第一章 第十一話 新たな問題と流す糞
私生活で邪魔をされると不機嫌になる時間があった。
就寝と脱糞である。
クソをしているときに、不要に話しかけられたりするのが嫌だ。
便の排出に集中したい。
「……ふぅ」
私はルーベンス孤児院の……共用トイレで息を吐いた。
洋式の便座に座り、私は溜まったブツを出している。
――ジャアァァァァァ。
と、水を流す音がした。
隣室でルイが出し終わったのだろう。
ガラガラ、と紙を巻いている。
私はもう少し、かかりそうだ。
ブツは全て出しきりたい。
――タラリタラリタラリラララ♪
そんな着信音と共に、私の胸元が震える。
通信機器を取って、画面を見ると『アバズレ』という表示が。
『女神部』の事務員――ネイリィだ。
さて、何の用事かな。
思い当たる節がないわけではないが……ルーベンス孤児院に入る前にかかってきたし。
どうせ叱責だろうと察して、着信を拒否したけど。
これは出たほうが良いだろうか。
怒られるのが分かっているのに話すのは怖い。
ネイリィは理路整然とした正論で私を責め立てるので苦手だった。
「……はい、ヴィルです」
ポチ、と機器を操作して耳に当てる。
恐る恐る応答した。
『良いご身分ですね』
「……え?」
私が呆けた顔をする。
身分……平社員の私など、たかが知れていると思うが。
『申請の無い後処理業務、無許可での魂滅銃ディルリラスの使用……そして、私への精神的な外傷。厳罰は覚悟することです』
聞き馴染みのある冷たい声。
そこに情は感じられない。
ルーベンス孤児院のトイレは温水洗浄便座のようで――
私はケツの穴を綺麗にするボタンを押した。
「待ってもらいたいな、ネイリィ。《循環の砂時計》の回収、それに関する申請は委託をしたディーヴァがしているだろう?」
『されていませんが』
「…………」
『《循環の砂時計》は世界の秩序を揺るがす邪神族の造物……そんな危険物の回収を、貴方如きに任せるわけがないでしょう。現在、神界ルリシセグンスの議会では、貴方の処分が議論されていますよ。『女神部』の下僕が《循環の砂時計》を我が物にしようとしている。これは神界ルリシセグンスに対する叛逆である、と』
私はケツの穴に水を噴射されながら固まっていた。
聞いていた話とまるで違うではないか。
ディーヴァは言っていた。
《循環の砂時計》の回収が、『女神部』に託された、と。
つまりは、それ自体がディーヴァの虚言。
「誠に申し訳ありませんでした。謝るので許して下さい」
『貴方の下げる頭に価値はない。それに事務の私に謝罪したところで、処遇は変わりません……喜ばしいことに』
私には悲しいことだ。
最悪、追放処分だろうか。
それで済めばマシだが、職を失ってしまう。
――シュウゥゥゥゥゥ。
と、ケツの穴を水が刺激する。
「……おぅ」
『そもそも貴方はですね……聞いてますか、ヴィル』
「効いてる効いてる、凄い威力だ」
『……はい?』
『女神部』に設備されたトイレより、水圧が強い。
これは、なかなか……。
『兎も角ですね、ヴィル』
「はい、ヴィルです」
『ただちに、神界ルリシセグンスに帰還して下さい。貴方に科される罰則を巡って、カトレア様が議会に掛け合っています。頭のお固い老人連中は、相変わらず貴方の存在が気に食わないようで、魂の滅却を望まれている』
ネイリィは淡々と、議会で論じられた意向を伝える。
こちらを慮る気持ちは無いが、しかしカトレア様の身を案じる心はあった。
私の不手際で、カトレア様にも責任が及ぶのを避けたいのだろう。
しかし、だ。
「戻って良いのか? 《循環の砂時計》は回収したけど、《原初の識者》は野放しになってる。あと、ディーヴァが魔王城で『桜縁教が勇者ソウマの身柄を狙ってる』と言った直後に、桜縁教の枢機卿――ヨハン・リシヴィスバイサーが襲ってきたが……《原初の識者》は多分、桜縁教と接点がある。勇者ソウマの聖剣フォルスシュラークを、神転録アスカリネインで複製していた。信徒に貰ったらしいが――」
聖剣フォルスシュラークは神界に転送され、管理下に置かれていたはず。
それが盗まれたというのは奇妙な話だ。
内通者でもいるのかな。
『……は? ……《原初の識者》……邪神族ですか……!?』
「そうそう」
『……ありえない。あの邪神族は八百年以上前に巫女によって、封印されたはず……』
「そうだっけ。なんか《循環の砂時計》を奪おうとしていたよ」
私はトイレットペーパーを巻き巻きする。
『何故、貴方が覚えていないのですか。封印に立ち会ったでしょう』
「興味ない事と、都合の悪い記憶は忘れる頭をしている」
『素晴らしい記憶力ですね』
「ありがとう」
ジャアァァァ、と流して腰を上げる。
通信機器をスピーカーモードに。
それを台に置いて、私はズボンのベルトを締めた。
『予定より大幅に早い《原初の識者》の復活……どうして、報告しなかったのですか。遭遇した時点で至急報せるべきでしょう』
