ずるい大人
話し終われば、オーウェンさんは難しい顔をして頭を抱えた。
「なるほど…良くわかった。確かにこれを知ってなおアルに君の居場所を話せば、それこそがアルを苦しめることになると。そういうことだね」
「はい…嵌めてしまったようでごめんなさい」
はあ…とオーウェンさんは持っていた槍に重心を預けて、首の後ろを掻いた。
「禁術の酷使、勢いで家出、禁術を使ったのが露呈すれば打ち首。しかもよりによってそれを匿ったのがあのシノノメ殿だなんてねえ…」
「もう戻るに戻れないところまで来ているの」
「だろうなあ。…君、わかってる?俺に黙っていろという事は、もしもの時は俺も道連れになれって言ってるようなもんだぞ?」
「はい。だから、ごめんなさい」
「ったく、ひどい女だ」
私もそう思います。
私もこんなひどい女、出会いたくないし知り合いたくない。
「わかったよ。アルには話さない。君の好きなようにすればいいさ」
ありがとうございます。そう呟いて私は深々と頭を下げた。
「しっかし、意中の人間に化けてねえ…ずいぶん大胆なことをするね」
オーウェンさんがそう思うのも当たり前だ。
思春期真っ盛りの年頃とはいえ、憧れの異性に変身し、鏡の前でその精悍な顔が格好良くてにやついたり、彼にしてほしい格好つけたポーズまでしたことだってあるのだ。
…わかっている。思い起こせばかなり恥ずかしいこともしていた。反省している。彼本人には間違っても伝えられない。
「それはちょっと触れないでもらえますか…」
「まあ君はそういう年代だし、しょうがないさ。俺だってそういうことをしたことがないと言えば嘘になる」
「そんな経験あるわけないでしょう。意中の人の格好をしてにやつくなんてこと。中途半端なフォローは結構です…傷口にしみます」
「それはすまない……ただ、どうも腑に落ちないな。シノノメ殿が匿ったところで、現状が打破できたとは思えない。罪は露呈しないだろうが、君はこのままじゃ一生カトゥリゲス家に戻れないじゃないか」
そう、それだ。
まだ先の事なんて考える余裕はないが、いずれ必ず考えねばならないことだ。
「それは…」
「しかしパッといい方法は思いつかないな。犯した罪をどうでもいいと誰もが思ってしまうような、君が何らかの功績を残して英雄になるとかそれくらいじゃないのか」
「途方もない話ですね…」
「あとは、君が誰も口答えできないような身分になるとか」
「身分?」
「そうだ。例えば…王族とか」
「えええ、それこそ無理では」
「いや、わからないぞ。玉の輿になるチャンスなんてどこに転がっているかわからないじゃないか」
「玉の輿ですか…」
本来12歳という成長期は勉学はもちろん、嫁入り前の子爵令嬢であれば実践を持ってマナーや教養を叩き込まれる時期なのだ。今後に控える婚活に向けてのいわば修行だ。
そんな大事な時期を私はすっぽりと逃し、次々と町を転々とし毎日パンを焼いたり酒を運んで酔っ払いの中年のおやじ達の何度も繰り返される会話に相槌を打っていた。
令嬢らしい振る舞いや教養に関しては一応知識として知ってはいるが、何しろ実践したことがない故にいざという時にそれらしく振舞えるかどうかは、否だ。
「あはは無理ですよ。淑女として大事な時期に遊びまわっていたんですから、こんな変わり者の令嬢を娶りたいなどと仰る方がいるとは思えません」
「そうかな。俺は、君のこと結構気に入っているんだけど」
「お上手ですねオーウェンさん。ははーん、さては何度も夜に女の子を掴まえたことがあるクチですね?」
「君のその可憐な容姿から中年のおやじのようなセリフが飛び出すと本当に驚くよ」
年頃の令嬢としての修行をしなかったどころか、居酒屋や街でよくおやじたちのジョークに付き合っていたおかげで、私はその手のノリが染み付いてしまったようだ。
これは本格的に嫁の貰い手が怪しい。
「もういいんです。私が旅に出た段階で普通の令嬢としての人生を歩めるとは思っていませんでしたから。こんな経歴に傷がついたような女を娶りたいだなんて思う男性がいらっしゃるとは思えません。それに、そもそも子爵令嬢と王族とでは身分の吊り合いが取れませんよ」
そんな私の意見に反して、オーウェンさんはやれやれと肩を竦める。
