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追放された宮廷調香師は、辺境の村で竜の眠りを解く――香りだけで呪いも戦争も終わらせます  作者: たむ


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第百十九話 見やすくする印を、見張りにしない

翌朝、リクは隣室の水差しの蓋を見た。


昨日つけた小さな印は、朝の光の中でよく見えた。


蓋が閉まっているかどうか、すぐにわかる。


それは便利だった。


とても便利だった。


便利だからこそ、リクはしばらくその印を見続けてしまった。


閉まっている。


閉まっている。


今日も閉まっている。


そう確認するたび、安心する。


けれど三度目に確認した時、少し変だと思った。


印は、蓋を閉め忘れた誰かを捕まえるためのものではない。


見やすくするためのもの。


次の人が困らないようにするためのもの。


それなのに、見ているうちに、印が小さな見張り番のように見えてくる。


リクは顔をしかめた。


「便利なものって、すぐ見張りになるな」


リオは隣で頷いた。


「はい。だから時々、役目を確かめる必要があります」


ミナが言った。


「印が悪いのではありません。使い方が、少し硬くなるのです」


セリカは木札を手に取り、低く言った。


「制度も同じだ。最初は助けるためだったものが、いつのまにか疑うための形になる」


リュミナが鍋の蓋を見て、真剣に言った。


「鍋の蓋の印も、吹きこぼれを防ぐためであって、鍋を叱るためではない」


「鍋を叱ったことがあるのか」


「昔の竜は若かった」


「お前だな」


リクは水差しの横に札を書いた。


“見やすくする印を、見張りにしない。”


その下に、


“役目を時々、確かめる。”


朝食のあと、アリアンヌから手紙が届いた。


――リクへ。


――蓋の横につけた印は、とても便利でした。


――閉まっているか、すぐにわかります。


――でも今朝、父上が印を三度見ました。


――私は少し怖くなりました。


――印が、蓋を見るためではなく、閉め忘れた人を探すために使われそうだったからです。


――メリッサが言いました。


――“印は、次の人を助けるためのものです。前の人を捕まえるためだけにしないでください。”


――父上は少し恥ずかしそうでした。


――私も、少し恥ずかしかったです。


――今日はアリアンヌ。


――王女の服は、襟元の印を外しました。服は服として着たい日です。


リクは手紙を読み、ゆっくり頷いた。


「前の人を捕まえるためだけにしない」


ミナが微笑む。


「はい。過去を見る印にも、未来を助ける役目があります」


リオは今日だけの棚に札を置いた。


“次の人を助けるための印。”


セリカが隣に、


“前の人を捕まえるためだけにしない。”


と書いた。


リュミナは襟元の印の話に頷いた。


「服は服として着たい日」


「お前も鎧を鍋つかみにするなよ」


セリカが言うと、リュミナは真顔で答えた。


「熱に強ければ使える」


「使うな」


昼前、白盾記録院から報告が届いた。


隣室の水差しの蓋にも、印がつけられた。


閉まっているか見やすいように。


しかし、若い補佐の一人が、水を飲んだ後、印がまっすぐかどうか何度も確認し、結局水を飲む前より緊張してしまったという。


年長の記録官は、その補佐へ言った。


“印を正しく戻すことが、水を飲む条件ではありません。”


それから、印を少し大きくし、多少ずれても閉まっているとわかる形に替えた。


――厳密すぎる印は、手を固くする。

――少しずれてもわかる印にする。

――飲む人の手を試験しない。


レインは報告を聞き、静かに頷いた。


「飲む人の手を試験しない」


ミナが言った。


「支援を使うたびに試されるなら、それは支援ではなくなります」


セリカは今日だけの棚に札を書いた。


“印を正しく戻すことが、水を飲む条件ではない。”


その下に、


“厳密すぎる印は、手を固くする。”


リクはさらに、


“少しずれてもわかる印。”


と書いた。


午後、レムリア商市から手紙が来た。


料理長の控える場所の水差しにも、蓋の印がつけられた。


しかし料理長は、印を正確に合わせようとして、水を注ぐたびに蓋を何度も回した。


男が来た時、料理長はまだ蓋を回していた。


男はそれを見て言った。


“その水、飲んでいい水ですか。それとも蓋を合わせる練習ですか。”


料理長は固まった。


サラ・ベルテは記録した。


――道具の正しさが、役目を追い越す日がある。


その後、印は丸ではなく、太い線へ替えられた。


ぴったりでなくても、閉まっているとわかるように。


料理長は水を一口飲んだ。


蓋は少しだけ斜めだった。


でも閉まっていた。


リュミナは手紙を読み、深く感動した。


「蓋は少し斜め。でも閉まっていた」


セリカが笑った。


「お前の鍋の蓋にも使えそうだな」


「私の蓋は時々踊る」


「火が強いんだ」


リクは札を書いた。


“道具の正しさが、役目を追い越す日がある。”


その隣に、


“少し斜め。でも閉まっている。”


夜、国王から手紙が届いた。


――リクへ。アリアンヌへ。


――蓋の印を何度も見た。


――見やすくなったことで、私は見張りやすくなった。


――その違いに気づくのが遅れた。


――メリッサが、印を少し大きくした。


――少しずれても閉まっているとわかるように。


――私は、正確さを信頼と混同してきた。


――ずれないことを信頼と呼び、ずれた時にはすぐ疑った。


――しかし、少しずれても閉まっている蓋がある。


――今日は、スープを飲んだ人。


――追伸。二杯目は半分。匙を置く位置が昨日より少しずれた。だが、椀の中には落ちなかった。


リュミナが静かに言った。


「よいずれだ」


セリカが笑う。


「ずれにまで種類ができたか」


「ある」


リクは今日だけの棚に札を書いた。


“見やすくなったことで、見張りやすくもなる。”


“正確さと信頼を混同しない。”


“少しずれても閉まっている蓋がある。”


そして日々の棚へ、


“匙の位置はずれた。でも椀には落ちなかった。”


を置いた。


夜、リクは隣室の水差しの蓋の印を少し大きくした。


細い線ではなく、太い線。


ぴったり合わせなくても、閉まっているかどうかはわかる。


彼は蓋を閉めてみた。


少しずれている。


でも、閉まっている。


「これでいい?」


リオが頷いた。


「はい」


「ずれてるけど」


ミナが微笑む。


「閉まっています」


「見張りっぽくない?」


セリカが答えた。


「前よりはな」


リュミナが言った。


「飲める」


それが一番わかりやすい答えだった。


その夜、リオは新しい香りを作った。


太くなった蓋の印。


襟元の印を外したアリアンヌ。


少しずれてもわかる印に替えた白盾記録院。


蓋合わせの練習になりかけたレムリアの水差し。


正確さと信頼を混同しないと書いた王。


椀に落ちなかった二杯目の匙。


ラベルは、


“見やすくする印を、見張りにしない。”


その瓶は水差しの真正面ではなく、少し横に置かれた。


見やすいが、見張らない場所に。


香りは残る。


少し斜めの蓋にも。


太くされた印にも。


そして、閉まっていることを確かめるための線が、誰かの手を試験する細い刃にならないよう、少し太く、少し曖昧に描き直した夜の指にも。

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