婚約者
足早にシノノメの部屋に戻れば、シノノメはいつもより低い声で私を問い詰めた。
「…それで?あんなところで侍女の仕事もせずに何をしていたのかしら」
時計を見れば、次の仕事の時間をすでに過ぎていた。
サアッと血の気が引く。
「魔法の研究の手伝いの時間になっても実験台が来ないんだもの。どこでサボっているのかと思えば…侍女の分際でよくも探させたわね」
「ご、ごめん」
「よりによってあのオーウェン殿につかまっているだなんて。ハル、あなた命がいくつあっても足りないんじゃないの」
そんなに危険なチャラ男だったのか。
しかし同期の妹だと、年齢も知っていての行動にしてはあまりにも危険な香りがしたのは事実。
シノノメが来てくれなかったら、キスだけでは済まなかったかもしれない。
「ハル様、オーウェン様はわけあって騎士をしている、この国の第二王子殿下になります」
「は?」
ディークさんが突然発した言葉に私は素っ頓狂な声が漏れた。
「本名はオーウェン・ブラスカ・プラナリア様。第一王子殿下のシルビア・ルイ・プラナリア様は正妃様の実子、オーウェン様は側室のオリヴィア・ブラスカ様の実子で御二人は腹違いの兄弟になられます」
「うそ…」
そんなにすごい人だったのか。
だから王族は云々~の話を切り出したのも頷ける。
そうともしらず、私はなんて失礼なことをしていたのか、今になって変な汗が滝のように流れる。
「まあそれも私の所為なのだけれど」
「どういうこと?」
はあ。とシノノメはため息とともにどかりとテーブルに腰を掛ける。
「…シノノメ様」
「いいわ、ディーク。いずれは私が話さなくともどこからか知る情報でしょう。危険なことを事前に回避するために一刻も早く話しておくべきだわ」
「いえ、行儀が悪うございます。よもや公爵令嬢の面影はどこにもございません」
「…あんた、一度本当に痛い目を見せないといけないわね覚えてなさい」
「そ、それで?シノノメの所為って…どういうこと?」
またすぐ始まりそうな皮肉のデッドプレイに話が流れてしまっては困る。
私は二人に口を挟んで続きをせがんだ。
「我がリンデンブルク家は代々由緒正しい家系なのだけど、王族とのつながりもあるせいで迷惑なことにその第一皇子のシルビアは私の許婚なの」
「ええええっ!」
つまり…シノノメはこの国の次期王妃様という事。
あまりにも予想していなかった話に、私は驚きで口が塞がらない。
「じ、じゃあなに?私は今未来の王妃様にため口を聞いているってこと!?」
「煩い。喚かないでちょうだい…ただ許婚ってだけで婚約だけの関係よ。こんな口約束、他に良い条件の女性が現れた瞬間に吹き飛ぶわ」
「そんな不吉なこと仰らないでくださいシノノメ様。貴方様の婚約が吹き飛べばこのディークの昇進も気泡となります」
「ちょっとディーク。あんたは黙ってなさい下がりなさい消えなさい。話に入ってこないで面倒くさい」
たまに発揮するこのディークさんの鋼メンタルは一体どこから来るのか不思議でならない。
「シノノメが王子様の許婚ってのは流石にひっくり返るほど驚いたけれど…それが一体オーウェンさんにどう繋がるの?」
「そこね。問題は私がこの国一の魔道士だってことよ」
「?」
シノノメは下ろしていた栗色の髪を鬱陶しそうに掻き上げる。
「魔法は時に人の力よりも強靭な力を発揮するわ。しかも、昨日話した通り、私はこの国に対して不審感を抱いている。はたから見ればこんなにもいつ旗を翻しかねない危険な存在はいないわね。警護と言い張り、実力ある自分の弟を近くで見張らせることによって静かに牽制してきているのよ」
「牽制…」
自分の許婚相手に、何とも仰々しい扱いだろう。
そこに愛があるかどうかなんて、一目瞭然だ。
「シノノメは、この国が気に入らないって進言したことがあるの?だって、言わなければシノノメが不信感を抱いているなんてこと周りが気づくわけないじゃない」
「ハル、あんた妙なところで敏いのよね。嫌いじゃないけど」
何度目かわからないため息とともに、シノノメは腕を組む。
「察しの通り、私は一度だけシルビア様に物申したことがあるわ。それ以来彼は私に不信の眼差しを向け、私がいつ謀反を起こさないか弟を差し向けて監視しているの」
自分の婚約者に疑われる日々は、私にはどれだけ辛いものであるか想像もできない。
眉を下げた私に、「でも別に愛している方でもないし、行動を把握されているだけで、別に悲しいと思うようなことは無いわ」とシノノメは言うけれど、彼女の瞳はどこか遠かった。
「この城に私が本音で意見をぶつけられる場所などないわ」
なんて寂しい声だろう。
投げ出した足は、ぶらぶらと力なく揺れる。
「おや、では私にいつも仰る追い出してやるという言葉は嘘でありましたか。いやはや安心しました。私の給料もしばらくは安泰です」
「ディーク、あんたに対してはいつも誠実でいるつもりよ?良く働いてくれているし。次の給料明細楽しみにしていなさいね。桁が一つ減ったことにせいぜい驚くがいいわ」
シノノメは正義感が強く、聡明であるが故に周りから危険視されている。
彼女の許婚も例外でなくだ。
それがどれだけ寂しく悲しいことであるか。
彼女の背は、周りの厳しい視線から逃れるために常に下を見て歩き、寂しさで膝を抱えているうちに曲がったのかもしれない。
私はそんな少し曲がった背中を持つ彼女の為に何ができるだろう。
「しかしオーウェン殿があんなに女性にだらしがない方だとは初めて知ったわ。いつも真面目でニコニコしているからそんな風には思えなかったのだけれど。何をしたの?あなた」
「それは…」
言うべきか、言わないべきか。
夢を見て勘違いし、軽はずみな行動をとってしまったこと。
「…ハル、頼むからあの方だけは近づかないでちょうだい。もしあなたの事情が分かればいくら私でもこれ以上あなたの事を隠し通せるとは思えないわ」
軽率に自分の秘密を明かしてしまったことは本当に間違いだったかもしれない。
ゴクリ、と自分の喉が鳴る。
…言えない。
約束したのに、自分の身を突き出されたくない一心で、既に情報を渡してしまっただなんて。
はたして本当にオーウェンさんはこの秘密を隠し通してくれるだろうか。
秘密にする代わりに、ということで先ほどは迫られたっていうのに、私は何もせずに逃げてきてしまった。
口止めが成功しているとは考えにくい。
今シノノメに話さなければ、後ほどさらに厄介なことになるかもしれないとは頭では理解していても、私は口を開けたり閉じたりするだけで言葉が出て来なかった。
シノノメを傷つけてしまうんじゃないか。…ううん、違う。自分がシノノメに愛想をつかされてしまうんじゃないかと、怖くて打ち明けることが出来なかった。
私は事情を話さずに言葉を奥に呑み込んでしまった。
後に私はこの時に打ち明けなかったことを、やはり後悔するのである。
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