「君は王族ってものをわかっていないな。いいかい?下手に権力を持った者は、自分が欲しいと思ったものには金の節目も付けなければどんな方法だって取る。傷が入っていようものなら見えなくして綺麗なものにさせるし、ましてや身分なんて曖昧な物、権力がある者が一喝すれば一瞬で崩れ去るだろう。君は本当に大事な時期に社交場を離れてしまったんだね。君くらいの年頃に、この社会の雰囲気を味わい、自粛したり媚を売ることを覚えるのに」
「そういうものですかねえ…」
「そうだよ。なんなら、試してみる?」
「はい?」
「君を、俺が浚ってみせようか?」
ふっ、と突然オーウェンさんが纏う空気が変わる。
にこりと、笑った顔は至極穏やかなのに、私は背筋に嫌なものが這う感覚を覚えた。
「なんですか、それ。もしかして口説いてます?」
「もしかしなくてもそうだけど?」
「…あはは、面白い」
「君、真っ直ぐで一途みたいだし。少し直感で動くタイプみたいだけど、器量も気立てもいいみたいだ。まだ幼いのが惜しいけど、きっといい女になる。アルには悪いけど、今のうちに唾をつけておこうかな?」
私の目線に合わせて腰を屈めたオーウェンさんが、私に手を伸ばしてくる。
さっきまで穏やかで、至極優しく友人の妹を心配するお兄さんのようだったのに、今ではたちの悪いチャラついた男に見える。
一度感じてしまった負のイメージはなかなかに人を谷底に突き落とす。
はたから見てきっと今、私の目は死んだ魚のように一瞬にして光を失ったことだろう。
「……それで、そのあと私に触れてどうするつもりですか?」
「は?」
これでも酒に酔ったり機嫌が悪かったりで人さまに迷惑をかける人間に何度も遭遇したことがあるのだ。
子爵令嬢が過ごす大事な時期を棒に振ったが、その間下町で私は社会勉強をしていたのだ。あまり舐めないでいただきたい。
喧嘩の仲裁も、酔っ払いのあしらいも随分上手くなったと胸を張って言える。
「いえどうぞ続けてください。下町では男としてずっと過ごしていたので、このように男性に口説かれることがなかったので新鮮でして。今後の参考にさせていただきます」
こう空気の読めない女のフリをすれば、普通の人間なら気まずくて萎えて引き下がるだろう。
男のプライドを根元で追ってやる作戦だ。ほら、どんと来いチャラ男め。
兄の同期という事も忘れ、私は目の前で手を伸ばして固まる男性に冷ややかな視線を容赦なく送る。
「……っく、ははは」
気まずげにもとの位置に戻るか、バカにされたと憤慨するかと思ったのに、オーウェンさんはさも面白いと言わんばかりに腹を抱えて笑い出した。
…なんだこの人。まさかの私が顔を顰める番だった。
「君、やっぱりアルの妹だ。他の人間とは違う反応をしてくれる」
「それは褒められているんでしょうか、兄と一緒に貶されているんでしょうか」
「限りなく褒めているとも。この俺を嵌めようとするなんて、君くらいなもんさ」
「それはどうもありがとうございます」
「っははは!」
ちょっと。この人本当に大丈夫か。
腹を抱えて次第には蹲ってしまったではないか。
この人はあれか、見かけによらずゲラなのか。笑い上戸なのか。
最初の真面目そうなイメージはもう既にかけらも残っていない。
「…そこまで笑えますかね」
「笑えるとも。こんな経験人生で初めてだ」
目尻に溜まった雫をその指が掬い取る。泣くほどどこが面白かったのかさっぱりわからない。
「本当に気に入ったよハルシアちゃん。さっきの言葉はからかい半分で言ったけど、本気にしてもらっていい」
「いやいいです…ちょっと鬱陶しいので」
「はははっ!」
…。これ以上話しても収穫は無い。
もういいだろう。昨晩のことは本当に知らないようだし、兄に告げ口さえしてくれなければ私はもう用はない。
「もういいです、長々と話し込んでしまってすみませんでした。どうぞその気の迷いを忘れて職務を全うしてください」
「待った待った。君、勘違いをしていないか」
「はい?」
「君は君の秘密を俺に隠してほしい。そして兄にも告げ口をしてほしくない。なら、君は代価として俺に何をしてくれるんだい?」
「へ?」
「こんなに重大なこと、無償でやるには俺だってリスクが高いんだ。本来なら我儘家出娘の君を突き出して感謝状をもらった方がずっと頭が良いだろう?」
「は…」
「そんなおいしい話にも勝る代価を払ってくれるのが筋ってもんじゃないかい?」
「そんな、さっき話さない、秘密にしてくれると言ってくれたじゃないですか!」
