ヒーロー
シノノメの曲がった背中には、あまりにも重いものがのしかかっている。
「どうして?シノノメは悪いことが起きないように、戦争だけは起こさせないと、一人ぼっちでずっと頑張ったのに。どうして、そんなに、道に生えている草を見ずに踏み潰すように、伸びた爪を切るように、飲み終わった瓶を屑かごに捨てるように…あなた達は、彼女にこんなひどいことが出来るの」
「…何も知らずに、自分の身の可愛さ余って最後の鉄槌を下した君に言われたくはないな」
むっ、とオーウェンさんは口を尖らせるが、私の口は震えながら言葉を紡ぐ。
「ひどい。ひどすぎるよ。シルビア王子も、オーウェンさんも、この国も、…私も。シノノメを傷つけてばかりだ。どうしてこうなっちゃうのかなあ、どうしてこんなひどいことしちゃうんだろう」
「そんなの、君だって薄々感じていたんじゃないのか?俺が最初君に迫った時から、少なくとも俺はひどいことが出来る人間だと。だから毎日毎日、俺を避けるようにしていたんだろう」
「うん。私、意地悪するオーウェンさんが苦手で、毎日嫌々顔を合わせていた」
極力近寄りたくもなくて、毎日のお菓子を投げつけることもしばしばだった。
「でも、私はオーウェンさんのこと心の底から嫌っているわけじゃなかった」
「はあ?」
「だって、兄様…あなたの同期のアルが妹を探しているのを気遣っていたのは、嘘じゃなさそうだったから。あなたが本気で兄様を心配していた気持ちが伝わったから、きっとあなたが兄様に告げ口をしてしまうと思った。だから私は本当のことを打ち明けたの」
あの時のオーウェンさんの言葉が蘇る。
『ハルシアちゃん、アルは本当に君のことが心配で死に物狂いで今も探しているぞ。しかし騎士として、子爵家嫡男という身分の間に挟まれて上手く動けないことに本当に苦しんでいるんだ。なぜ家出なんて馬鹿なことをしたんだ』
あの時の彼は確かに、友人を気遣う一人の青年だった。
「こんな風に誰かを心から心配できるような人、嫌いになれるわけない」
「…君、馬鹿なの?俺は今さっき、君の大事な主人を殺そうとしたんだよ?」
「だから私はオーウェンさんの事嫌いじゃないけど、許せないよ」
「話が矛盾してるような気がするけど」
「そうかもしれない。けど、…ああ、もうわからない。オーウェンさんが考えていること、シルビア王子が考えていること、この国が、みんなが、何をしようとしているのか本当にわからないよっ」
私はこんなに子供だっただろうか。
訳が分からなくて、怖くて、泣いてしまうなんて。
自分が同い年の子たちとは違って少し大人びていると驕っていたのが恥ずかしい。
「…君みたいな綺麗事だけを信じている人間に、俺たちの事を理解されてたまるか」
「理解…?こんな、大切な国民を戦争に巻き込んで、戦争で富や権力を他国から奪い取ろうなんて馬鹿なこと、そんなの国民が望んでいないって事さえもわからない貴方たちのことを理解できるわけがない!」
「わからないわからないと喚く割には、君は俺達を理解しようとしない。だからじゃないのか?本当に君は何もわかっちゃいない。見ようともしていない。王は、誰もが争わない平和な国を作るべきだと。そんなのはただの綺麗事で、本当に国民はそれを望んでいるのか?」
「当たり前だよ、誰だって戦争なんかで大切な人と離れ離れになんかなりたいとは思わないし、必要最低限の生活が出来れば…」
