第一章 第五話 秩序を司る神界
――神界ルリシセグンス。
秩序を司る女神カトレアが創造した数ある神界の一つ。
監察庁の下部組織、通称『女神部』の本拠地だった。
明かりのない真っ暗闇な空間――。
ボリボリ、と何かを貪るような音だけが聞こえている。
「カトレア様、いま宜しいでしょうか。まあ、駄目でもどのみち入りますが」
と、不敬に言って。
――ウィーン。
そんな開閉音がすると、スライド式の扉が開いた。
入ってきた者を感知してか、自動で照明が点けられる。
パチパチ、ジジジ、と嫌な明滅と火花を散らし、劣化している蛍光灯が部屋を照らし出す。
女神が住まう天上の世界――神界、その最下層に在る神界ルリシセグンスは、生活感溢れる小部屋であった。
デフォルメされた子熊の壁紙に囲まれた正方形の空間だ。
中央には小さめのテーブルと、座布団が敷かれていて――。
壁際に置かれた棚に並べられた本は、どれもジャンルの違う多様なもの。
部屋のあちこちに、奇妙な人形が置かれている。
可愛いらしいわけでも、醜いとも言い難い、微妙な気味の悪さを感じる造形である。
そのラインナップの中で特に秀逸なのが、海老反りをして吠える女の魔王――〈月下の亡霊〉テレサを象った人形だ。
満月の夜に全裸で踊り狂っている瞬間を捉えた、貴重な一品。
カトレアが暇潰しに製作した自作だ。
下界を観察することなど日常的に行えるカトレアには、お遊びのような所業だった。
そんな部屋の主、即ちカトレアはだらしのない性格なのか。
目に入るだけで、飲みかけの飲料が入ったボトルや、丸められたティッシュペーパーなどが床に散乱している。
――片付けろつってんだろ。
と、入室した女性は胸中で悪態を吐いて、ゴミを蹴飛しつつ足を動かす。
鴉のような漆黒の長髪を結ってツインテールにし、凛とした冷たさを全面に押し出した面持ちだった。
その鉄面皮に朗らかな笑みを足せば、元の端麗な容姿も相まって、魅力的に映るだろう。
しかし、過労により化粧でも隠せない、深い隈が刻まれた三白眼は、眼前の全てを射殺すかのように鋭い。
僅かな不正も見逃さない、そんな信念が垣間見える。
特注品のテーラードジャケットを、ビシッと着こなす様は厳然としていた。
『女神部』の管理官であり、諸々の雑事をしている事務の、ネイリィ。
管理職なのに書類仕事もこなしているのは、『女神部』が常時、人手不足だからに他ならない。
神界の上層部に打診を申し入れても、人件費削減という馬鹿の一つ覚えのような回答が返って来る。
有り体に言うと、『女神部』は嫌われて……腫れ物として扱われていた。
経費云々の理由は、仕事の出来ないノロマでも分かる、運営側が得意とする虚言だ。
あの腐れ狸共が、と脳内で気に入らないそれらを殴って、ネイリィが束ねた書類を手に口を開いた。
「おいコラ、さっさと起きやがれロクデナシ女神が……っと、失礼。お時間ですので、そろそろ起きていただけますでしょうか」
「……取り繕えてないわよ?」
ネイリィが氷の声で、口汚い罵りをする。
モソモソ、と部屋の隅にあったセミダブルベッドの上で、盛り上がった布団が捲れた。
透き通ったストレートロングの髪は白銀色に輝き、しかしアホ毛のような寝癖がハネている。
ふはぁ、と欠伸をするその女性――女神は神秘的な美しさを放っていた。
切れ長なコバルトブルーの瞳に長い睫毛、皺や傷のない雪肌。
整った目鼻口は完璧な形をしている。
見た目は人間の女性だが、その内なる性質は隠せない。
無意識に女神の神聖さが溢れている。
まさにそれは、人外の美であった。
「ご存知無いのなら教えてあげるけど、私は――」
「いえ、結構。無駄話に付き合う暇はありませんので」
「――私は、あの女神カトレアなのよ」
「どのだよ。知らねぇよ」
「何か言った?」
「薄汚いコウモリ野郎と、その陰湿な飼い主が件の処理を完了したとの連絡が届きました」
と、ネイリィは自分のペースで用件を話す。
カトレアとの口論は平行線になると、それなりに長い付き合いのネイリィは理解していた。
「薄汚い……? 飼い主……ああっ! ヴィルとルイのことね。……ネイリィ、貴方ちゃんと名前で呼びなさい。でないと、分からないでしょう」
「薄汚いと言われて、真っ先に彼らを思い浮かべたではありませんか」
「違うわよ。私は陰湿とヴィルを結び付けたのよ」
「それはそれで、あの男にとっては謂れのない悪評ですが」
とはいえ、ネイリィに庇い立てする気はない。
ヴィルとの付き合いは千年近いが、そこに友愛は無いに等しい。
『女神部』の同僚、ビジネスパートナー。
――いや。
そんな小綺麗な関係性だと言い切るのは、納得がいかない。
毎度、『女神部』の本業……後処理に於いて、予定にない騒ぎを起こし、必要経費を圧迫させる。
納得出来る事情であれば、ネイリィも文句は言わない。
だが、ヴィルはどこか意図的に騒動を誘発している節があるように思えてならなかった。
明確な証拠は無いので……ヴィルも飄々とした態度をしており尻尾を掴ませないので、顔を合わせようが舌打ちを飛ばすだけにしていたが。
「昨今、あの男の奔放さは逸脱しています。『女神部』の……いえ、神界ルリシセグンスの秩序を犯しかねない、禁則事項スレスレの処理を短期間に多発させています」
