2002年1月 Part1
それからしばらくしたのちに、祠堂薄暮が玖条の家に来た。
薄暮さんが来た時の反応はそれぞれだった。
父は、憎々し気。
母は、目を背け、いないふりをしていた。
使用人たちは、恐れるように隠れていた。
そんな人たちに、薄暮さんは目もくれず私に挨拶をしてくれた。
「久しぶりだね、アオイちゃん」
「ご無沙汰しております、ハクボさん」
「やだな。そんなにかしこまらないで」
かしこまるというより、緊張するという感じの方が近い。
クラスの人達が、ライブに行って『推し活』なることをしている理由が分かった気がする。これだけの美形が間近に迫ると胸の高鳴りが止まらなくなる。
そんな私に気にも留めず、ハクボさんは仕事の説明をしてくれる。
「ざっと説明するけれど、僕たちの仕事は夜の街に出て【よくないもの】だったり【魔堕ち】した異形の処断、あとは………遭遇しないとは思うけれど街に降りてくる【超次元存在】かな」
前者二つはわかる。
でも、最後の一つは知らない。
「まあ、小数点以下の確率だけど。みんなが【神】とか【悪魔】とか言われる存在は、実在しているわけで、それがなんの拍子か降臨するときがあるんだよね。それを元居た場所に戻してあげる必要がある。イレギュラーなことだけど、無いこともないから」
さらっと言っているけれど、とんでもないことだ。
「問題ないよ。【神】と言うのは、礼節とお酒が大好きだから。下手に怒らせない限りちゃんと人間の言葉に耳を傾けてくれるよ。【悪魔】は、………栗栖さんやキリエさんが嗅ぎ付けて倒してくれるよ。だから栗栖さんとキリエさんとは交流をちゃんとしておいた方がいい二人だよ」
なるほど。
実は、当主代行を務めるにあたり真っ先に紹介されたのが、栗栖さんとキリエさんだった。
どちらも、海外からきたとわかる顔立ちでこの国特有の顔立ちではなかった。
紹介を仲介してもらった祠堂篝火さんからも彼らの支援を優先するようにと言いつけを受けた。
なるほど、そんな特異現象を彼らは請け負っているのか。
「だから、基本は【よくないもの】と【魔堕ち】した異形の討伐がメインになるかな」
それでも、小学生の身には余るように思える。
「大丈夫だよ。ちょっと練習していこうか」
そう言うと、玖条の駐車場でお互いに距離をとって向き合った。
「それじゃ、【能力】を使ってみて」
指示された通り、自分の中の【黒い力】に熱を入れる。
玖条の力は【投影・投射】だ。
自分の体の質量を百としたとき、百を越えないものを任意の場所に投影して動かし、投げつけることができる。私の体重が三十キロ。それを越える四十キロの物は投影できない。正確には重さを無視して形だけなら投影できる。
投影も自分が想像できるものでしかできない。
投影するにあたって、Aという物を一度頭にインプットしてから能力として再現する必要がある。
だから、突発的に能力を使用するにあたって玖条がよく再現するものは。
「おっと」
私が再現した『自分の腕』は、ハクボさんは余裕をもって交わした。
だから———。
「お?」
真正面にわざわざ投影した腕は、おとりで本命は———。
脚払い!
正面位置に腕を出したのは、上半身への警戒意識を高めるため。本当は、防御して脚への意識を薄めてほしかった———けれど。
そんなことなどお構いなく。
すべての攻撃をハクボさんは躱した。
正面の腕を再度ステップで躱したあと、脚払いをタイミングよくバク転の要領で体を上下逆にして私の投射した脚と入れ違うように片腕で立っていた。
まるで全身に目があるかのような行動だった。
「二段構えの投射はいい判断だと思うよ。一瞬のうちに判断できる点は満点かな。ただもう一押しほしいかな」
なんとなくすごい人なのは理解していた。
だけど、対面して対戦して初めて理解した。
この人は、父より圧倒的に技量がすごい。
なにより———。
まだ【能力】すら見せていない。
その後も、ことごとく避けて躱されて流されて私の【投影】はハクボさんに届くことはなかった。
なにより、私は息切れをしているのにハクボさんは顔色に似合わずこちらを気遣う余裕さえあった。
「すごいですね。こんなにもこっちは限界だっていうのに」
「それは仕方がないさ。経験がものを言っているだけで。………篝火さんとの××に比べれば」
なぜか、いつも青い顔をしているのに、一瞬で暗い顔に変身して見せた。
まるで二日酔いを我慢している人の顔だ。
この人、デフォルメが青いから勘違いしてしまいそうになるけれど今が健康に近い状態なんだ。
「でも、君にもすごいところがあるのを理解している?」
すごいところ?
