第一章 第六話 長閑な道のり
――淵滅暦1385年。
ヴィナグレイス、ガディスニア大陸。
この世界は、海を挟み五つの大陸に分けられている。
南側に位置する二番目に大きな大陸が、ガディスニア大陸。
その最南端には、魔王テレサの領土が広がっており、真反対の海峡に面した沿岸には、慈愛を司る女神――アステロ二カを唯一神として崇める国、ラスメイータ王国が栄えている。
女神アステロニカの慎ましい加護に加え、勇者召喚といった子供のお遊び程度の儀式を有し、大陸内に於いて不動の地位を築き上げていた。
「――上げていた、っスよ。もう過去の栄光じゃないっスか? 勇者ソウマは死んだんだし」
「可哀想にな」
私はボーっと空を眺めながら言う。
魔王テレサの居城での一件が片付き、私とルイは帰路についていた。
いや、仕事帰りではないか……と私は思い直す。
神界ルリシセグンスにいるネイリィに報告書を出しておいたが、まだ神界には戻れ……戻るわけにはいかない。
だって絶対不機嫌だもん、アイツ。
私を見かける度に、苦虫を噛み潰した顔で舌打ちをする。
一体、何が気に入らないのだろう。
私に会ったら舌打ちをかます、というデイリータスクでもあるのか。
『女神部』の事務員は大変だな。
――ガタゴトガタゴト。
振動でケツに痛みを感じながら、私達は馬車に乗って、街道を走っている。
馬車を牽引する馬の手綱を握るのは、間抜け面をしたルイ。
こんな長閑な場所に外敵が現れるわけがない、と油断しきっていた。
帰るまでが暗殺です、そうガキの頃に博愛主義ぶった師匠に言われたが、いまや私も立派な組織の歯車だ。
気を抜いている後輩を、しっかりと叱ってやったほうが良いのかもしれない。
「ルイ君」
「……おん? なんスか、君付けなんてして……妹の連絡先は教えないっスよ」
「お前は私を何だと思っている。私はカトレア様一筋だ。しょんべん臭いガキに興味はない」
「ウチの妹も陰湿な悪魔は範囲外っスね」
「純血の〈悪魔族〉に、悪魔呼ばわりされるとはな」
「じゃあ、なんスか? トイレっスか?」
「肛門はあと少し余裕がある」
「良かったっス」
そう言って、ルイが僅かに首を横に倒す。
ヒュン! と風を切って、一本の矢が頬を掠めた。
ルイが避けたそれが、私の顔面に命中し、鏃が粉々に砕ける。
「大を撒き散らすなら、離れたとこで出して下さいね。先輩の糞、めっちゃ臭いんで」
「食生活は改善した。少しはマシになった筈だ」
「すげー臭いのが、めっちゃ臭いになっただけで、劇物に変わりはないっスね」
「今度、ネイリィに嗅がせてやろうと思う」
「ルリシセグンスの審問官にしょっぴかれないことを、祈ってるっス」
馬車の進行方向には、人が立っていた。
数は十人程。
小汚い装いに、それぞれ手には剣や弓といった武器を持っている。
魔法使いらしき杖を持った者の影に、弓矢を構えた男がこちらを見ていた。
矢を放ったのは、ソイツだろう。
「あー……野盗っスね。ここらは冒険者や旅人も通るから、待ち伏せしてたのかも……どうします?」
「轢き殺せ」
「ういーす」
パンッ、と鞭を打って馬の速度を上げる。
止まらない馬車に、野盗の集団が焦った様子で喚いた。
耳に入れる価値もない戯言を無視して、馬車は突っ込む。
驚きながらも火や礫といった《魔法》、特殊な付与がされた矢を放っていた野盗は、しかし距離が迫ると、急いで左右の野原に飛び退いた。
何人か判断が遅れ、馬の前脚に蹴られてはいたが……。
後ろから攻撃されても面倒だ。
私はカッターナイフ――エドワード君を、街道に倒れ伏した男の額に投げる。
顔を上げたと同時に、それがぶっ刺さり絶命した。
「良いんスか? エドワード君。制作者――奥さんの大事な形見なんでしょ?」
「問題ない。《異界収納陣》に、スペアがある」
私は異空間から、カッターナイフを三十個出した。
どれも、エドワード君と同じ形状だ。
定期的に『女神部』の備品庫から、無断でパクっている
「形見は普通、そんな何個もあるようなもんじゃないと思うんスけど」
「在庫が十を切ったら、補充される」
「へー。形見って、そういうシステムだったんスねー」
「勉強になったか」
「ハァイ、ぜんぜーん」
――カポカポ。
と、車輪が回り馬車が走る。
目的地は、ここラスメイータ王国の郊外にある孤児院だ。
そこに『女神部』が回収物に指定している《循環の砂時計》があるらしい……ディーヴァが言うには。
