第一章 第三話 勇者が残した軋轢
私が吐きたい溜息をどうにかして飲み込む。
本音は電話を切って無視をしたい。
厄介事を身に纏い……それに自ら好んで首を突っ込み、物事を引っ掻き回す女だ。
疫病神が可愛いと思えるほどに、問題を起こし、且つ状況を悪化させるといった特技を兼ね備えている。
実に稀有な人材である……誠に不本意ながら、ではあるが。
私は電話の向こうにいるのだろう者の名前を口にした。
「何の用だ。ディーヴァ」
『ツレナイなー! 久しぶりの再開だというのにぃ! 愛しのマイハニーにかける言葉があるだろう!? ほら、ほらほら……恥ずかしがらず言ってみ――』
ポチ、と私は電話を切った。
通信機器を折り畳む。
さてと、仕事に戻ろうか。
――タラリタラリタラリラララ♪
「……チッ」
舌打ち一つ。
私は再度、それを開き電話に出た。
「なんだ」
『酷いじゃないか!! それが呪われた運命を乗り越えて、三百年ぶりの再開を果たした妻にする態度かい!?』
「凄い記憶改竄能力だな。その詐欺師も驚嘆するだろう嘘八百の語り口調には、私も呆れを通り越して拍手を送るよ」
ルイが鼻歌を響かせながら、パチパチと手を鳴らした。
「お前の盲言に反論するのも徒労に感じられるが……私はお前の夫ではないし、そんな大層な運命に晒されてもいない。私は万年、『女神部』の平社員だ」
自分で言っていて、悲しいものだ。
私は勤務歴が長いだけで、これといった実績も昇格もない、平社員。
それが不満というわけではないが、仕事が全体的に形骸化している面は否めない。
『あはっ! 論理的な反論を、どうもありがとう! 今後の参考にさせてもらうよ!』
と、ディーヴァが言う。
論理的だったかな?
妄想癖の激しい女に、思ったことをそのまま返しただけだが。
『もう少し君と談笑していたいところだが、ボクも暇ではないのでねっ! 手短に用件を伝えさせてもらうよ』
すると、耳障りでしかなかったディーヴァの明るい声音が急激に変わった。
『邪神――《桜樹の臓腑》が創った魔道具、《循環の砂時計》が見つかった。世紀の大発見だ……めでたいね。《循環の砂時計》には、時間を巻き戻す力がある。これが勇者を召喚した王国の手に渡れば、君が勇者ソウマを処理する前の状態にされてしまうわけだ』
それを耳にして、私は自然と眉を顰めた。
ディーヴァの発言が聞こえていたルイも、怪訝な表情をしている。
私は声のトーンを落として呟いた。
「なにが、めでたいだ。最悪の大事件だろう。こんな連絡を寄越す暇があるんだから、カトレア様には報告しているんだろうな? 現場で対処出来る事案ではない」
『フッフッフッ、ボクを誰だと思っているのカナ』
「『女神部』の不良債権」
「神界の穀潰し」
私と、そしてルイが続いて誹謗を送る。
『ノンノンノン。稀代の厄介者、が抜けているよ』
「……自覚はあるんスね」
「自省が無いのが、難点だがな」
『おいおい。美点の間違いだろう? ……私の数少ない』
「――で? そんな朗報を告げる為に、わざわざ秘匿回線を使ってまで、連絡をしてきたのか? おありがたいことだな」
後処理係、通称『女神部』が社内で用いている回線は複数あり、従業員に支給されている通信機器が、連絡手段だ。
そこに登録されたアドレスと、異界の境を越えて遠距離の連絡を取る事が可能となっている。
技術の賜物というよりかは、単に〈神族〉――女神様の《権能》による加護、のようなもの。
その便利な御力の作用により、こうして本部と現場の間で会話をすることが出来るのだが――。
ディーヴァ、この盲言女は何故か、高度に暗号化された回線を使ってきた。
