半月の夜
今夜は、綺麗な半月が出ている。
満月ほどではないが、程よく地面を照らすその明かりは、動揺した私の心をじんわりと落ち着かせてくれるようだ。
「だいたい伝わったかしら。私はこのプラナリアこそが恐ろしいと。そう思っていることに」
そのシノノメの言葉で今日はとりあえずお開きになった。
今日のところ現状把握で終わってしまった以上、近いうちにまた続きとして話し合いの場を設けられることだろう。
早々に切り上げ、私はその後ディークさんに北の塔を案内してもらい、明日の朝からすること、普段の仕事内容をざっくり教えてもらい、詳しくはまた明日、という事で早めの夕食をいただき、ゆっくり湯あみをして寝台にもぐりこんだのだが。
衝撃的なことの連続で私の頭は完全にキャパシティーオーバーだ。
我がカトゥリゲス家は代々プラナリア国に仕えるいくつもの貴族の家系を陰ながら支えてきた。
今は家に帰りづらい身であるとはいえ、それに準じていつか私自身も例外なしに何らかの形で先祖たちのように支えていくのだと。
そのプラナリアが実は世界にとっては悪者で、平和を脅かす存在かもしれないと、突然言われ。
もしそれが本当だとして。私はこのまま誠意をもってこの国に、貴族たちに、カトゥリゲス家に、尽くすことは出来るのか?
…ああ、やはり今日は眠れない。寝台が新しくなったからではなく、落ち着かない心をどうにか沈めなくては。
私は導かれるように、ふらふらと月明かりを頼りに廊下を当てもなく歩く。
夜風に当たれば、あるいは穏やかな月を見れば、少しは瞼が下りてくれるかもしれないと、そう思って。
北の塔からはやはり月が見えにくい。
夜であれば兄に遭遇する確率は低くなると、私は警戒心を緩めて北の塔ではない、しかしながらほぼ北の塔に位置する渡り廊下のようなバルコニーの柵に肘をつく。
…シノノメは、こんな重大なことをなぜ自分に打ち明けてくれたのだろう。
そう問えば、「私がこんなことを考えているともし露呈してしょっ引かれるとき、道連れにしてあげようと思ったのよおほほ」と言っていたが、ただ単に彼女はディークさん以外にも理解者が欲しかったのだ。
そして少なからずこんな重大なことも打ち明けてくれるほど彼女に信用してもらえていたことに、思わず頬が緩んでしまう。
侍女としてこの城に呼ばれたが、まるで友人のような対応だと、自惚れてしまうのは仕方ないじゃないか。
最初城下でシノノメと出会った時より何倍も、彼女の魅力に惹きこまれて、悩殺されているとでも言わんばかりに彼女に魅了されている。
変な意味は含んでいないが。
美人で、聡明で、面倒見がよく底知れずに優しい。しかも超が付くツンデレであると、恐ろしいほどのステータスも兼ね備えた魅力的な女性だ。
世の中の男性はこんなにも素敵な女性をなぜ野放しにしておくのだろう。
正直みんな見る目がない。どれだけ節穴なんだと思わざるを得ない。
きっと嫁げば陰ながら最大限に尽くしてくれるタイプだろう。
器量よし、ユーモアよし。なんだ、最高じゃないか。
本当に何をやっているんだ世の中の男子諸君。
眠くなると人の思考はあらぬ方向に向くもので、正直よくわからない突拍子もないことを言ってるのはわかる。でもシノノメがとても魅力的な女性なんだという事はシラフでも余裕で語れる。
いつの間にか忍び足で迫ってきていた睡魔に襲われ、私はバルコニーの柵に腕を乗せ、船を漕いでいた。
ふらふら、…かっくん。
ずれ落ちそうになった時に僅かに意識を浮上させるのだが、果てしなく限界だったようだ。
そのままゆらあ、と地面に吸い込まれていく。
「おっと」
地面にたたきつけられれば目が覚めるだろうという私が極限の力技を発揮して諦めていた瞬間、私の身体は何か固い物に支えられた。
「眠気覚ましに体を痛めちゃあ、朝後悔するぜ?嬢ちゃん」
心地よいテノールに、ゆっくりと目を開けば、優しく垂れ下がった目が印象的な、騎士の制服を纏った青年が視界に広がった。
固い物は、騎士の制服の一部である籠手だったのかとぼんやり思う。
数秒経って、ハッと姿勢を正す。
私は何をしているんだ!睡魔に負け、人さまに迷惑をかけるなど!
