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ドッペルゲンガーの綱渡り  作者: 玉木玉根木
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深い溝



あまりの恐怖に息が止まる。

いつもニコニコと笑っている彼の顔から表情がなくなって、彼のアクアブルーの淀んだ瞳には酷く怯えて青ざめた私が反射していた。


「ちょっと鬱陶しいな、ってくらいに思っていたこんな脆弱な風魔法なんかに邪魔されるなんて。本当に屈辱だよ」

「っかは…!」

「まあおかげで犯人もすぐに炙り出せたけどね」


胸倉を掴まれ、そのまま壁に打ち付けられる。

一瞬息が止まり、私は反射で咳き込む。


「あそこでシノノメ殿を仕留められれば、完全にドゥーヤに罪を着せられてほどなく戦になっていただろうにな」


やっぱり。シノノメの見解は正しかったみたいだ。

プラナリアが無実のドゥーヤに戦争を吹っ掛けているんだ。

そしてそのキーマンがこのオーウェンさん。

このプラナリア国の第二王子。


「あなたがシノノメをっ…!」


ならば、ゼトラスさんの姿を悪用したのも彼だというのか。

本当に、なんてことを。

私が怒りに顔を歪ませると、オーウェンさんはいつもの人当たりの良い笑顔を見せた。

こんな時でさえ彼はそんな顔ができるのかと、私は底冷えがするような恐怖を感じる。


「しかし、シノノメ殿を殺すことこそできなかったが、ドゥーヤへの疑いの声はどんどん大きく育ってきたな。ほら、一緒に聞きに行こうか」


暴れる私を抱えてオーウェンさんは階段を上って2階のバルコニーに足を向けた。


「離して!」


抗うためにオーウェンさんを殴ろうと拳を握るが、酷く冷たい視線に射殺され、拳を振るえずに私はただ彼の腕の中で怯えた。


ほどなくバルコニーに着けばそこからはホールの全体が一望でき、先ほど一悶着あった場所では観衆のざわめきの中心でシルビア王子とエドウィン王子が言い合っていた。


「ゼトラス王子は死んだと虚言を吐き、不意を突いて我がプラナリアの次期王妃を手にかけようとするとは…その卑劣な悪事、あまりにも度し難い!」

「ふざけるな…卑劣なのはどっちだ!長年に渡り我がドゥーヤへ対する冒涜、いつまでも黙って見過ごしてもらえるとでも思ったか!我が弟をも侮辱され、最早黙ってはいられまい!」

「その弟君の死も嘘だったのでしょう!その弟君が先刻この場に姿を現したのはどう言い訳をするおつもりで?」

「よくもおめおめと…!先の戦場にて我が弟を窮地に至らしめたのは他でもないシルビア王子、貴殿だというのに!」

「ええ確かに、私はあの国境争いで戦を仕掛けてきたドゥーヤを追い返す為、ゼトラス王子と会い間見えました。しかし勘違いしないでいただきたい。あれはあくまでわが国民に剣を向けた悪事に対する正当防衛であったと!」

「外交目的で貴殿等に呼び出され、神経質な状況だからあらぬ疑いを掛けぬように、とたったの一小隊で移動していた我が弟が国境近くで賊に襲われて交戦していたところを、軍を率いて取り囲み一網打尽にしたことのどこが正当防衛と言えるのだ…!」


一国を担う王子殿下が二人とも、揃いも揃って頭に血が上っており、まるで子供の喧嘩をしている。

ドゥーヤのエドウィン王子は聡明で思慮深き君主であるという噂を聞いているので、こんな大声を出して食い掛かっているのは彼のイメージではない。


内容を聞けば聞くほど、周りの観衆は何が何だかわからないだろう。

まるで両者の言い分は正反対なのだ。

しかし訳が分からないけれども、どちらかが嘘を言っているのだろうという事は感じてはいるはず。

戦争になるようわざと導いているのがプラナリアであると知っている私にとってはシルビア王子がどれだけ劣悪で思慮の至らない傲慢な人物であるか、ふつふつと湧きあがる怒りと共に思い知らされる。