しかも、ご丁寧なことに探知されないよう幾重にも隠蔽の《魔法》がかけられている。
つまりは、他者に聞かれると不都合な内容ということ。
スピーカーにしないで良かった。
ルイは地獄耳なので声を拾っていたようだが、ディーヴァもそれは織り込み済みだろう。
『そんな感謝をされると、照れてしまうが……』
「気持ち悪い」
『《循環の砂時計》の発見を知って、朗報だと言い切れるヴィル君だからこそ、私がこうして伝えてあげたのさ』
「こっちの質問に、まだ答えていないな。私はカトレア様に報告をしたのか、と聞いている」
『……やれやれ。相変わらず、君はカトレア様至上主義だな。嫉妬してしまうよ』
「ほざけ。お前にそんな感情はプログラムされていないだろうが」
はぁ、と異界でディーヴァがわざとらしい溜息をした。
それも、演技だろう。
彼女には、感情といった要素が備わっていない。
これまでのテンションの高い態度も、そういう人物像を模倣しているだけ。
ディーヴァの本性は、虚無だ。
何事にも興味関心を示さない。
『プログラム云々は、君も他人事ではないけど……ボクは空気が読めるイイ女だからね、指摘しないであげよう! ……質問に対する回答だが……報告したよ』
「それは、『女神部』の職員としての義務からか?」
『いいや……? 無論、私の探究心の為さ』
と、ディーヴァが事もなげに言った。
――だろうな。
ディーヴァは、そういう人間だ。
『女神部』の……組織の規律などは、考えていない。
『分かっていて、聞いてるよね?』
「社員同士の、コミュニケーションの一環だ。こういう些細な会話が、職場環境に影響するものだ」
「そうっスかねー。同僚との関わりとか、正直どうでもいいっスけど。愛着とか、マジで無いんで」
と、ルイがそっぽを向いて欠伸をした。
ルイ、君には同意してもらいたかったよ。
『そこに《悪魔の導きは破滅の調べ》を使えるルイ君がいるのも運が良い。手間と経費が省けるってものさ!』
「……?」
ルイがこちらを訝しげに見る。
私は何となく、この後の用件を……ディーヴァが告げる内容を予測していた。
私が知っているのは、《循環の砂時計》が『女神部』指定の回収物にされているということ。
詳細は明かされていないが、上層部が言うには危険な道具らしい。
意図的に重要な情報が隠されているのは明白だが、それを私のような使い捨て要員に教えるわけもない。
私としても、そんな思惑を暴いてやろうといった正義は、微塵もありはしないので、頭の片隅に入れる程度に留めていた。
『そっか……じゃあ、話が早いね!』
「聞いてたか? 人の話」
『喜びたまえ、ヴィル君』
「はい、ヴィルです」
『議会の可決により《循環の砂時計》が、なんとかかんとか災厄起動物に指定された』
「おめでとう」
『ありがとう! それでね、その《循環の砂時計》の回収を、君達……誇り高き『女神部』に任されたってわけだ。やったね!! イヤッフー!』
「イヤッフー」
ルイが右腕を突き上げる。
ノリのいい奴だ。
面倒事を確信しているのか、その声音は冷ややかだったが……。
「断る権利は――」
『うん! 勿論、無いよ! イヤッフー!!』
――イヤッフー。
私は何度目かも分からない溜息を、胸中でこぼした。
「……まだ、本件の後処理も完了していないのに」
『ん……? ……ああ、勇者クソマ君のことかい?』
「ソウマ君です。クソではありますが」
『すまないね! 人形の名前を覚える趣味は無いんだ! ボクの脳内メモリーの容量は、決まっているからね!』
それは建前だろう。
ディーヴァの頭なら、人の名前を記憶し、データとして数千年単位で蓄積するなど造作もない。
『その勇者君だけど……彼とも無関係じゃないんだよ』
