実験台
「…あんたの兄様、大丈夫なの?」
シノノメの部屋に入れば、昨日とは打って変わって部屋の中は普通に明るく、北側の部屋だから日は当たらないはずなのに部屋の高い位置にある小さな窓から眩しく入る日差しが際立って心地が良い雰囲気であった。
普通に家具は置いてあるし、積み重なった本達は全部魔道書だろうか。
シノノメの部屋は普段はこんな雰囲気らしい。昨日は本当に、私の魔法を解くために、魔方陣を描くために片づけられていたんだなあと気づく。
「大丈夫って…確かにあれは私も不安になるほど過保護すぎて病気じゃないかって思う時がないとは言えないけど…って見てたの?」
「人聞きが悪いわ聞こえたのよ。しかも私が言いたいのはそれじゃないわ」
「?」
「妹と名前が同じだけの異性に対して愛の言葉を叫ぶとか、大胆すぎると思うけど」
……。…確かに。私は兄だと認識しているが、兄は“ハル”を妹として認識していない。
だとしたら、はたから見ても兄から見ても、自分よりも歳のいった身長も高い同性に向かって頭を撫でたり「俺の宝だ」と叫んだり…。
これは誤解を生んでもおかしくないな…。
たまに道行く人(特に女性)が奇異と羨望の籠ったようなまなざしを向けていたのはこの所為か。
兄がこれからその手の人として認識されて縁談が減ったりその手の同性に興味を向けられるようなことが増えたらどうしよう。
少し罪悪感があるが、ほとんどは彼自身が勝手にしたことだ。私が責任を感じることではない。と、信じたい。
「それはともかく、ここまで来たんだからそろそろ魔法を解きなさい。そして“西区の好青年ハル”は今日ここで死ぬの」
死ぬ。残酷だが魔法を使わないという事はそういう事だ。
私はまだしも、兄や街で会ったたくさんの人たちの中から消えて、会えなくなる。
私が昨日味わった苦痛を私自身が他の人に強いるのかと思うと、本当に心が痛い。
こんなことなら魔法なんか使わずにハルシアのままで旅をした方が良かっただろうか。いや、それは元も子もない話だ。そもそもこのゼトラスさんの姿の“ハル”でなければ、誰とも巡り会えなかった。
これはゼトラスさんがくれた出会いで、私が手放す別れなのだ。今更うじうじ無駄な思考を巡らせても仕方がない。
しかし一つ、ずっと気にかかっていたことがある。
私はシノノメに物申す為、ゆっくりと口を開く。
「私を匿ってくれて、事情も呑み込んでくれて本当に嬉しい。でも、私は本当なら禁術を使ってしまったから極刑は免れないんでしょう?そんな罪人の片棒をシノノメは担いでくれている。嬉しいけど、嫌だよ。だって絶対じゃないでしょう、私の罪が露呈するかしないかなんて。こんなリスクが大きいこと、優しいあなたにさせたくない。私が罰せられるべきことをしていたのは事実で、あなたはただそれを目撃してしまっただけ。何も、自ら火の中に飛び込まなくてもいいじゃんか。どうして、どうしてあなたはそんなに優しいの?シノノメ」
これは全て私の甘い考えが生んだ結果ではあるのだ。なぜこんなにも優しく自分を叱ってくれたシノノメが罪をかぶらなければいけないのだ。
長年追いかけた夢を失ったが為に他にすがれるものが欲しいと少しも思わなかったと言えば嘘にはなるが、心優しい彼女がいつか罪に問われるかも知れなくなる、という事に私はどうしても納得ができない。
「…あなたって、本当にお人好し。反吐が出るわ」
ゆったりと椅子に座っていたシノノメが立ち上がり、高いヒールを鳴らしてこちらに近づいてくる。
「いい?私に尽くして恩を返そうだなんて勘違いも甚だしい」
アメジストの奥底まで見通すような視線にたじろぎ、私は一歩後ろに下がる。