でも周りはどうだろうか。

誰かに瓜二つに化けられる“鏡の魔法”の存在なんて知る由もないから、見ていただけの観衆には、シノノメに剣を向けたゼトラスさんが偽物だなんて思いもよらないだろう。

あそこまでそっくりな人間がこの世に存在するわけがない。

ならば。


「(圧倒的にエドウィン王子の旗色が悪い…!)」


ドゥーヤがゼトラスさんの死を隠蔽し、今日この時シノノメを殺すために水面下で動いていた、と。

みんなの解釈がそちらに及ぶのも目に見えている。

しかもここは、プラナリア国だ。

ドゥーヤはここではあくまで敵国。

知らされている事実がありもしないでっち上げだとしても、きっとシルビア王子が申した“虚言”がプラナリア国の国民にとっては“真実”なんだ。


いつかシノノメが言っていた、『自分の国が正しいと錯覚するのは当たり前の生理現象のようなものよ』という言葉がフラッシュバックする。

そして噛み合わない意見のぶつけ合いが膨れ上がって、争いになる。

まさにこの瞬間、それが始まろうとしている。


本来ならば、ここで無理やりにでも笑って、両国の王子たちは仲良さげに肩を組まなければならないのだ。

こんなたくさんの目があるところで我を失い喧嘩を始めてしまっては、国民への不安は膨れる。

あちこちから不満の声が上がり、諍いが怒涛のように溢れ、…そして。


止めなければ。

本当に取り返しのつかないことになる。


「兄上も、エドウィン王子も大人げないなあ」


上から暢気な声が届く。

他人事のように呟くオーウェンさんに、私はキッと鋭い視線を投げる。


「けど、こんな状況にしたのは、他でもない君なんだよ?ハルシアちゃん」

「は?」


予想だにしないセリフに、私は声が裏返ってしまった。


「まさか無関係だとでも思ってた?自分は第三者で、争いを鎮めるために現れた勇者だとでも?」

「なに、を」

「だって君が教えてくれたじゃないか。こんなに便利で都合の良い“禁術”の存在をさ」


さあっと、自分の身体から熱が逃げる。

ああやっぱり、オーウェンさんに私のことがばれてしまったのだと、あの時シノノメに言っておけばよかった。


「君が洗いざらい自分の事を教えてくれたあの後、シノノメ殿と従者を禁術の存在から目を離させて、詳しいやり方を調べさせてもらったよ。北の塔の見張りを任されるくらいだから、シノノメ殿には勝らずとも、俺も少しは魔法に長けていてね?かなり難解な魔法だったけど一応この二週間ほどである程度習得することが出来て安心したよ」


確かにあの日、シノノメは今日のパーティの為の打ち合わせだとかなんとか言って急きょ部屋を離れた。

そして私だってオーウェンさんの為にクッキーを焼きに厨房に籠っていた。

確かに、誰の目も届かない空白の時間があった。

…まさかその時に。

見張り役である彼ならば隙ができる時間も把握できるし、そして立ち入りが禁止されている北の塔へもいざとなれば王族の権利を振りかざし堂々と侵入することなんかわけもないはずだ。


「なんとも都合の良い話だったからつい、ね。それに、俺たちはそろそろこの状況を打開したいと思っていたんだよね。いつまでもドゥーヤと小競り合いだけじゃ何の利益も生まれないだろう?」

「あ…」

「どうやってプラナリアの国民たちに、パーティに参列した各国のお偉いさん方に、ドゥーヤが悪者だと思わせるか。死んだドゥーヤの王子が現れて、大事な時期王妃様を殺害したとなれば、ドゥーヤは嘘をつき愚行に走る低俗な国であると大衆に見せつけられて、完全に悪者に仕立て上げることができる。これだけ完璧で願ってもない計画が遂行できる、ちょうど悩んでた時に舞い込んできた吉報だったわけだ」


信じたくない内容なのに、どんどん開いた穴にピースが埋まっていくようにすとんと理解できてしまう。

私はがちがちと歯を鳴らし、思わず手で耳を塞ぐ。


「もう自分は関係ない、何も知らないとは言わせないよ?君は冷戦状態だった両国に賽を投げたんだ。どこで事前に事実を知ったかはわからないけど、必死に動いて勇者だとでも勘違いしていたならお門違い、むしろ疫病神さ」


うそだ。


「うそ」

「嘘なんかじゃないさ。こんな二週間やそこいらの記憶を忘れて貰っちゃこまるなあ」


いつの間にか解放されていた体は力を失い、私は膝を折りその場に崩れ落ちる。

上質な石でできた床は、酷く冷たい。

何度も転んでずる剥けになった膝からは、私の不整脈と同じリズムで血が流れ出る。


「大丈夫?ハルシアちゃん。…ああ、可哀そうに」


床にへたり込み、呆然と床を見つめる私に、オーウェンさんは膝をついて私の頭を撫でつける。


「ついでだからもう少し、教えてあげようか」


頭を撫でていた手を私の頬に滑らせ、至極優しく上を向かされる。


「“禁術”の存在は知っていても、内容に関しては俺たち王族でさえも知りえなかったことなんだ」

「…え?」


酷くかすれた自分の声は、オーウェンさんに届いていたかどうかわからないほどだった。


「リンデンブルク家は古くからこの国一番の魔道一族でね、研究熱心な何代も前のリンデンブルク家が禁術を編み出したんだよ。しかし禁術はあらゆる危険を孕んだものであったから、王家がそれを利用したいという進言を固く拒んだらしい。この国で一番の権力を持つ王族が知らないなんておかしな話だと思わないかい?まるで信用していないと言ってるも同然の行為だ。当然王家はリンデンブルク家を目の敵のように扱っている。

しかし負けじと長きに渡り、リンデンブルク家は禁術の存在を隠し通してきた。そして我が王家は等しい時間をかけて禁術を追い続けた。王家とリンデンブルク家は、ドゥーヤ以上に犬猿の仲なのさ」


オーウェンさんはふう…とため息をつく。


「…君は知らないだろうが、今から5年ほど前、その禁術が何者かによって盗まれる事件が起きたんだ」


5年前。私がたまたま町でぶつかった男性は、禁術を盗んだ犯人だったのだろうか。

時期は完全に一致する。


「どこからか禁術の情報が洩れていたらしいことが露呈して、王家の信用を無くしたリンデンブルク家は、シノノメ殿以外みんな王家に家ごと全員焼かれたんだ」

「えっ」

「もちろん表向きは事故として隠蔽されているがね」


えっ?