「そこまで私の思考が回っていなかったんだよ。ほら、私は愚鈍だからさ」
『なるほど。……であれば、仕方ないですね』
納得されてしまった。
私は通信機器を手に、鍵を開け扉をスライドさせる。
ルイが蛇口で手を洗っていた。
「ほっといて良いなら、明日にでも神界に帰るよ」
『……いえ……それは……しかし…………』
と、電話の向こうでネイリィが思い悩んでいる。
ブツブツ呟き、そして――。
『私の独断では決められません。カトレア様に判断を仰がなければ……』
「そうだな」
『《原初の識者》の復活を、他に知っている者は?』
「一緒にいたルイと……あとは……ロゼリアかな」
『……ロゼリア? 何故、彼女がそこに。王都で処理の任に就いていたのでは?』
「私にそれを問われてもな。気分転換の散歩、と言っていたよ」
その理由も、適当なデマカセだろうがな。
私は蛇口を捻り、水道水を出す。
「あの戦闘狂の血塗れた思考回路を推測するのは、徒労だと思うよ」
『それは……そうですね。彼女には後日、厳重に注意しておきます』
真面目だな、ネイリィは。
そんなことを言い聞かせても、ロゼリアには一ミリも届かないし改善しない。
『議会が採決を取る前に、貴方には帰還していただきたかったのですが……』
「帰るよ。《原初の識者》の行方とか、どうでもいいし」
『ルイを連れて、『精霊の揺り籠』に行って下さい』
その店名を聞き、私は自然と眉を顰める。
洗面台の鏡を見ると、目が死んでいた。
「シグエナの手を借りるのか? あまり乗り気にはなれないな」
『貴方の気分は関係ありません』
私は蛇口をしめて、手を振り水を払う。
『精霊の揺り籠』は、移動型の情報屋だ。
不規則に世界各地を動いており、頻繁に変わる手順を踏まないと店舗に辿り着けない。
何度か利用させてもらったことがあるが……公の場で裸踊りを披露し、集まった人達に手作りのケーキを振る舞う、とかいう意味が分からない条件を提示された。
少し卵の量を間違えたのは反省だな。
『《原初の識者》復活の詳細……そして事実確認が済み次第、速やかに現在地を特定しなければならない。世界の隅々に目を持っているシグエナの助力は、必要不可欠です。あの邪神を野放しにしておけば、ヴィナグレイスが陰惨な遊戯の箱庭にされてしまう。……それに《原初の識者》は……カトレア様を滅ぼそうと画策している……八百年前からずっと……』
それは私も理解している。
『精霊の揺り籠』の店主――シグエナの能力は、捜索に於いてかなり有用だ。
もしかしたら、既に《原初の識者》を捕捉しているかも。
だが、個人的には借りを作りたいと思わなかった。
シグエナは情報の売買で、金銭を用いない。
その代わりに――
「捧げ物は、誰が払う。私ではないだろうな?」
『貴方が身を切らずとも、シグエナが欲しがってるモノはある』
そう言われて、私は思い至った。
「勇者ソウマの死体か」
『ええ。あの勇者の……いえ、異世界人の身体をシグエナは手に入れたがっている。対価としては十分だと思いますよ』
「従来なら、死体は魔女に高値で売りつける物だが……議会が許すのかな」
『黙っていてあげますので、ご安心を。……それに、貴方が神界に帰らない口実、延命にもなりますよ』
ネイリィの声音は平坦だった。
こちらを気遣っての提案なのか……。
『いま貴方に死なれては、カトレア様が議会の連中に付け入られてしまう。カトレア様の尊厳を思ってのことです。変な勘違いはしないで下さい。カトレア様には、私が連絡しておきます』
語気を強めてネイリィが言いきる。
私の心情を読まないでもらいたい。
「じゃあ、まずは『精霊の揺り籠』が、開店している所を探し出すか……」
私はハンカチで手を拭いて、共用トイレを後にする。
最後に来店をした三十年前は、ラスメイータ王国の地下に在る……アステロニカ神殿で営業をしていたが――。
『ラスメイータ王国の聖女を当たってみては? 彼女、勇者ソウマと共に『精霊の揺り籠』を訪れていましたし』
「何かの情報を買ったのか?」
『ええ、あのヘナチン勇者が、魔眼より強力な支配の術の入手経路を買っていましたよ。性奴隷に施す予定だったのでしょう』
私が処理をした勇者ソウマは、ラスメイータ王国が召喚した異世界人だ。
ラスメイータ王国の第一王女は聖女の聖職位に就いており、勇者ソウマとは仲間だった。
特殊能力――《星の意思》に加え、洗脳に特化した魔眼を有していた勇者ソウマは、聖女を自分の性欲の捌け口として、奴隷化していたのである。
勇者ソウマが死亡し、洗脳の効力は消えていると思うが……はてさて、どうなっていることやら。
発狂して飛び降りてないといいがな。
せめて、私の役に立って死んでほしい。
【次話予告】
異世界人の勇者が王国に残していった憎悪――。
土曜日はお休みさせていただきます。
週明けの夜から、また投稿をしていきます。