「違う。国民は、自分たちが豊かな暮らしが出来ればいいと思っているんだよ。現に隣の芝は青い。豊かで穏やかなドゥーヤが妬ましくて、そんなドゥーヤが自分たちより下で生きていないと不満で仕方ないんだ。王族にすがることしかできない無力な国民は、無いものをねだって王族よりも偉そうに、我儘放題言いたいこと言って、傲慢な欲望を押し付ける生き方しかできないんだ!」
「どうしてあなたたちはそんな考えしかできないの…!」
話が根本的なところで噛み合わない私たちには、溝が出来ていくばかり。
「だって。私が町で生きた1年半、誰も戦争がしたいだなんて言っていなかった。みんな裕福ではないけれど、たわいもない話で笑って、質素なごはんを美味しそうに食べていた!」
「そんな質素ながらも自然な暮らしができる層など、限られた数しかいない。少し路地に入れば家もなく靴も履いていない惨めな人生を送る人間が溢れている。戦争で勝ち抜くことによって層全体が一気にランクアップできる。それで何万人もの人間が息をつなげられることか」
「誰もが裕福な社会を作りたいの?裕福じゃない人たちを救いたいの?…あいにく私にはあなたの言葉がそうは聞こえない。戦争は利益と損失を生むものよ。富と繁栄の為に、誰かが必ず死ぬ。何万人もの人間が息を繋げられる代わりに何万人もの人間が戦場で命を落とす!どこがプラスでマイナスなの?戦争をすれば今より良い暮らしができるだなんて、そんなの、さも良いことをしていますと見栄を張りたいが為に出た言葉にしか聞こえなかった!」
「…だから、王族じゃない君も、そこらへんにいる奴らと何も変わらない。俺たち王族が良かれと思ってすることに何でもかんでもケチをつけるんだ」
「そうじゃなくて…っ!」
こんなに近くで言い合っているのに、声が全く届かない。
目の前の彼は、どこまで遠くに行ってしまっているんだろう。
この国は、どこに行ってしまうんだろう。
このままではいつの日か、あの穏やかな城下のパン屋も、男たちの活気に賑わう港町の居酒屋も、みんなみんな跡形もなく消えてしまいそうだ。
止めなければいけない。
この、少し手を伸ばせば届く光をも失い、自暴自棄になっている人を。
「…どちらにせよ、君は秘密を知りすぎた。君を生かしておくわけにはいかない。禁術だって使えるしね。シノノメ殿を殺害する計画を邪魔されて俺は苛立っているんだ。今日みたいなこうもいいタイミング、なかなか無いってのに」
「オーウェンさん、…私、ちゃんとあなたと話がしたい」
「話?…笑わせてくれるね。話をして君と俺とじゃ噛み合わないのはもうわかっただろう」
「ちがう私…!」
あなたに、あなたが知らないことを教えてあげたい。
だって、この国には素晴らしい物が沢山あった。
ほかほかの美味しい食べ物、思わず楽しくなってしまう温かい人たち。元気に遊びまわる子供達に、綺麗な夕日。
そんな今ある幸せを、戦争なんかで壊そうとしていること。
何も知らずに勝手に国民に幸せの概念を押し付けていること。
不確かな利益という夢に溺れて、ないものねだりをしているのは、あなた達だってこと!
「…君の綺麗事を聞いたらまた毒を吐くよ」
オーウェンさんは、先ほどシノノメに向けた短剣をスラリと抜き、冷たい眼差しで私を見た。
「じゃあね、ハルシアちゃん。…そうだ、アルに、最後に何か伝えてあげようか?」
「まってオーウェンさん、あなた達は勘違いをしている!お願い話を聞いて…!」
「そう。君は本当に救いようがないね。…君は俺の事嫌いじゃないって言ってくれたけど、俺は君の事嫌いだったよ」
バイバイ。
そう言って、オーウェンさんはいつもの人当たりが良い笑顔で、剣を振った。
結局、私は何もできないまま死ぬの?