私は情報が上手く変換できずに頭の中でも同じ言葉を発した。

上手く伝わらなかったのかと、私の顔から読み取ったオーウェンさんは噛み砕いてもう一度話してくれる。


「シノノメ殿以外の、ファブレ・リンデンブルク公爵、クシャナ公爵夫人、弟君のジーク様、妹君のミリエル様、シャリオット様、あるいは近しい親族のマリオン家、ワディオン家、ディジリナ家…あとは、なんだっけかな。一族みんな、シノノメ殿以外全員殺された。…いや、処されたと言った方が良いのかな。運よくリンデンブルク家の使用人の一人だけが生き残ったとは聞いたが」


ディークさん、以外の家族が、親族が。

みんな王家に殺されている?


「もう少し掘り下げてあげようか。シノノメ殿は当時兄上が大好きでね。今じゃ信じられないけど暇さえあればシルビア様、シルビア様と駆け寄っていたんだよ」


オーウェンさんはちらり、とホールで未だに口論を続けている二人の王子に目を配せた。


「そんな大好きな兄上に、禁術がどんなものか見てみたいなと言われて、シノノメ殿は断れずにリンデンブルク家から禁術を持ち出した。その時に何かがあって、禁術が記された本から数ページ抜かれたみたいだね」


つまり、こういう事だ。

シノノメはずっとシルビア王子が大好きで、シルビア王子のいう事には逆らえない。というより、逆らいたくない。

そんな弱みに付け込んだかのように、シルビア王子は禁術を持ち出して来てほしいと提案した。

きっと禁術の本だけは持ち出してはならないと両親や先祖から口酸っぱく言われていただろうが、恋に夢中だったシノノメはシルビア王子の為に禁術の本を外に持ち出した。

そしてタイミング悪くも、禁術の存在を知る何者かが禁術を盗んだ。

そのことから禁術の管理をしていたリンデンブルク家は罪に問われ、一族全員、命を絶たされた。


「どうしてシノノメ殿だけが生かされたかわかるかい?己が恋に酔った所為で一族を根絶やしにしてしまったその罪悪感が王家に付け入られたのさ」


自分のしでかしてしまったあまりにも重い罪の意識。

それでもリンデンブルク家として生き残ったからには禁術の存在を守り抜くという使命感。

そして王家は、表向きは一人残された可哀そうな恋する乙女を匿う善人面をして、裏では禁術を手に入れてやるという邪まな一心で権力を振りかざす悪魔のような所業。


「シノノメ殿は小さい頃からシルビア様と結婚するんだって言って大人を困らせていたこともあってね、それは結構有名な噂でさ。ではこの際身寄りもないならば嫁ぐと良いというシノノメ殿にとっては夢が叶うような話で、一番聞きたくなかったお達しが出たというわけだ。王家とリンデンブルク家に血族的に繋がりが生まれてしまえば、禁術の使用の権利も王家に渡る。今回の婚約は、それを打破したいが為の王家がリンデンブルク家に下した王手だったってわけさ」


家族を殺され。せめて守りたい禁術も、八方塞りで守りきれそうにない。

今朝、だからシノノメは悲しい顔を見せた。

先祖が代々守ってきたものが奪われるのだと。


「…さっき、オーウェンさんが、シノノメを殺そうとしてたのは」

「ああ、そうだね。このパーティが執り行われたことによって婚約は公表できたから、もうシノノメ殿には用がない。今日ここで死んでも禁術の権利は後でどうにでもできる」


それにドゥーヤを焚き付けるにはもってこいの人選とタイミングだったんだ。仕方ないだろう?

そう淡々というオーウェンさんに、私はもうどうしたらいいのかわからない。

いつもと様子が変わらないオーウェンさんを見据えても、何も視界に映らなかった。


今日この時利用する為だけにシノノメは5年も生かされてきた。

しかも、愛する者と結ばれる寸前で亡きものにされようとしていた。

それに加え、今回の事件は。

自分の心の内を明かした唯一の人間、私によってもたらされた最悪の事態。



――――こんなのって。

あまりにも残酷すぎる。

ようやく見えた事件の本質に、私は。


「…どうして」

「ん?なに?」

「…どうして、シノノメはこんな目にあわなきゃいけないの」


わっ、と目に込み上げて来た物を止める余裕さえないほど、私は勢いよく涙を溢れさせた。



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