「すっすみません!お恥ずかしいところをお見せいたしました」
「いいや、たまたま通りかかっただけだ。気にすんな」
彼は優しそうな外見の割に、意外とワイルドな口調でどこか違和感を感じる。
ああ、しかし眠い。眠たすぎる。またすぐに意識が飛びそうになる。
「騎士さま、みわまり中だったのでは?おしごと中におてすうおかけして…」
「見回りな。そうだが……おーい、しっかりしろ。せめて自分の部屋まで意識を持て」
「……すう」
「…おいおい、嘘だろ?本格的に寝やがったぞ…」
騎士様が何か呟いているが、意識をほぼ全部手放した私には全然届かない。
「…ったく、少しは成長したと感心したが、まだまだ子供か。いや、この年で外で寝るとか、ガキでもなかなかしねえだろうが」
はあ、とため息のようなものが聞こえて、背中と膝に重力が移ったような気がした。
「おい、起きろ。……。
……ハルシア、起きろ」
私は今、夢を見ているんだろう。
酷く重い瞼をゆっくり上げれば、ぼやけた視界に月の光を背負って顔が良く見えない人が見えた。
でも、それだけはっきりと、まるでそこだけ切り取ったかのように月色の光が二つ浮かんでいる。
私はその温かく眩しい物を、かつて見たことがある。
「……ぜと、らすさん」
親の静止の声も振り切って、馬上の彼にはなんて声を掛けたんだっけ。
確か、「おうじさま」と。
彼の勇ましい姿と奇跡のようなタイミングで現れた彼は、確かに当時幼い私の目には絵本に出てくる王子様のように確かに映っていたのだ。
思い返せばなんと赤裸々な恥ずかしすぎる発言だろうか。
しかし名と素性を知った今、あながち間違いじゃない、むしろ正解だったというのに気付いた。
彼は確かに敵国の、王子様だったのだ。
「ゼトラスさん」
彼の名前を知ったのは昨日だというのに、もう何度その名を口にしたんだろう。
「…ハルシア」
そして何度彼にもう一度名前を呼んで欲しいと思ったか。
彼にお会いして、もう一度、その月色の光を向けてほしいと何度願っただろう。
「ゼトラス、さんっ」
「ハルシア」
今一度お会いできたなら、お伝えしたいこと、沢山あったはずなのに。
私は嗚咽を零すだけで、絶え絶えに彼の名を呟くことしかできない。
これじゃあ本当に子供じゃないか。
それでも、彼は嬉しそうに月色を細め、私を包んでくれた。
一定のリズムで僅かに体が揺れて、静かに夜風が頬を撫でる。
「ゼトラスさん」
私の目尻から熱が溢れ、頬を伝った瞬間。
サアッと一際強い風が吹き抜け、私を包んでいた金属質な固い腕が、筋肉質の生身の腕に変わった。
「ハルシア」
未だぼんやりぼやけた視界に、垂れ目のブロンズの騎士ではなく、宵の色の髪の、目尻に優しい皺を蓄えた強い月の光を持った青年が映る。
「ゼトラスさん」
「ハルシア…」
私の目尻から溢れ出す熱がまるで愛おしいとでもいうように、目の前の青年が唇で掬い取る。
「大きくなったな、ハルシア」
鼻に、頬に、そして額に。押し付けられた熱が熱く、沸騰するようだ。
あの時と変わらない、優しく燃え上がる愛しい熱だ。
「ずっと、お会いしとうございました」
彼の首に抱き着いた私を、笑って抱きしめ返してくれた。
夢に見た彼の腕の中で、私は、そんな都合の良い夢を見ている。
ゆらゆら、ゆらゆら。
ああ、月が、綺麗だ。
次の日の朝、目が覚めて私はこのまま土に埋まりたい気分だった。
どこからどこまでが夢だったのか。
無意識に自分の部屋まで自力で無事辿り着いたのか、もしかしたら夢と現実が絶妙に混ざって、寝落ちした私は騎士様に保護され部屋まで連れてきていただいたのか。はたまたバルコニーになどもともと行っておらず、すべて夢だったのか。
どれもしっくりこなくて、昨晩一体何があったのか結末を誰でもいいから教えてほしかった。
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