なんだろう。
技術は未熟。
横とのつながりは、まったくないに等しい。
求心力も小学生の身にはない。
自分の力量の無さに逆にへこみそうになる。
そんな私を見て、ハクボさんは優しく微笑んでいた。
「なら教えてあげるよ」
そう言うと、道に落ちていた石を掴むと———。
父の書斎に思いっきり投げつけた。
まあ、案の定。
激怒した父が罵声を浴びせながら出てきた。
そんな父にハクボさんは飄々と模擬戦をしてくれるように言った。
………依頼するほどのことでもなかった。
逆上した父は、【能力】をこれでもかという投射をぶつけてきた。
重さ。
多彩な技術。
獲物の狩り方。
どれも私よりも上だった。
………ただ、一点。
「ハァ………ハア。ッア………」
開始して五分もかからずに父は息を切らしていた。
そんな息切れをしている父が相手になるはずもなく。
ハクボさんの最初で最後の蹴りでノックアウトされた。
圧勝。
【能力】すら使わず、身体能力だけで。
でも今ので理解した。
「持続時間ですか」
「そうそう!」
見ていて理解できた。
序盤は理解できなかった。
でも、いっきに疲弊していく父を見て理解できた。
「でも、なんで?」
同じ能力なら私も息切れをする時間が同じはずなのに。
私は、ハクボさんとの打ち合いを一時間近く続けたが体を動かした疲労はあるものの、衝動的なものもない。
「この【能力】についてどれだけ知っている?」
ハクボさんに言われて、頭を働かせた。
「たしか、私達の家系は人間じゃない【血】が混じっていて、【血】の力を使うと【魂】が汚染されて【魔堕ち】する、でしたか?」
その言葉を聞いて、うんうんと頷くハクボさん。
「その通り。君のお父さんの場合、魂の汚染に伴って著しく抗おうとする生命本能が【疲弊】という形で現れている。………まあ、要するに生命本能の安全装置だね」
それは理解できる。
だからこそ、どうしてという思考が前に出る。
私には、疲労感こそあれ生命が脅かされているという危機感はない。
むしろ運動をして体が疲弊した感じに近い。
「君に誕生日プレゼントを渡したのを覚えているかな」
ああ、あの透き通った球体。
………もしかして。
「あれは体からにじみ出る汚染を【魂】に行かないようにする保護フィルター………のような物だと思えばいいよ」
とんでもない爆弾発言をした。
それがあれば、私達のような【魔人】の制約が取り払われ———。
「まあ、あれはもうできないだろうから大量生産は無理かな」
一瞬で、私の思考を読み取ったのか無理であることを突き付けてきた。
でも、それなら———。
「どうして私なの?」
そこまで軽快に語っていたハクボさんの表情が困り顔に変わった。
「どうして、か」
どうしてという部分に感情のわだかまりが見て取れた。
「しいて言うのであれば、それが『僕』の役割だからかな」
それ以上、ハクボさんは語らず。
疲れた体を休めるように言うだけだった。
ちなみに、伸びていた父は使用人によって回収された。
仕事は予想よりも単純だった。
眠らない街。
不夜城。
世界の裏側。
比喩する言葉は多々あれど、夜の街には二面性が付きまとっていた。
昼の住民とは違い、夜の住民は野蛮という言葉が当てはまる。
表通りでは、キャバクラ嬢に抱き着く中年男性。
酔っ払いによる怒号。
悪質な客引き。
昼に見せない裏の顔。
さらに監視カメラのない通りに出ると死人のように転がる人。
酒におぼれた人が路面に汚物を吐き出す。
異常な大金を出して、白い袋を渡す背広の人達。
自分の住んでいる街とは思えない側面。
が、それでもまだ表側だ。
ハクボさんについていくと、最寄りの警察署に連れて行かれた。
なんでも警察の人たちは、茂野辺家の人達がまとめているらしく話は通っていた。
「よろしくお願いします、玖条さん!」
見事な敬礼をしてもらったのはいいけれど、私は初めてで………。
「それじゃ、説明していくよ」
ハクボさんはいきなり、説明をしていった。
おそらく駐屯している人達と話をすり合わせるためにわざわざ来たのだろう。
「僕たち十家は、夜のパトロールを十名二組で行わなきゃいけない。で、警察の人達は、人間で処理できる範疇のことをして、十家は警察で対処できないことを行っていく。それでいいかな?」
「「はっ! 本官たちに異存ありません」」