「あなたは、私に秘密を握られ、それを脅されて仕方なしに私に仕えるの。私はあなたをこき使うためだけにここに縛り付け、あなたは秘密を守るだけに無理やり働かされる。いわばこれは不当な契約よ。そこにはあんたの自由も意思もあるわけないわ。私にとってはこんな好条件な奴隷紛いの侍女、簡単に手放すわけないじゃない。屋敷に帰りたいと泣き縋られても簡単に帰してやらないから」
「…君は、」
優しすぎる。どうしてこうも優しい人間が私の周りにはたくさんいるのだろう。
「くだらない話は終わったかしら?ならその化けの皮をさっさと脱ぎなさい」
サアッと、強い風が正面から吹き抜けたと思ったら、私の視線は先ほどよりずいぶん低い物になったので、魔法を解かれたのだとわかる。
昨日は大掛かりな魔方陣に囲まれて魔法を解かされたが、今日はもともとシノノメの魔力を使って変身していたからか、昨日とは打って変わってシノノメはあっさりとその華奢な指一本で簡単に魔法を解いてしまった。
「さてハル。さっそくあなたには私が編み出した魔法の実験台になってもらうわ」
「え」
シリアスも一転。
目の前に立ったシノノメは、私の頭を両手でガシッと力強く挟み込んだ。
「大丈夫、猫には成功したから」
「人間の事例はないの!?」
「だから実験台と言っているでしょう」
「えええなにそれめちゃくちゃ怖い」
「煩い。ほら、諦めなさい…よっ!」
両手でこめかみを強く圧迫されたと同時に、電流のような激しいものがこめかみから眼球の奥へ走り弾け、頭部全体に飛び散ったような感覚に襲われる。
「いったああああ!?」
なんだこりゃあ?!何が起こったのかはさっぱりわからないが、あまりの痛みに耐えきれず床に頭を抱えて崩れ落ちた。
「髪は成功ね。ハル、蹲っていないでこっち見なさい」
「むりむりむりむり目取れた」
「あなたの目は床に落ちてないわ。良いから、こっち向きなさい」
ジンジン痺れる目を力づくで開くと、ぼやけた視界でシノノメがにやにや笑っていた。
シノノメは噂のドSなのか。ツンデれでドSなのか。とんでもないスキルをお持ちだ。
「…すごい。完璧だわ天才かも。いや、私もともと天才だったわ」
「えっどうなったの」
いまだジンジンと痛みが頭の中で反響する中、シノノメはそんなのお構いなしに次の行動に移っていた。
「これで終わりじゃないわよ。あんた、1年半もずっと魔法に頼り切ってロクに髪も整えなかったのね。ボロボロよ」
「ぼさぼさじゃなくて?」
「もう目も当てられないほどだわ。椅子に座りなさい。コントロールも難しいんだから、ジッとしているのよ」
「えっもう何が何だか」
「いいから」
無理やりそこいら辺に置いてあった木のスツールに座らせられ、背筋を伸ばされる。
「ハルは…そうね、頭部のフォルムが見事な球体ね。重苦しく伸ばして隠してしまうのは勿体無いわ」
「シノノメ様。長い髪は身分の高い女性の象徴です」
いたのかディークさん。
今の今まで空気すぎてわからなかった。
「だからこそよ。侍女なら短くても良いでしょう。彼女はもう子爵令嬢ではないんだから」
シャッ!と風切る音が聞こえたと同時に、奥に控えていたディークさんが口に手を当てて「ああっ」と声を漏らしていた。
それを皮切りに、シャッシャッと小切り良い音がリズムカルに聞こえ、頭がどんどん軽くなっていく。
これは…もしかしなくても、自分の髪を切られている。
もしかしてシノノメは、鏡の魔法を使わせずに、私を変化させようとしてくれているのだろうか。
「ハル、あなた妬ましいほど固くて真っ直ぐな髪をしているのね。これじゃ前髪を流せないじゃない」
「あ、そうなんだよ。私も悩んでたの。伸ばして耳に掛けるしか方法がなくて…」
「前髪はその人の第一印象を決めるものだから、今までのは絶対に避けなきゃダメ。なら、これしかないわ」
なんだか嫌な予感がする。私は一度物心つくかつかないかの時にその前髪で、幼馴染に笑われたことがあるのだ。
小さな子供ならまだしも、まさか、もう一年もすれば嫁ぐことができるような妙齢の女子にさせるのか?!
