掴まれた腕
死んだはずのドゥーヤ国の王子が舞い戻ってきた。
それはここに集まった人々全員を驚かすにはあまりにも十分すぎる出来事だ。
「この度はご婚約おめでとうございます」
彼は挨拶の為跪き、シノノメの手の甲にキスを落とす。
「ゼトラス殿…貴方は、確か5年前、」
シルビア王子は訝しげにゼトラスさんを見つめる。
「ああ。プラナリアとの国境争いで果てた。…ことになっていますが、本当は惨めに生きておりました。致命傷をくらい、死の淵を歩きながらこうして復讐する為に舞い戻って来たのです」
ふざけるな!そんなの出鱈目だ!とドゥーヤ国のエドウィン王子が声を張り上げるが、その声は空しく溶け、シルビア王子とゼトラスさんのやりとりに釘付けになっている大衆の誰ひとりにも届かない。
「どうして…」
「これまたくせえ三文芝居だな」
ハッと、隣に立つ男性を見上げれば、オーウェンさんの姿をした“彼”がいた。
「反吐が出る」
もう、私には彼がオーウェンさんには見えない。
人々の視線が集まる中央で、私が7年も追いかけたその姿があるのに、私の意識はそちらには向かず、目の前の“彼”に釘付けだ。
姿かたちはオーウェンさんのものであるのに、本能が違うと告げている。
「なあハルシア。また、俺がきっとお前の大切な主人を救ってやる。…だから、ここから逃げろ」
ドクン、ドクン。と大きく鳴る心臓の音はホールに響いているんじゃないかと思うほどだ。
また。
その言葉の意味を理解できないほど、私はもう子供じゃない。
あの時のようにすぐに頷いて、良いんだろうか。
兄と私を助け、両親を連れてきてくれた彼はきっとまた約束を守ってくれる。
言葉通りシノノメを助けてくれるだろう。
だけど。
「…なぜ、逃げねばならないのです」
私はもう、待っているだけの子供でいたくない。
本来幸せな時間を過ごせたはずのこの瞬間を、私の大事な主人は自国の駒にされてきっと悲しんでいる。
少なくとも彼女は私にだけは抱えている本心を明かしてくれたのだ。彼女にとって自分が大事な存在であろうことは自惚れなんかじゃない。
ここで私が逃げたら、シノノメは一人ぼっちだ。
私がシノノメを助ける。
「私は、大事な人のピンチに駆けつけず、誰かに頼って何もしない人間にはなりたくありません!」
「っ待て、この馬鹿!」
彼の中では、私はまだ7歳の少女なのかもしれない。
そのことに酷く胸を抉られるような痛みを覚えるが、だからこそ尚更シノノメを私が助け出してみせたかった。
彼に少しでも子供じゃないと思ってもらえるのではないかと思ったから。
騒ぎの中心のシルビア王子たち目掛けて、私は大回りをしつつ人混みを縫うように進んでいく。
小さな私はホールのみんなより一段高いところで睨み合うシノノメ達しか見ることが出来ない。
だが、犯人も、犯人の目標も、しようとせんことも目に見えている。
私があの“偽物のゼトラスさん”の気を逸らせるのだ。
そうすればきっとシノノメが魔法で繋いでくれる。
「生死の境を彷徨ってから5年で私も随分と色んなことを考えました。我がドゥーヤ国を脅かしたプラナリアに、鉄槌を下したシルビア王子に、どういった報復が相応しいのか」
偽物のゼトラスさんは手を掲げると、何か魔法をかけたようだ。
その途端にシノノメの顔が真っ青になったのが見えた。
私には何が起きたのかわからないけれど、あのシノノメのポーカーフェイスが崩れたのだ。相当まずいことが起きている。
「そこで、シルビア王子の人生で幸福を感じるであろう今日この時に、目の前で愛する婚約者を失うのはどうでしょう?」
偽物のゼトラスさんが短剣を掲げ、シノノメに向かって振り下ろす。
思えば、何故この瞬間あのシノノメが結界魔法を使わなかったのか。
否、使えなかったのだ。
偽物のゼトラスさんに魔法が使えなくなりおまけに動きを封じる緊縛魔法をかけられ、シノノメは何もできなかったのだ。
そんな無防備な花嫁を殺そうとした。
もっと考えれば、不自然なところだらけだった。
何故こんな騒ぎに衛兵が一人も駆けつけないのだ。
この国の次期王妃が殺されかけようとしているのに、どうして誰も動かないのだ!
隣に座るシルビア王子も腰にレイピアを下げているくせに手を掛けるふりすらしなければシノノメの前に立ち塞がり庇おうとすらしない!