順序を確認していくと、まず十家の当主は、一旦警察署によって巡視の開始を警察に通達。通達後、待機させていた分家および本家住まいの人を区画ごとに巡視させる。なお、日割りで巡視する人を決めるので自分たちの汚染具合を確認しながら【魔堕ち】することがないように人員の確認もすること。当主は、基本全参加であるが最も【魔堕ち】しやすいので自分の汚染度を把握しながら役割をこなし、必要があれば他家から応援を要請すること。
玖条と懇意にしてくれているのは、吾喰家や久峨家らしい。茂野辺は全体俯瞰主義であり、御錠は玖条と比較しても人員に余裕があるため『貸し』しかできないとのことでやめておいた方がいいとハクボさん談。栗栖家とキリエ家は、制御せず。姫条は、連絡しても返信が返ってこないだろうとのことだ。
「じゃ、祠堂のおうちは?」
「あー、今回は特別処置で。祠堂の家に応援をするということは、超異例のことだと思った方がいいかな。他家に付け込まれる隙が生まれるから」
十家の中でも、めんどくさい縛りがあるみたいだ。
「それなら、もうハクボさんやカガリさんに会うことはないのですか?」
「………意外だね。てっきり僕や篝火のことに苦手意識を持っていると思ったのに」
「? ここまでよくしてもらってですか?」
それこそ意外だ。
取り潰されても仕方がないところを救済処置までしてくれたのに。
それに———。
「お誕生日に純粋に来てくれた人のことを嫌いになることはできないと思いますよ?」
そう言うと、ハクボさんは優しい笑みを浮かべてくれた。
そうこうしていると、裏路地から異音が聞こえてきた。
ハクボさんからさっきまでの笑みが消える。
路地裏に向けられた瞳も、獰猛な光を放っている。
何より、私自身も異常を体感していた。
液物がブチ撒かれる音。
なまものが放置されたかのような腐臭。
鉄が錆びたようなにおい。
何より———。
「体が、重く———」
ビリビリと張り付くようなプレッシャー。
呼吸をするのも一苦労な重み。
うまく肺に空気が送られず、胸が痙攣を始める。
そんな中、ハクボさんが口先だけ能天気に———。
「小数点以下の確率を引くなんてアオイちゃんは持っているな」
そんな拍子抜けすることを言ってのけた。
私は、痙攣する胸を必至に拳で叩き、臓器としての機能を保たせる。
「領分じゃないけれど、対処はしないとね」
そう言いながら、路地の奥へ奥へとハクボさんは進んでいく。
そこに。
ビシャビシャと音を立てる影があった。
形は人間。
だけど、同じ人間を食べているということから人間ではないことが伺える。
そんな後ろ姿に。
「おーい。君はここにいちゃいけないだろ?」
そんな能天気な声をハクボさんがかける。
その制止の言葉でその黒い影が振り向く。
鋭くとがった歯。
体の均衡を失ったかのようなアンバランスな筋肉のつき方。
肥大した右腕と細く鋭利になっている左手。
背面はブクブクと膨れ上がった瘤。
何より異常なのは、口の部分はあるものの、顔面が潰れたもしくはくりぬかれたかのように本来あるべき眼球や鼻がないところだ。
『オマエは、私に話しかけたのかぁ?』
ねっとりとした気持ち悪い話し方に吐き気をもよおす。
そんな相手にハクボさんは臆せず語りかける。
「見逃してあげるから、いるべきところに帰れ」
発言をするたびに相手から感じる圧が肩にのしかかってくる。
それでも物おじせずにハクボさんは目の前の黒い影に言い切った。
『人間風情が、誰に———』
言い切る前に、
「ぺっ」
ハクボさんが、口から痰を飛ばして黒い影にかけた。
一瞬、何をしたのか理解できなかった。
フリーズしている私に構わず、ハクボさんが続ける。
「話が長い。こっちは忙しい。帰れ」
それだけで、目の前の黒い影は激怒したのだろう。
一呼吸のうちにハクボさんの間合いを詰めて鋭利な腕を伸ばし———。
ハクボさんに叩き折られた。
………強すぎない?
それでもあきらめず、黒い影は鋭利な口を向けようとして———。
顎に強烈なキックを決められて、のたうちまわった。
「この世界に来たばかりだろ? 痛覚に慣れていないお前らは、よく効くだろう?」
肥大した右腕をが目に見えない何かで切断され、紫焔があがった。
「まだ『痛い』で済んでいるうちに帰れ」
それでもなお、プライドが許さないのだろう。
無いはずの目がハクボさんに向けられている。
無いはずなのに、憎々しげに見ているように見える。
そんな態度にハクボさんは、嘆息した。
「自分たちは、高次元存在だからこの世界では死なないと思っているからそんな余裕をもっているんだろ? なら、その余裕が消えれば現実に向き合うのかな?」
バチィ。
空間が放電し始める。
目がおかしくなったのか?