「ちょっと待ってシノノメ!それだけは、」
はらり、と長い物が落ちていき、額がぐっと軽くなる。
「もう遅いわ、ご愁傷様。これしかなかったのよ」
「あああああああああ」
「恨むならあなたの針金のような髪質を恨むのね。良かったじゃない、まさかこの前髪で子爵令嬢だとは誰も思わないわ」
「今だけは君の鋭い言葉の剣が綺麗に突き刺さるよ」
「やっぱりあなた私の言葉使いに意義があったようね。身も心も化けの皮がちゃんと剥がれたようで嬉しいわ。それに、そこまで酷いとは私は思わないわ。ディーク」
「どうぞ、ハル様」
ディークさんから綺麗な手鏡を渡され、恐る恐る覗き込んでみれば、私は鏡に映ったものが信じられなくて、ぱちくり、と瞬かせる。
「あなた額の広さも丁度良いんだもの、ぱっつん前髪も悪くないわよ。とても14歳には見えないわ」
「…いや、それもそうなんだけど、え、これは」
「お気に召したかしら?兄様と同じ鳶色も似合っていたけど、亜麻色も良いじゃない」
「えっ、え?これ、うそ、どうして?」
私の腰まであったストレートヘアーは、何時の間にか肩につく程度まで短くなっており、前髪は恐れていた、まっすぐに眉下で切りそろえられていた。
しかし私が驚いたのはそこじゃない。
カトゥリゲス家伝統の鳶色の髪は明るく亜麻色に変わり、エメラルドの瞳までもがその鮮やかさを失い、薄く透き通るオニキスのような色に変わっていた。
「驚いたようね。無理もないわ。この魔法は第一級魔法でもましてや禁術でも何でもない。私が研究に研究を重ね編み出したお手製の魔法なんだから」
「これ、シノノメが考えた魔法なの?!」
そうよ。と鼻高々にふんぞり返るシノノメを視界に入れもせず、私は手鏡の中に映るいつもと雰囲気ががらりと変わりすぎた自分に釘付けになる。
「私が気づいたことは、色を構成しているとある組織のバランスを操作すると当たり前に色が変化するという事。今回、瞳の色組織を濃くして、髪は髪の色組織を極端に薄める魔法をかけてみたの。何色に変化するかわからないから、絵の具を混ぜるよりもワクワクしたわ」
「わ、私の身体で遊んでる…!」
「如何わしい言い回しね。実験台と言ったでしょう」
こんな人体に直接かける魔法なんて、攻撃魔法以外でお目にかかるのは初めてだ。
痛みが伴ったのは玉に傷だが…すごいことをシノノメはやって見せたのだ。
「髪はやろうと思えば染色も可能だけれど、毛根から変えることが出来るのはこの魔法だけ。しかも瞳の色なんてのは変えられるなんて皆想像もしたことないでしょうね。髪型も髪色も、瞳の色まで違うものであれば、姿かたちが同じ物であるとしても肉親でさえ欺くことが出来るはず。禁術も使わずに、微量の魔力だけで“シノノメ流鏡の魔法”を施してあげたのに、何よ。気に食わないの?」
「ううん、本当に素敵…!シノノメはやっぱりすごい魔道士様なのね。…ただ」
「ただ?なによ」
「色が変えられるなら、髪質も変えられなかったかなあって」
はた、とシノノメの動きが止まる。
「…それもあったか」
「え」
「髪の伸縮を構成する組織にどういう個人差があるのかわかれば、それを構築の仕方次第で形状の保存や修正が可能になるかもしれないわね。だとしたら、いちいちカーラーを付けて眠る貴婦人がいなくなる日も近いわ。試してみる価値はあるわ!」
「あの、シノノメ。もしかしてそれをまた私で実験するようなことは」
「当たり前じゃない。貴方が進言してきたことよ?望みどおりにしてあげる」
「ち、チリチリだけは勘弁してね…」
これからさらに酷使されるであろう自分の髪の将来を憐れんで肩を落としたが、やはり新鮮な色と軽い髪型にどこか気分も晴れやかになった。
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