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追放された宮廷調香師は、辺境の村で竜の眠りを解く――香りだけで呪いも戦争も終わらせます  作者: たむ


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第百二十話 少し曖昧な線が、手を休ませる

翌朝、リクは水差しの蓋を閉めた。


太く描き直した印は、少しずれている。


けれど、蓋は閉まっている。


水は透明で、底に沈むものはない。


窓の光が水を通り、隣室の床に淡い揺れを落としている。


リクはその揺れを見て、昨日より少し楽だと思った。


細い印の時は、ぴったり合わせなければならない気がした。


太い印になったら、少しずれても閉まっているとわかる。


正確さは減った。


けれど、信頼は少し増えた気がした。


「曖昧なのに、楽だ」


リクが言うと、ミナが頷いた。


「曖昧さが、助けになる日があります」


セリカが腕を組む。


「ただし、曖昧にしてはいけないこともある」


リオは頷いた。


「はい。水が飲めるかどうかは曖昧にしません。印の線だけ、少し余裕を持たせるのです」


リュミナが台所から言った。


「塩か砂糖かは曖昧にしてはいけない」


セリカが即座に返す。


「絶対にするな」


「しかし、ひとつまみの幅はある」


「それはある」


リクは木札を書いた。


“少し曖昧な線が、手を休ませる。”


その下に、


“曖昧にする場所を、間違えない。”


朝食のあと、アリアンヌから手紙が届いた。


――リクへ。


――廊下の水差しの印を、少し太くしました。


――父上は最初、驚いた顔をしました。


――“これでは正確に閉まっているかわからないのではないか”と言いました。


――メリッサが“閉まっているかはわかります。誰がどれだけ正確に戻したかがわからないだけです”と言いました。


――私は、その違いに少し笑いました。


――水が飲めることが大事です。


――誰が線をぴったり合わせたかではありません。


――今日はアリアンヌ。


――王女の服は、襟元を少し緩めています。でも、礼を失うほどではありません。


リクは手紙を読み、深く頷いた。


「誰が正確に戻したかがわからないだけ」


セリカが静かに言った。


「それでいいことがある」


ミナが微笑む。


「はい。正確な追跡を手放すことで、使いやすくなる支えがあります」


リオは今日だけの棚に札を置いた。


“閉まっているかはわかる。誰が正確に戻したかはわからない。”


ミナがその隣に、


“水が飲めることが大事。”


と書いた。


リュミナが満足げに頷く。


「鍋も食べられることが大事」


セリカが言う。


「味も大事だ」


「もちろんだ」


「焦がすな」


「今日は曖昧な火ではなく、弱火だ」


昼前、白盾記録院から報告が届いた。


隣室の水差しの太い印は、補佐たちに受け入れられた。


若い補佐は、昨日ほど蓋を何度も確認しなかった。


ただ、水を飲んで、蓋を閉め、太い線がだいたい合っていることを見た。


それで終わった。


年長の記録官はこう記録した。


――だいたい合っていることで足りる支援は、だいたいで足りる形にする。


その後、灰色の箱を扱う部屋でも、小さな変更があった。


箱を閉める時、以前は封印線をぴったり合わせる決まりだった。


しかし、それでは記録官の手が固くなり、ヴォルクもその手の固さを見て緊張した。


審理官は、封印そのものは厳密にしつつ、外側の位置線を少し太くした。


“箱が閉じられていること”は確認する。


“誰がどれだけ震えずに閉めたか”までは試験しない。


レインは報告を聞いて、長く息を吐いた。


「震えずに閉めたかを試験しない」


ミナが言った。


「震える手でも、正しく閉められる形が必要ですね」


セリカは札を書いた。


“だいたいで足りる支援は、だいたいで足りる形にする。”


その下に、


“震える手でも、正しく閉められる形。”


それから、いつものように、


“免罪ではない。”


と足した。


リクは少し考えて、


“厳密にする場所と、余裕を持たせる場所を分ける。”


と置いた。


午後、レムリア商市から手紙が来た。


料理長の水差しの太い印は、入口の男にも好評だったという。


彼は水差しを見て言った。


“これなら、誰かが飲んだ後でも責められにくそうです。”


サラ・ベルテが尋ねた。


“飲みますか。”


男は首を横に振った。


“今日は飲まない。でも、飲まないことも記録されすぎない気がする。”


料理長は水を飲んだ。


蓋を閉めた。


線は少しずれた。


男はそれを見て、少し笑った。


“閉まっていますね。”


リクは手紙を読んで笑った。


「閉まっていますね」


ミナも微笑む。


「安心の言葉ですね」


今日だけの棚に札が増えた。


“飲まないことも、記録されすぎない気がする。”


“閉まっていますね。”


リュミナが言った。


「飲む自由と飲まない自由」


セリカが頷く。


「そして、どちらも見張られすぎないこと」


夕方、国王から手紙が届いた。


――リクへ。アリアンヌへ。


――太い印に慣れてきた。


――私は、正確に戻された蓋を見て安心していたのではなく、正確に戻させた自分に安心していたのかもしれない。


――それは信頼ではなく、支配に近い。


――今日は、水差しの蓋が少しずれていた。


――閉まっていた。


――私は直さなかった。


――閉まっているなら、直さなくてよいずれもある。


――今日は、スープを飲んだ人。


――追伸。二杯目は半分。匙の位置がずれていた。直さなかった。椀には落ちなかった。


リュミナが感慨深げに言った。


「直さなくてよいずれ」


セリカが笑う。


「お前の鍋周りには直すべきずれも多いぞ」


「見分ける」


「本当に見分けろ」


リクは今日だけの棚に札を書いた。


“正確に戻させた自分への安心は、信頼ではなく支配に近い。”


“直さなくてよいずれもある。”


“匙の位置はずれていた。直さなかった。”


夜、リクは隣室の水差しを見た。


蓋の印は少しずれている。


でも、閉まっている。


水は飲める。


誰が飲んだかはわからない。


誰が少しずらしたかもわからない。


それで困ることは、今日はない。


リクは水を一口飲んだ。


蓋を閉める。


太い線は、やっぱり少しずれた。


彼は直しかけて、やめた。


「閉まってる」


リオが頷いた。


「はい」


「じゃあ、いい」


ミナが微笑んだ。


「はい」


その夜、リオは新しい香りを作った。


太い印で休んだ手。


襟元を少し緩めたアリアンヌ。


震える手でも正しく閉められる灰色の箱。


飲まないことも記録されすぎないレムリアの水差し。


正確に戻させる安心を手放した王。


直さなかった二杯目の匙のずれ。


ラベルは、


“少し曖昧な線が、手を休ませる。”


その瓶は、太い印が見えるが真正面ではない場所に置かれた。


少し斜めでいい場所に。


香りは残る。


だいたい合っている線にも。


震える手で閉められた箱にも。


そして、閉まっているなら直さなくていいと知って、ぴったり合わせたい指をそっと下ろした夜の水差しにも。

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