暗転し暗い空間の中、地面から彼岸花が咲き始めた。咲き始めた彼岸花を両岸に、鳥居が姿を現した。光はないはずなのに、あたりがよく見る。よく見ると、彼岸花が仄かに光を帯びていた。
あたりを観察するのでいっぱいだった私を他所に、ハクボさんは黒い影の首元を掴んで思いっきり引っ張り上げた。
私は、最初、首をとるのかと思っていたけれど違った。
黒い影という『肉体』がドサリという音を立てて転がり、ハクボさんの手には………ノイズの走った存在があった。
おそらく、私では認識できないものなのだろう。
脳髄が白熱し、『見る』という行動を拒否していた。
それでも、見届けなければ。
「僕にとって馴染んだ彼岸だ。君も馴染んだ道だろ?」
冷たく言い放つ。
それは、侮蔑の意味も込めて。
ノイズまみれの存在が何か言っているが、私には聞こえない。
理解できない。
理解できない言語。
脳が認識を拒否した結果だと思う。
「警告を無視したのはそちらだ。素直に従っていればこうはならなかった」
そう言うと、ノイズまみれの存在を彼岸花の先にある鳥居に投げ捨てた。
急いでノイズまみれの存在は、起き上がろうとするけれど、うまく立ち上がれない。その足にはツタが絡まって動くことが難しくなる。どんどん絡みつき、ノイズ部分が見えなくなるまで消えて。
瞬きをして———。
そのまま、風景がもとに戻った。
路地裏。
「ふぅ」
何事もなかったかのように、ハクボさんは息を吐いた。
その背後に、言葉をかけるのがためらわれたけれど臆せず声を出す。
「あ、あの」
「あ、ごめんね。訳も分からず放置しちゃったね」
放置も何も訳が分からない。
というか、初めてハクボさんが【能力】を使った姿を見た。
「あれは【悪魔】だよ。本来なら、相性のいい栗栖家やキリエ家の人に対応してもらうところだけど、この街に肉体をもって顕現してしまったから特例で処断しちゃった」
処断って。
見た限り、あれはそんなものじゃ………。
それにあの風景。
「ああ、あれは………そうだな。この世とあの世の境界線と言ったところかな。僕、結構死にかけた時代があって、それで身についた『特技』なんだけど」
『特技』?
「今の、【能力】じゃないんですか⁉」
「違うけど? さっきも言ったけど死にかけたときにどうすれば帰ってこられるのか、逝くことができるのか、がわかってしまっただけだよ」
とんでもないことを暴露された気がした。
「僕は特に【能力】を持たずに生まれた一般人だよ」
それこそ、嘘だと言いたくなった。
私の父よりも圧倒的な力量であり、特異現象すら葬ることができる実力。
しかも、円滑なコミュニケーション。
率先して異常と向き合う胆力。
誰よりも『玖条』を名乗るのにふさわしいとさえ思って知った。
玖条に連なると聞いて、どうしてこの人が当主にならないのかが不思議でならない。
だから自然と———。
「どうして『玖条』を継がなかったのですか?」
そんな不躾な質問をしてしまった。
ハクボさんは困り顔で、
「僕には、玖条の【血】は流れていないよ」
「でも、あの屋敷で暮らしていたんでしょ?」
その言葉にどう返したらいいか困り顔だった。
悩んでから、
「君の祖父にあたる玖条勝馬氏の書斎に僕の資料とかある………かも?」
私が生まれたときには、すでに死んでいる人物だ。
確か、洋館の角部屋だった気がする。
そんな思考を切り替えるように、ハクボさんは手を叩いた。
「まだ夜は長いよ。切り替えていこう。それに今回は特例だったからあれだけど、次はアオイちゃんが対処してみようか」
そうして私は、夜の街の一幕を過ごすこととなった。
結果から言えば楽だった。
さっきの異常現象に比べれば、湧いて出た死霊や鬼は叩いて潰す程度のことだった。
拍子抜けするほどあっけない。
………まあ、私は【能力】を使って叩き潰しているけれど、隣には素手で鬼たちを消滅させている人がいる。
比べたらダメだと思いつつ、心に敗北感を突き付けられた一夜であった。