シノノメの執事兼護衛のディークさんはシルビア王子の執事2人に取り押さえられて暴れている。
まさか。ここにいるみんながグルなのか。
シルビア王子も参列している王族も貴族も騎士団も衛兵もみんなみんなみんな。
戦争の狼煙を上げるために、シノノメが殺されるのを黙って見ているというのか。
シノノメ一人の命を、尊い犠牲であったと、奉げようとしている!
「ふざけるな…!」
私の声はホールに小さく響いた。
怒りも込めて、剣を振り下ろすゼトラスさん目掛けて風魔法をかけると、彼の身体は僅かにぐらつき、シノノメの心臓に向かって進んだ切っ先は、心臓ではなく彼女の華奢な肩を深く切り裂いた。
あんなにシノノメに馬鹿にされた風魔法だが、それでも僅かに軌道がずらせることができたみたいだ。
だが、かわしきれなかったシノノメの肩から真っ赤なドレスよりも濃い赤い血が噴き出す。
それとなぜか、ゼトラスさんの近くにいた男性が、誰かが発動した縛術魔法にかかり床に崩れ落ちた。
次の瞬間、ホールに悲鳴が上がり、つられたように次々と悲鳴やら動揺やら怒号やらが渦巻く。
ゼトラスさんはさすがに駆け寄ってくる衛兵の姿に旗色が悪いと判断したのか、舌打ちをしてこちらを振り返る。
そして彼はすぐにホールを飛び出していった。
振り向きざまに目が合ったような気がするけど、こんな大勢いて、一際小さな私を捕らえることは難しいから気のせいだろう。
肩から血を流して蹲るシノノメにシルビア王子が治癒魔法を施していた。
あの様子では命の危険はなさそうだ。
意識もあるし、顔色は悪いが致命傷ではないのだろう。
ほっと安心して、すかさず私はホールを飛び出していった彼を追うべく、彼が開けたのと同じ扉に向かって走り出す。
遠くでシノノメの私を呼び止める声がしたが、私は振り向きもせずに扉をくぐった。
私は今自分が放てる一番の魔法をかましたつもりだったが、人が少し煽られる程度の威力しか発揮できなかった。
私がもっと強い魔法が使えていたら、シノノメは怪我さえもしなくて済んだはず。
自分の不甲斐無さが悔しくて走りながら歯を強く噛む。
あちこち衛兵や騎士が走り回っている。
どうやら逃げた偽物のゼトラスさんはまだ捕まっていないらしい。
「ハルシアちゃん!」
最近やたら馴染み深くなった声が聞こえたと同時に、私の腕が掴まれてグイッと後ろに引っ張られる。
「オーウェンさん…!」
「ここは危険だ。こっちにおいで」
このオーウェンさんは、本物…かな?
炯々と輝く月色ではなく、いつもの人当たりの良さそうなアクアブルーに見下ろされていた。
しかしその瞳はいつもと少し様子が違う。
若干焦燥というか、これは…。
しかし私は今、オーウェンさんに構っている暇はない。
私は逃げたゼトラスさんを追いかけたいのに、行きたくもない方向に掴まれた腕を無理やり引っ張られる。
「いや、離してください!私は…!」
「いいからおいで」
オーウェンさんは細身であるのに、やはり男の人で。
有無を言わさずに掴まれて引っ張られる力に私がどう足掻いても敵う兆しはない。
なにさ、みんな私より大人ぶって余裕な顔をして!
力の差が著しくて振り解けない腕がもどかしい。
ああ、騎士団のみんなからも衛兵の駆ける足音もどんどん遠ざかっていく。
「オーウェン様、どちらに行かれるのですか?」
「俺の事は良いから、あの暗殺者を追いかけろ」
「し、承知いたしました」
たぶんオーウェンさんの顔見知りであろう人とすれ違うたびに声を掛けられるが、彼の緊迫した雰囲気に圧倒されてみんなすぐに去っていく。
オーウェンさんの纏うオーラは殺気のようなものさえも含んでいて、私はいつもの彼とは違う雰囲気に戸惑う。
次第に騎士団や衛兵の声も遠くなり、オーウェンさんに引きずられる私のばたばたした足音だけが妙に廊下に響く。
怖い。足をもたつかせる私に、冷ややかな視線を向けてくる彼に恐怖して足が震えた。
彼があまりにも大股でずんずんと進んでいくもんだから、私はついて行けきれずに足が絡まりその場で転ぶ。
「いった…」
「早く立って」
私が体勢を立て直そうとしても彼は歩みを止めない。
だから何度も転び、立ち上がる前にまた引きずられて膝を打つ。
「ちょっ、と待って」
「立って」
やがて膝から血が滴り落ち、がくがく震えて顔を青ざめる。
彼は、本当にあのオーウェンさんなのか。
「ハルシアちゃん」
目の前の彼がわからなくて恐怖に歪んだ私に、彼はその瞳孔を開き、息がかかるほどの近さで、
「さっきはよくも邪魔してくれたね」
と言った。
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