放っておいたら、世界の秩序が乱されるのだとか。
秩序を維持管理する『女神部』には、由々しき事態である。
イカれ女に顎で使われるのは不愉快だが、神界ルリシセグンスに帰って、ネイリィに小言を吐かれるよりはいいだろう。
私は職務に忠実な、責任感の強い後処理係だ。
命令された事は、きちんとやる。
「いやー、晴れた日のおつかいは、気分が良いっスねー。何か、ワクワクするっスよー」
「そうだな。コレを貸しにして、ディーヴァを強請れると思ったら、溜まった憂いを出し切ったように気持ちが晴れ渡る」
「先輩、漏らしてないっスよね……?」
チラリ、とルイが肩越しに視線を向ける。
馬車は草原を駆け抜け、雑木林の中に入っていった。
私達を乗せた馬車は、舗装されていない林道を進む。
ここら辺は、あまり危険な魔物が生息する地域ではないので、そこまで警戒する必要もない。
盗賊は……いたら、また殺せばいい。
昨晩は雨が降ったのか、道はぬかるみがあり、ところどころ水溜りができている。
――バシャン。
前輪が水溜りを踏み、その衝撃で馬車が揺れ、私の肛門が僅かにダメージを被る。
「大丈夫っスかー、先輩」
「何が」
「アンデットみたいな顔色っス」
「これは元々だ。健康的な肌艶だろ」
「カッピカピ、っスねー」
あははー、とルイが笑った。
失礼な奴だ。
これでも毎日、ケアはしている。
カトレア様が「貴方は性格が最悪なのだから、せめて外見は綺麗にしておきなさい」と、私のことを慮って、色々と勧めて下さったのである。
とてもフローラルな香水をつけて出勤した日には、目を泳がせて苦笑いをしていただいた。
カトレア様も、私の変化が嬉しかったのだろう。
「そういえば、聞いたか?」
「……はい?」
「これから向かう孤児院は、没落した辺境伯の屋敷を再利用した施設らしい」
「聞いてないっスね」
「言うの忘れてたからな」
「どこ情報っスか、それ」
「ディーヴァだ。俺が勇者ソウマの胴体を、チェーンソーで解体してるときに話してた」
「……あー、そんときは寝てたっスねー。快眠だったっス」
異世界人の死体は、《星の意思》が宿る頭部が、高値で取引される。
だが、胴体が無価値というわけではない。
体内に残った魔力は、ヴィナグレイスの人間より濃密で、殆どの国では禁止されている魔道具の素材として用いられている。
「お前、口をチュパチュパしながら寝てたな」
「ちょっと舐めてたんスよー。美味しかったっスねー」
「魔女の腸をか?」
「いや、最近の流行りは髪の毛っス。それに竜の血液を溶かして固めてコーティング……飴にするんスよ」
「絶品だろうな」
〈悪魔族〉は、他種族の血肉を貪る。
偶に見境のない個体は、同族を共食いするが――。
昨今、〈悪魔族〉の間では魔女が流行しているようで、夢の中で舐めていたのだろう。
私も昔、ルイにオススメされて、魔女の腸を煮たスープを食べた。
不思議なことに、血生臭さは感じなかった。
多分、一緒に入れた梅干が要因だ。
恐るべき、梅の力。
「近々、良い店紹介するっスよ。ロゼリアさんも誘って、三人で行きましょうよ」
「暇なお前と違って、アイツは今忙しいからな」
「何かしてるんスか? 自前の斧で、各国の権力者を処理することしか役目無いでしょ、あの人」
「恍惚とした貌でな」
「そうそう、気持ち悪い貌で。あの人、自分大好きだから酔ってるんスよ。畜生を罰してる私ってなんて華麗なのかしら! って」
そこまでは思っていない。
にしても、絶妙に似ている声真似だ。
今後、処理の過程で潜入することがあったら、ルイを女性に変装させてみようか。
男性にしては線が細いし、イケそうではある。
ネイリィの私室に仕舞われている、フリル付きのドレスを借りて着せてやろう。
「……ん……何か寒気が……」
「熱でもあるんじゃないか。残業は身体に悪い」
「この《循環の砂時計》の案件を先輩が受けなければ、神界に帰ってる筈なんスけどねー」
「文句はディーヴァか……回収を決議した〈神族〉に言え」
「小心者の俺に、そんな勇気は無いっスねー。反駁するなんて、恐ろしい」
「改造か……忘却されるだろうな」
「どっちも嫌っス。それなら俺は、先輩の糞を嗅いでいたい」
「悪路のせいで、ケツが刺激されて波が収まった。出すのは先になりそうだ」
視界が開けて、苔むした石畳の道に変わる。
周りを樹木で囲まれたそこに建つのは、古びた屋敷だった。
【次話予告】
平穏の仮面を被った孤児院――。