「《桜樹の臓腑》か? ソウマが、私を供物にするとかほざいていた邪神の」
『察しが良いね!』
「ただの状況整理だ。……それにお前……タイミングを見計らって、かけてきただろ。最終的に、この話題に着地するように会話を進めていた」
『……そんな腹芸、私に出来ると思うのカナ?』
「さぁな。問い詰めはしない……が、あまり良い気分はしないな」
と、私は眉根を寄せて嘯いた。
別に何とも思っていない。
『それはすまなかったね。君の気を害するつもりはなかったのだが、私の伝え方に不備があったようだ。百年後までには改善するように努めるよ』
もう少し早急な努力をしてもらいたい。
「〈邪神族〉が……《桜樹の臓腑》が関係しているなら、穏やかな話ではないんだろうな」
『うん! ヴィル君が愛してやまない平穏とは、程遠いねっ!』
それは残念な事だ。
私は暴力沙汰が不得意である。
出来れば戦闘は避けたい……が、《桜樹の臓腑》が重要参考人では、そうもいかない。
『あの勇者君、ちょぉぉぉっとばかり厄介な勢力を怒らせちゃったみたいでさー。ほら勇者ソウマはさ、聖女ちゃんを寝取っちゃったじゃない? それにブチギレてる子たちがいるんだよ』
――クイクイ。
と、ルイが親指で謁見の間の入口を指す。
観音開きの豪奢な扉、その僅かに開いた隙間から人が入ってきた。
その男性は私を見つけると、ニコリと微笑む。
「ルイ」
「了解っス」
全容を省いた短い命令。
それを理解したルイは足早に近衛兵の元に行き、作業を中断させた。
『どうやら、聖女ちゃんの所属先――桜縁教の信者達が、勇者の身柄を狙ってるみたいなんだよねー。《循環の砂時計》を使って勇者ソウマを復活させ、傀儡にしようと企んでるみたい』
「なるほど」
私は静かに、現れた男性を見据える。
桜縁教は、〈邪神族〉――《桜樹の臓腑》を唯一神に崇めている、卑しい邪教だ。
私も『女神部』の職務として、桜縁教関連の事案を取り扱ったことが過去にある。
偏執的な思想と狂信的な観念、それが私が抱いている桜縁教の印象だった。
「誰だ、お前は」
まずは平静な態度で誰何する。
処理の対象……敵だと決まったわけではない。
「始めまして、『女神部』のヴィル様。女神カトレア殿の哀れな下僕に、こうしてお目通りが叶った幸運に深謝致します」
そう不遜に言って、男は薄笑いを見せた。
確認の意味も込め問うたが、男の素性は格好で判明している。
純白に桜色の、木の枝のような紋様が施された上質な祭服を身に纏い、頭まで被っている。
それは桜縁教に入信している聖職者の正装で、胸元に光る桜の花弁を模したペンダントが、司教かそれ以上の地位である証左であった。
見た感じ、年齢は若年の成人男性だが――。
顔貌を植物の蔓と桜が絡み合った鉄仮面で覆っているのもあり、判然としなかった。
「異教徒とはいえ、女神様に殿は無いんじゃないか?」
「なんせ、我が桜縁教の教えには、世界の管理者ヅラをしていやがる、クソ女神を敬う精神が記されておりませんので」
「センスがない教義だな。クソ女神様の愛嬌溢れる下僕の私が書き直してやるよ」
「有り難い申し出ですが……私共は、我が神《桜樹の臓腑》様が創造した世界の秩序に準じて生きております。そして、かの御方は急激な秩序の変革を望まれていない」
「現状維持、為政者が大好きな言い訳だな」
「私は忠実なる《桜樹の臓腑》様の手足……聖職者ですよ」
「そうかよ。ご苦労さまだな」
燕尾服の内側にしまっていた小型のカッターナイフを掌に出して――。
足音を出さずに近付いた私は、桜縁教の教徒を自称する男の首を斬った。
【次話予告】
相容れない邪教徒の思想――。




