間後、要の姿は保健室にあり静波は驚いて絵梨と要を交互に何度も指差していたが、人に指を差してはいけません、と辞めさせた。
学園はすでに放課後になっており、外では帰宅する生徒やグラウンドでクラブ活動に励んでいる生徒の声がしていた。
絵梨はベット横にいる2人から離れて自分の席に着き座ったタイミングで保健室の戸が勢いよく開き、教師にしてはやけに派手な化粧にボディラインがはっきりと分かる衣装を身に着けた美女が徐に入室して来た。
その姿を確認した静波は急に怯え始め、要は何かおかしいと異変を感じ取り入って来た人物を怪訝そうに見た。
そんな要に濃い化粧の女が頬を染めてヒールの音を鳴らして近寄って行く。
その女性の後ろには響子がいて絵梨と視線を合わせ、2人頷き合うと、響子はその後スッと姿を消した。
彼女には要がこの学園に来たタイミングで『知崎静波の叔父が姪を迎えに来たようだ』と講習中の利籐に聞こえるように情報を流し、ここに誘導するように頼んでおいた。
今は段取り通り、理事長の真一を呼びに行ってもらっている。
そんなことを知らない利籐は頬を染めたまま要に声をかけ始めた。
「ああ、静波さんの叔父様。知崎要さんですね」
うっとりした表情で詰め寄ってくる香水臭い女性に眉を顰めながら、要は声を出した。
「そうですが、どちら様ですか?」
「大変失礼しました。私、利籐沙奈と申します。静波さんのクラスの英語を担当している者です」
利藤沙奈。
この学園に赴任して2年になる英語教師だ。
見ての通り目を見張るほどの美女だが濃い化粧と鼻につく香水の匂いで女学校の学園内ではかなり浮いた存在のようだ。
正直教師の事は絵梨は履歴書に書かれた事以上の情報は知り得ない。
時間があれば注意深く見ることも出来るが何せ昨日の今日では難しい。
だから今朝、朝練で怪我をした生徒を治療をする為にグラウンドに行った際に生徒に聞き込みをして、始めて利藤と言う教師の実情を知ることが出来た。
『利藤先生、ってあの英語教師の?』
葉山がアシストしてくれたおかげで、他の生徒からも情報を得る事が出来た。
治療しながら、葉山と仲の良い同級生5人が集まり自由に話し始めた内容に耳を傾けた。
『1年の先生だからよく知らないけど、あの先生私はちょっと、いや大分苦手かな』
『私も苦手〜。だってあの先生ちょっと美人だからってマウント取ってくるから感じ悪いんだよね〜』
『ここが男子校なら一躍人気者になれたかもしれないけど、うちは女学校だから美貌なんて無意味じゃん。人気ないの自分のせいなのに生徒に当たり散らす教師なんて誰も見向きしないって』
『必死だよね〜。この間も男の先生達に媚び売ってて、マジあざとくて引いたわ〜』
『女性と男性とで態度変える人に好感持てるわけないよね』
と、こんな感じで利藤の人と成、全否定のオンパレードだった。
1年生に確認しても授業は可も無く不可も無くといった感じだが、高圧的な態度の事が多く苦手と言う意見が多かった。
実情に不満があるのかいつも不機嫌そうな人というのが利藤という教師の皆の共通認識だと生徒達は言っていた。
黙っていれば女神も斯くやの如く美しい利藤を前にして絵梨は、これほどの人が何故あんなことをしたのか不思議でならなかった。
努力のベクトルを間違えた可哀想な人だとも思ってしまった。
そんな女性からの自己紹介に要は当たり障りのない返事をした。
「そうですか。お世話になります」
それよりも教師にしては不適切なまでに近寄る彼女に要は一歩後ろに下がったが、利籐はその隙間を埋めるようさらに要に寄って行く。
要は絵梨に誤解されたくなくて一瞬絵梨の方を見たが、その彼女の視線は利籐ただ一人に向けられ、机に膝を突きその手の甲に顎を乗せて鋭い視線を向けていた。
その視線で静波のもう1つの問題の原因がこの女にあると察した要は目の前の女性に質問した。
「私たちはこれから帰ります。何か用ですか?」
「まあ、もう少しゆっくりしていけばよろしいではないですか?」
は?何言ってるんだ。
保健室に来ている以上生徒は具合が悪いことが前提だ。例え静波が仮病であっても保護者が連れて帰ると言っているのにここに引き止める理由は何もないはずだ。
この時点で要はこの教師の印象は悪いものと認識した。
しかも担任でもないのに出しゃばって来るとはどういう了見だ、と要は眉間に皺を寄せ警戒したが、利藤はそこに気が付かずグイグイと要に声をかけて行った。
「私、あなたとゆっくりお話ししたいとずっと、ずっと思っておりました。あなたは覚えていないでしょうが、高校時代アメリカで過ごされましたよね。その頃私もアメリカで過ごしていたんです」
そう。
利籐沙奈の履歴書をひっくり返して驚いたのは、要と同じ時期に同じアメリカのハイスクールに通っていたことがわかった。
「そうですか。それで?」
相手の目的が何となく分かって来た要は、全く興味がない素振りをした。
利藤は冷や水を被ったように少し冷静になったが、意図を理解していないのか、とさらに話しかけた。
「失礼ですが、要さんはまだ独身ですよね。まだ決まったお相手がいらっしゃらなければ私と」
「いますよ」
利籐の言葉を遮るように要は言葉を発した。
バカ!もう少し泳がせろよ!
焦った絵梨をよそに、要はさらに言い放った。
「俺恋人いますし、その子と結婚も視野に入れてます。今度家族にも紹介する予定ですし、あなたお呼びでないです」
言い切ったよ、おい。
椅子に力なく寄りかかるように天井を見上げた絵梨に要は、言ってやったよとにっこり笑顔を向けたが、絵梨は一切そちら側を見ておらず視線も意図も一方通行だった。
「恋人が・・・・いる?」
「ええ、すっごく可愛いんです」
頬を染めて言う要に、利籐は俯きがちにブルブル震えながら声を出した。
「いつから?」
それまでの声色とは違い低い声で呟く彼女の顔は俯いている関係で影が差していてよく見えない。
「え?何でそんなことあなたに言わなきゃいけないんです。いつからだっていいでしょう」
容赦なく突き放す要の言葉を聞いた後、利籐はそれまでの女の顔を脱ぎ捨てて、静波に向かって醜い表情を晒しながら大声で罵り始めた。
「どう言うことよ!叔父には恋人も!思い人もいないって言っておきながら!婚約を考えるような人間がいるなんて!あんた私に嘘を教えたわね!」
その言い方は教師が生徒に言う言葉としては逸脱しすぎていて、要は目を見開き身動きを止めてしまった。
確かにあんな言動を初めて見聞きしたら思考は停止しても仕方はない。
絵梨だって昨日テープレコーダーに納められた利籐の本性を垣間聞いていなければ絶句していただろう。
今朝そのテープレコーダーの音声を聞いた真一と恭二も、教師とは思えないその罵倒の数々に、真っ青な顔になったほどだ。
絵梨はまた始まったと冷静にその様子を見たが、静波はこれ以上聞きたくないだろう。
現に彼女は顔色が真っ青通り越して真っ白になり涙目になっていた。
これ以上彼女に負担を負わせるわけにはいかないと、絵梨はようやくここで口を開いた。
長いので一旦ここでお話を区切りました。
明日続き(1話)をUP予定です。
よろしくお願いします。