「そんな口約束、守れないかもなあ?だって証拠も契約書もない」
「お、大人げないですよ!」
「こんな時だけ子供ぶるのかい?ずるいな君は」
「うう、もっともな意見です」
このオーウェンさん、見た目とは裏腹に腹の中は真っ黒だったみたいだ。
私が後ずさりしたのを目ざとく見、私の腕を引いて壁に押し付けて容赦なく退路を塞ぐあたり、半端なく容赦がない。
「確かに、オーウェンさんも隠蔽の罪に問われるのかもしれないのに、ただ黙っておいてくれとはうますぎる話ですよね…」
「そうだね。物わかりがいいね、えらいえらい」
「もう、子ども扱いはよしてください。こうなった以上、ちゃんとすることはしますから」
「ほう?じゃあ君は俺に秘密を守ってもらう代わりに何してくれるのかな」
うーん、と頭を捻る。
「そうですねえ…なるべくお金がかからないことが良いですね」
「ちょっと、ここまで来てケチるのかい!?」
「私の財布だって無限じゃないんですから当り前でしょう。できること…そうですね、お弁当なんてどうでしょう」
「弁当?」
「はい」
こう見えても1年以上も飯屋で働いていたのだ。
それなりに腕には自信がある。
「ああでもご飯は食堂で支給されますね。それなら、毎日菓子を差し入れるというのはどうでしょう?こうみえても腕には自信があります!」
「なんとも色気のない答えだ…」
我ながら良い提案だ。男は胃袋で掴めとパン屋の奥さんのクレアさんにも散々教えて貰ったし、時間が経てばこの腹黒男も絆されてくれるかもしれない。
「そんなんじゃ足りない、って言ったら?」
「へ?」
「餌付けされたくらいで欲が満たされるような単純な男に見えたかい?心外だな」
「、っ!」
腰を抱かれ、耳を齧られる。
ぎょっと彼を見上げると、彼は優しげなアクアブルーを歪ませ、私を見下ろしていた。
何とも形容しがたい感覚に身震いをし、なんとか壁とオーウェンさんから逃げようと身体を捩ると、股の下に足もねじ込まれているらしく、しゃがんで脱出する考えも見抜かれているみたいだ。
これは本格的に危ない。私の頭の奥で警報がけたたましく鳴り響く。
「言っただろう?俺は君が気に入ったと。だったら、身体の一つや二つ奉げてやるってのが単純でわかりやすく筋の通った話だとは思わないかい」
ああ、なんで私はこの人に話しかけちゃったんだろう。
こんなことなら知らん顔して通り過ぎておけばよかった。
男ってなんでこういう本能で性急に動くのだ。
男として過ごした期間は長かったけれども、そういう感覚は未だにわからない。
「じ、冗談ですよね?」
「冗談に聞こえるかい?」
はい。とは即答できなかった。
彼の色の籠った瞳を見れば、一目瞭然であった。
「アルがあれほど可愛がっていたのが今なら理解できる」
吐息がかかる距離で顎を掴み上げられる。
きっと私は今から彼に唇を奪われるのだろう。こんな会って間もない人に。
…ええい、もうこうなったらやけだ。今回の事は犬にでも噛まれたと思う事にしよう!
望まないファーストキスなんかそんな曖昧なもの、いつか大好きな人に情熱的なもので消し飛ばしてもらおう!
…ファーストキス?
そこではた、と思う。
私のファーストキスは、これからのが初めて?
いや、違う。前も、あったじゃないか。血生臭い、嫌な感覚が。
「…なんて顔するんだ、君は」
気が付けば、無意識にボロボロと涙を流していた。
久しぶりに人が怖いと思った。
「これじゃあ完全に悪者だな。…まさか泣くまで嫌がるとは思わなかった」
「ええ、悪いのは貴方よ、オーウェン殿。その手を放しなさい」
凛と響く透き通ったソプラノにハッと顔を上げる。
オーウェンさんの肩越しに、いつもの高いヒールを鳴らして近づくシノノメの姿を視界にとらえた瞬間、じわ、とまた違った安心感が込み上げる。
「彼女に全く非がないことはないんでしょうけれど…こんな軽率な行動、貴方らしくないわよ」
「…シノノメ殿」
オーウェンさんは、シノノメの姿を認識すると、苦虫を噛み潰したような顔をする。
そして私から体を離して騎士の敬礼を取る。
「何があったのかは私の侍女から聞くことにするわ。しかし何の理由があろうと淑女に手を上げようとしたこと、騎士として、いち紳士としてご反省くださいませ」
そう言って私はシノノメに腕を引かれ、すぐさま北の塔に押し込められる。
本当に助かった。シノノメには助けられてばかりだ。
.