「ふーん? 例えば?」
「《傀禁録》第二百八十七条――『処理を実行するのは、物語が終わってから、途中で水差しちゃメッ、だよ』。あの男は、どうせ殺して記憶を消すんだし問題ない、と言い張り……早計に処理をしています」
「知性の感じない規則よね」
「ディーヴァ殿が定めたものですので、仕方ないかと」
《傀禁録》は、『女神部』専用の規則で、発案者はディーヴァ。
彼女が言うには、世界の……ヴィナグレイスの秩序を管理する者として、厳格な規律に則った処理を心がける必要がある、らしい。
その張本人、ディーヴァは知らん顔で輪を乱す行動ばかり取っているのだが――。
「以前からそうだけれど、何でディーヴァを敬っているの? 地位はヴィルと同格でしょ」
「それは……猟奇的な鬼ババアでも、『女神部』創立メンバーの一人ですので」
「あっそ。まあ、良いけど」
んー、とカトレアが伸びをすると、かけていた布団が落ちる。
体格に合っていないダボッとした白いシャツは、首元に食べカスが残っていた。
下はズボンを穿いておらず、滑らかな太ももが晒されている。
「彼――ヴィルの勤務態度に関してだったわね?」
「ええ。後日、カトレア様の方からも、諭していただけるとありがた……」
「なんで?」
「…………」
と、カトレアに小首を傾げられ固まる。
その感情の色が無い双眸が、ネイリィを捉えて離さない。
「ヴィルはね、私の特別……最高傑作なのよ。彼程、優れた個体はいないわ。だからこそ、処理という仕事を任せているのだし。根が天邪鬼で勝手気ままな一面があるのは否定しないけれど、それはネイリィ……貴方が気にするような事柄ではないわ」
私の言いたい事は分かるわよね、とカトレアが優しい笑みを向けた。
ネイリィは猛省する。
こちらの苦言は正しい。
筋が通っている。
職員が所属している組織の規則を遵守するのは、義務だ。
しかしながら、その論理に収まらない……気にもしていないのが〈神族〉で。
カトレアは『女神部』を虫籠、ヴィルは籠の中で戯れる羽虫に思っていた。
「……申し訳ございませんでした。私としたことが、カトレア様に嘆願をするなど……」
「良いわよ、別に。貴方程度の発言で、怒ったりはしないもの」
カトレアが外に跳ねた毛先を弄りながら言う。
頭を上げたネイリィは、胸中で安堵の息を吐いた。
あのままヴィルの話題を続けていたら、カトレアに殺されていた。
それはヴィルの悪口に、腹を立てるからではない。
カトレアが自身の尊厳を踏み躙られたと感じるからである。
『女神部』の後処理係を担っている、現在のヴィルを創ったカトレアにとって、それだけ思い入れの強い存在なのだった。
しかし、だ。
ネイリィの不平不満は消えていない。
後処理の過程で余計な被害が発生した場合、その対応をするのは管理官であるネイリィで、ヴィルが問題を起こし、最悪世界の秩序に悪影響を及ぼしてしまうと、その責任の所在を追求される。
――なので。
せめて、その奔放な行動を改善してほしいと思っていた。
「……でも、そうね。諭すわけではないけれど……アドバイスはしてあげようかしら。……大切な下僕ですし」
「…………?」
「さっき、ディーヴァから秘匿通信で念話が入ったのよ。どうやら、件の勇者ソウマの後処理。……完全には完了していないみたいよ」
「〈月下の亡霊〉魔王テレサを討伐した勇者ソウマは、ヴィルが処理をしたと、あの陰湿悪魔に報告を受けていますが」
「ええ。それは私も確認したわよ。……でも、ふふっ」
と、カトレアが意味深に笑い視線を寄越す。
ネイリィが怪訝に眉を寄せた。
「今回の案件で最も愉快な出来事を、貴方は伝えられていないみたいね。信用されていない……いえ、揶揄われているのね、きっと」
ネイリィが三十分前に送られた報告書を思い出す。
必須の欄は、きちんと記入されていた。
文書を作成したのが、息をするように不正をするヴィルなので、ネイリィも念入りにチェックしている。
数回、読み返したが不備は見られなかった。
最後の頁の右下辺りに、絵心の欠片もないニッコリ笑顔な落書きと、愛を綴ったポエムが添えられていたのは無視をした。
ヴィルの考えを推測するのは、無益だ。
「……もしや……あの、『ネイリィ、君は私の人生を仄かに彩る、凛とした――』っていう、全身に怖気が走るポエムですか?」
「……はい?」
違った。
言わなければ良かったと、ネイリィが目を伏せる。
いらぬ恥をかいた……女神様の前で。
「――というか『凛とした』なによ」
「そこで切れてましたね。書き綴るスペースが無かったのでしょう」
「……気になるわね」
――ならない。
と、ネイリィが胸中で言う。
その報告書はシュレッダーにかけ、紙屑になったそれを丁寧に火に焚べてやった。
「じゃあ、一緒に予想しましょう」
「しません。お独りでどうぞ、ご勝手に」
「私は『凛としたクソビッチ』だと思うわ」
「残念、私はむっつりスケベではありますが、そんな節操のない女ではございません」
ネイリィが淡々と、部屋に落ちたゴミを片付ける。
陰湿な後処理係の創造主は、その下僕に似て手間のかかる女神だった。
【次話予告】
世界で蠢いている邪神の造物――。




