希望と戸惑い
彼がホールから出た場所から同じようにホールを飛び出せば、既に彼の姿は捉えられなかった。
ここで逃してしまっては、一生の不覚。
それに今の今ホールを出たばかりなのだ、そこまで遠くに行っているはずがない。
当たりをキョロキョロと見渡しながら、勘で彼の行方を捜していくと、ある曲がり角から話し声が聞こえてくる。
「―――――――、―――」
「―――――が、――――――では」
曲がり角をこそっと覗き込めば、そこには。
「―――ならば、狙うとしたら2階の西側バルコニーが角度的に一番だ」
オーウェンさん…!
礼服に身を包んだオーウェンさんは、誰かと話し込んでいる。
会話の内容も、それらしきもので、随分怪しいものだ。
これで彼はほぼクロじゃないか!
彼が、ドゥーヤを挑発し戦争に導こうとする黒幕なのか。
…ん?話し相手の男性は…どこかで見たことあるような?
「(…ああっ!)」
相手の男性はこの国では珍しい褐色の肌。
その姿は1年ほど前居酒屋で働いていた頃、夜中に騎士団に追い掛け回されていた青年だった。
彼もグルだったのか。
そう思えばあの時丁寧に逃げ道を教えずに大声を上げて騎士団に突き出せばよかったのだと後悔する。
「じゃあ、計画通りに頼むぞ、シャンブレー」
「ああ。そっちこそしくじるなよゼト」
「わかっている」
褐色の青年はシャンブレーというのか。これでもし取り逃がしたとしても、名前でつるし上げることが出来る。
オーウェンさんがゼト、と呼ばれているのはよくわからないが。あれか、コードネームってやつ?しかしこれで尻尾は掴んだぞ。
しめしめ、と思っていると二人は正反対に動き出し、オーウェンさんがこちらに向かって歩いてくる。
どうしよう、ここはあいにく一本道だ。今から身を隠そうにも何もない。
出来ればシノノメがいるホールで彼を捕らえたかったが仕方がない。
ここで逃がして事を起こされるよりはずっとましだ。
ならば覚悟を決めよう。息を顰めて…。
「…オーウェンさんっ!」
「うおお!?」
曲がり角から突然飛び出して、両手を広げ彼の前に立ち塞がる。
「……ハルシア?」
至極驚いたとでも言わんばかりに、彼は目を瞠って立ち止まった。
「なぜここに?」
「なぜも何も知ったこっちゃありません。あなた、今から何をしようとしているんです!」
問い詰めるように、ずんずんと彼に向かって足を進める。
「狙うには2階が一番だとか、計画がどうのとか…あなたたちが何かよからぬことを考えていること、私たちはお見通しなんですからね!」
「私たち?…ハルシア、どういうことだ?この騒ぎを阻止する為に俺たちの他にも動いている奴らがいるってのか?そんな報告は聞いてねえぞ」
「そう。私とシノノメはあなたたちの愚行を……、阻止?」
あれ、阻止するの?あなたたちが起こすのではなく。
しかも、どことなくオーウェンさんの纏う空気がいつもと全く違う。
まるで別人のようだ。
「シノノメだと?…あのシノノメ・リンデンブルクか!本人が騒ぎに気付いているだと。…なら、話が早い。本人が警戒しているなら、そう簡単に事は運ばねえはずだ」
「本人…?」
「それよりハルシア。お前なぜこんな危険なところに一人で来ている?まあシノノメ・リンデンブルクの後ろに控えているよりは安全だが」
「本人って、どういう事です」
嫌な予感がしたのはこの事だったのか。
変な汗が体中に噴き出す。
「今回の婚約披露パーティなんてのは表向き。本当の目的は……シノノメ・リンデンブルクの殺害だ」
心臓が、今までにないくらい不自然に音を立てて私の頭に警報を鳴らす。
ああ、シノノメ。
私をあなたの傍から離したのは、こういう意味ではなかったのだと、それだけは信じたい。
行かなきゃ。犯人捜しとか、もはやそんな場合じゃない。そんなことよりもあなたを守らなくちゃ。
「シノノメ……!」
「待てハルシア!」
走り出した私の腕を掴み、オーウェンさんに引きとめられる。
「ッ離して!」
「落ち着け」
これのどこが落ち着いていられるというのだ。
シノノメが殺されてしまうかもしれないのに!
振り解こうにも、がっちりと掴まれて離してもらえない。
「ハルシア」
「いや!離してよ!」
どうして引き止めるのだ。早く、一刻も早くシノノメの元に行かなきゃ…!
「ハルシア!」
彼の大きな声は完全にパニックになった私の頭を劈き、私はハッと彼の顔を見る。
「落ち着くんだ。お前がパニックになって彼女に泣きついたりでもしてみろ、会場は一気に混乱するぞ」
両肩を掴まれ、真剣な眼差しを向けられる。
「深呼吸をしろ。吸って、吐いてー。…よし。いい子だ」
がしがしと乱暴に頭を撫でられ、突然の衝撃にぐわんと脳が揺れる。
不思議だ。深呼吸を一度しただけで彼の顔をはっきりと正面から見据えることが出来た。
良く見れば、いつもニコニコと胡散臭く歪むアクアブルーはどこにもなく、姿かたちはオーウェンさんで間違いないのに、彼の瞳は炯々と輝く月のようだった。
「…あなたは、誰?」
今まで何度かさまざまな姿格好で見かけた月の色に、私は純粋に問う。
彼は一体誰なんだろう。
なぜいつも私の目の前に現れては、夢を見せてくれるのだろう。
「…さあな?」
くしゃりと笑って見せた彼の目尻には、オーウェンさんが作って見せたことがない皺がいくつもあった。
大好きな笑い方に、似ている。
…いや、違う。私が大好きな笑い方なんだ。
そう思った瞬間、私の中ですとん、と溜まっていたしこりがなくなった気がした。
一度も考えたことがなかった。
私だけがこの鏡の魔法を使えるのだと、ずっと信じてやまなかったんだ。
あの禁術の本の切れ端を私の拾う前は違う人が持っていたのだから、可能性は十二分にあった。
だったら、この目の前の彼は。
私の都合の良い想像がもし当たってしまうのならば。
希望と戸惑いを込めて目の前の彼の名を紡ごうとしたとき、ホールからザワッと人々のざわめきが轟く。
「…きやがったか」
彼は私の頭をひと撫ですると、「ホールには来るな。避難していろ!」とそれだけ告げて、礼服を翻してホールに向かうため駆け出した。
あまりにも一瞬の出来事で、私は呆気に取られるが、はっとすぐに我に返り、駆け出した彼に手を伸ばすが、空しく空を掴んだだけ。
次いで聞こえた誰かの怒声と同時に、彼はホールに飛び込んでいく。
私もそれを追いかけるべく、縺れる足を無理やり動かし、彼に続いてホールに滑り込む。
ホールにはこんなに人が沢山いるのに、誰も声を発しておらず、不自然な静寂に包まれていた。
そして、人々の注目は全て、シルビア王子とシノノメの前に立つ一人の青年に向けられていた。
あれは、そんな。まさか――――。
「どうも。お久しぶりですシルビア王子、シノノメ様」
お元気そうで何よりです。とニコニコ笑ったのは、私が7年も追いかけ続けたゼトラスさんのその姿だった。
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