シノノメを傷つけて。
兄を、家族を騙して心配させて。
取り返しもつかないことをしようといる目の前の人も止められない。
挙句、私は追いかけた夢さえも叶えられずに。
悔しい。こんなところで。
…会いたい。
一度でいいから、もう一度だけ会いたかった。
「ゼトラスさん…っ!!」
私は迫る切っ先にギュッと目を瞑る。
「…聞いていれば、てめえの勝手な価値観ばかり押し付けやがって」
ハッ、と瞑っていた目を開ければ、オーウェンさんの短剣を持つ手は、もう一人のオーウェンさんによって止められていた。
「よくもこんな必死で健気な嬢ちゃんを虐められるな」
「…!?お、俺?」
彼はどうして、いつも私のピンチに駆けつけてくれるのだろう。
彼は短剣を持つオーウェンさんの腕を捻上げ、カランと空しい音を立てて床に落ちた短剣を足で遠くに蹴り上げた。
予想だにしない人物に、オーウェンさんはぱちぱちとアクアブルーの目を瞬かせていたが、私は願っていた人物の登場に一層涙が溢れる。
「え、え?なんで俺?………っ!!」
突然現れた第三者に戸惑っていたオーウェンさんだが、一拍遅れて状況を理解したらしく、捻上げられた手を忌々しく見、眉間から鼻まで深く皺を作ってもう一人のオーウェンさんを睨んだ。
「“鏡の魔法”か…!」
「ああその通りだ。お前の姿は動きやすかったぞ。ありがとな、今返す」
そう言って、一陣の風が彼を吹き抜ける。
――そして、現れた姿にオーウェンさんはヒュッと息を飲み、私は堪らずその名を呼んだ。
「ゼトラスさあん…っ!!」
宵の色の短い髪に、炯々と輝く月色の眼差し。
初めて会った時よりも少し顔の彫りが深く、もっと格好良くなっていた。
しかし変わらず堂々とした出で立ちにどっと安心感が込み上げる。
―――死んでなんかいなかった。
彼は、また私を助けてくれた。
「そ、んな。あなたは、確かに死んだと。兄上も、エドウィン王子もみんな仰っていたではありませんか!」
「んなもん知るか。俺が死んだって証拠は?ねえだろ。こうして今生きてんだから」
普通に正論で返されてぐうの音も出ないオーウェンさんは、ゼトラスさんの気迫にうっとたじろぐ。
「おいハルシア」
「っいててて!」
オーウェンさんの腕を捻上げたまま、ゼトラスさんは片膝を床につけ、へたり込んでる私に視線を向けた。
オーウェンさんは更に変な方向に腕が曲がってかなり痛そうに声を上げた。
「ったく、逃げろと言っても聞きやしねえ。おまけに無茶ばっかしやがるからこっちがヒヤヒヤする」
「ご、ごめんなさい」
「この馬鹿王子の愚行を逆手に取って晒し者にする計画もおかげでパアだ。…だが、これはこれで悪くない」
武骨で、少しかさついた大きな掌が頭の上に乗る。
「よく頑張ったな。シノノメ・リンデンブルクの無事はお前のおかげだ」
がしがしっと髪の毛がぐちゃぐちゃになるほど掻き混ぜられる。
オーウェンさんに、シノノメを危険に晒したのは私であると言われた。
なのに彼は、私がシノノメを守ったのだと。
この人は、私が心の中でも言えなかった、本当に欲しかった言葉をくれた。
「……はいっ」
「よし!」
終いにぽんぽん。と軽く叩かれて温かな手が離れていく。
ゼトラスさんがあまりにも屈託もなく笑うもんだから、私は笑いながら涙を流すという器用なことをしでかした。
「…くそ!離せ!」
「おっと、往生際が悪いな」
「ぐあっ!」
捻ね上げられた腕を取ってオーウェンさんがゼトラスさんを投げようとするが、ゼトラスさんはその流れに乗ってオーウェンさんの背中を転がるように背後に回り、逆にオーウェンさんの身体が宙を舞って地面に叩き付けられた。
「甘いな、弟くん。体術の国、ドゥーヤの王子に体術で挑もうなんて百年早い」
「がはっ…」
あんなに私が足掻いてもビクともしなかったオーウェンさんが、まるで赤子のようにゼトラスさんにあしらわれている。
「てめえには散々世話になったな。おかげで今ホールは大混乱だ。ハルシアのことも散々虐めてくれたみてえだしな?」
どう落とし前つけてくれようか。と舌なめずりをするゼトラスさんは、なんというか、私が言うのもあれだけどオーウェンさんとどっちが悪人かわからない形相をしている。
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