魔道士の仮説
「侍女の服はドレスよりも身軽で動きやすいでしょう?」
おなじみの寝間着を脱ぎ、私は早速ディークさんに用意していただいた侍女の服に着替える。
「これはリンデンブルク家の制服?とっても素敵!可愛い!」
上半身はブラウスのようで、腰からふんわりと緩く広がる膝丈のシンプルなワンピースは、あまり過度な装飾を好まない私にとって、文句のつけようがないほど私の好みにぴったりのデザインだった。
「サイズも丁度良いようね。何着か替えも用意させたわ。うまく循環させなさい」
「うん、どうもありがとう!ディークさんも、ありがとうございます!」
「いいえ。お気に召していただき何よりです」
しとやかに、胸に手を当て軽く腰を曲げたディークさんは、今更だけれどいつ何時もすごく綺麗な礼を取る。
侍女としてこれから私も仕えるのだから、私も彼を見習わねばなるまい。
これからはディークさんの仕草に気を付けてみよう。
「さて、おしゃべりはここまでよ。私たちは絶対に無視しておくことができない問題があるわ。…気づいてないなんて言わせないわよ。どうして、こんな国宝級の禁術が、城から紛失したのか。ハル、あなたと偶然ぶつかったとかいうその怪しい男はなんなのか、禁術を城から持ち出し、何に使おうとしていたのか。これがどれだけまずい案件だと、言わずともわかるわよね?」
とん、と部屋の中央に置かれたテーブルにシノノメは例の禁術が記された本を置く。
「奇しくも、破かれ消えたページはここだけじゃないの」
「えっ?」
「見たところ、破かれ、紛失したページは全部で3枚。1枚は運良く戻ってきた鏡の魔法について。もうひとつは流れの魔法。例えば風の動きを変えたり、動きあるものの行く先を大から小まで操ることが出来ると聞くわ。もう一つは…情けない話だけど、残りのページには何が記されていたのかは私にもわからない」
もしそれが、悪事に使われるようなことがあれば。
戦争の火種、もしくは戦争自体に使われたら。どんな恐ろしいことが起こるかどうかなんて想像もできない。
「しかも最後のページよ。最後の最後に持ってくる禁術だなんて、あまりにも意味深だわ。どんな恐ろしい魔法が記されているのか、考えるだけで足が震えてしまうわ」
「その、ページを千切った犯人てのは」
「どこだと思う?」
誰、ではなく。どこ。
じっ。と真剣なシノノメの眼差しが私を射抜く。
「薄々勘付いているはずよ。推測で話をこじつけるのは学者にあるまじき行為ではあるけども…十中八苦、ドゥーヤね」
ドゥーヤ。
また、その名前だ。
近年このプラナリアに脅威を示し、憧れの彼がかつて仕え治めていた国。
「…ドゥーヤは、長い間プラナリアを目の敵にしていると聞かされてるけど、最近は随分著しいんだね。小競り合いもよく起こっているようだし、私も一度、スパイみたいな人が騎士団に追われているのを見たことがある」
「確かにドゥーヤとの小競り合いはえらく長く続いているわね。ざっと計算しただけでも、少なくとも15年近くは続いているかしら」
「そんなに…」
「長い歴史の中では一瞬のような時間だけれど、逆に小競り合いだけがこれだけ続いてるのもおかしな話ね。まるでどちらかが戦争だけは起こしたくないと、密かに踏ん張っているかのような焦れったさだわ」
どちらかが、踏ん張っている?
それは、どういう意味だろう。
「ドゥーヤは、プラナリアをよく挑発してくるじゃない。私だって、7歳の頃ドゥーヤの国旗を抱えた卑劣な男たちに夜襲を受けた。他にも、不当な理由で被害を受けた町や村は無数にあるわ」
そして、それを治めるたびに騎士団は功績を讃えられて英雄に、いつの日かプラナリアの平和のシンボルになった。
「それが、嘘だとしたら?」
「えっ?」
「もしもの話よ。小競り合いを仕掛けているのはプラナリアの方だと、考えたことはなかったかしら」
なぜ、こんなにも小競り合いがあるにもかかわらず、決定打がないのか。
戦争が起こる時は、何かきっかけが必ずある。
「小さな町や村をちまちま襲うだけで、まるで何かを煽るようなやり方、どうにも裏があるとは思わない?」
シノノメのアメジストは、私を通して誰かを見ているかのようだった。
「…シノノメ、貴方は、もしかして。プラナリアが、ドゥーヤが戦争を仕掛けてくるよう、ドゥーヤのふりをして自国の民を戦争の火種に使っているとでも、言いたいの?」
私は、思いもよらない話の転換に、ついていくのがやっとだ。
自分で考える余裕などない。
「あくまで仮説で可能性の話よ。実証も無しにこじつけるのは、学者として不本意だもの」
「でも、あなたがそこまで言うのは、少なくとも黒でもなければ白でもない、グレーだと、そう言いたいのね」
「ハル。あなた、ただの馬鹿ではないみたいで安心したわ」
ディークさんが床に散らばった私の髪を箒でささっと掃いていく様子を横目にぼうっと見ながら、シノノメの言葉をごくんと唾と共に呑み込む。
「自分の国が正しいと錯覚するのは当たり前の生理現象のようなものよ。逆もまた然り、相手の国も自分の国がしていることは正しいと思っている。そうして噛み合わない意見のぶつけ合いが膨れ上がって、争いになり、相手の領域を侵して戦争になる。よくよく考えずとも、領地を増やしたい、他国からの侵略を防ぎたい、己たちが平和になりたいから他は排除しよう。そんな不毛な意識から諍いが生まれるだなんて…どこもかしこも臆病者で、強欲で自分勝手な言い分ね」
必ずしもそうとは限らないだろうが、戦争のシステムはだいたい決まってそうだ。
何が正義でどこからが悪なのか。自分たちの物差しで決めてしまうのにはあまりにも先走ったものだと、何故狂ったようにみんな気が付かないのだろう。
「でもそれが、今回の禁術が盗まれたこととどうつながるの?」
「考えられる可能性はいくつかあるわね。一つは、ただのプラナリアの自作自演。ドゥーヤが盗んだかのように見せかけてあられもない罪を着せる為。もう一つは、禁術を使って何かよからぬことを企てた個人の犯行。
そして、もう一つ。この事態に気づいた誰かが、現状打破の為にどうしても禁術が必要だった。他にもいくつか考えられるけど…こんなところかしら。いずれも仮説であることに違いないわ」
戦争の影がすぐそこまで迫ってきている。
それを絶対に止めてみせる。
小競り合いはそういう事なんだと、思ってしまったら途端に何かが崩れるような気がした。
「…もし、その仮説が正しいとき、プラナリアは、完全に悪者じゃない」
「そうよ。こんな話、この部屋以外でしたら、公爵令嬢の私であっても簡単に首が飛ぶわ」
この国は、大きな隠し事をしている。
そんな小さな疑惑は、私の中で大きなしこりになった。
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