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追放された宮廷調香師は、辺境の村で竜の眠りを解く――香りだけで呪いも戦争も終わらせます  作者: たむ


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第九十七話 またな、と言った場所に、水をやる

リクは翌朝、土へ返した花の場所に水をやった。


金木犀全体に水をやるのとは、少し違った。


根元から少し離れた、あの小さな札のそば。


“最初に落ちた花を、土へ返した。”


“さよならとは限らない。”


その下の土へ、木の匙でほんの少しだけ水を垂らした。


リオがそれを見て、何も言わずに隣へ立った。


リクは少し照れたように言った。


「やりすぎ?」


「いいと思います」


「花に水っていうか、土に水だけど」


「はい」


「またなって言ったから」


「はい」


「何かしないと、嘘みたいな気がして」


ミナが声守草の籠を抱えて近づいた。


「“またな”のあとに水をやるのは、いいですね」


「そう?」


「はい。戻ってこいと急がせるのではなく、戻るかもしれない場所を乾かさないことです」


リュミナが台所から顔を出す。


「鍋の残り火を消しすぎないのと同じだ」


セリカが白盾を磨きながら言った。


「今日は早いな、正しい例えが」


「私は朝から冴えている」


「朝飯前だからか?」


「朝飯前だからだ」


リクは笑い、木札を一枚足した。


“またな、と言った場所に、水をやる。”


それは根元の低い台のそばに置かれた。


朝食のあと、アリアンヌからの手紙が届いた。


――リクへ。


――母上への咲き始めた手紙を王妃の机へ移した翌朝、私は机の上を拭きました。


――手紙を片づけたのではありません。


――机を、手紙がいてもよい場所にしたかったのです。


――温室から離したのに、手紙が寂しそうに見えたからかもしれません。


――でも、拭きすぎないようにしました。


――母上の机の古い傷まで消してしまわないように。


――今日はアリアンヌ。


――王女の服は、今日はきちんと着ています。少しだけ。


リクは手紙を読んで、土へ水をやった場所を見た。


「机を拭くのも、水みたいなやつ?」


リオは頷いた。


「そうですね。そこにいてもよい場所にすることです」


ミナが微笑む。


「拭きすぎない、も大事ですね」


セリカが言う。


「傷まで消せば、別の机になる」


リュミナは真剣に頷いた。


「鍋も磨きすぎると、育った味を失う」


「鍋の焦げは落とせ」


セリカが言った。


「必要な焦げと不要な焦げがある」


「また難しいことを」


今日だけの棚に札が置かれた。


“手紙がいてもよい机にする。”


その隣に、


“拭きすぎない。”


昼前、白盾記録院からヴォルクの名読みの報告が来た。


三日目。


ヴォルクは第三歩兵隊の名を読み、ユーロ・ダンのところで一度止まったが、前日より早く続きを読んだ。


読み終えた後、彼は記録官に尋ねたという。


“未確定の名の欄は、今日も読むのか。”


記録官が答えた。


“はい。未確定であることも読みます。”


ヴォルクは、しばらく黙った。


そして、名のない欄を見て言った。


“名がないのではない。まだこちらが知らない。”


レインはそれを聞いて、目を閉じた。


戻り香の家の台所は、静かになった。


名がないのではない。


まだこちらが知らない。


それは、灰鷹平原に残された者たちのための言葉であり、すべての記録の底に置かれるべき言葉だった。


リオは深く息をした。


「重い言葉ですね」


セリカが頷く。


「そして、正しい」


ミナが喉に手を当てる。


「知らないことを、存在しないことにしない」


レインは間の棚に札を書いた。


“名がないのではない。まだこちらが知らない。”


その下に、少し迷って、


“知るまで、空欄を空欄として読む。”


セリカが足した。


“免罪ではない。”


リクはさらに小さく書いた。


“空欄にも椅子がいる。”


リュミナが深く頷いた。


「非常によい」


「何で?」


「空欄も立たせたままでは疲れる」


セリカがしばらく考え、頷いた。


「変だが、わかる」


午後、レムリア商市から報告が届いた。


“明日、温めてほしいかもしれない”と言った男が、今日は来た。


料理長は、前日に約束した通り、尋ねた。


“今日は水を温めますか。”


男はしばらく考えて答えた。


“少しだけ。”


料理長は、水を少しだけ温めた。


湯気が立ちすぎないように。


男はそれを飲まなかった。


ただ手を近づけた。


そして言った。


“飲むためじゃなくても、温かい。”


サラ・ベルテはこう結んでいた。


――私たちは、温かさが飲むためだけにあるのではないと学びました。


リュミナは椀を置き、真剣に言った。


「深い」


リクも頷いた。


「飲まなくても温かい」


ミナは札を書いた。


“飲むためじゃなくても、温かい。”


リオがその隣に、


“湯気が立ちすぎないように。”


リュミナがさらに、


“少しだけ温める。”


と足した。


これはレムリアの棚にも、戻り香の家にも必要な火加減だった。


夕方、国王から手紙が届いた。


――リクへ。アリアンヌへ。


――アリアンヌが王妃の机を拭いた。


――拭きすぎなかった。


――私はそれを見て、古い傷に初めて目が留まった。


――エレオノーラが薬湯をこぼした時の跡だと、メリッサが教えてくれた。


――私は知らなかった。


――知らなかったからといって、なかったことにはならない。


――今日は、スープを飲んだ人。


――追伸。二杯目は半分。今日は少し冷めてから飲んだ。それも悪くなかった。


リクは手紙を読み、少し笑った。


「二杯目、冷めてもいいんだな」


リュミナは考え込んだ。


「冷めたものにも味がある」


セリカが驚く。


「お前がそれを言うのか」


「温かい方がよい。しかし、冷めたものが無意味とは限らぬ」


「成長しすぎて、少し怖いな」


リクは今日だけの棚に札を書いた。


“古い傷は、知らなくてもあった。”


その下に、


“冷めてから飲んでも、悪くなかった。”


ミナが微笑む。


「二杯目の記録、本当に育ちましたね」


「棚いる?」


リクが冗談で言うと、リュミナが真顔で反応した。


「いるかもしれない」


セリカが即座に言った。


「作るな」


夜、リクは金木犀の根元にもう一度行った。


朝に水をやった土は、少しだけ色が濃い。


花は見えない。


けれど、その場所は乾いていない。


リクはしゃがみ、札を見た。


“またな、と言った場所に、水をやる。”


「これ、毎日やるのかな」


リオは隣で答えた。


「毎日でなくてもいいと思います」


「乾いたら?」


「その時に」


「忘れたら?」


「思い出した時に」


「そっか」


リクは頷いた。


「またなって、毎日言わなくても消えない?」


「はい」


「でも、水をやった日は残る」


「はい」


その夜、リオは新しい香りを作った。


花を土へ返した場所に垂らした水。


手紙がいてもよい机にするため、拭きすぎなかったアリアンヌ。


名がないのではない、まだこちらが知らないと言ったヴォルク。


空欄を空欄として読むこと。


飲むためではなく手を温める水。


王妃の机の古い薬湯の跡。


冷めても悪くなかった二杯目。


ラベルは、


“またな、と言った場所に、水をやる。”


その瓶は根元の低い台に置かれた。


土へ返した花の場所が、瓶の向こうに見える。


香りは残る。


見えなくなった花の土にも。


知らなかった古い傷にも。


そして、毎日ではなくても、忘れた日があっても、思い出した朝に少し水をやればいいのだと知った、またなの後の静かな手にも。

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